<第四章:薊が如く>4
10メートル四方の空間だ。あちこちが古び荒れている。入り口に当たる場所は大きく砕けた壁。この空間は隠されていたのだ。いや、もしくは封じてあったのか。
そこで、惨劇が起こっていた。
血だまりの中、ラナの杖と共に獣人の少女が倒れている。意識はないが、小さい呼吸はしている。
戦士の一人は胸を大きく斬られ両膝を着いている。肉の中に白い骨を覗かせていた。息はあるが、顔は蒼白ですぐにでも治療しないと助からない。
もう一人の戦士は、敵と斬り結んでいた。
僕の矢を簡単に受け止めた男だ。この戦士は強い。だがそれを、あっけなく、腰から両断した敵はもっと強いだろう。
冗談のように大量の血が吹き出る。体が転がる頃、男は絶命していた。
敵は騎士だった。
盾はない。欠け、零れ、歪んだ大剣を左手一本で持っている。刃の切れ味など無いに等しい得物だ。しかし今、それで冒険者の剣と、鎧と、体を切断した。
剣技というには、あまりにも野蛮で凄惨な技、単純なただの力任せ。だがその力の次元は人の域を遥かに越えている。下手な受けでは何もかも潰される。まるで、剣を持った獣。
白銀の鎧はどす黒く汚れ、その上から鮮血が彩る。
ボロ布のようなフード付きのマントを頭から被っていた。右腕、それに顔は見えないが、
「馬鹿な」
アーヴィンの動揺を見れば、敵が何なのか分かった。
一つしかない。
どういう事だ? 何が起こっている? これまでの期間、こいつはダンジョンに居たのか? どうやって? そして何故、今、他の冒険者を殺した?
非常時だというのに、いや非常時だからこそか、ごちゃとした考えが脳みそに走る。
しかし、それは後だ。
「リュテット、あいつを押さえてくれ。負傷者の救出を行う」
「任せな。殺すつもりで押さえるよ。相手が何だろうが、今一人殺られた。こうなったら殺すか死なすしかない」
騎士を前に、リュテットも負けない気迫を浮かべ突撃する。
金属の不協和が立て続けに響く。
「シュナ、リュテットの援護を」
「ちっ仕方ねぇな」
シュナも駆け、剣戟に加わる。
「エア、獣人の子を」
「わかった!」
僕は戦士の方を、エアは獣人の方に走る。
視界の端に、人外と人外の戦いが見えた。近くに寄っただけでも、剣風に巻き込まれバラバラにされそう。
男の傍に寄り、鎧の重たさで持ち上げられず、後ろから脇に両手を挿し込んで引きずる。
アーヴィンは動かない。呆けている。
頼むから、騎士の間に入らないでくれと祈る。
エアの後を追い、男をパーティの所まで運んだ。傷の酷さにベルが口元を押さえる。
エアの連れて来た獣人は、背中を深く斬られている。血は今も流れ、傷の深さが判断できない。
二人共、再生点も魔力も切れていた。
「ゼノビア、治療魔法を頼む。魔力を全部使っても構わない」
「了解よ」
この傷、ゼノビアの治療魔法で間に合うか。
「アーヴィン! 治療を手伝ってくれ!」
「あ、ああ」
僕の声かけには応じてくれた。ゼノビアと二人で負傷者の治療を任せる。
「お姉ちゃん、これ」
「はい」
ラナが杖を受け取る。血を拭う事もなく、彼女は敵を見据えた。僕の声一つで、彼女は破壊をもたらす。
「アーヴィン、治療をしながら聞いてくれ。あれは、サンペリエ騎士で間違いないな?」
「背格好は同じだ。顔は正確に見ていないが、彼の剣。宝剣ガデッドに間違いない。ならば、あれは」
「間違いないな?」
「恐らく」
人間は、頭で理解していてもその通り動けない。感情という鎖で繋がれた犬だ。
「一度だけチャンスをやる。それで正気が戻らないのなら、覚悟を決めてくれ」
だから、しっかり言葉で聞かせ、意思を確かめ、背中を押して、ようやく困難に立ち向かえる。一刻を争う今でも、今だからこそ、必要な言葉だ。
「………………」
「サンペリエ騎士が、何故ああなったかは分からない。もしかしたら、アーヴィンの知っている彼に戻せる手段があるかも知れない。だが、その希望にすがるのは一度だけだ。それ以上は誰かが死ぬ。良いか? 一度だけだ」
僕の知っている男は、
「わかった。一度だけだな。安心しろ、自分はもう聖リリディアスの騎士ではない。このパーティの盾だ。それは絶対に忘れない」
こんな事で期待を裏切りはしない。
「ソーヤ、何とか出血は止まったわ。でも、すぐに上級治療魔法をかけないと」
ゼノビアが負傷者に包帯を巻いている。僕の思っていたよりも、ゼノビアの治療魔法は優秀だった。
「ラナ、いつでもいけるな?」
「はい、苦しませず。一瞬で焼き殺します」
「ゼノビア、ベル。負傷者を連れて下がってくれ。ベル、これを」
ベルにイゾラを渡す。
「イゾラ、敵の接近を随時探知してベルに教えてくれ。万が一の時は、わかっているな?」
『了解です』
「イゾラちゃん、お願いね」
『はい、任せてください』
ベルが不安そうにイゾラに話しかける。
「エア、負傷者の護衛を頼む」
「任せて。お兄ちゃん、気を付けてね」
「当たり前だ」
ラナを背に、敵に向かう。
初手こそ優勢だったリュテットが、今はもう防戦一方だ。一番の実力者が片手であしらわれている。シュナの剣もだ。
「行くぞ」
アーヴィンは無言で頷く。ラナは目で答えてくれた。
一際高い金属音。
リュテットの盾が、騎士に破壊された。彼女が大きく体勢を崩す。そこに、容赦のない剛剣の一撃が落ち、
「サンペリエ!」
アーヴィンの盾が受け流す。竜亀の牙すら防いだ彼の盾に、剣は深い痕跡を残した。まともに受けていたなら盾ごとやられていた。
「分かるか?! 自分だッ! アーヴィンだ!」
何の感情の動きもないまま、サンペリエの返す刃はアーヴィンの首を狙い、
「おらぁぁあああああ!」
シュナが全身でそれを打ち返す。
ギリギリ押し返した。一合、二合、三合、確死の一撃をシュナは弾き返す。しかしすぐ限界が来た。捌き斬れなかった一撃は、アーヴィンが盾で流す。次はリュテットが斬り結び、シュナの攻撃への起点を作る。
アーヴィンの問いかけは無駄だった。
僕に、ひとまずの安心が生まれる。わずかでも人間らしい物が残っていたなら、彼は手心を加えていただろう。
が、一切の予断が許さない状況。アーヴィンが防ぎ、その隙に二人が攻める。
「………………」
僕は影に潜む。
剣戟が響く中、一人消えるように。
呼吸を三人に同調させ、重なり紛れる。
音なく矢を番え、静かに弦を引く。
ミスラニカの矢はもうない。この矢は、秘中の秘。魚人族の銛だ。ゲトさんに頼み特別に一本だけ作ってもらった。通常の魚人族の銛は、鋭く頑丈だが空気に触れると急速に脆くなる。三日もすれば素手で壊せるほどだ。
だが、これは違う。
海底に沈み年月を重ねた大魚の骨から、極稀に深帝骨と呼ばれる素材が採れる。どんな環境であっても一切の風化を拒み、鋭く鈍く輝く。魚人の伝承では、世界の終わりまで形を保ち続けるらしい。それがホラ話でない事は、驚異的なしなやかさと頑強さが物語っている。
この世界の陸上種で、これを持っているのは僕だけだろう。魚人との信頼の証でもある。
当たり前だが、単純な威力は通常の矢を遥かに超える。貴重過ぎる故、使う事はないと思っていたが、頼るしかない。
「我に潜みし、ルゥミディアよ」
この矢に隠れ名の恩寵を。
英雄の力をこの弓に。
勇猛名だたるヴェルスヴェインの業を、今ここに再現す。
腕が、肩が、全身が、弓の一部になったかのように張り詰める。
騎士を見据える。アーヴィンのかつての友。その背景は今消した。
これは敵だ。三人がかりでようやく互角、それも一時的な。凄まじい敵だ。突発的な戦闘条件では、竜亀以上といえる。
しかし、それだけだ。
ただ、
その、
命を射抜く。
僕の殺気にサンペリエが反応する。
その隙に、三つの剣が振り落とされた。敵は初めて受け太刀をして膝を着く。
矢を放つ。
弦が空気を叩き破裂音を奏でる。物理的なエネルギーは砲弾に等しい。サンペリエは僕の矢を知覚していたが、三人の冒険者に押さえられ剣を振るう事ができない。
魚人の銛は太ももを貫き、サンペリエを石畳に縫い付ける。骨を砕いた。足止めとしては最良のはずだ。
だが敵は悲鳴や声すら上げない。それに迷う暇はない。
「皆、引けッ! ラナッ!」
三人が散開する。ラナが杖を掲げ、
僕は、めくれた騎士のフードから本当に恐ろしい物を見た。
瞬間、
視界が白く染まり、重力の感覚が失せた。
二、三秒気絶していた。
曇った視界、ダンジョンの天井が見える。立ち上がろうとするが、手足の感覚が遠い。耳鳴りがひどい。
「………………ヤ………ソ………………ヤ」
遠くから僕を呼ぶ声がした。意識が重い。ひどく眠い。力を抜けば、泥のような眠りに引き込まれるだろう。このまま楽に、
「ソーヤ!」
アーヴィンに呼ばれ覚醒した。
「ぐっ」
猛烈な頭痛と吐き気。全身の痛み。アーヴィンに肩を借り、何とか起き上がる。
周囲を見回し状況を確認。
シュナも、リュテットも健在だ。深い負傷は見当たらない。
僕らは、サンペリエの咆哮に吹き飛ばされた。獣の如き声が衝撃波を発生させた。これが、先ほどの遠吠えの正体か。
幸運な事に、重い被害は僕くらいだ。サンペリエ自身も、まだ矢に釘付けにされている。
早く立て直しを、魔法で。
「あなた! 魔力と再生点が?!」
ラナの声と表情が絶望を浮かべていた。アーヴィンが自分の再生点を確認する。魔力も含め、再生点はゼロになっていた。恐らく他の皆も同じ状況だ。
見ていたのに関連付けが出来ていなかった。
負傷者二人も魔力ゼロになっていた。その不自然さに気付くべきだった。愚かと自分を責めるのは後だ。今は、今はこいつを。
「あんた、分かっているね?」
リュテットが覚悟の形相で僕を見る。サンペリエが矢を破壊しようと剣を突き立てていた。残念だが、その矢は簡単に壊れる物じゃない。
「こいつはここで殺すよ」
「ああ」
分かっているさ。
冒険者として、こいつは放置できない。手練れの中級冒険者が簡単に敗れた。本来この階層にいる新米冒険者では相手にならない。それに再生点や魔力を枯渇させる能力。下手をすれば上級の冒険者でも敗れる。冒険者の天敵、まさしく悪冠にふさわしい。
しかも、こいつは隠れていた。いや、隠されていた。誰が隠したのかは想像するのは容易い。リュテットの依頼人と同じ英雄様だろう。一番の問題は、こいつの追跡タイプが分かっていない事だ。
僕らの血の匂いで追ってくるようなら、最悪の惨事になる。
これはここで殺す。それが駄目でも足止めをする。
「シュナ」
「何だ? 再生点が切れても、おれはまだ」
「僕とアーヴィン、リュテットは、ここに残る。他のメンバーと負傷者を連れてダンジョンを――――――」
「ふざけるなっ!」
シュナに胸倉を掴まれる。
「よく聞け。時間がない。今すぐ上に戻れ。担当か組合長に状況を話、救援を要請しろ」
「おれも、ここに残る」
「駄目だシュナ。駄目だ。魔法が使えない今、パーティの生命線はお前の剣技だ。皆を見捨てるつもりか?」
「そんな、みんなで逃げればいいだろ?!」
シュナが泣きそうな顔を浮かべる。
「それはもっと駄目だ。誰かが足止めしないと他の冒険者に被害をもたらす」
後は、こいつが決める事だ。
任せた。信用しているぞ。
「ラナ、エア、安心してくれ。必ず生きて戻る。だから早く助けを呼んでくれよ」
「私も残ります。魔法は使えませんが少しだけ剣技を」
そう言うラナの後頭部を、エアが殴った。
「いたっ」
「お姉ちゃん。お兄ちゃんのいう事はきちんと聞く。お兄ちゃん安心して。強いの誰か連れて、すぐ戻って来るから」
「頼む、エア」
頼りになる妹は、ラナを引きずり僕から離す。抵抗はしないがラナは名残り惜しそうに僕に手を伸ばす。
ベルは無言で頷き、負傷した獣人の少女を担ぐ。ゼノビアは負傷した男を担いでいた。鎧を脱がしたとはいえ、結構な重量があるというのに。意外とタフな女性だ。
「シュナ」
シュナはまだ動かない。他のメンバーは彼を待つだけだ。
「アーヴィン」
シュナはアーヴィンの名を呼ぶ。
「ソーヤを死なせるなよ」
「当たり前だ」
シュナはもう何もいわず。パーティと合流して走り去る。
去り際にラナと目を合わせた。泣かれた。ひどい男だ、僕は。
「イゾラ」
『はい』
メガネの通信機能でイゾラに呼びかける。
「敵との戦闘は絶対に避けろ。常に安全なルートを選択、時間がかかっても構わない」
『了解です。最小戦闘かつ、最短ルートをナビします。ソーヤさん、死なないでください』
「了解だ」
鈍い骨の音。厚い布を無理やり引き裂く音。
サンペリエは、矢が破壊できないと判断して、自らの足を剣で潰し始める。
「君は残らなくてもよかっただろ」
「アーヴィンが寂しがると思ってな」
冗談を冗談で返してカラ元気を得る。
左肩が動かない。鈍い痛みが体に沁みて来る。折れているかもしれない。ボールペンタイプの注射器で痛み止めを打つ。痛みはこれで押さえられるが、この腕では弓は引けない。
「リーダー、策は?」
リュテットが不敵に笑う。
「命を大事に」
「そりゃあんた、ただの心得だろ」
確かに。
「殺そうと欲張るな。徹底的に足を狙え。だが、攻めて攻めろ、絶対に攻撃させるな。再生点が切れている以上、一撃でやられる」
「まあ、八点だね」
生き残らなければ、高い評価など何の意味もない。
絶望的な状況で、犠牲無しに戦えるのか? 最悪、僕の命一つでこいつを………………
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