<第一章:異邦の食卓>5


 夜の街。

 そこは怒声や悲鳴が響く混沌とした空間である。

 一応、治安維持として中級の冒険者達が見回りをしているのだが、酒が入ったらそこらのゴロツキと変わりない。

 日が暮れても熱は冷めやらず、むしろ高まる。熱病のような暑さが人々を侵している。

 男を漁る魅惑的な女性の吐息に、欲望にギラついた男の瞳。

『睡魔と豊穣の女神館』

 館というだけあって立派なおもむきである。高級感がある。そういうのが売りという事だ。他の店であるような、客引きすらいない。下種で安い者は、売りに出さないという現れなのだろう。

 五人ほど店に入って行くのを見届けた。

 上級の冒険者達だった。

 商会に通っているので高価な装備は見分けられる。一人などルミル鋼の剣を持っていた。ヴィンドオブニクルの名を冠する鋼で、切れ味もさる事ながら非常に高価。ナイフ一本が金貨800枚で取引されていた。ロングソードサイズだと幾らになるのやら。

 いや、そんな事より。

 ここ、娼館だよな。

 間違えようはない。

 まず自分で確かめようとして正解だった。別に職業に対する差別意識はないが、元とはいえ姫様を連れて来る所ではない。

 親父さんに謀られたかな?

「あら、あなた」

 ふと話しかけられる。

 セミロングの栗色の髪。頭頂部から生えた垂れた長耳。長身痩躯。ほぼ下着といってよい恰好で、丸っこい尻尾と小さいお尻が丸見えである。そんな魅惑的な恰好だが、目尻が下がり気味でおっとりとした顔つき。

 記憶にある人だ。ただ、どこで会ったかが思い出せない。

 喉元まで来ているのだけど。

 彼女は食料品を幾つか抱えている。夕食の買い出し帰りだろうか。

「こんな所で誰かお探しですか? あら、まあまあ、まあまあ」

 彼女が僕の左手を掴む。

 そこには、いわれた通りに巻いた金貨付きの鎖。

「丁度良かった。今、久々に仕事に入っている最中ですわ」

 え、何が? と聞く前にグイグイと引っ張られ、お店の扉が開かれる。

 甘い香水の匂いに、漂う紫煙、淡い翔光石の照明。

 広間には、淫靡に照らされた裸体がずらりと並ぶ。ソファに寝そべりくつろぐ者。熱っぽい視線を向ける者。持て余した時間に肌を重ねる者。獣人、ヒーム、エルフ、知識にない人種まで様々。男女問わず、一つの共通点が彼、彼女らには合った。

 首輪と。

 美しさだ。

 面食らっている僕の前に、身なりの良い強面のおっさんが立ち塞がる。

 女性が僕の左手をおっさんに見せると、おっさんはニコリと笑い。どうぞ、と連れられるまま、ほいほいと二階の部屋に案内されて一人に。

 雰囲気作りの為か、無駄に豪華な調度品。

 弓を肩から降ろしてベッドに立て掛けた。腰の矢筒も同じように。自然と楽な恰好だ。下を覗くと、四隅には鎖と枷が付随していた。調度品の引き出しを確認したら、木製や金属製の立派な疑似モノが。更に漁ると、香油にロウソク、鞭に口枷、玉が付いた紐、拘束具、縄。様々なご用途に対応した品々がズラリ。

 まて、

「………………」

 どうしよう。

 わかっているのに変な期待のままここにいる。すぐ正気に戻った。あ、駄目だコレ。逃げよう。

 窓を開けると鉄格子ががっちり。

 部屋の扉から出る、より、先に誰かが入って来た。

「お待たせいたしました」

 うやうやしく一礼。

 猫の獣人である。しなやかな手足に、柔らかそうな腹と胸、長く波打った金髪、綺麗に尖った耳、ボリュームのある尻尾。猫の種類でいうとソマリだろうか。

 少しばかりの幼さに、自然な愛らしさが浮かぶ顔つき。

 隠す為ではなく、裸を飾る為の薄絹を纏っている。当然、首輪をしていた。

「あ、ソーヤニャ」

 おもいっきり知り合いだった。

「テュテュ、何やってるんだ?!」

「何って、仕事ニャ」

「え、いや、あの」

 中高のクラスメイトと風俗で再会したようなシチュエーションに脳が混乱する。

「あ、いけないニャ」

 テュテュが咳払いを一つ。口調を変えて喋り出す。

「我は今宵の夢。欲望の権化。肉の奉仕者、豊穣の“しとね”」

 伸びた手が僕の肩と髪に触れる。迫るテュテュに気押されて後退る。そのままベッドに倒れ込んだ。金髪の毛先が首筋に触れる。雌豹のようにくねり、またがる肢体。熱と艶に濡れた肌に目が釘付けになる。

「睡魔ローオーメン、豊穣の神ギャストルフォ、並び奉る神々よ。仮初めの主従により、血の奉仕を。移ろい行く魔素をここに。我と汝を繋ぎたまえ」

 テュテュが、僕の首に下がっていた再生点の容器を取り、ガラスに唇を当てる。

 不味い、と思うが遅い。

 彼女と唇が重なった。状況が飲み込めない緊張と焦りに、僕の体は隅々まで固くなる。その硬さの一つ一つを解すように舌と手が蠢く。

 ぶちん、と自分の中の何かが切れた。

 湧いた罪悪感は情欲に食われた。

 熱っぽさに自分が誰なのかすら忘れる。

「ん、んっ」

 テュテュが官能的に声を漏らす。思わずを抱き上げた。触れた肌が吸い付く。熱い吐息が混じる。甘く、絡む、肉を、噛み合う。

「ソーヤ、まっ、待って。あっ、あ! ちょと、だけ。ちょっとだけ待つニャ」

 テュテュが僕を引き離す。

 水を注され。

 理性が少し戻った。

「………………」

 ………………ぬはあああああああああああああっ! 何を! 何をやっていた! 僕は! 偽装とはいえ妻帯者なのに。あ、偽装なら別にいいのか。ん? いいのか? よく、ないのか? ないよな。混乱して不思議な踊りをしてしまう。壊れたロボットダンスみたいだ。

「あ、思ったより上がったニャ。ニャーとソーヤ。凄く相性良いみたい」

「は?」

 テュテュが手にしたのは僕の再生点だ。容器を軽く振っている。

 あれ、おかしい。

 親指の先程度しかない僕の再生点が、後衛の冒険者並みに上昇している。回復ならともかく最大値を上げるなんて、こんな事が可能なのか?

「ごめんテュテュ。どういう事?」

「え、知らないでここに来たニャ? ここは冒険者専用の娼館ニャ。ローオーメンの眷属は、自分の再生点を人に分け与えられるニャ。個人差はあるけど大体二日くらい。相性もあるから、まず確かめニャきゃ」

「外魔力もか?」

 ラナと絡み合うテュテュを想像して、すみません興奮しました。

「それは無理ニャ。というか、魔法の為の外魔力と、再生点の為の内魔力は由来が違うニャ」

 しまったー。

 説明間違いをしていたのか。よく事情を説明しなかった僕が完全に悪い。

 でも、親父さんもいえよ。一応、あんたの前で僕らは夫婦になると宣言したんだぞ。こういう所なら先にいえば………………いえば、いかなかったと………思いたいです。

「ソーヤどうするニャ? このまま続けてもいいし、三回まで人代えて選べるニャ。でも一回決めたら変更できないから、よ~く考えるニャ」

「ちょ、ちょっと」

 タイムと手を伸ばす。色々と整理しないといけない事が。そんな僕の思案など知らず、テュテュは僕の手を掴んで、自分の胸に引き寄せた。 

 丁度手に納まる小振りだがしっかりとした肉の感触。人間、柔らかい物を掴むとその感触を確かめざるを得ない。

「ニャン♪」

 甘い声に釣られ、片手は彼女の腰に伸びていた。軽く引き寄せるとテュテュは膝の上に。僕の太ももに当たる下腹部は熱く潤み、赤い舌が自身の唇を舐める。艶に濡れるだけ濡れた挑発的で扇情的な顔。

 もう一度唇を重ねて、思考と理性は完全に死んだ。


 そして、

 壁が砕けた。


 比喩ではなく現実である。

 轟音と衝撃に、何かの襲撃を予想する。理解するのに少し時間を要したが、受付のおっさんが隣部屋の壁を突き破って、こっちの部屋に吹っ飛ばされたのだ。

 状況を理解したが、意味がわからない。

 隣部屋には全裸の男がいた。

「長耳は駄目だな、鳥骨のように脆い。おお、そっちの獣人の方が良いではないか」

 男は古代の彫像のような体型だった。そいつの後ろには、エルフがうずくまっている。更に男は、そのエルフの髪を掴み僕の方に引きずり、

「おいお前、交換しろよ」

 投げる。

 咄嗟に体を動かそうとする。しかし、怯えたテュテュに抱き着かれ動けない。

 ごん、と鈍い音。ベッドの足に頭をぶつけエルフが倒れる。

 別の理性がキレた。

「ほう」

 一瞬で弓を拾って矢を番えた。このラウカンの弓、番えるのが木の枝でも人の頭蓋は軽く貫く。今、男を狙っている重矢なら手足を捻じり切るくらい造作もない。

「おい、呆けナス。ケツに矢をぶち込んでやろうか?」

「言葉は強そうじゃないか。雑魚」

 問答無用。

 矢を放つ。

 火花、

 弾かれ矢は天井に突き刺さった。殺すつもりはなかったが、手加減したわけでもない。

 男の左手には剣が納まる。

 いやしかし、それを振るって矢を弾いたのではない。何かが剣を投げて矢を弾いた。僕の知覚では男以外の敵は認識できない。

「女の前に、血を見るのも一興か」

 男が無造作に近づく。

 次矢はもう番えているが、これを外すと次の手段はない。

 僕の近接戦闘技術は、この世界では児戯に等しい。矢を弾いた手段が読めない今うかつに放つよりゼロ距離に賭ける。こいつが剣を振るうと同時に射る。

 ま、良くて相討ちかな?

 それは男にも理解できたのか、獣のように笑う。

 僕も笑う。牙を剝く。

 男同士の笑顔は、威嚇と、戦いの先触れだ。こいつが何で誰かなんて関係ない。こうなったら殺すか、死ぬかしかない。それだけだ。

 無造作に間が詰まる。

 矢と刃が交差、

「ヴァルナー!」

 別の男の侵入と叫びで中断。

 騎士の装いをしている。髪を短く刈った唇に傷跡のある男だ。偉丈夫で首も手足もヒームとは思えないくらい太い。年齢は三十代くらいか、無骨な武人といった所。彼の鎧のデザインには見覚えがあった。

 男は声を張り上げ続ける。

「聖リリディアスの英雄とあろう方が、遊びが過ぎますぞ! このような場所では、掠り傷でも栄誉の致命になります! 血が見たいというなら某が夜明けまで稽古に付き合いましょう!」

「ちっ」

 全裸の男は舌打ちをして剣で肩を叩く。

 どうやら、戦闘意思はない様子。

 ガヤガヤと他の人間が集まって来る。

「そこの冒険者。迷惑をかけた」

 鎧の男が僕に袋を渡す。中は金貨で結構重い。

 僕とテュテュは娼館の人間に連れられ別室に移動した。彼女は脅え震えて僕の腕に抱き着いてくる。尻尾がブワァーと膨らんでいた。

 別室にいたのは娼館の主。恐ろしいほどの美人で年齢が読めない。胸元の開いたドレスに長い巻き毛。着飾った貴金属に宝石は、彼女の価値の一端だろう。

「異邦の方。うちの人の紹介なのに、とんだご無礼を。本来守るべきお客様に逆に守られるとは、厳しく躾けておきます。テュテュ」

 名前を呼ばれて、彼女は僕から飛び離れる。

「も、申し訳ありません」

 尻尾が委縮していた。

「野暮な事ですが、今夜は特別に人数を増やしてサービス致しますわ」

「すみません。ありがたい申し出ですが、お断りします。彼女で十分間に合っていますので。しかし、興が削がれた。帰ります。また寄らせてもらいますから」

 泣いているテュテュの頭を撫でた。怪我をしたエルフにと金貨を数枚置いて、部屋を出る。

 名残り惜しさを捨て置き、するりと娼館を出た。

 夜の街の喧噪に包まれ、夜気を思いっきり吸う。重たく、ため息を吐いた。

 危なかった。危なかった。

 たぶん、この世界に来て武装を盗まれた時よりも危なかった。僕の不注意と愚かさで欲望に溺れる所だった。ラナに合わせる顔がない。パーティの女性陣にも合わせる顔がない。

 何をやっているんだ僕は。

「はあ」

 しかし何とかなった。難局を乗り越えたのだ。首の皮一枚で繋がった。でも首の皮一枚って、それもう死んでるよね? 結果的に何とかなったので大丈夫。と自分に言い聞かす。

 もう安心。

 よし、ラナの為に何かプレゼントを買って帰ろう。エアも絶対うらやましがるので、やっぱり二人分だ。ええと、

「お、ソーヤ」

「あ、お兄さん」

 ばったり、会ってはいけない二人と出会ってしまった。

 シュナとベルだ。食料品を大量に抱えている。

「………………ミテタ?」

「は? 見てたって。そこの館から出て来る所か? 見てたよ。そういや、テュテュがここで働いてるっていってたな。ここって何の店だ?」

 そうだった。この二人テュテュと友達だった。

 やべぇ足が震えてきたぜ。

「………ふーん」

 ベルトリーチェさんが体を反らして下目遣いに僕を見る。

「ふーん…………」

 その思わせぶりな態度は何でしょうか。

「ま、男の人ですからね。こういうのも分かりますが」

「ベル、この店って」

「シュナちゃん、先帰って。あたしお兄さんに送ってもらうから」

 ベルはシュナに自分の荷物を全部渡す。

「ぐあ! 重い重い!」

「男でしょ! 稽古のつもりで走れ!」

「な、んで、お前怒ってるんだよ」

 迫力に押させてシュナが去って行く。

 ちょっと校舎裏まで来い、とベルのジェスチャー。

 人気のない路地裏に入った。

「頼む。ラナにはいわないでくれ」

 と、僕の情けなさ最大の発言。

「エアには?」

「やっぱり他言無用でお願いします」

「ラナさんの名前一番に出すって事は、それなりに罪悪感はあるんですね」

 はい、罪悪感で心臓が止まりそうです。

「僕の、言い訳を聞いてくれたりするかな?」

「どーぞー」

 ベルの目は猜疑心で一杯だ。

「ラナの魔力が中々回復しないから、親父さんに回復方法がないか聞いた。そうしたら、あの店を紹介された。知りもしない店にラナを送れないから。まず、どういうモノか自分で確かめようとして………………テュテュが出てきた」

「よりにもよって、テュテュとシたんですか?!」

「えーと」

 いっていいのか? もう、いうしかないか。

「口と口で。テュテュと、チュッチュと」

 発言の酷さに自殺したくなる。

 生々しく想像してしまったのかベルの顔が赤らんでいた。

「その後は?」

「え」

「その後は!」

 顔が赤いのだが、ちょっと口端が歪んでニヤけている。

「いや、特にないです」

「男と女がそれだけで終わるわけないでしょ」

 ごもっともである。

「隣部屋の客が揉め事起こして、巻き込まれたから出てきた。以上」

「えー」

 残念そうである。

「でも、そうですね。そういう所は、お兄さんらしいです。それで揉め事が起こらなかったら最後までイっていたんですか?」

「ハハッ………………まさか」

 嘘を吐きました。

 欲望に溺れていたのにね。

「そういうわけで、未遂だ」

「未遂て」

 ベルの何ともいえない表情。

「頼む。何でもするから皆には黙っていてくれ。様々な勘違いと偶然が重なっただけで、彼女を裏切るようなつもりは欠片もない」

「何でもっていいました?」

「まあ、できる範囲内であれば」

 何やかんやでベルトリーチェの事は信用している。命を預け合ったパーティなのだ。そのパーティが崩壊するような事はしないはず。それと無茶な要求も。

「それじゃ明日の朝ご飯ご馳走してください。お兄さん達のキャンプ地に行っていいですか?」

「おう、良いよ。腕によりをかける」

「やったぁー」

 はしゃぐベル。微笑ましく眺めて、完全に油断していた。「それじゃもう一つは」と彼女の小さい声。何を思ったのか僕に両手を絡ませて来て。

 軽く唇を合わせた。

「えへへチューしちゃった」

 少年のような笑顔である。紅潮した頬が夜闇の中でも確認できる。

 背後の喧噪が、やけにうるさく聞こえた。


 僕は地獄に落ちるかもしれない。

 そこは魔女の釜のような場所だろう。

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