<第一章:異邦の食卓>2
脚気とは、ビタミンB1不足が原因で起こる神経障害だ。
手足の末梢神経から症状が出て、末期は心臓が正常に機能しなくなり、死ぬ。
日本では国民病になった過去がある。
ランシールに貰った王様の食事メニューは予想通りだった。どの日にも、高級品の砂糖たっぷりの甘物、そして大量の酒。バランスもはっきりいって良くない。
彼女によると、王は深酒するのも珍しい事ではなかった。
ビタミンB1は糖質を代謝するのに消費される。後、アルコールを分解する為にも大量に消費される。ただ、取りにくい栄養素ではない。こっちの食品でいえば、麦に豚肉、大豆から簡単に取れる。特に豚肉には多く含まれる。
偏った食生活と、甘い物に、ストレスからの飲酒が全ての原因だ。
人払いしたキッチンに立って、並んだ食品を眺める。
王族の食卓だと期待したが、そこまでの物はない。大きくて使いやすそうな釜戸と、広いスペースのまな板などは羨ましい。
さて、
「マキナ、どの食材を使おうか」
『豚肉を使えれば手っ取り早いのですが』
「ランシール。王様、豚肉は?」
メニューには一度も登場していなかった。
「大嫌いです。温厚な方ですが、前にコックが細かくしてスープに入れたら皿をひっくり返して激怒していました」
極秘だが、王様は昔、ダンジョンに巣くう大豚にマントを噛まれ振り回されたそうな。
参ったな、水溶性の栄養だからスープにするだけで簡単に取れるのに。
「大豆で、ミスラニカスープを作ろうかな」
「陛下は豆も嫌いです」
ううむ。
弱った体にパンとかも通りが悪いだろうし。何にしようか。
考え込んでいるとマキナから助言が来た。
『サプリメントという手段もありますが?』
「だよな。でも、キッチン借りた手前。料理を出したい」
「ソーヤ殿。先ほどから誰と話しているので?」
傍からだと独り言のように見えるので説明する。
「僕のメガネな。妖精が住んでいて、助言をくれるのだ」
「なるほど! 流石です!」
両手を胸の前で合わせて、ランシールが感動する。彼女の中で、僕のハードルが上がっている気がする。こういうのって一度幻滅させると地の底まで評価が落ちそう。
それはさておき、相談再開。
「他にビタミンB1が豊富な食材は?」
『豚肉、豆を除外して、こちらの世界で手に入る物では、全粒粉、鳥のレバー、唐辛子、干しブドウ、ニンニク、ゴマ、ですね。ただ、どれも豚肉に比べると半分以下の含有量です』
「ランシール。獣人パンとか、王様食べるかな?」
「貧民の食べ物ですから、不敬になるかと」
「うーむ」
『ソーヤさん。こちらの食べ物ではありませんが、豊富な含有量の食べ物があります』
それを聞いて、エアがブーたれないか不安になったが。マキナの進言通りにした。
ランシールと共に馬に乗って、一度キャンプ地に帰還。
ラナとランシールが遭遇して修羅場に。
何とか収める。
エアはやっぱりブーたれた。
何とか説得して、王城に戻った。
「それで、それは一体? エアの反応を見るに、貴重な物なのでしょうが」
「インスタントラーメンです」
別名、袋麺だ。
意外だが、インスタントラーメンにはビタミンB1が多く含まれている。
ちょっと昔に、インスタント食品とジュースが主食の若者層が脚気になり、その教訓と、悪いイメージの払拭から、メーカーが多めに添加するようになったそうだ。
「ランシール、手伝ってくれるか?」
「え? あの………女としては恥ずかしい話なのですが。この身は剣ばかりに生きてきたので、調理の仕方など一つも」
「簡単だから教えるって。それに、これ一食で王様の体調が良くなるわけじゃない。とりあえず、三十食分用意してあるから。………飯の度に僕が城に来るわけにもいかないだろ?」
「そ、そうですね。頑張ります!」
そんな気合い入れるほどの事でもないのだが。
「よし、まず。髪をまとめてくれ」
綺麗で長い銀髪だが、調理の邪魔だ。たまたま、ラナが使っていたゴム紐がポケットに入っていたので渡す。
「やって頂けますか?」
「いいのか?」
「是非」
女性の髪は簡単に触って良いモノじゃない気がするけど。
ランシールの後ろに回って髪を掬う。手から零れる。サラサラだ。上質の絹見たい。ラナに負けずとも劣らずといった所。
「んふっふ~」
ランシールが嬉しそうである。勘違いしそう。別に好きというわけではないが、ポニーテールにした。
「んじゃ、次は手を洗おう」
「はい」
石鹸を持って指の間、爪、肘までしっかりを洗って見せる。
獣人は、人によってニーソックスや手袋見たいに獣毛が生えている。ランシールの手は普通の人と変わらず。そのせいか、傷跡が幾つか目に止まった。訓練の年輪だろう。
「手洗いは大事だぞ。ばい菌なんか食事に入れちゃダメだ」
「ばい菌とは?」
「見えざる不浄だ。清潔にしていないと、これに腹をやられる」
「なるほど。ソーヤ殿は物知りでいらっしゃる。身につまされます」
神妙な顔をされる。
「鍋に水を入れて火にかける。鍋は二つな」
「はい!」
「そんなツルツルに水入れなくていいよ」
「はい!」
翔光石の発火装置を使用して、釜戸に火を通す。
「沸騰するまで鍋は放置」
「了解であります」
「次は、材料を切る」
まな板の上には用意して置いた食材。
ランシールに包丁を渡す。
「ニンニクは二欠片。皮ごと包丁の腹で潰してから皮を取る。ヘタ近くは切り取ってくれ」
「お任せを」
ガス! っと音。ニンニクが水分を吐き出してペラペラになった。まあ、問題ないか。彼女は、剣を扱っているせいか包丁使いは手慣れたもの。
「王様、辛い物は?」
「お好きです」
「では回復したら唐辛子はそのまま入れていい。今日は、体の事を考えて辛味は少なく行くから」
「トウガラシ、とは?」
「この赤いの」
唐辛子、に似た品種の赤い辛子を掴んで見せる。
「ああ、悪魔の小指ですか」
「こっちじゃそういう名前なのか」
「はい、悪魔というのは両手が血のように真っ赤だそうです。見た事はありませんが」
一つ、異世界の知識に詳しくなった。
包丁で切って種を抜くようランシールに指示。
「んじゃ、材料はフライパンに」
「はい」
潰れたニンニクと唐辛子<悪魔の小指>をフライパンに投下。
「後、この木の実も入れ、油を垂らす」
松の実を入れて、オリーブオイルを適量垂らす。
「軽く火に通してくれ。ニンニクは焦がさないように」
「はい、頑張ります」
フライパンをランシールに任せる。尻尾が立ってスカートが捲れた。
「ど、どうでしょうか?」
「そんなに動かさなくていいから」
「はい!」
こんなに気合いを入れてジッとフライパンを持つ人は初めて見た。
お湯が沸騰した。
「ランシール、フライパンは一旦放置」
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫」
フライパンは目の離せない幼児ではない。
もしかしたら、似たようなものかも知れないが。
「この乾麺を沸騰したお湯に入れる」
渡す。
入れる。
「はい! 熱っい!」
「はい、指を入れない」
「は、はい」
尻尾の毛が逆立っていた。面白い。後、ちょっと生足が見えて困る。
「で、この砂時計が落ちるまで放置」
エアの調理用に作った砂時計を返す。
「はい!」
「んじゃ、フライパンを見よう」
ニンニクは良い感じで油に匂いを移している。
「美味しそうですね」
「この感じを忘れないように。フライパンは熱から離してくれ」
「了解です」
まな板にフライパンを置く。
「んで、これを潰して入れる」
梅干しの種を取り出しフライパンに投下。
「スプーンで潰しながら混ぜて」
「はい」
スプーンを渡す。彼女は生真面目に丹念にフライパンをかき混ぜた。梅干しに豊富にあるクエン酸は、ビタミンB1と合わせ取ると疲労回復効果が高くなる。
「そんな感じで良いよ」
「ありがとうございます」
「それじゃスープを作ろう。といっても、簡単な物で。この小袋を開けて器に入れ、お湯を注ぐだけだ」
「それだけですか、簡単ですね」
底の深い器に粉末を投下。この器、高そうだ。内側に複雑な模様が描かれている。
「お湯はここまで注ぐ」
丁度、目安になる模様があったので指す。
「はい」
ちょっと震えながら鍋からお湯を注ぐ。
「よし、スープはこれで完成」
「ふ、ふうぅ~」
彼女は額に汗を浮かべていた。
ちなみに、癖のない塩味である。
「あ、麺の時間来てた」
砂時計はとっくに落ちていた。
「ど、どど、どうしましょうか!?」
「ちょっと伸びたくらい平気、平気」
慌てふためくランシールをなだめる。丁度良いザルを見つけたので使用。
「お湯を捨てるぞ」
まだ慌てているので僕がやってみせる。
まあ、ザルでお湯切るだけだが。
「軽く振ってお湯を切る」
ザルを振ると、ランシールの首を動く。猫みたいで可愛い。
「そして麺をスープに投下」
持参した箸で軽くスープと絡める。
「調理した油をかける」
フライパンから油を投下。
「よし、できた」
「本当ですか!」
インスタントラーメン、ニンニク油・松の実と梅肉入り。
完成である。
かなりシンプルだが、病人食なので具材は少なくした。
「早速、陛下に食べてもらいます」
では、食堂に移動。
最初は寝室に持って行く予定だったが、寝室で飯を食べるなど品格が落ちる、と王様。彼は弱った体を引っ張り食堂に移動していた。
広い食堂の長いテーブルに、王様が座っている。その近くに親父さんが座っていた。更に近くに知らないおっさんが一人。身なりが良く、肥え太り、冒険者には絶対見えない人間。
後、周りにメイドさんがズラり。そんな、厳粛な空気で食べるものじゃないのだけど。
インスタントラーメンですよ?
「陛下、お待たせいたしました」
ランシールがラーメンを王の前に置く。フォークとスプーンを横に添える。あ、飲み物忘れた。
「待たれよ。ランシール」
知らないおっさんが止める。
「こやつ、異邦の者だと聞く。しかもエルフと婚姻した仲だと。そんな者の食物を、陛下の口に入れるつもりか?」
「はい、ソーヤ殿は信用に足る方です」
きっぱりというランシール。
おっさんはイヤラシイ目つきで彼女にいう。
「獣人の貴様の目が、節穴ではないと誰が保障する?」
「俺だ」
親父さんが憮然とした表情で言い放った。その迫力に、おっさんが慄く。
「し、しかしメディム殿」
「貸せ、毒見してやる」
親父さんがラーメンを自分の前に移動させる。スプーンでスープを一口。
眉間に皺が寄る。
「この果実のような物は何だ? 異常に酸いぞ」
「プラムを薬草と塩で漬けた物です。疲労回復効果があります」
親父さんは更にスープを一口、二口。
「いや、だがスープの通りの良さを引き立てている。このスープ、塩味にほのかな甘みを感じる。妙に癖になる。それに、ニンニクと木の実に悪魔の小指か。悪くない。俺はもう少し辛くても良いが」
いや、あなたに作った物じゃないのだけど。
「この細長い物は、小麦を練った物か?」
「はい、主原料は小麦です」
親父さんはフォークで麺を絡め、伸ばし、軽くスープを切り、ハフハフと食べる。
無言で麺を食べている。
「なるほど………」
親父さんは、一旦フォークを置こうとして、やっぱり、もう一度麺を食べ始める。
「?!」
と、王が驚く顔。
しばし親父さんが麺を啜る小さな音が食堂に響く。
「そうか、うむ。塩辛いスープだが、この細長い小麦と絡めて食べる事で味の均衡が取れている。個人的には、もう少し硬く歯ごたえのある方が好ましい。しかし具が寂しいな。肉が必要だ。煮た野菜も少し加えたい所。ま、悪くはないな」
以上、冒険者の父によるラーメン批評でした。
最後に、親父さんは器を手に取りスープを綺麗に飲み干す。
「誰か、エールをくれ」
「メディム、毒見とは全部食べる事ではないッ」
王の、ごもっともなツッコミ。
心労お察し致します。
「ランシール。もう一杯作って来てもらえるか?」
「はい、お任せを」
僕の指令で、嬉しそうにランシールが食堂から出て行く。
「これは、ランシールが作ったのか?」
王様の唖然とした顔。
「材料を用意して作り方を教えました。後は彼女に全部お任せです」
王は僕を見たまま、親父さんの脇腹に拳を叩き込んだ。弱っているはずなのに、良い音がした。親父さんは痛そうだが、我慢して口を開く。
「宰相殿。見ての通りだ。こいつは人を毒殺するようなタマではない。それとも、まだ小言を吐く為にそこに立っている気か?」
「し、失礼する」
不愉快そうに足音を立てておっさんが出て行った。
足音が消え去るのを待って訊ねる。
「あの、今の方は?」
「エリュシオンの辺境伯だ。この国の政治顧問でもある。まあ、口うるさく煩わしい宰相殿だ。レムリアが病床に就いてから、急に元気良く王城を歩き回っている。あの太った脳髄に、どんなよからぬ事を溜めているのやら」
「止めよ、メディム。同盟国の重鎮だぞ」
「へぇへぇ」
政治的な問題には、入り込まないよう気を付けよう。ダンジョンに、潜る所ではなくなるので。取りあえず目の前の案件を片付ける。
「あの、王様。お酒はしばらく止めてください。病の大原因です。甘い物が欲しかったら、干しブドウで我慢を。不敬とは思いますが、獣人パンなどに使われている未精製の小麦が御身に良いです。あなたのかかっている病気は、いうなれば贅沢病。質素な食事を心がければ治ります」
栄養素の云々の話は、概念がないので説明しない。
「後、嫌かもしれませんが豚肉も」
「………………考えておこう」
心底嫌そうな顔をされた。
ビタミンB1を含む食品をざっと読み上げて王様に勧める。
しばらくして、ランシールがラーメンを持って戻って来た。
上手くできた? と耳打ちしようとしたが、笑顔を見て問題ないと判断。さっきより美味しそうに見える。インスタントラーメンでも愛情が注げるのか。
「陛下、お待たせいたしました」
再び、ラーメンが王の前に置かれる。
「では、王よ。毒見を」
「メディム、黙れ」
ぴしゃりと親父さん手が叩かれる。
「ソーヤ。前後したが、これはどういう料理だ?」
王の問いに答える。
「中国という国で発祥したラーメンという食べ物です。僕の国に百年ほど前に伝わってから、何やかんや独自発展して、本場の人間から『これ、うちの国の料理じゃないよね?』といわれた物になりました。麺が伸びるとアレなので、どうぞお食べを」
手早く説明して、食事を勧める。
王は震える手を気合いで止めて、まずスープを一口。梅肉が酸っぱかったのか眉間に皺。それを薄める為に、二度、三度、スープを口にする。麺を食べる。麺を啜るのが上手く行かず、ゆっくりと品良く口に運ぶ。
無言である。
ランシールが不安そうに僕を見て来る。
僕らが静かに見守る中、王の食事は厳粛に行われた。
およそ六分後。
「王様、スープは飲み干さない方がお体に良いです」
「そうか」
無視された。
親父さんと違い食器ごとはいかない。上品にスプーンで掬って飲み干された。
「ふむ、誰か。エールを」
「お酒は駄目ですって。誰か、豆茶を」
メイドさんの一人が会釈して食堂から出て行く。
「しかし、ソーヤ。これを沢山食べれば余の体は治るのだろ? なら、更に沢山食べれば酒を飲めるではないか」
「駄目です」
そんなダイエット食品だから、沢山食べてオーケー見たいな理屈は通さない。
「駄目か」
王様は神妙な顔になる。
「なら、俺が王の分も飲もう。誰かエールを」
「駄目です」
「何故だ」
あんたは、ちょっと気を使え。
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