<第三章:ぬばたまの闇より矢を放つ>6

【10th day】


 夢を見た。

 この世界に来てはじめて見た夢だ。

 どこかの森にいた。どこかの“誰か”になっていた。後ろには気の知れた愛しい人がいる。誰かは知らないが、夢の人物にとって愛しく骨の髄まで信用した相手だ。その気持ちが伝わってくる。

 森の深部に来た。二人で密会をした特別な場所である。

 木々が枝葉の天蓋を作り、木漏れ日がうっすらと周囲を照らす。

 そこで、僕は背中を刺された。

 刃は背骨と神経を抉ったらしい。倒れ込んで、虫のように這う事しかできない。訳が分からなかった。

 刺した相手は、一人しかいない。

 死地を共にした。愛された。だから応えた。子をもうけた。二人で子に愛情を注いだ。それでも尚、人を信じられないのなら、それは人ではない畜生だ。

 何かに化かされたのだと思った。だが、それはどこまでも正気の目をしていた。

 最後の言葉もなく。刃の閃きで二人は別れを告げた。

 ひどい悪夢だ。

 僕は、最後に見た目と顔を、しばらく忘れられそうにもない。冷たい汗がシャツを濡らしていた。心なしか刺された背中が痛い。いや、激痛が走る。スタンガンをくらった時の痛みに似ている。

「イゾラ」

『はい、何でしょうか?』

 枕元のイゾラに命令する。

「背中がッ、痛い。負傷したかもしれない。体をスキャンしてくれ」

『了解』

 小さいアームが伸びて、背中に触れる。

「いぎっ」

 痛みで体が跳ねる。

『触診と目視では確認できません。医療用ナノマシンを投与します』

 首筋に注射を打たれる。乱れる呼吸を必死に整える。自然と胎児のように体を丸める。

『ソーヤさん、どうしましたか?』

 マキナが心配そうにテントの入り口を捲る。

『マキナ、医療キットDを持ってきてください』

『了解です。イゾラ』

 ゴロンゴロンと回転する音。すぐにマキナは医療箱を持って来た。イゾラがそれを器用に開けて、アンプルを取り出す。

『スキャン終了。異常確認できません。バイタル不安定。状況不明。ソーヤ隊員、強めの鎮静剤を投与してもよろしいですか?』

『イゾラ、その判断は否決します。再度スキャンを。医療ナノマシンの情報はカット、今のマキナ達ではこれを完全に統制できません』

『了解マキナ。スキャン開始。………………エコー探知に異常確認。右腕部の一部が、金属に侵食されています。これを原因と仮定して、分離します』

 イゾラが僕の右腕を掴む。そこには、昨日着けてもらったエルフの手甲があった。そう、僕は夢でもこれを着けていた。

『外れません。パワー不足です。マキナ、お願いします』

『了解』

 マキナのアームが左右から手甲を掴む。金属の軋む音、砕ける音。

『ソーヤさん、申し訳ありません。アームの一部が破損しました』

『切断しましょう』

『了解、イゾラ』

「ちょ!」

 マキナが電気丸ノコを取り出し、回す。ギュンギュンと回す。

『イゾラ、念の為に麻酔を』

『麻酔はできませんが、強めの睡眠薬と痛み止めを打ちます』

『了解です。それで行きましょう』

「お前ら待て!」

「何じゃ、朝っぱらから五月蠅いの」

 ミスラニカ様が起きてしまった。前足を出して背筋を伸ばす。くわぁ~とあくび。

「で、何ぞ。これは?」

『おはようございます。ミスラニカ様。ソーヤさんの様子がおかしいので、これから原因を切断する所です。すぐ終わらせますから』

「ああ、よい。妾が何とかする。マキナ、水を一杯持て。イゾラ、ソーヤに目隠しをせよ」

『了解です』

 マキナとイゾラがいう通りに動く。その主従の関係に、僕は複雑な気持ちになった。君たちの持ち主は誰だっけ?

 イゾラに目隠しをされた。薄布越しにミスラニカ様が大きくなるのを見た。顔の詳細までは見えないが、グラマラスな肢体の艶めかしさだけは捉えられた。

『お水です』

「うむ」

 ミスラニカ様に頭を抱かれる。

『きゃ』

 マキナの黄色い声。頬に水滴がかかった。と、唇に柔らかい感触。強引に入り込んだ舌で歯を開けられ舌を押さえられる。生暖かい液体が口中に満ちた。それを、ゆっくり嚥下した。

「んく………よし。まあ、こんなもんじゃろ」

 ぷはっとミスラニカ様が息をする。僕は、混乱の中にいて状況がつかめないでいる。色々、初めてだったので。柔らかかった。エビの身みたいだった。舌、舌がが。

「ソーヤ、まだ痛むか?」

「あ」

 驚きで痛みを忘れていた。いや、痛みは消えていた。体も自由になったので、早速目隠しを取って。ニャーンとした猫のミスラニカ様を見た。

 ちくしょう!

「死に引っ張られたのじゃ。聖別した水を飲ませたから、これで身体の影響は消せる。この原因は手甲じゃな」

 肉球が手甲を踏む。

「恐らく呪われておるぞ。ただならぬ情念を感じる。すぐ外せ」

「エルフの秘宝なんでしょ、これ?」

「だから、エルフ以外が着けると発動する呪いなのじゃろ?」

「なるほど」

 納得した。それで、

「マキナは丸ノコを構えるのを止めろ」

『お役に立てず、残念です』

 しゅんと物騒な工具を収める。そして去っていった。

 次それしたら解体してやる!

「外そうとしたけど物理的には無理そうなんです。ミスラニカ様、お願いできますか?」

「できん。妾にそんな力はない」

 きっぱりといわれた。

「とりあえず。この手甲の影響はないのですね?」

「恐らくな。しかし、呪いとは消え去らぬ深い人の情念じゃ。何を切っ掛けに再び影響が出るやら。そんな物を抱えても得はなかろう。街にいる高位の神術者に頼めば、解呪くらいできるぞ」

「了解です。それとミスラニカ様、一つだけいいですか」

「なんじゃ?」

「この事、姉妹にはいわないでください」

 特に、ラナには黙っていて欲しい。

「何故じゃ?」

「僕の趣味です。お願いします」

 ラナは早朝からダンジョンに潜るのだ。昨日あんな事があって今日の“これ”だ。気を使わせたくない。

「ふん、胸も身長も妾の方が勝っているぞ?」

「そっちの趣味じゃないです」

 容姿の問題と勘違いされた。

「よいだろう。妾は寛容な神じゃ、信徒の意思は大事にする。妾も一つよいか?」

「はい、何でも」

「あの姉妹が原因でお主が死んだら、妾はあいつらを呪う。それで良いのだな?」

「肝に銘じます」

 よし、とミスラニカ様は丸くなって二度寝した。僕は、着替えとタオルを持ってテントの外に出た。外はまだ薄闇に包まれていた。川で水浴びをして汗を落とす。女性率が高くなったので、念入りに身支度。無駄な抵抗だが、やらないよりはマシともいう。

 手甲をマジマジと見る。薄い不明の金属で造られ、表面には凝った枝葉の意匠。呪いが有るとは思えない。そもそも僕には似合わない一品だ。

 朝飯と、お弁当を作る事にした。

 こっちの世界でも安かった全粒粉をボウルに入れる。水と油追加。ヘラで混ぜる。全粒粉とは、未精製の小麦粉だ。しかし栄養価が高く、食物繊維と鉄分ビタミンも多い。それに大人の上半身くらいの袋で銅貨三枚という価格。高くて美味しいものが、常に健康に良いとは限らない。これを焼いた物を獣人が屋台で売っていたので、今日は真似てみる。

 よく混ぜ合わせ、粉っぽさがなくなったら手で捏ねる。

『これ、チャパティですか、手伝いましょうか?』

「んじゃ、滑らかになるまで捏ねてくれ。捏ね終わったらしばらく放置、その後でゴルフボールくらいに等分してくれ」

『は~い。コネコネ~コネコネ~おいしくな~れ』

 マキナに任せて、具の方にかかる。

 異世界の今一よくわからない芋を蒸かして潰す。みじん切りの玉ねぎ少量、砂糖、塩、胡椒、酢で味を調える。やっぱり物足りないので、豚肉と野菜、チーズをみじん切りして炒め、ウスターソースで味付け。混ぜ。マヨネーズが欲しい。うーん、物足りない。こっちのピクルスらしき物を刻む、困った時のベーコンを焼く。芋に追加。川からクレソンを取る。少量のニンニクをオリーブオイルに入れ火にかけ匂い付け、それでクレソンを炒め刻み、更に芋に追加。

「………………しまった」

 やらかした。

 何だこの味の整合性がない代物は。完全に一人暮らしの男性がよくやる失敗料理じゃないか。しかも豚肉とベーコンがダブっている!

「よし」

 カレー粉を混ぜて全てを誤魔化した。

『ソーヤさん、生地の状態オーケーです』

「よし、伸ばそう」

 麺棒を持って二人で伸ばす。初めてなので加減が判らず作り過ぎた。

『後は焼くので?』

「いや、具を挟む」

 カレー味の具を伸ばした生地に置く。上にもう一枚生地を置いて、挟み、回りを抓って閉じ込む。いわなくても同じような物をマキナが作ってくれる。

 油を引いていないフライパンに生地を置く。薪の火力は、気持ち中火くらい。フライパンより小さい鍋も火に当てる。それを十分熱したら、底を生地の上に置いて熱を通す。

「マキナ、火加減がわからないのだが。お前、スキャンできる?」

『できますよ~』

 マキナの指示に従い焼く。具を入れ過ぎた物から中身がこぼれる。次は控え目に入れた。コツを掴んだら、結局マキナに全部任せる。

 最終的に、失敗二枚、完成二十枚。

 具沢山カレー味のチャパティ、完成である。インド人は、ナンよりこっちを食べるそうだね。試食してみる。うーん、カレー味で何とか誤魔化せたか。雑味がひどい気もするが。不味くはないが、これ冷めても美味しいのだろうか?

「早いのですね」

 ラナが起きて来た。冒険者としての装飾を身に着けている。今日も可愛い。

「おはよう。変な夢を見てね、早めに起きた。もう行くのか?」

「ええ、何事も早めが良いので」

 そうだな。

 眠そうなエアもテントから出て行く。チャパティを五枚、こちらの防腐用に使われている乾燥葉で包む。水筒には粉末ジュースを入れた。

「ラナ、これ朝飯とお弁当に」

「オ・ベントー?」

「ダンジョン用の携帯食料」

「なるほど。え、作ったのですか?」

「あんまり美味しくないかも知れないが、栄養と腹持ちは良いと思う。次はもっと頑張るから、取りあえず今回はこれで我慢してくれ」

 ラナの鞄にチャパティと水筒を入れる。

「ありがとうございます」

「送って行こうか?」

「いえ、昨日のような事があるといけません。体を労わってください」

 その、昨日のような事があったから送りたいのだが。

「それでは」

 ラナがうやうやしく一礼。歩き去る。

「いってらっしゃーい」

 エアが手を振る。

「お前は行かなくていいのか?」

「行けたら、行っていたけどね。お姉ちゃん個人への依頼だし、同じエルフが依頼主だし、少なくともヒームの依頼よりは安心」

 ラナが小さくなるまで見送った。

「ん?」

 エアが座り込んでいた。

「おい」

「ごめん、テントまで連れて行って」

 抱きかかえると力ない腕が首に回る。体が熱い。ラナ達のテントにエアを運ぶ。寝かせて毛布をかける。

「今、襲われたらアタシ抵抗できないよ?」

「何をいってるんだ、お前」

 んな事するか。

「魅力感じない? 容姿には自信あったんだけどなぁ」

 いつもより顔色は悪いが、白い肌やすらりとした手足は艶めかしい。今更だが、とてつもない美人だと思う。だが僕は、弱りきった娘に情欲を抱くほど歪んだ性癖は持っていない。

「美人は美人だよ。健康になったら相手してくれ」

「ははっ、無理。アタシ、ヒーム嫌いだもん」

 冗談をいった割には、目尻には涙が浮かんでいた。

「ヒームに殺されかけて、そのヒームに頼ってるなんて最悪」

「僕も、弓の技術は欲しいが、教師がこんな性格悪いエルフだなんて最悪だ」

「うるさーい」

 ぺしっと腕を叩かれた。全然痛くない。

 ぽつりとエアが呟く。

「お姉ちゃんの事、好き?」

「はあぁああん!? べっ、別に好きとか! 可憐とは思うが、はい。いや、その」

 変な声が出た。

 これはアレだ。クラスメイトの女子に、ちょっと優しくされただけで勘違いして好意を抱く愚かな男子中学生の思考と似て、昔を、思い出した、死にたい。

「うわ、気持ち悪い。ま、いいわ。気にしないでよ、バーカ」

 バーカが柔らかかった。エアの暴言は可愛いものだ。うちの妹なんて、僕の事を手足の付いた芋虫と呼んだことがある。あいつに何度泣かされた事やら。

「朝飯食うか?」

「いい、ちょっと寝る」

「腹減ったら呼べよ。持ってきてやるから」

「うん」

 テントを出ようとして、弱々しく手を掴まれた。

「寂しいから、ちょっと、いて」

「ああ」

 しんなりしているエアの頼みを聞く。これは断れない。横に座ってズレた毛布をかけ直してやる。少し迷ったが、タオルで額の汗を拭いた。

「変な気分」

 エアは目を閉じ、静かに小さい呼吸を繰り返した。僕は飽きもしないで、その顔を見続けた。芸術品を見ている気分だ。朽ちの際にある彼女の時は、心奪われる瞬間だった。何もかも投げ出して救いたいと、馬鹿な考えを浮かべてしまう。

 そういうのは、僕の役目じゃないのに。

 小一時間くらいして、テントを出た。心臓に痛み。膝から崩れそうになるのを、胸を叩いて止める。心臓を貫かれる幻視を見た。

『御仁、頼みがある』

 自分の影が話しかけてきた。冗談のような光景だ。

「すみません、どちら様で?」

『名も無き亡霊だ。気にするな』

 明らかに濃い影が、僕の輪郭から逃れて人型を作る。得体の知れない、どう見ても危険だ。ミスラニカ様を呼ぼうとするが、

『我が血族に危険が迫っている。手を借りたい』

 止めて話を聞く事にした。誰に危険が迫っているのか、聞くまでもないが。

「手を貸すのは構わない。乗りかかった船だ。それで、何をすればいい?」

 相手の正体がわからないのに、安易に了解をしてしまった。

 不味い。冷や汗が浮かぶ。これはとんでもないモノを要求されるのでは?

『助かる。その献身、命に、隠れ名の英雄は必ず報いる』

「待て、僕は何を」

「弱き者。異邦の探索者よ。ここに契約は成された」

 声がすぐ間近に。

 影が、立ち上がる。

 光の下、底の見えぬ闇。

 昔こんなホラー映画を見た気がする。




 軽い吐き気。深呼吸。

 薄い草の匂い。風、朝露の湿り。

 心臓に傷は、なかった。体は十二分に動く。

「イゾラ!」

 呼ぶが、マキナが来た。

『はい、何でしょうか?』

「イゾラはどこだ? 今からダンジョンに行く」

『イゾラはダンジョンです』

「は?」

 意外過ぎる返答。

『ラナ様のカンテラに偽装して、ダンジョンに同伴しました』

「あいつ何やってるんだ。いや、丁度いい。通信は難しいか?」

『挑戦してみます』

 マキナのスクリーンが、大昔のテレビのような砂嵐を映す。

「イゾラ聞こえるか?」

 返事はない。変わりにノイズ混じりの映像が映る。人の腰当たりの視点でダンジョンの中。どうやら、ラナがぶら下げたイゾラの視点らしい。正確な人数はわからないが、獣人が一人と、エルフの同行者がいる。パーティが移動を止める。会話、音声が乱れて聞き取れない。不穏な空気だけは感じ取れた。他のパーティと合流した。

 その中に、昨日の馬鹿王子がいた。ニヤついた笑いを浮かべている。会話、聞き取れない。ラナが一歩下がる。他のパーティメンバーは、ラナを何の感情も持たず見つめていた。

 逃げ出す。王子達が追う。

 映像はそこで途絶えた。

「階層はわかるか?」

『イゾラからデータが送信されました。十階層、地図付きです』

「了解した」

 五階層分を一気に降りられるか不明だが、動く。無駄とわかっていても動く。まず装備を整える。防刃用のシャツを着込む、山刀を腰の鞘に、右腕以外の手足にプロテクター、いつものバックパックを背負う。代えのポンチョを纏い。それと弓を、

「しまった」

 弦が切れていた。エアに修理を、いや、代わりの弓の場所が頭の中にあった。後は相応しい矢が、

「おぉーい」

 ゲトさんが川から上がって来た。いつもと恰好が違う。常備している銛とは別に、矢筒に似た背袋にじゃらんと銛を敷き詰めている。片手の網にはデカい肉塊。

「これ見ろ。昨夜、大魚を見つけてな。氏族総出で狩った。早速食わせてやろうと思って………どうした?」

 僕の様子がおかしい事にゲトさんが気付いた。この人の登場は僥倖以外の何物でもない。もしかして、この人に出会った事は一番の幸運なのではないか?

「ゲトさん、それは美味しくいただきます。ですが、二、三お願いしたい事が」

「おう、何でも言ってみろ」

「その背負った銛。売ってください」

「こんなモン金取るほどもない、やるよ。ただ、大魚用の麻痺毒が少量残っている。気を付けろよ。下手に体に入ったら、ヒームなら半日は動けん」

「それは非常に助かる」

 受け取って背負う。中々の重み。一本手に取ってみる。銛というより槍の形状だ。穂先は歪で鋭い、金属ではない白い結晶の素材。柄は骨材で叩くと空洞なのがわかる。

「後、街まで運んでください。どのくらいで行けます?」

「川経由でか? 本気を出せば300秒くらいでいけるが」

 流石、これで時間と体力の節約ができる。

「マキナ、各種デバイスは防水だな?」

『はい』

「お願いします! すぐに!」

「お、おう」

 詰め寄る僕にゲトさんがやや引き。

「マキナ、行ってくる。留守中エアの様子を見てやってくれ」

『はい、お任せください。ご武運を』

「行くぞ。息を止めろ。ヒームにはちょっときついかも知れんが、耐えろ」

 深く息を吸う。ゲトさんに抱えられ、川に落ちた。


 めちゃくちゃ速かった。


 水の抵抗で体がバラバラになるかと思った。途中一回息継ぎを挟んでも、すぐ街まで到着した。

『330秒で到着です。凄いですね、現代の潜水艦より速いです』

 マキナのアナウンス。デバイスは濡れても問題ないようだ。

「人を抱えているとはいえ、オレも年取ったなぁ」

「う、ごほっごほっ」

 ちょっと水を飲んだ。街の川から這い出て道に横になる。

「い、いえ、これ以上速かったら僕死んでたかと」

「そうか、オレはキャンプ地で待ってるからな。訳は後で聞かせろよ」

「了解です」

 ゲトさんは川に消えた。

 立ち上がると視界が明滅して眩む。バランスを崩さないように落ち着いて立つ。そんな僕を、

「おう異邦人。変わった知り合いがいるな」

 バーフル様が不思議そうな顔で見ていた。犬顔でも表情豊かな人だ。

「また酒奢ってくれるのか? 我が武勇譚なら色々とあるぞ。ま、お前の出す酒代次第だがな」

「いえ、今日はそっちではないです」

「ニャ! どうしたニャ! びしょ濡れニャン!」

 テュテュに濡れ鼠な姿を見られ驚かれる。

「何かこいつ、魚人と川から出てきた」

「ちょっと待つニャ!」

 僕を指差すバーフルを無視してテュテュが奥に引っ込む。取って来た、粗末な毛布で僕を拭いてくれる。良い娘だ。しかし、今はそれに甘える暇はない。

「テュテュ。お願いがある」

 髪をガシガシ拭かれながら、財布の袋から金貨を適当に掴んでテーブルに置く。

「ニャアアア!」

 その輝きにテュテュがおののく。五枚も置いてしまったが、戻すのも格好悪い。

「な、何を売ればいいニャ。体ニャ? どんなプレイを要求されるニャ。怖いニャ」

「いや、これを貸してくれ」

 相変わらず床に放置されているズタ袋を漁る。古びた弓を一つ取り出した。

「おいおい、異邦人。目の付け所は褒めてやるが」

 僕の身の丈に近い剛弓である。

 緩く波打った形をしている。太くしなる素材に革が巻き付いていた。これは強い気配を纏っている。禍々しくも不死者を憎む暗く輝く意思。弦は、毛を纏めたような物だ。弓に巻き付いたそれを解いて掛け張る。

「ラウカンの弓は呪力で引くのだ。まともな人間では――――――」

 試しに引く。力強い引き。ラウカンの名に相応しく弓のしなりは雄々しい。秘めた張力は莫大である。それだけではない。これは呪物だ。世界を呪う代物だ。そのせいか、世界の法則から少しばかりズレてある。これなら、目といわず大蜘蛛の心臓を射抜けただろう。

「良き弓だ。借りるぞ、バーフル殿。酒は程々にな」

「貴公、何者だ?」

 古き友に挨拶しダンジョンに足を向ける。

 街並みに郷愁を浮かべてすり抜ける。

 最盛期には程遠いが、風を感じて駆けるのは得難い感覚だ。肉の熱は命の炎だ。貧弱な心臓でも、その価値は変わらない。

 ダンジョンにたどり着いた。

 かつてロラを追って潜り、終には逃した因縁の迷宮。ぱっと見、大分様変わりはしたが、本質に変わりはない。始祖神の落とし物は、人間如きに変えようはない。

 まっすぐポータルに向かう。

 そこで、帰還したパーティとすれ違い、

「そこの色男」

 リーダーらしきエルフの足を払って転がす。何よりも素早く、弓に銛を番えて穂先を顔面に向けた。パーティの人間は停止していた。

 ぬるい。これが今の冒険者か?

「一人足りないな、説明しろ」

「だ、誰だお前! 誰か! 助けてくれ!」

「ソーヤ? あなた何を、何その弓? ………組合長ッッ! すぐ来てください!」

 通りががったエヴェッタさんに血相を変えられ、組合長を呼ばれる。

「まああああた。お前か、今度はどんな。おい、そいつは誰だ?」

 眠そうに現れた組合長も血相を変えた。

「この気が狂ったヒームにいきなり弓を向けられた! 早くどうにかしてくれ」

 エルフの悲痛な叫び。

「ラウアリュナ・ラウア・ヒューレスと今日パーティを組んだはずだ。何をしたか、今ここで話せ」

「知らない! そんな奴とパーティは組んでいない!」

「ちょっと待て、今調べる」

 組合長がいつの間にか杖を携えていた。身の丈で、明らかに人骨で造られた恐ろしい形だ。

「風、纏い、廻れ、飛び、集まれ、ダンジョン探索申請用紙、今日の分」

 杖が床を叩くと、皮紙がバタバタと舞って組合長の周りに集まる。

「ヒューレスの森のメルターだな。ふむ、確かにそんな記録はない」

「だろ! 早くどかしてくれ! このヒームは頭がおかしい!」

「いや、お前らの申請用紙自体がない。どういう事だ? 何をしていた?」

「ポータルから出て来る所は、わたしが見ていました。担当を呼びますか?」

「なっ、いや。その」

 組合長とエヴェッタさんに詰められ、エルフは口を閉ざす。

「僕からいうか? お前らは」

「ポーがいう」

 エルフのパーティにいた獣人が口を開く。イヌ科で幼い顔つきだ。ピンっと立った耳。体格が良く軽装だが、大盾を持っている。

「メルター、王子に金を貰ってエルフの姫を売った。担当もグル。用紙は王子の獣人が盗んだ」

「ポー! お前! 後でどんな目に合うかわかっているのか?!」

「うるさい。しるか。同族売る奴、信用できない。次ポーの番かも。お前らと二度とパーティ組まない。さよなら」

 獣人は去っていった。

「すみません、私達もこれで。元リーダー、もう声かけないでね」

 他のエルフも去って行く。そいつらの背中を射ってやろうかと思ったが、今は放置だ。疲れたので手を離す。重たく鈍い音で銛は床に突き刺さる。

「ひっ、ひっ」

 そんな物が頬を掠めたせいか、エルフは失禁した。

「組合長、こいつは拘束しておいてください。僕はラナを救出しに行く」

「場所はわかっているのか?」

「十階層って事だけは」

「お前、到達階層は?」

「五階層です」

 組合長がエルフを石突でド突く。魔法かな? と思ったが物理で気絶させた。

「エヴェッタ、親父さんを呼んで来い。至急だ」

「はい。ソーヤ、戻るまで無茶はしないでください。絶対ですよ」

 四足獣の速さでエヴェッタさんが駆けて行った。

「来い、馬鹿。今回だけはお前に味方してやる。しっかりとな」

 銛を抜いて、組合長に続く。ポータルの前で足を止めた。

「本当に特別で今回キリだ。姫には個人的に同情している。だから手を貸す。お前個人の為ではない。勘違いするな?」

「早くしてくれ」

「救援用のポータルを開く、一気に十階層にまで行ける。忠告が幾つかあるが聞くか?」

「シンプルに頼む」

 十階層まで一気に行けるのは嬉しい誤算だ。それでも時間が怪しい。

「姫を救えないと判断したら逃げろ忘れろ。王は優しい方だが、あの馬鹿王子の親だ。それと、組合がお前を手助けした記録は残さない。だから、好きにやれ。冒険者は自由な生き物だ」

「あの馬鹿王子がズボンを降ろしていたら、たぶん殺す。それでもいいのか?」

「王子はともかく護衛は強いぞ。無駄死にはするな」

 杖がポータルを叩く。赤くポータルが変色する。

「最後に一つ」

 組合長が訊ねてくる。

「我は小さき翼ソルシア。聖ディマストの狂気の果てに生み出された矮小な奇跡。たゆたう強く尊き魂よ。この記憶に、汝の名を留めたい」

「隠れ名のルゥミディア。大蜘蛛を射殺し、竜喰らいを逃した間抜けだ。忘れてくれ。助力に感謝する。さらばだ、少年」

 僕の中の英雄様が勝手に答える。こういうのはこれで最後だ。僕の体、僕の意思、僕の命だ。殺すのも、救うのも、僕の罪科だ。だから弓の腕だけを貸してくれ。後は何もいらない。何も望まない。恨みもしない。

 応と、胸に意思が響いて溶けて消える。

 ポータルを潜った。

 一瞬光の奔流に包まれ、暗闇に降り立つ。

 五階層と変わりないダンジョンの構造。薄闇に包まれ石壁で構成されている。

「イゾラ、応答できるか?」

 ノイズの後、眼鏡からイゾラの声が響く。

『ソーヤ隊員。一体どういう手段でここに?』

「後だ。お前がラナに付いて行った理由も後だ。彼女の現在地を教えてくれ」

『予測地点です』

 眼鏡の液晶に更新された地図と赤点が表示される。

『申し訳ありません。逃亡の手助けをしようと声をかけたら、驚かれ捨てられました』

「了解。合流してくれ」

『了解。進行地点に交差して合流します』

 イゾラの赤点がマップに表示される。ロケーターも表示され、予想地点までの最短距離が案内された。それを伝い足を進める。

 急ぐ、急ぐが気配を殺せる最大速度で駆ける。ラウカンの弓を扱えるとはいえ、僕の弱さは変わらない。今、モンスター相手に戦う労力は割けない。

 角を幾つか曲がり、歩き回る人骨と冒涜的なデザインの肉塊をやり過ごす。想像していたより広く長い。焦りが蓄積して、額に冷たい汗が流れる。体力と神経が同時にすり減る。再生点を確認しようかと思ったが、どうせ小指の先ほど。見るだけ無駄だろう。

 やっと、もうすぐイゾラと合流間近となった。そこで、

「あ」

「ミャ」

 褐色の肌に短い黒髪、猫の獣人と遭遇した。

「ここから先は、取り込み中ミャ。別の所いって欲しいミャ。あれ、お前酒場の」

『チャリ、チャリ、チャリーン♪』

 と獣人の後ろで、複数枚の金貨が落ちる音。

「ミャ!」

 カンテラに偽装したイゾラを、獣人が振り向いて見る。隙はバッチリだ。銛を抜いてフルスイングで獣人の頭を殴打した。

「キュ」

 格上の冒険者だから手加減なしだ。

「ナイス」

『お役に立てれば幸いです』

 小さいアームとハイタッチ。イゾラと一緒に獣人の武装を解除して、猿ぐつわを噛ませて後ろ手に縛り上げた。足も拘束して、それを手の拘束と結ぶ。エビ反りの中々魅力的な恰好だ。これで無力化できたろう。次に当たる。

「イゾラ、念の為に付かず離れずの距離を保ってくれ」

『了解。この周囲のモンスターですが、護衛の騎士が一人で討伐しました。そこは、注意しなくても良いでしょう』

「了解」

 むしろそれを一人でやった奴と、更に二人相手しなくてはならない。いけるかどうかの迷いはない。どうせ、やるかやられるかだ。

『ソーヤ隊員、作戦がありますが、聞いてくれますか?』

「もちろんだ。相棒」

 銛を番え、弦を引く。呼吸をゆっくり、すり足。焦る、が焦るな。奇襲のチャンスは一度きりなのだ。

 明かりが見えた。カンテラが二つ並んでいる。

 一本道の袋小路の先に、隙の無い女騎士がいる。番人のように暗闇に向いている。兜のせいで視線が読めない。闇に溶けたはずの僕だが、目が合った気がして心臓が高鳴る。貴婦人のような魔法使いは退屈そうに壁にもたれている。彼女は自分の物と、もう一つ僕が知っている者の杖を持っていた。

 ラナがいた。

 王子に組み敷かれている。

 爆発しそうな感情が逆転して、零下に落ちた。ラナの着衣がもっと乱れていて、王子がイチモツを出していたら、何も考えず頭を射抜いていただろう。 

「おいおい、女にこんな抵抗されたのは初めてだ。貴様のような卑しい女が、王の寵愛を受けるのだぞ。どこに嫌がる事がある?」

「は、離しなさい! これが王の子のする事ですか?!」

「冒険者は自由な者だ。その王の子は、抱きたい女くらい好きに選べるのさ。それに、てめぇの民を焼き殺した女が、これ以上どこに堕ちるっていうんだ?」

 ぶしつけに王子の手がラナの太ももを掴む。だが、ラナが足をバタつかせて手を払う。ラナが思ったよりも力があったのか、抵抗されるだけ抵抗されて、行為に及べないようだ。

「ちっ、ランシール手伝え」

「断ります王子。ここはダンジョンです。闇に何が潜んでいるやら。何故、こんな場所で事を起こそうなどと」

「仕方ないだろ。メディムの爺がうるさくて最近は娼館にもいけん。昨日もそうだが、あいつ、獣人の餓鬼をいたぶっただけで、この王子を殴りつけた。こんな不敬はないぞ」

「……………」

 無言の騎士に、僕は穂先を向けた。

 いけるか、それとも王子を先に射抜くか。

 迷いに穂先が揺れる中、退屈そうにしていた魔法使いが口を開く。

「まあまあ、王子。では我が妙技にてその愚姫を乱れた娼婦にして差し上げましょうか? フフ、発情した犬のように王子を求めますよ。でも、ちょーっとばかり頭の中が虫食いのようにスカスカになりますが、よろしいですよね?」

 魔法使いは、杖の石突をラナの額に置く。

「お辛いでしょう、お姫様。慣れぬ世俗に落ちてエルフのいう“下種なヒーム”に嬲られて。ですが、それも今日まで。何もかも忘れさせてあげましょう。全ては全て、夢の中。淫らな妖夢に魂を沈め、あなたは今から男という男に腰を振る卑しい雌犬になるのです」

「止め、なさい」

 ラナの顔が悲痛に歪む。

「ははっ、犬か。それはいい。もう一匹飼いたいと思っていた所だ。まず犬同士、舐め合わせてやろうかな」

「王子!?」

 騎士が振り向き王子に批難の声を上げる。

 そこで、

 ぬばたまの闇より矢を放つ。

 脇腹を貫かれ壁に叩きつけられた魔法使いは、状況を理解できないまま気を失う。二本の杖が転がった。

 弓を縦に構える。矢とする銛は右に番えた。弦を最大張力で引く。今この業は、思うが場所にこれを当てる。

「王子! 伏せてください!」

 指を放す、鞭のように弦が唸り空気が爆ぜる。

 騎士の反応は速い。

 砲弾の威力がある矢を、騎士は正面から盾で受ける。盾が歪む、矢が弾け折れる。騎士の体が少し飛ぶ。次矢を番える。

 進むか、守るかで騎士が戸惑う。

 僕に迷いはない。弦を引き絞り矢を放つ。金属の不協和音が響く。

 初矢より騎士は引いていない。盾を斜めに構え力を逸らした。もう対応した。こいつ、半端ないな。

「姿を見せたらどうだ?! 卑怯者め!」

 騎士の叫び。場違いな要求だが、利用してやる。

「女一人を集団で襲う連中は、卑怯者じゃないのか」

「あなたは、酒場の」

「ソーヤ!」

 姿を映した僕に、騎士とラナが驚きを露わにする。

「馬鹿な。あんな貧弱な奴が、こんな真似をできるわけがない」

 王子は無視した。

「卑怯というなら、正面からお前らを潰してやろう。この矢、大魚狩りの銛は、後四本ある。それを凌げれば騎士様の勝ち。僕はこのまま闇に消える。凌げないなら、その王子の玉を潰す。犬に発情されて喜ぶのだろ? 去勢した方がいい」

「貴様ぁぁあ!」

「その勝負、受けよう」

 騎士は王子を遮り、乗ってくる。

「よし、はじめるぞ」

 声の後、速射で射る。威力はそこまでない。あっさり盾に防がれる。騎士が間を詰めて来る。落ち着いて、引き、狙い、放つ。

 低身で、矢を潜って避けられた。外れたそれは魔法使いの傍に刺さる。瞬間の視線から射線を読まれている。

 なるほど、と睨み付けたまま床に矢を放った。

 跳ねた矢は盾に直撃する。力を逃せる角度ではない。粘質した時間の中、盾を砕いた矢が騎士の兜を擦った。翻るスカートに、揺らめく銀色が見えた。

 騎士は盾を捨て、しかし臆せず止まらない。

 残す距離は六メートルもない。獣の速度、全身に鎧を纏っているとは思えない。エヴェッタさんと良い勝負だ。もう一息で詰められる。

 しかと狙う。

 避ければ王子に当たる角度。

 刹那の勝負。

 騎士は剣を抜き放つ。僕が矢を放つのと同時。

 神技だろう。抜剣の一撃、断ち切られた矢は半分になり彼女の後ろに転がる。

 突きと斬りで違いはあれど、シュナが見せた剣技と似ている。低身のまま、騎士は剣を振るい刃は僕の首、紙一重に止まる。

「あなたの負けだ。その弓の技、実に見事。王から授かった盾を破壊するとは、これ程の射手は五人と見た事はない。実に、見事」

「殺せ! ランシール! 王子に弓を引いたのだぞ?!」

「引くがいい。あなたは、エルフの味方をして良い人間ではない」

 また王子は無視された。

 この人はきっと悪い人ではないのだろう。頭は固そうだが。

「ありがとう。だが、まだ終わっていない」

 騎士の体をすり抜けた僕は、王子に矢を放った。矢は王子の肩を貫き、壁にピン止めした。

「ぎゃぁあああああああああ!」

 汚い悲鳴だ。

「なっ!」

 注意を完全に逸らした騎士にも一矢放つ。貫けなかったが鎧の胸部を大きく破壊して、吹っ飛ばした。白い肌が覗いた。

「もういいぞ」

 イゾラが映し出した僕の虚像が消える。そこではじめて、僕は闇から出た。後、申告した矢の数も嘘だ。

 続けてもう一矢、足を射る。また貫けない。鎧を破砕する。打撃のダメージは通っている。肩、膝、肘、中々血が出る程のダメージは出せない。格上も格上だから、一切の油断はしない。矢を全部使うつもりで射る。騎士の抵抗が完全になくなっても油断なく射る。

 矢筒に伸ばした指が空を切る。

 転がった矢を足で拾って、長く長くそれを引き、放つ。騎士の頭部にぶち当たった。兜が砕け頭部は床に叩きつけられる。長い銀髪が零れ、ぺたんと寝た獣耳が見えた。そこでようやく血が流れた。よかった。殺せないかと思った。

「頼、む」

「凄いなあんた、まだ意識があるのか」

 僕なら三十回は死んでいるぞ。

「この身は、好きにしてもいい、王子には」

「知るか」

 頭に蹴りを入れた。僕からはもう、彼女にいう事はない。そして僕は安っぽい舌なめずりもしないし、最後まで絶対に油断しない。お前みたいな強者は、首だけになっても安心しない。もちろん、慈悲の欠片もない。できる限り苦しめて殺す。

 矢を回収して、もう一度騎士の前に立つ。矢を番え、

「ソーヤ、止めなさい。それ以上は死んでしまいます」

 ラナに止められた。迷ったが、不思議と従う。しかし念の為、ラナに見えない角度で、穂先だけになった銛を騎士の太ももに刺した。毒が効けば、しばらくは動けないはず。

「ラナ、無事か? 何もされていないか?」

「はい、大丈夫です」

 少し薄汚れた彼女だが、傷が残るような被害はないようだ。だが一応、

「レムリアの王子殿。聞かせてくれ、彼女に何かしていないか?」

 矢を番えて王子に訊ねる。こいつの返答も聞いておこう。

「何をしたのか、わかっているのか? こんな事、父上が黙っていないぞ。それに他の臣下達が、必ずお前とその女も含めて関わった者を全てに報復する」

 こいつ、安っぽいなぁ。

 本当は問答無用が良いのだが、理詰めして行く。

「ちなみにいっておくが、僕は五階層までしか到達していない新米の冒険者だ。この階層には救援ポータルで来たが、そのポータルを開いた人間は僕をここに送った事を忘れるといっている。実際、目撃者もいない」

 裏切ったエルフは組合長が気絶させたし、他の職員に見られたかも知れないが、僕がどこに行ったかまではバレてはいない。

「ラナに関していえば、申請用紙をお前のパーティメンバーが盗んで、今ここにある」

 さっきの獣人から盗んだ用紙を見せ、ライターで火を点けて灰になるまで眺めた。

「裏切ったパーティメンバーも消す。残らず。それであんたらの死体をモンスターの餌にして、さようならだ。どこに報復される所がある? 大体、冒険者の王の子と、そのお強いパーティメンバーの方々が、たった一人の新米冒険者に負けたと誰が信じる?」

「お、お前」

 やっとこの馬鹿は自分の立場がわかってきたか。大変だ、馬鹿にモノを教えるのは。犬猫の躾けの方が百倍楽だ。

「もう一度だけしか聞かない。よく、考えて、答えろ。彼女に何かしたか?」

「み、未遂だ。まだ何もしていない」

 その間抜けな顔に免じて、信じよう。

「それじゃ次は」

「ソーヤ、やり過ぎです。もう良いです、もう」

「え?」

 ラナならそういいかねないと思ったが、本当にそういうとは。

「ラナ。こいつは君に、口にするのも憚られるような事をするつもりだったのだぞ。そんな一言で許して」

「未遂です。あなたが助けてくれたので、もう何も問題はありません」

「いや、これは折れられない」

 彼女が頑固なのはよくわかった。だが、駄目だ。こういう人間は、罰が成されなかった事を幸運だと勘違いして繰り返す。

「最低限、本当最低限、そうだな。詫びてもらおうか、ラナに」

「この肩を縫い止められた状態で、謝罪をしろというのか?」

 ホント嫌な奴だ。こいつとだけは、夕日の河川敷で殴り合っても友情は芽生えないであろう。

『ソーヤ隊員。動体反応です。他のパーティかと』

「謝罪は後日でいい。一ついっておくが、次またラナに手を出したら、どこからでもお前を射抜く。まず、騎士様との約束通りタマからだ」

「………………」

 無言だった。

 弓を降ろして急いで矢を回収する。魔法使いに刺さった物を引き抜き、やや丁重に体を床に転がす。こんな美人に殺意を持ったのは、初だ。

「貴様っ、ぶ」

 王子に突き刺さったのも、顔を足蹴にしながら引き抜く。

「これは。体が」

「麻痺毒だ。死ぬ心配はない。たぶんな」

 毒はしっかり回っているようだった。

「イゾラ、証拠になりそうな物はないな」

『はい』

 イゾラも拾って腰にぶら下げる。ラナの杖も矢と一緒に背に収めた。

「ごめんなさい。今になって」

 ラナの足が震えていた。別に何も問題はない。

「きゃ」

 お姫様をお姫様抱っこする。エアより重かったとは口が裂けてもいえない。幸せな重さだ。

「帰ろう」

 人とモンスターを避けてダンジョンを走る。騎士様がモンスターを減らしたから、帰り道に敵と遭遇する事はなかった。少し、余裕ができたのでイゾラを褒めた。

「イゾラ、見事な作戦だった。あんな事ができたのか」

『20世紀の映画を参考にしました。というか、これも映画用のプロジェクター機能です。日本人は無駄な機能を付けたがりますが、今回はそれが役に立ちました。そのうち、先日話したエド・ウッドの全映像作をお見せします』

 その人、史上最低の映画監督なんだろ。大丈夫か?

 腕の中のラナがイゾラに話しかけた。

「申し訳ありません、イゾラ様。カンテラに悪霊が憑いたのかと」

『お気になさらず。黙って偽装したイゾラが悪いのです。ただ、あなたに危機が訪れれば、ソーヤ隊員が動くと予想したので先回りをしていました。大変失礼な真似には、変わりありません。ここにお詫びを申し上げます』

「許します。そしてありがとう」

 ポータルに到着して飛び込み。

 受付に戻って来た。

「ソーヤ! 今、親父さんがあなた達を迎えに、あれ?」

 エヴェッタさんに声をかけられ、ラナを抱えた状況に首を傾げられる。

「エヴェッタ、ちょっと来い。今日は昼飯を奢ってやるから、今のうちに何が食べたいか決めておけ」

「いえ、それより。この、あれ? え? 何で?」

「忘れろ。見たもの全てを忘れろ。関わるな~仕事が増えるぞ~」

 組合長がエヴェッタさんの注意を引く。『早く行け』と手で払われた。可哀想だが、迷惑をかけたくないので、するりと去る。

「あの、もう自分で歩けます」

 外に出るとラナにいわれた。確かに人通りは多くなって来た。微妙に人目を引く。

「ちょっと寄り道をしたいので、そこまで抱えさせてくれ」

「あなたがそうしたいなら、別に、良いですけど」

 ラナが僕の首に両手を回す。大きい。その腕の囲いにあるモノが大きいです。後、視線を、もの凄く真っすぐ向けて来る。吸い込まれるような金の瞳。目を合わすとニコリと微笑む。照れる、逸らす、向ける、微笑み、つられてぎこちなく笑う。飛び切りの笑顔。

 駄目だ。めっちゃ可愛い。後、丁度良いので聞く。

「ラナ、僕とパーティを組んでくれないか?」

「はい、喜んで」

 嬉しさにスキップしそうなる。

 そんなやり取りをして、レムリア王国冒険者組合の直営店の酒場にやってきた。この店、正式な名前があるのだが、僕には看板が読めない。読め、

「猛牛と銀の狐亭?」

「え?」

「いや、そう書いてあるよね。あの看板」

「はい」

 読めた。外国語を和訳する感じで読み取れた。何故だ。

 さておき、ラナを抱えたまま人目も憚らず店に入った。まだ昼間という事もあり、人数はまばら、だがメンバーは揃っていた。談笑していた彼らは僕ら二人を見てぎょっとした。皆のテーブルの前で足を止める。

「アーヴィン、シュナ、ベルトリーチェ、ゼノビアさん。すまん!」

 軽く頭を下げた。そして酒場から出ようとする。

「え、ええ! お兄さん待って待って! わからない! 何もかもわからないよ!」

「止めないでくれ! この状況を見て、察してくれ! 空気を読んでくれ!」

「風の神様でも空気なんて読めないから! 説明して!」

 ベルにポンチョを掴まれた。

「いや、おれも誰もわかってないから、説明しろよ」

 シュナにまで止められて席に座らされる。仕方ないから、ラナは隣に座らせた。

「まず、紹介してくれ。どなただ?」

 アーヴィンの当然の質問にまず答える。

「こちら、ラウアリュナ・ラウア・ヒューレス様。近くにあるヒューレスの森のお姫様だ。先程、パーティに加入してもらった」

「お姫様っ」

 ベルが目を輝かせる。

「シュナちゃん、見て見て。チョー可愛い。あたしお姫様なんて生で初めて見た。生姫様だよ」

「え、うん。そうだな、です」

 シュナが顔を赤らめて緊張している。

「いえ、確かに森の氏族を纏める長の娘ですが、今は皆様と同じ冒険者。姫という肩書など何の意味もありません」

「こ、高貴」

「か、可憐」

 ベルはラナのオーラにおののく。これに必殺の微笑が加わり、シュナは目を眩ませていた。アーヴィンは静観している。

「おおーう。全員揃ったか、お前遅い、ぞ?」

 マスターがやって来て、すごい音で片膝を付いて片手を胸に当てる。

「これは失礼したラウアリュナ様。我が従甥があなたにした非礼の数々、聞き及んでいます。いつか必ず、この身に代えてでもその代償は払わせます。このような愚劣な者の集まる所ではありますが、どうか今日は健やかに飲食を楽しんでください」

『楽しんでください』

 ベルとシュナがマスターの真似をする。

「困ります。本当に良いのです。ソーヤ、あなたも何とかいってください」

「姫は堅苦しいのは苦手だ。下々の者よ、楽にせよ」

「ソーヤ!」

 ふざけたら、肩をポカポカと叩かれた。はは、痛くなーい。

 何故か、ベルの笑顔が引きつる。

「あのぉ、二人はどういう関係ですか?」

「どうといわれましても」

 ラナが困る。僕も困る。目を合わせて二人で困る。

「これ、どう思う? 大人のあやしい関係?」

「知らねぇよ。なんかムカつくな」

 ベルに聞かれシュナが苛立つ。

「それで、エルフの姫君と何故一緒にいる? 何故、自分達に無断でパーティに入れた?」

 アーヴィンの冷静な質問。

「それは………」

 どこから説明していいか、考え込む。

「あ、異邦の人。今朝はありがとニャ」

 給仕服を着たテュテュが現れた。抱き着かれてキスされ頬ずりされた。スキンシップが前より情熱的になっている。彼女が離れた後、

「いだっ」

 ラナに脇腹を抓られ、ベルに脛を蹴られた。君たち何?

「マスター、途中で面白い話聞いたニャ」

「おう、何だ?」

 あ、やばい。

「王子がボコボコにされたニャ。お付きの護衛も槍か何かで、穴だらけらしいニャ」

「おおう、いつかはこうなると思っていたが。誰にやられた? ランシールを倒せる冒険者など中々いないだろ」

「それが、不明ニャ。王子達も毒か何かで今は口がきけなくて。もしかして、未確認の悪冠モンスターかもしれないニャ」

「ほぉ………ああ、すまんなお前ら。話を遮って」

 マスターが詫びる。

 アーヴィンが銛を一本手にしていた。僕の物だ。いつの間に? スリには人一倍気を使っているのに、どの瞬間に盗られた?

「面白い物を持っているな、槍か?」

 アーヴィンが無表情で訊ねる。

「それは魚人が大魚狩りに使う銛だ。知り合いに売ってもらった」

 彼が穂先を触ろうとしたので、身を乗り出して銛を奪った。

「危ない」

「毒があるか?」

「………」

 アーヴィンの深いため息。マスターの表情が変わる、気づかれた。

「いえ、あの」

 顔を伏せてどもる。彼らに伝えるか、だが下手に巻き込めば死人が出る。所詮、僕が守れるのは両手で包める程度のモノだ。身に余る。

「………………ラナ、行こう」

 席を立つ。頼むから察してくれ。

 と、マスターに両肩を押さえられ強制的に座らされる。続けて彼はいう。

「テュテュ悪いが今日は帰ってくれ。ほれ、給金」

「え、マジ! 凄いニャ、今日はツキまくりニャ!」

 マスターが銅貨を渡してテュテュを帰す。それに他の客にも金を渡して店から追い出した。入り口を封鎖し、戻って来る。がらんとした店には、僕らとマスターしかいない。

「さて、約束通り。残った奴の履歴を読もう。ほれ、出せ」

 そう来るか。

 渋々、バックパックからスクロールを出す。濡れて駄目になってないか期待したが、バックが完全防水で問題なかった。

「ヴィンドオブニクルの信奉者、ラスタ・オル・ラズヴァが冒険者の歴史を読み上げよう――――」

 省略。

 マスターがスクロールを広げる。広げた後、組合長がしたように手から生み出した光を当てる。

「初級のエルフの弓術を扱い。ん? ヴェルスヴェイン弓術上級を習得している、だと」

「ヴェルスヴェイン? 聞いた事がある。どこだっけ」

 シュナが首を傾げる。

 マスターが答える。

「ヴェルスヴェイン様は、グラッドヴェイン様の祖母だ。彼女は、個人の武勇こそ恵まれなかった人だが、作り上げた武門は著名騎士、冒険者、英雄を輩出している。左大陸一の武門だった。長き戦乱で廃れたと聞いたが、何故異邦の者が習得を?」

 その質問は、とても困る。

「その」

 ヒューレスの手甲を見せる。

「これを着けたら、これが、アレで」

「え? え? 我が家の秘宝にそんな力が? 確かにこれは魔力を帯びていましたが、人に影響できる程では。兄がガラクタと捨て、妹も、飾りが好きで着けていただけの物ですし」

 ラナが一番不思議そうな顔をしていた。

 マスターが神妙な顔つきになる。

「呪力を感じるな。恐らく、特定の種族や人物に作用する品だろう」

「何で、エルフの秘宝がヒームに作用して」

 シュナの自然な質問を、ベルが口を閉ざして止めた。偉い、君は今、空気読んだ。

「続けるぞ、といいたいが。スクロールに記された内容はこれだけだ。だから、お前の口から仲間にいう事はあるか?」

 そうだな。

 わざわざ人払いまでしてもらったんだ。話すしかないな。

「僕の名は宗谷。異邦の地、日本から来た。目的は、ダンジョンの五十六階層にある素材だ。主神はミスラニカ様。そして夜梟のグラヴィウス様の眷属でもある。スクロールの経歴が消えるのは、ミスラニカ様の影響らしい。すまない」

「悪行のミスラニカ。別名、暗火のミスラニカ」

 アーヴィンが頬を歪める。

「そいつは、聖リリディアス教が認めた悪行の神ではないか。何てこった」

 彼が頭を抱えた。

 何かすまん。

「それと、これからいう事は、口外しないと約束してくれ。君らの身の安全の為でもある」

 背負った弓をテーブルに置く。アーヴィンから取り上げた銛を並べる。

「この弓と矢で、今日レムリアの王子を射た」

「私の身を守る為です。決して悪しき理由ではありません」

 ラナがいう。

「エルフの王族を守る為に、レムリアの王族に弓を引いたのか」

 一番状況を読み取ったアーヴィンが悲痛な声を上げる。本当にすみません。シュナが疑問符を浮かべていう。

「それの何が駄目なんだ? 恰好いいじゃん。それに王子って悪い噂しか聞かないぞ」

「だよね! こっちで友達になった獣人の子も、乱暴されたっていってたし。そんなの王子様がする事じゃないよ」

 少年少女は擁護してくれた。

 それが一番危惧していた所だ。

「あなた達わかっていない。王族を相手にするなんて、一介の冒険者がする事ではないわ。簡単に潰されるわよ。冒険者として目的があって、あなた達もここにいるのよね? それを全て投げ出して、この男の為に動けるの?」

 ええ、と。………………あ。

 ゼノビアさんに声をかけられた。

「ソーヤ。察するに、あなたわたしの存在を忘れてたでしょ」

「………そんな事はないです」

「微妙な間が」

 ゼノビアさんがまとめてくれる。

「わたし、ソーヤとパーティを組むのは反対するわ。このダンジョンには知識を深める為、そして未来の旦那様を探す為に来たの。王族とモメるのは、ごめんよ」

 続いてアーヴィンがいう。

「ソーヤ、そのエルフと手を切るつもりは、いや無粋か。………自分も反対だ。前にもいったがエルフとは組めない」

 続いてシュナとベル。

「おれは賛成。義があるなら味方せよ、ってグラッドヴェイン様も言っている。それに権力を振りかざして好きにやるなんて気にくわねぇ」

「あたしも賛成。あの王子は女子の敵です」

 マスターが僕に聞いてくる。

「割れたぞ。どうするんだ?」

「僕は反対だ。君達とは、パーティを組めない」

『何でぇ!』

 少年少女からブーイングが飛ぶ。シュナに後ろから首を絞められ、ベルには膝の上に乗られ両頬を抓られる。仕方ないので説得。

「シュナ、ベル、君らは世間を知らない。一つの集団を敵にする事は面倒だし、大変な事だ。しかも相手が王族で冒険者の王だぞ」

 ラナの目が厳しいのでベルを降ろす。もたれかかってきたシュナは放置した。表情は見えないが、ムスっとした声。

「じゃあ戦力が必要だろ。おれ、弱くはないと思うけど」

「シュナ、君は強いよ。だが血を流し、それを許さない人間といる。君が傷付いたらベルが相手を憎むだろう。無謀な戦いを挑むかもしれない。その逆に、ベルが傷付き、シュナが挑む場合も。もっといえば、グラッドヴェインの眷属達が君の為に動くかもしれない。そうなれば、もう戦争だ。僕は戦争だけはゴメンだ」

 正論で固めてみた。

 ベルはギリギリ説得できそうだが、シュナがまだ納得していない。もうちょっと口を開く。

「君ら二人、いや、アーヴィンとゼノビアさんもだが、一度はパーティを組んで冒険した仲だ。君らが、理不尽な理由で傷を付けられるような事があれば、僕はたぶんその相手を許さない。だからもう、パーティは組めない。僕自身が、君らを傷付ける理由になったら、自分をどう許せばいいのかわからない」

 返事が来るまでは、しばらくかかった。

 彼なりに葛藤して、飲み込んでいるのだろう。それをすぐできるようになれば、大人なんだろう。という事は、僕はまだまだ子供だ。

「………………ふん、わかったよ」

 トボトボとシュナが離れる。

 ゼノビアさんが両手を広げる。シュナはそれをスルーしてアーヴィンの隣に座った。アーヴィンに頭をよしよしと撫でられる。

 それはさておき、

「僕がいなくても、この四人でパーティ組むよな?」

「ああ、もちろん」

 アーヴィンの答えに、満足して僕は席を立つ。ラナの手を取った。

 荷物を纏め、最後の挨拶。

「では、さよならだ。みんな。………縁がなかったと思って忘れてくれ」


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