<第三章:ぬばたまの闇より矢を放つ>5


『で、ボコボコに負けました』

「うわ、妾の信徒弱すぎ」

「恰好悪っ」

 マキナの報告に、ミスラニカ様とエアが正直な感想をいう。

 てか前が見えねぇ。

「あなた達! 治療の邪魔です! 手伝うか出て行くかしなさい!」

 ラナの大声。何かズルズルと引きずられテントの中へ。

『ラナ様、こちら消毒液と湿布に包帯です。まず患部を冷やした方がいいかもしれませんね』

 いやぁ、危なかった。

 今も危ない状況だが、偶然親父さんが割って助けてくれなかったら死んでいたかも。油断というか、失念していた。僕こっちの世界じゃ超絶弱かった。一般人相手ならまだしも、一応それなりの冒険者相手に素手はなかった。手も足もでないとはこの事だった。出たけど相手ノーダメだった。

「私の治療魔法、火系だから熱が。この人、再生点が普通の方より。どうしよう………………」

 はい、子犬と同等です。

「エア、手甲を貸しなさい」

「ええっ! これヒューレス様の手甲だよ。いいの? エルフの秘宝をヒームに貸して」

「この人、内魔力も外魔力も殆どないの。手甲の魔力を転換して再生点に回すから貸しなさい」

「あのお姉ちゃん。そういう事を聞いているんじゃなくて」

「貸しなさい!」

「は、はい」

 腕に温もりが移った金属の感触。耳元でエアが囁く。

「ラーメン五個」

 僕は『了解』と親指を立てる。続いてラナの囁き声。

「我が神エズスよ。奔流の神メルトームに伝えたまえ。尊き遺風の恩寵を我に、魔を掻き乱す小風を起こせ。彼の者と古き器物を共に、風よ、舞え廻れ混ざり溶き、うねれ」

 涼風が頬を撫でる。

 蠱惑的なラナの囁き声が続く。

「続き願い奉る。調和の神アルモニヤ、魔を制定し纏め揃え集え、彼の者と一つと成れ」

「うっ」

 ぼやけていた感覚と意識が晴れて、じわっと痛みが沁みる。スポンジが酸性の液体で溶かされてゆくように、腫れた肉が消える。視界がクリアになった。ラナの胸が、鼻先に触れそうな位置に。

『わあぁ、凄いです。殴傷の80%が消失しました』

 マキナの歓声。

「はぁ、よかった。後はこれで、少し痛いかもしれませんが我慢を」

 ラナが杖を小さく振り祈る。どうしても、所作に連動した目の前のメロン二つに目が行く。

「火よ、火よ、全ての者に明かりと恩寵を。その熱と痛みを以って、彼の者の傷を癒したまえ」

 ラナの右手に明かりが宿る。それで殴ると必殺技みたいになるよね、という感想を持った僕の顔にその手が押し付けられた。

「ぎゃぁあああああああああああああ!」

「動かないでください!」

 熱い! 手が焼き鏝みたいに熱い! 痛い! 死ぬ! これ死ぬほど痛い! 焼ける! スケキヨみたいになる! 僕は逃げようとするが、少しムチっとしたラナの太ももで頭を固定されて止められた。幸せ、と思う一瞬は熱と痛みに消え去った。

「うぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁ………」

 気絶した。

 すぐ目が覚めた。

『頭部の負傷5%まで低下、素晴らしい治療方法です。腹部に軽い打撲傷がありますが、そこは全治三日といった所でしょうね』

「ああ、よかった」

「………………」

 全身が引きつってピクピク動いているけど、治療はほぼ完璧らしい。

「ラナ、ありが、とう」

 お礼はいえた。これで借り二つだ。

「元はといえばあなたが、いえ、止めておきます。今回の事であなたがどういう人間か、よくわかりました。もぅ、全く」

 ラナのため息。

 どうとも取れない表情だ。彼女は、内面が読みにくい。これは呆れているのか、それとも感謝しているのか、別の感情か。それと僕は自分の愚かさを悔いるべきか、悪運の強さを誇るべきか。今回の無謀な行動は、次にしっかり生かさないと死ぬ。

 何で、ダンジョン以外で二回も死にかけているんだ。誰か教えてくれ。あ、僕が馬鹿だからか。

「ソーヤ、腹減ったぞ。昼餉を用意せよ」

「ヒーム、腹減った。早速ラーメン食べていい?」

 こいつら。

「………よし何か作る、か」

 体が動かなかった。

「あれ?」

 冷や汗が出る。金縛りにあったかのように指先一つ動かない。

「ラナ、マキナ。体が動かないのだが」

「たぶん、魔力を結合させた影響かと」

『ソーヤさん、これ痛みますか?』

 外からマキナがアームを伸ばしてきて、僕の爪先に針を刺した。

「いっつ」

 痛みで膝が少し動く。

『神経は問題ないですね。反射行動も取っています。重度の疲労が原因かと、一晩様子見してみましょう』

「だといいが」

 このまま寝たきりとか、笑えない結末だ。

「それじゃ、マキナ。昼食の支度任せていいか? カットした肉と野菜があるからバランスを見て鍋に入れて煮て、粉末のデミグラスソースがあるからシチューを作ってくれ。隠し味にケチャップと蜂蜜を少し。エアは辛いのが好きだから、シラチャーソースを個別でそれを足してくれ。ミスラニカ様にはすすめるなよ。夕飯の分も兼ねて多めに作ってくれ。足りなかったら、乾パンとインスタント、それに缶詰を開けていい。任せたぞ」

『了解です』

 アームが親指? を立てて引っ込む。エアが一緒に出て行く。

「あなた、本当に料理人ではないの?」

「いえ、姫様。祖父の教育がちょっとよかっただけです」

「姫は止めてください」

 ぴしゃりと額に湿布を貼られる。頭を持たれてラナの膝上に後頭部が置かれる。顔の熱っぽい部分に湿布が貼られて行く。割と遠慮なくシャツを捲られ、腹部や胸にひんやりとした湿布の感触。顔に情欲を掻き立てる丸い何かが当たったが、無心で通す。頼むから、怪我以外の場所は熱っぽくならないでくれ、と祈る。

 顔の治療が一通り終わると、ラナが眼鏡をかけてくれた。正直、似合っていない眼鏡だ。

「痛っ」

 耳にがりっとした痛み。

「あ、ごめんなさい」

「いや」

「おい我が信徒。妾を忘れておらぬか?」

 ミスラニカ様を忘れていた。

 てっきりエアと一緒に出て行ったものかと思っていた。

「ラウアリュナ。こやつは、そなたの色香で十分満足しているようじゃが、妾はそうはゆかぬ。ヒューレスの森の姫、少しばかり聞きたい事があるのじゃが良いか?」

「内容によりますが、私に答えられる範囲ならどんな事でも」

 ミスラニカ様の質問は、僕も気になっている事だった。

「何故、エルフの王族が冒険者なぞやっている?」

 湿布を貼り終えて、包帯が巻かれて行く。

 手際が良い。

「戦争に負けた時、父はレムリア王に、私と重症を負った妹を差し出しました。建て前の人質にと、身内の要らない者を送るのはよくやる事です。私はこの通り醜女ですし、敵を倒す為とは言え自らの森を焼いた娘を手元には置けないでしょう。治める民が黙っていません」

 予想通り、楽しい話ではない。

「レムリア王はお優しい方でした。幽閉は当たり前として、こんな体でも、見世物に豚と交尾させられるくらいは覚悟していたのですが、私達姉妹が冒険者として活動する事を条件に、自由を許されました。敗戦者の氏族が負うべき、罰らしい罰もなく。臣下の方や、特に王子には反対されていましたが、王の一存には逆らえません」

 ミスラニカ様が腹の上に乗ってくる。ペロペロと毛繕いをしだす。

 神様、きちんと聞いてください。

「ただ、冒険者は思っていたよりも大変な仕事でした。人の信頼が大事な職業ですから、私達のような、どこからも憎まれる者は居場所が作れません。冒険者に騙され、商人に騙され、宿の主人に騙され、路傍の隅で妹と寄り添い眠る日々。私一人だったら、どこかで首を括っていたかもしれません。いえ、その前に、この世間知らずの身はどこかで剝かれて捨てられたかも」

「ふむ、ちと酷な事を聞いたようじゃな。許せよ。妾も信徒が死にかけたのじゃ、このくらいの勘繰りはしよう」

「はい、今日のような事は二度と起こしません。次は彼を気絶させてから、私で対処します」

「それは困る。次上手くやるのは僕の方だ」

 確かに死にかけはしたが別に後悔はしていない。もう一度同じ事があったなら、もう一度同じ事をするだろう。絶対に。

「ソーヤ、そもそも私は怒っているのですよ。私、いいましたよね? 任せてくれと。あなた、それで了解して引きましたよね?」

「一応、引くには引いたけど。覗き見したら、君があのボケ王子の足にキスしようとしていたから、やむにやまれず」

「あのくらいの事で収まるなら、何の問題も」

「大ありだ。美女が、あんな下衆にいいように扱われて黙って見ている男はいない」

 それにこの娘は、自分を安売りし過ぎだ。勿体ない。うちの妹みたいに愛らしく美しいのだ。もっと高らかに大きい胸を張ってほしい。

「………………今、なんて?」

「え? あんなの黙って見ている男はいない、って」

「その前に」

「美女」

「っ」

 ラナは僕のポンチョを奪って顔を隠す。隠れていない耳が先まで真っ赤だ。

「可愛い。めっちゃ可愛い」

「や、やめ、冗談は嫌いです!」

「エルフの基準じゃどうか知らないが、僕の基準じゃ君は可愛い。かーなーり、可愛い。こっちに来てまだ日は浅いが女性はそれなりに見てきた。君は絶対に可愛い」

「ひゅやゃぁぁぁぁああぁぁぁ」

 変な悲鳴を上げて、ラナは手足をバタバタ動かし出て行った。膝枕を取り上げられて後頭部を打った。 ポンチョ、返して。

 僕はナンパな人間ではないが、自信のない女性に真実を告げるくらいはできる。君、日本に来たら引く手数多だぞ。

「おい」

 ミスラニカ様が目を細める。

「いっておくが、妾の方が可愛いからな! 覚えておけ!」

 と、出て行く。

 んじゃそろそろ人姿を見せてください。焦らしプレイも度が過ぎると飽きますよ。

「はあ」

 まだ昼なのに疲労感が半端ない。てか昼飯、誰か食べさせてくれるのだろうか? このまま眠ってもいい気分だけれども、あ、軽く指が動いた。更に深くため息を吐く。寝たきりは回避できそうだ。座りの悪い頭を、丁度転がって来た枕の上に置く。

 ん?

『ソーヤ隊員。イゾラの忠告、何か一つでも守っていただけましたか?』

 イゾラ・ポットだった。

 いつの間に活動再開していたんだ。

「ごめんなさい。守ってません」

『とりあえず謝罪しとけ、という日本人の感覚は好きではありません。虫唾が走ります。けれどもイゾラは主人であるソーヤ隊員の意思は尊重します、不快でも』

「はい」

 様子がおかしい。

 丁度、眼鏡の液晶にマキナからのメッセージが表示される。 

(イゾラの調整が済んだので報告します。ストレス問題による深刻な損傷が見られた為、自己思考のロックを三段階解除し、発言の自由権を一つ上げ、禁止言語のロックを二段階解除しました。つまり、少々我がままで毒舌になりますが気にしないでください。では)

 わーい。これ絶対面倒になるぞ。

 しかも、よりによってこの動けない状態の時に。

『ソーヤ隊員。イゾラはあなたへの認識を変えました』

 首筋を冷たい汗の滴が伝う。

 まさか、改造される? 変な薬打たれる?

『それも仕方ありません。元々優秀な隊員を前提としたイゾラですから、死にかけのセミのような日本人相手では役に立てないのも致し方なし。HAHAこの角煮野郎』

 意味がまるでわからない。怖いっ!

『でも、あなたの行動する情熱だけは買います。ようは、あなたはエド・ウッドのような人間と思えば大体許せてしまいます』

「エド、誰?」

 欠片もピンと来ない人と比べられた。

『エド・ウッドです。そんな事も知らないのですかぁ? 二十世紀史上最低最悪の映画監督です。イゾラのあなたへの人物評ですよ。熱意と情熱、行動力だけは認めます。でも、それ以外なーんにも付いて行っていない愚か者です。最後は赤貧の中アル中で死ぬのです』

「僕、酒は飲まない。味がわからないし、付き合いで軽く口にする程度で」

『シャーーーー!』

「うん、何かごめんね」

 面倒だから適当に謝っておこう。どうしよう、これ。

 その後延々、イゾラの愚痴らしき暴言を聞かされた。何故か、海外映画のB級以下の作品群に詳しくなった。まるで役に立たない知識だった。

 昼過ぎには上半身を動かすくらいには回復した。

 身体に違和感は残ったが、夕飯の支度は行えた。

 すぐ日が落ち、また暗闇の中で弓の練習を行う。

 明日、この弓の腕一つでアーヴィン達とパーティを組めるか相談する。自信はない。正直、成功した時の事より失敗してからの事ばかりを考えている。

 どちらも答えがでないので、考えるのを止めた。

 90ほど矢を放ち、弦が切れ、今日の日は眠りについた。

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