<第三章:ぬばたまの闇より矢を放つ>4


 緊張の瞬間である。

 新たなスクロール(銀貨一枚、組合長に払わされた)にエヴェッタさんが僕の履歴を書き終える。組合長がうんざり顔でそれに祝福を施す。

「我、小さき翼ソルシア。敬愛せしメディムの名を借り、ヴィンドオブニクルを信奉する。スルスオーヴの名において、ここに記された真実のみを保管する。偽りあれば火の恩寵によりこれを浄化せん。しかし、恥は永遠に残るであろう。新たな冒険者に計32回目の祝福を。そろそろ面倒になって来たので最後にして欲し――――」

「おい」

 愚痴が混じって来たのでツッコミを入れる。自分の担当と話していたラナが戻ってくる。

「何だったの?」

 興味本位に聞いた。

「パーティの誘いでした。明日の早朝、合流してダンジョンに潜ります」

「そりゃよかった」

「えや」

 組合長がムカつく可愛さでスクロールに光を宿す。

 広げたそれを、僕、エヴェッタさん、組合長、ラナとで凝視する。

「あ」

 ラナの声、やはり今回も上から消えて行く。てか名前も消えるってどういう事だよ。僕、実はここにいないの? 幽霊的なアレなの? そんなネガティブになる。

「おい、異邦人」

 組合長に肩を叩かれる。可憐な美貌と麗しい笑顔でいわれた。

「諦めろ」

「ヒュァァァァァ」

 変な声が口から出た。折れそう、心。ちょっと欠けたかも。

「ソーヤ」

「………エヴェッタさん」

「………………」

 止めろ! その可哀想な子を見る目をやめろ! あ、ひび。マイハートにひびが走った。しばらくフテ寝したい。美味しいご飯沢山食べて、猫のように眠りたい。三日ばかり引きこもったら、また何とか立ち上がれる、はず。

「あの、もし?」

「え」

 ラナの声で意識が戻ってくる。

「ここに消えていない部分が」

「本当か!」

 スクロールの下方に、文字らしき記号が消えずに残っている。

「これは、え? どうなんだ! 組合長!」

「エルフ弓術、初級。とあるな」

「イエスッ!」

 日本人、神の名を叫ぶ。

「って事は、これから先! 僕が習得して行く技術は問題なく表示されるんだよな!」

「担当に更新を頼むのを忘れるな」

 どこまでも冷静な組合長。

「ソーヤ」

「ぐあ」

 エヴェッタさんに抱き着かれた。めっちゃ良い匂いがする。するけど、筋肉がメリっと縮み、全身の骨が鳴る。口から空気が絞り出た。

「よく頑張りました」

「いや、エヴェッタ。こいつまだ何もしていないぞ」

「そうでした………」

 解放された。圧迫され解放された血流のせいで、視界が暗くなって気絶しかかった。

「よかったな異邦人。後はお前のパーティメンバーが、弓術一つでお前を受け入れてくれるかだ。頑張るとよい」

 眩しい笑顔。

 こいつ、分かってやっているだろ。

「それと関係はないが、姫。この異邦人は見た通りの間抜けで、レムリア王国国営冒険者組合始まって以来のトラブルメーカーだ。ろくに階層を下ってもいないのに、この面倒。老婆心ながら申し上げる。何故、今一緒にいるのか知りませんが、付き合うとロクな事になりませんよ」

「いえ、迷惑をかけているのは私達ですし」

 と、組合長がラナに話しかける。

 一つ気になる言葉があったのだが、それ今聞いて誰か答えてくれるのかな?

「もしや何か弱みを? それなら我が王にすぐ力添えを頼みましょう」

「いえ、本当に何もありませんから」

「危ういお立場なのは理解しています。このソルシア、微力ながらも」

 本格的に腹が立ったので組合長の顔面を掴む。

「うちの国じゃな、女房の着物を売ってでも客人をもてなす。これ以上、グダグダいうと羽毟るぞ? から揚げにして布団にするぞ?」

「そ、ソーヤ」

 何故かエヴェッタさんがオロオロする。組合長に手首を掴まれ、離される。無表情だ。ヘラヘラ笑う奴ほど怒るとこの表情になる。底の浅い奴。どんな理由で組合長やってんだか。

「確かにお前は蒙昧だが、それなりに筋は通っている。非礼は詫びよう。一度だけは許してやるが、次は蒸発させてやる」

「………………」

 言いたい事は山ほどあるが、ここで安い挑発に乗るのも馬鹿だ。沈黙で返した。

 沈黙の中、ぐぅううとお腹が鳴る。

「エヴェッタ、朝にあれだけ食べて昼まで待てないのか?」

「わたしじゃないです」

 ラナが真っ赤な顔を伏せていた。

 うん、朝抜いたからね。

「さ、じゃ僕らは行こうかな。エヴェッタさんまた。朝飯は大事ですからね」

「はい。だから、わたしじゃないですって」

 ラナの手を引いて組合を後にした。昼飯にはまだ早い時間だが、

「適当に店入って何か食べようか?」

「は、はい」

 キャンプ地に戻って飯の用意をしてもいいが、あんまり待たせるのも可哀想だ。

 ラナは猫背で杖を突いて歩いていた。顔はまだ伏せがち。仕方ない生理現象だが恥ずかしいですものね、育ち良さそうだものね。後、凄く、姫と呼ばれていた所を聞きたい。でも、イゾラにいわれたからな。深く関わらないと。

 エルフ、戦争、敗北、姫、冒険者、というワードから連想する答えは想像しないでおこう。これに、美人可愛い、生活困窮、妹具合悪い、がセットされると僕は絶対同情する。大してないのに、力を添えたくなる。

 見失うな、自分の目的を。

 よし、まだ理性が働いている。冷静だ。

 適当に店を探す。流石に露店の食い物を歩き食べはダメか。腰を降ろせて、それなりに食える物を出す店は、マスターの店しか知らない。ただ、あそこでアーヴィン達と遭遇したら不味い。

 これとして意識していなかったが、手を繋いだままだった。

 ラナが嫌じゃないのなら、僕が別に何かいう事はない。

 ないが、異世界でおっぱいの大きい薄幸のエルフと手を繋いでいるのだ。ああ、こっちに来てよかったと思う瞬間である。妹に見られたらドロップキックものだろう。片方義足だからな、痛いで済むかな。顔半分削げるんじゃないのか?

「ここでいいか?」

「はい」

 悶々と歩いていると適当な店を見つけた。二階建ての小さな店だ。考えなしで早速入店。雑多として薄暗い店だった。当然、客層も薄暗い。ピリっとした視線を感じた。

 まずったかな。

 店を変えようか考え足を止めると、ラナがぐいぐい手を引いて席に座ってしまった。意外と肝が据わっている。

 手を離して正面の席に座る。

 ウェイトレスに飲み物とパンとスープを適当に注文する。

 そして無言。

 手持ち無沙汰に待つ。

 翔光石のボンヤリとした明かりの中、見惚れるほどラナは愛らしかった。視線に気づかれて逸らす。実にチキンな僕だ。

 逸らした視線の先、店の角に吟遊詩人がいた。彼はギターに似た小振りの楽器を爪弾き、静かに語り出す。

 低く静かな伝承の詩。


 昔は昔、東の果てには魔境があった。

 廃都ミスラニカ。そこに巣くうは呪われし大蜘蛛、竜喰らいのロラ。

 名を上げる為、千の冒険者が挑み。誰も帰らず。

 数多の勇者が挑み、呪いを受け、その子供となった。

 その巣は大陸を蝕み、ロラの子は何もかも貪った。

 々の尖塔にも大蜘蛛の巣が掛かる。

 しかしそれは、英雄に阻まれた。

 エルフの森には狩人がいる。霧を従えた偉大な狩人。

 濃霧が大蜘蛛達を包む。

 白亜の中、千の矢が子を殺し、百の矢がロラの目を射抜く。

 霧が晴れた時、蜘蛛の躯だけがそこにあった。

 英雄の名はヒューレス。

 偉大な狩人。無名の術者。

 ロラが再び現れるなら、彼は霧と共に還ってくる。

 詩の終わりに飯が来た。

 クズ野菜が浮いたスープと堅そうなパン、果実酒。が、二人前。

 ラナに遠慮させない為に自分の分を食べる。見た目通りに味が薄いスープ、見た目通りに硬いパン。顎が疲れる。酒の味はそもそもわからない。

 ラナは小さい口に千切ったパンを運んでいた。

「すまん、あんまり美味しくないな」

「え?」

 ラナがスプーンを止めて驚く。

「確かに、昨日あなたが作った魚スープは大変美味しかったですけど。もしかして、あ、異邦の料理人でしたか?」

「違います」

 僕の料理スキルは趣味人以下だ。

「なら、食事の美味しい地域なんでしょうね。うらやましいです」

「うん、飯は美味しいよ。そういえば、エルフの料理ってどんな物があるので?」

「エルフの料理ですか………………」

 苦笑い。

「基本的に木の実を直とか、野草をそのまま盛った物とか、です。一部の発酵食品とお酒は美味しいと思いますが、自信を持って人に勧められる料理はあまりないですね」

「なるほど」

 オーガニック的な料理か。体に良さそうではある。味はともかく。

「妹さんは割と辛い物とか塩分の多い物が好きなのだが、エルフ料理の反動なのか?」

「妹は、狩人の師が獣人でしたので、その影響が強くて、あまりエルフっぽくは無いかもしれないです。食生活も」

 納得した。

「ラナの好物は何だ?」

「え………………私ですか?」

 スープを一口、ラナはその後考え込む。そんな難しい質問だったか。

 何となしに吟遊詩人と目が合った。合ったというか、見つめている。僕を。男に興味はないぞ。彼は咳払いを一つ。これは難しい、全力で空気を読むが答えがでない。放置。

「魚は、嫌いではないです。お酒も、いえやっぱり、お酒はそんなにでも。酔った事ないですし。野菜は、野菜は飽きましたけど。じゃあ、お肉でしょうか?」

「わからない」

「すみません」

 うやむやな会話だ。食事の嗜好が薄いのだろうか。

「とりあえず、キャンプ地に戻ったら一通り食べ物を出すよ。気にいった物があったら教えてくれ」

「………………はい」

 昼は軽めにして夕飯は豪勢に行こう。それまでに、エアの体調が良くなればいいが。

「その、エアは」

 どうしても気になって聞いてしまう。

「治せる当てはあるのか?」

 僕らの技術では不可能でも、こっちの魔法なら手段があるのかも知れない。

 ラナの何ともいえない表情。

 それ以上、何も聞く事はない。

 店の戸が開いて店内に光が射し込む。入って来たのは冒険者のパーティだった。

 もう一度、吟遊詩人が同じ詩を奏でだす。英雄ヒューレスの詩。ん? ヒューレス?

「ラナ、君の名前ってヒューレスだっけ?」

「ええ」

 納得。

 もう一度、ヒューレスを称えた詩が語られる。

 詩が終わると同時に、詩人と目を合わせ銅貨を一枚投げる。彼はにっこり笑い、それを受け取れなかった。褐色の猫の獣人が僕の銅貨を奪い取る。

 同時に、僕らのテーブルが蹴り上げられた。食いさしの食事と器が床と壁にぶち撒かれる。

「その詩の続きを話してやろうか? 英雄ヒューレスの子孫は、愚かにも人間様に戦争を吹っかけ惨めに負けた。更に愚かなのは、エルフの姫君だ。戦争に勝てないと思うと、己が民を巻き込み森の半分を焼いたのさ」

 青年が一人。栗毛で歪に顔を歪めている。高価そうな鎧にマント、無駄な装飾がされた剣。後ろには、スカート付きのフルプレートの女騎士に、妙齢で貴婦人のようなドレス姿の魔法使い。

「その姫様が、こんな寂れた店に何の御用ですかぁ?」

 品性の欠片もない顔で青年はいう。

 そんな事より。

「食い物を粗末にしてんじゃねぇよ!」

 こいつ殺す。

 確かにあんまり美味しくなかったが、だからといって蹴飛ばされて良いわけがない。殴りかかろうとして、女騎士に遮られる。兜で顔は見えないが、雰囲気的にたぶん美人だ。それがこんな奴の護衛とは。余計に腹が立つ。

「ああん、何だ貴様は?」

「お前こそ何だ? 他人様の飯蹴りやがって」

 はん、と鼻で笑う青二才。

「阿呆か? この王国にいて俺の顔を知らぬと?」

「知らねぇよ。そんなに有名なら顔に名前でも書いておけ」

 ぷっと後ろの獣人が笑う。それに腹を立てたのか青年が青筋を立てていう。

「レムリア王国、王子。ゲオルグ・オル・レムリアだ」

「で?」

 それがどうした。

 権威を振りかざせばそれで片付くと思っているのだろう、この手の輩は。そんなもので非礼や愚行を許すわけがない。特の特に、こんな食い物を粗末にするクソッタレ相手にヘイコラ頭は絶対に下げない。欠片も臆するものか。僕は続けて口を開く。

「この国の王子って奴は品がない上に、麗しい女性との食事を邪魔するのか? 暇なんだな。うらやましいよ」

「貴様」

 バカ王子が剣に手をかける。僕も腰の山刀に手をかけた。

「ソーヤ、出て行って。ここは私が収めます」

「駄目だ。僕に任せてくれ」

 山刀を持つ手を掴まれる。

「出て行きなさい。王族の問題です。一介の冒険者如きが関わる事ではない」

 震える唇で、強い言葉をいわれる。

 一瞬の逡巡。

 この世界に来て一番重い迷いと答えだ。

「外で待っている」

 ラナのいう通りにした。吟遊詩人に銀貨を投げる。受け取った彼は俯いて目を伏せた。外に出て光に目を眩ませる。

『中の映像、見ますか?』

 マキナの通信が入る。

「それで僕にどうしろと?」

『お任せします。ソーヤさん、マキナから一つだけアドバイスを。この世界であなたを制限する者は、あなた以外いませんよ』

 ごもっとも。

「映像出してくれ」

 眼鏡のディスプレイに店内のバグドローンから映像を映す。音声も問題なく拾えた。

 ラナがバカ王子の前に跪いている。

 バカ王子は椅子に座り足組み。

「連れの無礼をお許しください。レムリア王国第二王子、ゲオルグ・オル・レムリア様」

「貴様らエルフが兄上を殺したせいで、今はもう俺一人がレムリアの王子よ。間違えるな、穢れの姫」

「はい、申し訳ありません。王子」

 馬鹿王子は自分の靴先を見る。テーブルを蹴飛ばした時にスープが掛かったのだろう。濡れていた。

「見ろ、貴様のせいで靴が汚れた。拭け」

「はい」

 ラナは布切れを取り出す。

「違う違う」

「え?」

 馬鹿王子の否定にラナが戸惑う。

「口で、だ。愚かなエルフに手はいらないだろう?」

「はい」

 ラナは犬のように這いつくばり、舌を伸ばす。

 悪趣味極まりない。だが、他の人間は好色な目を向けている。高貴で麗しい者が汚されるのも、また至上の娯楽だ。

「マキナ、店内のドローンを自爆させろ」

『了解』

 ドローンの甲高い破裂音を外で確認、戸を蹴破って店内に走り込んだ。

 全員の注意が破裂音の方向に向いている。

 当然、バカ王子と護衛の騎士も。

 妹、直伝ドロップキックが王子の顔面を捉える。半回転して彼は壁に激突した。

「秘儀、雪風スペシャル」

 インパクトの瞬間に体を捻じるのがコツだ。威力はともかく恰好良い。妹のガッツポーズが空想の空に浮かぶ。てか、アイツなら飯が蹴り上げられた時点でこの蹴りが炸裂していただろう。

「ソーヤ!」

 ラナの悲鳴に似た声。さておき。

「あなた、自分のした事がわかっているのか?」

 着地を失敗した僕に、女騎士がぬらっとした剣先を向ける。それを眺めながら、ゆっくりと立ち上がる。

「何って喧嘩だよ」

 獣人に肩を借りて、王子も立ち上がった。

「ランシール、そいつを斬れ」

 騎士は命令に従わない。話

がわかる人でよかった。

「おい! ランシール! 聞こえなかったのか!」

「しかし若」

 僕は担いだ弓と山刀を近くのテーブルに置く。眼鏡を外してラナに渡した。

「喧嘩だ。冒険者同士のな。それともアレか? レムリアの王族とやらは、権力と女に守られて喧嘩もできないのか? タマなしが」

「何だと?!」

 王子は剣を抜く。

「若ッ! お止めください! 長耳をいたぶるのは良いでしょう。これらはそれだけの事をした。誰も同情はしません。だが彼は冒険者だ。冒険者の王の子が、冒険者相手に剣を向けるのは不実。王の名を汚しますぞ。それに………素手の喧嘩を望んでいる。若の武勇はそれを無視するほど安いですか?」

 ラナも冒険者だろうが、という僕のツッコミは入れないでおこう。

「で、どうするんだ? お供の方はこう言ってるが?」

「はんっ、いいだろう。雑魚相手、素手で十分だ」

 王子は剣を鞘に収める。乗ってきやがった。アホが。ロシア仕込みのシステマを味あわせてやる。素手で十分なのは、僕の方――――――


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