<第三章:ぬばたまの闇より矢を放つ>1


「ただいまー」

 とキャンプ地に帰ってきたのは夕方近くだった。防腐用の葉っぱに包まれた肉の塊を食料テントのコンテナに入れ、装備品を自室のテントに放り込む。

『おかえりなさーい』

『おかえりなさい』

 その声に足を止める。

「え、何これ」

 円柱状のマキナポットとその隣に、丁度腰に下げたカンテラサイズのミニ・マキナポットが置いてあった。

 手に取ったポットが喋り出す。

『条約には軽度に違反しますが、ダンジョンの探索にはイゾラの機能は必須と判断した為、マキナに機能を分離してもらいました。これからイゾラ・ポットを呼称してください』

「通信問題は解消できそうにないのか? イゾラをダンジョンに連れて行くと破壊される恐れがあるぞ」

 今日の探索だけで、簡易探査機が壊れた。換えのない人工知能の一部を危険に晒したくはない。眼鏡型デバイスだけなら予備は十数個あったはず。

『機能を分離させたといっても、イゾラの本体はマキナの中にあるままです。半量子通信の障害発生中のみ、イゾラの知覚をポットに複製移行して独立させています。通信障害が回復したら、同期を開始して本体と複製を融合します』

「すまん、ちょっとよくわからない。ポット自体は壊れても問題ないって事なのか?」

『簡単に説明しますと、幽体離脱しているようなものです。問題ありません。ポットの予備部品は二十三機分です。安易に破壊されても困りますが、その判断はお任せします』

「了解だ」

 釈然としないが、本人達が問題無いというなら信用する。

「それより、何だこの匂いは?」

 トマトソースの匂いがする。マキナが調理したのか? とも思ったが、そもそも人工知能は条約で自走してはいけない事になっている。アームの届く範囲に火元を置くような危険な真似もしていない。

「うむ、帰ったか。夕餉は出来ておるぞ冷めぬ前に食べよ」

「え」

 マキナの上にミスラニカ様が飛び乗る。

『神様が作った夕飯ですよ、ソーヤさん! ご利益きっとあります!』

「マジかー」

 簡易キッチンにお鍋が置いてあった。蓋を開けお玉で掻き回す。トマトペーストのスープに具はシンプルに潰した豆のみ。ヒレの良い肉貰ったから早速食おうと思っていたが、これはやっぱり熟成してから食べよう。

「じゃ、ありがたく。いただきます」

 どんぶりに入れたスープをスプーンで口に運ぶ。

 素朴な味わいだ。

 ほのかなニンニク風味といい塩梅、クリーミーな旨みはチーズが混ざっているからだろう。潰した豆は食べやすくスープの邪魔にならない食感だ。安心する味わい。優しくお腹に溜まるから食が進む。

 こっちの家庭料理だろうか? 酒場の料理は、酒を売る為に塩が大量に入れられている。後、油も凄いし野菜は何故か酸っぱい。豪快で雑、色合いが少ない。量があるのは認めるけど味が飽きる。

 塩も油も人間が動くには必要不可欠な物だ。身体能力の違いから見て、こっちの人間はそれを大量に消費するのだろう。だが僕は普通の人間だ。冒険者の基準で飯を食っていたら腎臓やられる。死ぬ。

「ミスラニカ様。大変、美味しいです」

「そうか。今日はお主の門出だったからな。妾が腕を振るってやった。こんな事滅多にないのだぞ?目一杯感謝せよ、じゃ寝る」

「ははー」

 空になったどんぶりを両手で掲げた。しゅるっと尻尾がテントに消えていった。おかわりを繰り返し鍋を空にした後、洗い物をして眠る準備をする。

 一つ重大な事に気付いた。

「マキナ」

『はい、ソーヤさん』

「ミスラニカ様は、この料理を人間の姿で作ったんだよな?」

『はい♪』

 マキナにすり寄って囁く。

「いっておいた通り、録画はしたな?」

『はい♪』

「よし見せ」

『ソーヤ隊員、内密な話があります。移動してください』

「………………」

 イゾラに話しかけられ、彼女のミニ・ポットを持って少し歩いた。

 夜は更け、草原は闇で満ちている。離れたキャンプ地の明かりが篝火のように浮かぶ。

 古代の夜だ。

 天には数え切れぬ星々、地はまるで深海のよう。虫すら声を鎮める。

『今後の冒険について提案があります』

「ああ」

 予想していた提案だ。

『ミスラニカ様と契約を解除してください。今のあなたには、夜梟のグラヴィウス様との契約があります。冒険者の箔としては、ミネバ姉妹神は薄いようですが、それでも信徒を隠蔽するような神よりは大分マシでしょう』

 僕のスクロールは白紙だった。

 もちろん、あの後組合に行ってエヴェッタさんに作り直してもらい。でも駄目だったので組合長に『前代未聞だ』といわれ手伝ってもらい。やはり駄目だった。何本やろうとも、すぐ白紙になってしまうのだ。スクロールを30本消費した辺りで、組合長が顎ヒゲの長い老人を呼んだ。

 魔法的な鑑定のプロらしい。

 その人によると、僕の契約している神に原因があるという。

 欺瞞と、隠匿。

 ミスラニカ様の神格にはそれが強く結びついている。その影響は信徒である僕にも作用した。

 一つ幸いな情報は、隠匿されるのは契約前までの情報で、これから僕が習得する事については影響しない可能性がある、との事。

 明日からその可能性に賭けてみる。

 もう一つ幸いな事は、アーヴィンがまだ街に到着したばかりだった。彼の装備をダンジョン仕様に改修する為に三日必要とし、丁度良いと、ゼノビアはダンジョン用の魔法を学ぶ為、街の魔法学院で勉強する事に。シュナとベルも追加の装備を購入する為と、観光で街中を回るそうだ。

 今日から三日後、また酒場に集合すると約束した。

 はっきりいって、僕の問題は深刻だ。

 身の証を立てないリーダーに誰がついてくる? 冒険のパーティとは命を預け合う仲だ。ろくな実績もなく、過去も教えない奴に付いてくる奴はいない。最悪なのは、アーヴィン達とパーティを組めなかった場合だ。何の実技もない。しかも履歴も見せない冒険者を誰がパーティに入れる? 僕だって拾わないよそんなの。

「マキナも同意見か?」

『反対されました。彼女には日本人の道義的な物が根本にありますから。実に、くだらない』

「僕も」

 同意見ではあるが、イゾラに発言する前に遮られた。

『よく考えてください。今あなたを待っているパーティメンバーは非常に優れています。これは監視情報を統合した結果です。バランスが取れていて、人格的な不和も思想的な争いもありません。しかも、あなたの無能力を良く誤魔化せている。このまま彼らのリーダーとしてダンジョンに潜るのが、目的達成の最短距離でしょう。あなたはここに何を成しに来たのですか? 妹さんのしじゅ、しゅじう、しゅじゅち、しゅずち………………妹さんのオペ費用の為にここに来たのでしょう』

 何だろう。

 君が噛んだせいで全部飛んで行ったぞ。

『噛んでいません。機能移行がまだ完全ではないだけです』

「はい」

『本当です。信用してください』

「はい」

『三日間の猶予はあります。それまでに、契約を切る覚悟をしてください。良いですね?』

「………………わかったよ」

 渋々返事だけはした。例え無能でも、この異世界で唯一手を伸ばしてくれた神様だ。簡単な損得勘定で切り捨てられない。余裕がないのも、他に手がないのも、重々承知している。だが、そういうもんじゃない。これは、そういうもんじゃないんだ。

『返事が小さいですね』

「わかった。考えておく」

『そうですか。では』

 イゾラは沈黙した。

 キャンプ地に戻り歯を磨き汗を拭う。後半のゴタゴタで忘れていたが、今日、はじめてダンジョンに潜ったのだった。潜るまで苦労した割には感慨がない。というか、問題が一つ解消すると新しい難題が出てくる。やれやれだ。

 気は重く、体は休みを必要としていた。

 テントに入るとミスラニカ様は枕元で丸くなって寝ていた。この方、大体寝ていらっしゃる。起こさないように気を使って横になった。

 疲労はある。眠気もそれなり。だが意識は淵に落ちない。思ったよりも、僕の心の底は複雑に悩んでいるようだ。

 何度か寝返りをうつと、

「どうした。ダンジョンに怖気づいたのか?」

 ミスラニカ様を起こしてしまったようだ。

 後頭部辺りから声が聞こえた。曖昧な返事をした。

「いえ、そういうわけでは」

「よい。それは誰しもが持つ恐怖じゃ。未知を恐れぬ者は早く逝く。こっち見るなよ」

 何ぞ? と思うと。艶めかしい生足が僕の腰に乗りかかる。白い両腕が背後から伸び、首に絡んだ。ぬるい吐息が耳にかかる。背にあたる双丘。みっちりとした弾力、えもいえぬ柔らかさ。警務のおっさんは間違っていなかった。

「今日だけ特別じゃ。肉の熱があればすぐ眠れよう。だが、振り向いたら呪うぞ殺すぞ」

「いやこれは、逆に眠れない」

「んにゃ」

「ミスラニカ様?」

 規則正しい小さな吐息。ふにふにの二の腕を摘まんだり、恐る恐るすべすべの太ももに手を滑らせる。反応はない。寝ているようだ。

 いかん、これは色々と高ぶる。

 ここ最近ご無沙汰というか、そういうのはずっとだが、人間疲れていると無性に、いや落ち着け。ここに僕は何をしに、何を? ナニ? 落ち着け、落ち着くんだナニ。こういう時、円周率を数えるんだっけ? よし、おそよ3。終わったよ。気は逸れもしない。違う所が反りそう。だから僕は何を、

 テントが捲れる。

 何かが転がって僕の前に止まる。イゾラ・ポットだった。

『こちらをお使いください。鎮静剤です。情動を抑えられなくなったら打ってください。まさに今です』

 ポットのアームがポールペンサイズの針無し注射器を差し出す。

 色々とツッコミたい事があるが、ありがたく受け取って首に打つ。痛みは少ないが、異物が体に流れる違和感に体が震えた。

「お前ら、条約で自走禁止されていたよな?」

『これは自走ではありません。偶然体勢を崩し転がっただけです。安心してください。自分で戻れますから』

 それを自走っていうんだよ。人工知能ってこんな簡単に条約無視するものか。これもしかして致命的な欠陥じゃないのか?

『イゾラの国にこんな言葉があります。「私と関係があった事を裁判で言わないでくれ」です。意味はわかりますよね?』

「いや、全然わからん」

『莫大な資産と膨大な人脈を使い。大多数の賛成を得て、最大国の使命と責任を持ち、神の前で妻の愛を誓った男ですら、女性関係で馬鹿な事をする、という教訓です』

「はい」

 深く聞くのは止めておこう。こいつの闇が見えそうだ。

「所でイゾラ」

『はい』

「この薬いつ効く?」

『二秒後です』

 僕は気絶した。


【8th day】


 単純な話。

冒険者の基準でいえば、僕の膂力はまるで足りない。ロングソードでチョチョを斬り殺すのも難しいだろう。銃を構えて撃つ筋肉と、剣を振るう筋肉は別物だ。今から鍛え直す時間もない。そうなると自ずと使える武器は限られてくる。

「よう、店主」

「ぎゃああああああああああああ!」

 武器選びにザヴァ商会の本店に訪れた。

「ちょっと武器を見せて」

「ひぃいいいいいいいいいいいい!」

 腰を抜かして店主が後ずさりする。結構広い店だから、客店員合わせて30人くらいいるだろうか。その全員に注目される。ああ、また悪評が広まりそう。

「今日はただ品物を」

「ひゃあああああああああああああ!」

「エルオメア商会に行くよ」

「失礼、少々取り乱しました。本日はどのようなご用件で?」

 しゅんと平静取り戻して身なりを繕っている。ここの商人の扱いがわかってきた。

「弩を見せてほしい。置いてあるか?」

「クロスボウですか。ございますよ、ささこちらに」

 店の角、いわゆるデッドスペースに弩が並んでいる。

「冒険者にはあまり人気がない商品でして。だからといって粗悪品は並べていませんよ」

 種類は二十ほどある。どれもデザインや材質が違うだけで基本的な構造は変わらない。

「触ってもよいか?」

「どうぞどうぞ」

 懸念を確かめる為、弩を手に取り弦を引く。

「ぬ、ぬぐ、ぬっ」

 引くが、ビクともしない。

「ソーヤ様、それは足で固定して腰で引くのですよ」

「なるほど」

 弩の木製ストックの先端には金属で“握り”が付いていた。そこに足をかけ、弦を腰で引く、引き、引き!

「ぐっ、ぐが」

 引けない。

「不良品じゃないのか?」

「整備はかかしていないはずですが」

 弩を店主に渡す。店主も足をかけて弦を引こうと、引けなかった。同様に二つ試すが同じ結果。二人で引いたりもしたがビクともしない。

「オーフェ! オーフェいるか!」

 店主が大声で誰かを呼ぶ。現れたのは二メートル近い獣人。巨体に似合わず人懐っこそうな顔で垂れ耳と尻尾を揺らしている。犬だ。絶対これセントバーナードだ。

「お前、これちょっと引いてみろ」

「あ゛い」

 両手で易々と弦を引き、トリガーと連動した“止め”に引っ掛ける。

「あ゛んだ。冒険者?」

「僕? ああそうだよ」

「こらオーフェ、お客様だ」

 店主は無視して獣人の話を聞く。

「モンスター、こで倒せない、小さいの狙えない、大きいのとおらない、次撃つのおそい」

「なるほど」

 精度が悪いのか。そもそも、僕の手じゃ装填すらできない。

「そでに高い。壊れやすい。なおずの高い。ボルト高い。高いのに、よく失くす。同じ高いなら、弓矢がいい」

 値札を見たら、金貨を意味する言葉に15の数字が書かれている。た、高い。

「弓、ダンジョンでジャマ。だけど、良い弓目立つ。他の冒険者、自慢できる。自慢大事、自慢ない冒険者すぐ忘れられる」

「あんたも冒険者か?」

「あ゛い。今、旦那の護衛やてる」

 なるほど箔か。

 考えても見なかった。ぶっ殺して階段を降りるだけじゃ駄目か。

「それじゃ弓を見せてくれ」

「あ゛い」

「ソーヤ様、そいつ店員じゃなくて護衛なんですが」

「いいから、いいから」

 当たり前だが、こういうのは同業者に聞くのが一番だ。こっちの商人は、売りつけたい物を売りつけてくるから信用ならない。知識がない場合は特に。

 弓の商品スペースに移動した。多種族用に様々なサイズの物が置いてあった。素材は違うが、大体はくの字の形でそれに弦を巻いてある。

「ホントは、弓使いは弓、自分で作る。買ばない。ボッタクリ。でも、こで悪くない」

 オーフェが手に取った弓は、緩くΩの形をしている。小振りだが厚く、少なくとも三種類の素材で作られていた。コンポジットボウという奴だろうか。

「こでエルフの弓。獣人の力でも、壊れない。しなる。ヒムでも引ける」

 弦をつがえてオーフェが引く。わずかな素材の軋みで弓がしなる。手渡されて引いてみた。悪くはない。矢を添えて引くイメージができた。

 これの値段は金貨5枚。他の弓が平均銅貨9枚なので破格に高い。

「買うよ。後、矢も適当に選んでくれ」

「あ゛い。矢は、安いの駄目。矢尻、矢柄<シャフト>、金属がいい。回収して使う。重いのいい。この、キュイの矢おすすめ。あと、グスタ鉱の矢尻買え、矢柄はドメル鋼。羽、飛び兎の使え。夕方なると平原に飛んでる。あと、弓の弦、大丈夫か?」

「弦って、これ麻糸だよね?」

 もっと張力が出せる素材を持っている。

「あ゛い」

「いや大丈夫だ。んじゃ矢は20、矢尻と矢柄も20ずつ頼む。店主、会計頼む」

「はいはい、合わせて金貨8枚と銀貨5ですね。矢筒はおまけしましょう」

 代金を店主に渡す。

「弓は担いでゆくよ。矢とバラは包んでくれ」

「はい、少々お待ちを」

 店主が奥に引っ込む。

「それで、オーフェ。ちょっと聞きたいのだが」

 情報料に銅貨一枚を差し出す。

「あ゛い」

「短期間で弓を教えてくれる凄腕を探しているんだが、知らないか?」

「あ゛んだ、弓使えない? なんで弓買う?」

「色々と複雑怪奇な事情です」

「そか、ガンバレ」

 背中を叩かれる。

「暇で、弓上手い奴、知ってる」



 先輩冒険者の言葉に従い、弓の教師を探しに来たのだが、迷った。

 昼ぐらいは外周の上水道付近にウロウロしているといわれたが、かなりの範囲だ。

『上空からナビしましょうか?』

「いや、少し足で探す」

『了解です』

 不良冒険者の一件以来、何でもマキナに頼むのは止めた。マキナは信用しているが、頼り切って何もできなくなるのはゴメンだ。この体と頭で、できる事はやる。頼るのは非常時だけ。

 街の壁際、水沿いには白いシーツが大量に干され、風にはためく。

 ふと、病院の屋上を思い出した。

 爺さんが死んだ時だ。

 あの時は、これからの不安で泣いた。今思えば笑えてしまう。人間、生きようと思えばどこでも生きられる。実際、手足を動かせばそんな不安なぞ気に掛ける暇はない。それに他人の気持ちなど人は気にも留めない。大事なのは食う事に稼ぐ事だ。でも僕は、自分が生き汚いとは思わない。

 僕は、死ぬ理由が欲しいのだ。

 時間や家族を忘れて、命を賭ける理由が。刹那に廻り、果てる瞬間が。

 これまでの人生で、そんな狂奔は見つからなかった。だから生きていたに過ぎない。で、これからもそんなモノは見つからないだろう。名誉と名声が力になる世界でも、これは変わらないと思う。いや、変えない、か。僕は何がしたいのだろうか。

「ちょっと! そこの兄さん!」

「え?」

 呆けっとしていて間抜け面で返事をする。

 洗濯をしてるおばちゃんが六人ほど。その一人が手招きする。近づくと、

「え、死体ですか?」

「あんた、足持っておくれよ。あたしらにゃ重たくてムリムリ」

 毛むくじゃらの男? らしき背中が水面に浮いている。獣人だろうか、でもここまで毛深い種族は初めて見た。まあ、水を汚すのも何だし足を持っておばちゃん達と声を揃え、その獣人を道に上げる。クッソ重たくて、デカかった。さっき会ったオーフェよりデカい。二メートル半はある。

 男は、獣頭だった。

 狼のように見える。鋭い犬歯が口から覗く。

 この異世界に来てから獣人は色々と見たつもりだったが、ここまで獣分が多いのは初だ。女性ばっかり記憶に残っているが、獣分は鼻目耳や尻尾、一、二割の肌となっていた。獣毛も多くて手足や首の一部にある程度。こんな殆ど獣なのは初見だ。これじゃ二足歩行の獣である。

「バーフル様、バーフル様! あんた、またこんな所で寝て! 洗濯物に毛が絡まるから止めてくださいよ!」

 と、おばちゃんが獣頭を引っぱたく。

 え、生きてるの?

 バシバシと本気のビンタを五発ほどくらって、獣頭の男は目を開ける。

「う、よく寝た」

 もそっと上半身を起こす。犬みたいに全身を振って水滴を落とした。めっちゃ水がかかる。

「バーフル様、寝るならせめて床でお願いしますよ」

「うむうむ、許せ」

「この人、どこかの神様ですか?」

 僕の疑問に、おばちゃん方が哀れな顔を浮かべる。

「ほほう、お主。北方の英雄、ラウカンのバーフルヘイジンを知らぬのか! よし、安酒一杯で大いに語らってやろう。丁度、そこに荷物を置いた店がある。来い!」

「え?」

 片腕を掴まれると逃げる暇もなく引きずられ、近くのオープンカフェっぽい店に連れていかれる。まあ、オープンカフェというのは僕の綺麗な主観であり。実際の所、屋根のない空間に机とテーブルを置いただけだ。

 奥の掘っ立て小屋が調理スペースらしい。これで店といって良いのだろうか。許可降りているのだろうか? そもそも許可制なのだろうか?

「おーい、テュテュ。酒! と、つまみの酒だ!」

 何だその、ご飯&ご飯みたいな注文は。

 そして強制的に座らせられる。

「バーフル様、お酒出すのはいいけど。ツケたまってるニャ」

 猫の獣人が掘っ立て小屋から出てくる。下着みたいな服の上にエプロンといった格好。猫らしい、しなやかな肢体。波打ったロングの金髪で猫耳! たわしみたいな尻尾! イエス! あれ、既視感が。でも獣人だし、人種が違うと個体差の見分けが難しいからな。

「金はこちらの兄さんが出す」

「やっぱりか」

「あ! あんた昨日の気前のいい新米冒険者ニャ!」

「昨日って、あ!」

 組合の酒場でウェイトレスをしていた子だ。頬にキスされた事を思い出し体温が高くなる。

「なんニャ。ニャーを探して店まで来てくれたニャ?」

 身体をくねらせて、まんざらでもない顔をされる。ちなみに、僕はもっとまんざらでもない。顔には出さないが。

「こちらの方を、そこの川から引き揚げたら、何故か酒を奢るハメになった」

「災難ニャ諦めるニャ」

「マジかー」

 テュテュは掘っ立て小屋に消え、酒瓶を持って戻ってくる。酒が三本と木のコップが二つ、テーブルに置かれた。

「ちなみに前払いニャ。銅貨9枚、ツケはバーフル様くらいニャ」

 グダグダいって魅力的な彼女を困らせるのも嫌なので、代金を払う。今日の出費を思うと頭が痛くなって来た。これで弓の授業料は幾ら取られるのやら。

「いや、テュテュ。ツケといっている割には、我が武具を差し押さえているではないか」

「こんな、古臭くて骨っぽい武具! 商人に鑑定してもらったけど値段付かなかったニャ! 鑑定代ムダになったニャ!」

 ガシャン、とテュテュが足元の大きなズタ袋に蹴りを入れる。

「ガッハッハッハッ! そこらの小ずるい商人にはこの武具の真価はわからんよ。それに、並みの人間では扱う事もできん。ラウカンの武具とはな――――」

「じゃタダのゴミニャ。邪魔だから捨てるニャ」

 またズタ袋に蹴り。古そうな剣や槍、斧、弓、盾がこぼれた。

「止めぬか。酒代なら次の探索で必ず払うから、な? な? 友の形見を踏まんでくれ」

 うちの神様を思い出す情けなさだ。

「というか、お主。変わった格好だな、こんな織物見た事ないぞ」

 話題が僕に移る。無遠慮にポンチョを触られた。

「確かこの人、異邦の人ニャ」

 二人に匂いを嗅がれる。すごく反応に困る。

「なるほど、なるほど。我が雄姿を見てもボンヤリ呆けていたわけだ。では約束通り、我らラウカンの伝説を語ろう」

 獣頭の男は酒瓶を手に取るとグビリと一飲み。


 安酒と共に月と狼の伝説を語り出す。


 ここから遥か北、右大陸の端も端。

 そこはかつて、豊潤の都ネオミアと呼ばれた。

 肥沃な大地に恵まれた気候。山岳と断崖に守られた都市は、長く外敵に襲われる事もなく。また、治める王の英知は遠く響き渡り、まさしく繁栄の頂点を極めた都であった。

 だが、大炎術師ロブがいったように、消えぬ炎はない。

 ネオミアの終わりは、春の積雪から始まる。

 一年、二年と冬は終わらず。雪と氷が静かに人を殺していった。五年目の春、それでも雪は止まず。飢えと、民の怨嗟に、王の英知は陰りを見せた。

 薄暗くなった貴族の諌言を受け、封じられた邪教の神を呼び寄せたのだ。

 獣の王に敗れ、名を奪われた神。吸血鬼の仰神である。

 王はその恩寵を受けた。

 民は凍え、飢えていた。

 王は救済だと片っ端から食った。食われて“残った”者は、また別の者に喰らいついた。一晩で都に生者はいなくなった。

 貪食の吸血鬼の王。その眷属である氷の貴族達。死都ネオミア。

 国は都は滅びた。

 だが、山岳に居を構える者達が残っていた。古の盟約により、ネオミアを外敵から守る終の戦士達、エンドガード。

 戦士達は、ネオミアの為に戦う。

 都は滅んだ。かつての王はいない。誇り高い貴族もいない。民もいない。だが、戦士達は戦う。ネオミアの為、ネオミアの名誉の為。浅ましい血を吸う獣を、死都の檻から出さぬ為。

 勇猛に戦い、何度も何度も、敗れた。

 穢れて血に汚されれば名誉すら曇る。戦士達は、友や家族ですら手にかけた。

 八年目の冬。二つの満月の夜。

 戦士達の最後の時である。

 吸血鬼の大群が、最後の砦まで押し寄せていた。残ったのは九人。たったの九人。だが百戦錬磨である。死地を前に彼らは笑う。戦士の矜持では、笑って死ぬものだ。

 そんな彼らの前に、月の女神を称する者が現れた。

 その姿は麗しく、だが月の影のように暗かったという。

 女神は戦士達を称えた。

「汝らは、今世界にいる英雄の誰よりも勇猛だろう。だが今夜、汝らは死ぬ。太陽を見る者は誰もいない。今際の末、何か願いはあるか?」

 場違いな問いに、神である事も忘れて戦士達は笑う。

 老骨の戦士がいう。

 我ら戦いの末に戦い、死ぬ。その本懐を神が保証してくれた。これより先に何を望むのだ?

 女神は再度問う。

「本当に、何もないのか? 戦う事以外、何も望みはないのか?」

 控え目に、

 歳若い戦士がいった。

「奴らを滅ぼしたい」

 それは、エンドガードの矜持では愚かな望みだった。エンドガードの戦いは守る為のもの。敵が逃げれば追撃はしない。命欲しさの臆病者を笑い酒を飲む。何世代もそういう戦いをしていた。

 正しいエンドガードなら、それは笑われた望みだろう。年長にひどく殴られる戯言だ。

 しかし、誰も笑わなかった。

 祖先達が守ってきたやり方では、自分達の名誉の死しか得るものがない。それは誉れ高いものだが、無意味なものだ。吸血鬼を、この死都から外に出せば被害は大陸全土に至る。あれは病魔を抱えた鼠なのだ。吸血鬼の広がりは、豊潤の都ネオミアを悪名で塗りつぶす。かつての栄華など誰も見ない。氷と死の都として歴史に刻まれる。

 それを防ぐ為に、戦士達は死んでいった。

 笑って死んでいったのだ。

 だがそれはもう、今夜で無意味に終わるのだろうか?

「願いは、それなのだな?」

 女神の問いに、誰もが沈黙で答えた。

「死する戦士達よ。終の守り人よ。その願いにより、剣から栄誉は零れ、人の血は終わり、覚めぬ悪夢に取りつかれるだろう。それでも尚、それを望むなら、沈黙で答えよ」

 戦士達は、沈黙で答えた。

「妾は凶<まがつ>月の女神。汝らに忌血を分け与える者。迎魔の恩寵を、降魔の恩寵を以って打ち破り、これを滅ぼせ」

 戦士達に異変が起こる。

 手足は更に太く獣毛に覆われ、口は裂け牙が剝き、瞳孔は月明りに大きく広がる。爪は武器と同等の鋭さを、肉は鋼よりも固く、声は、

「さあ、獣共。狩りを始めよ」

 長く尾を引いて死都ネオミアに響いた。

 血塗られた人狼<ラウカン>の夜が始まる。



「とまあ、後は吸血鬼達をギッタンギッタンにして右大陸の平和を守ったわけだ。どうだ? 凄かろう。酒一杯の価値はあるだろ?」

 いや一杯所か、酒瓶五本転がっているんだが。

「まあ~話半分くらいで聞いとくといいニャ」

 テュテュは、上機嫌な狼男の頭に顎を乗せてくつろいでいた。

「いや、事実なんだが? 嘘いってないんだが?」

「バーフル様が腕の良い冒険者なのは認めるニャ。稼ぎが悪い事は別にして」

「ああ、冒険者でしたか」

 先輩か。一応、敬意は払わないと。

「うむ、しかし謹慎中だ!」

 ダンジョンに謹慎とかあんのか。

「知らん冒険者に、モンスターと間違えられ攻撃された。あんまりしつこいので、軽くぶん殴ってやったら、まあ十日程、意識不明の軽傷を負わせてな。それで、組合長にこっぴどく叱られた。レムリアにも叱られた。あんなに怒られたのは五十年ぶりで泣きそうになった」

 よしよしとテュテュに首を撫でられる狼男。

 この大陸を守った威厳はない。

「それで、えーと。バーフル様? 九人いたんですよね? そのラウカンは。他の方もここで冒険者を?」

「いや、死んだ。半分は吸血鬼の王と刺し違えて、残り半分は我が手で殺した」

「え」

 急に血生臭い話に。いや、最初からそうだった気もする。

「所詮、呪いを受けた身だからな。とち狂って理性を捨てる者が出た。悲しいかな戦士の矜持はあの夜に死んだのだ。血を飲む為ではない、見る為に狂う。つまり吸血鬼と同じだったわけだ」

 六本目の酒瓶を空け、バーフル様がありがたい助言をくれた。

「異邦の冒険者よ、一つ教えてやろう。この世界の神の御業は、常に皮肉に満ちている。安易に頼るでないぞ。我らのようになりたくなければな」

「そうですね。飲んだくれて新米冒険者に酒たかるようには、なりたくないですね」

「お主、結構いうな」

 七本目の酒代をテュテュに渡して席を立つ。

「まあでも、結構面白い話を聞けたので良いとしますよ」

 銅貨21枚分の価値があるのか疑問であるが。

「というか、お主。ここらで何をしていたのだ? この辺りは店もロクなのがないし宿もない。女を漁るにもヒームなら正門付近がよかろうに」

「ロクでもない店だってニャ?」

「ぐあ!」

 バーフル様はテュテュに後ろから首を絞められた。仲が良くて羨ましい。

 そうだ。忘れていた。

「この辺りに弓の名手がいると聞いて探していたのですが」

「おう、知ってるぞ」

 バーフル様は酒瓶を振る。音から察するに中身は半分くらい減っていた。

 合計、銅貨24枚を支払い。弓の名手の居場所がわかった。

「また来てニャー!」

「また奢ってくれなー!」

 二人に手を振って別れた。何か、解せない。

 川沿いに更に進み、薄暗い路地に入る。人気のない静かな場所を奥へ奥へと進む。ちょっとしたダンジョンのようだ。細く入り組んで湿って暗くて。

 危険があればマキナは警告してくれるだろう。ゆるく警戒して進む。

 獣人の子供が僕を見て路地に消えた。魔法の練習をしている女性がいた。射す光の隅、幽玄な影を見た。そして、目的の小さな橋が見えた。

 開発の取り残しだろうか。変な存在感がある橋だ。他の建物と古さが違う。小さいながらも頑丈そうだ。

 で、目的の人物はその下だと聞いた。

 目立つ容姿だ。すぐ見つけられた。童話の姉妹のように寄り添って座っている。前に見た時よりも、少しだけ薄汚れている気がした。それくらいで美貌は曇るはずもないが。

「すまない」

 少し離れた所に片膝を着いた。左手を右肩、右手は地面に着ける。

 はっ、と姉の方が僕の顔を見る。どうやら眠っていたようだ。

 可愛らしい女性である。長い金髪に、エルフにしては小柄で耳がちょっとだけ垂れ気味。愛らしさに似合わずグラマーな体つき。大きな杖を抱いている。

「いつぞやは助かった。あなたのお陰で、腕を落とさずに済んだ」

 んがっ、と妹の方が目を覚まして、とんでもない速さで弓を構えた。

 矢を番える様など全く見えなかった。こっちは恐ろしいほど美人だ。長身痩躯の金髪。ザ・エルフという容姿だ。何故か露出多めで、獣人達が身にまとっているような薄着だ。一つ、右腕の手甲が目に止まる。薄金で造られ、金の意匠が凝った品だ。

「あ! こないだの死にかけヒーム」

「お止めなさい、エア」

 姉にいさめられて妹が弓を降ろす。

 偶然にも、前に僕を助けてくれたエルフの姉妹だった。特徴を聞いている内に、まさかとは思ったが、その通りとは驚きだ。

「道案内にしては報酬が多すぎました。返そうと思い、後に続いたら警務の方に治療を頼まれましたので」

「ありがたく思いなさいよね」

「ありがたく思ってるよ」

「丁度良いです。後で考え直した所、道案内に治療と差し引いても、多すぎる金額でした。少し使ってしまいましたが、お返しします」

「えー!」

 妹が悲鳴を上げた。姉が財布を開けて、つい覗いてしまった。

「いや、金はいい。僕の国の風習で、貰い物を返されると不幸になるんだ」

 日本中探せば、たぶんそんな風習あると思う。

「そうですか………なら仕方ありませんね」

 納得してもらえて安心する。女性の軽い財布から中身貰うのは、男として心が痛い。

「僕は日本の宗谷。異邦の冒険者だ。改めて礼をいうエルフのご令嬢。あ、そのままで結構。休憩の邪魔をしたんだ。気遣いは無用だ」

 エルフは立ち上がろうとして、僕はそれを止める。

 主観だが、この人から高貴なものを感じる。礼に値する気品だ。

「すみません。お気遣いを。私は、ラウアリュナ・ラウア・ヒューレス。あなたと同じ冒険者です。彼女は妹のエア。ほら、挨拶しなさい」

「何でヒームに」

「怒りますよ」

「エア・ラウア・ヒューレスよ。ふん、気安く呼んだら眉間に矢を通すわよ」

 簡単な自己紹介を済ませてさっそく本題に入る。

「弓の師を探している。先輩の冒険者から、君たちの噂を聞いた。もし手すきなら一考してもらえないか? もちろん、謝礼は払う」

「い・や・よ。ヒームに弓なんて絶対教えない。しかもエルフの弓なんて担いで。それ、アタシ達から奪った弓でしょ。死体から剥いだ弓で、次は技巧まで盗もうっていうの?」

「エア、止めなさい」

「お姉ちゃん! だってこいつ!」

 ヒートアップしたエアが立ち上がり、ふらっと倒れた。

「エア?!」

 咄嗟に抱きとめる。意識がない呼吸の間隔が短い。顔が蒼白で額に脂汗。

「うぇ」

 ポンチョに吐かれた。酸っぱい匂いがする。エアは、咽て咳き込む。だがまだ意識は取り戻していない。これ、不味いぞ。

「あ、あの、ごめんなさい」

 オロオロするラウアリュナに、

「大丈夫だ。経験あるから任せてくれ」

 エアを横にして指で気道を確保する。落ち着くまで、吐くものを全部吐かせる。汚れてない方の手で背中をさすってやった。

 呼吸はすぐ落ち着いた。水筒の水で口元を軽く濯いでやる。異物はもう無いと思う。

 昔の上司がロシア人で助かった。寝ゲロの対処法がはじめて役立った。

 でも、酒の匂いがしない。持病か? いや、もしや。

「マキナ、感染症の危険は?」

『完全には否定できません。早急に吐瀉物と血液の検査を行ってください』

 エアの症状は治まったが、意識が戻らない。

「すまない。もしかして妹さんは」

「病気ではありません。怪我が、原因です。宿の方には勘違いされて追い出されましたが」

「そうか」

 ひとまず安心。しばらく待って、エアの目覚める様子がなかった為、両膝の裏と背に手を廻し抱き上げる。意識のない人間は重たいはずだが、彼女は軽かった。きちんと食べているのか?

「ちょっと遠いけど、僕のキャンプ地まで行こう。こんな吹き曝しの場所よりはマシだ。信用できないだろうから、これ持っていてくれ」

 ラウアリュナに財布を渡す。ずっしりと金貨が入っている袋である。

「ほぼ、全財産だ。信用できないと判断したら持ち逃げしてくれ」

「受け取れません。妹の身代金にしては安すぎます」

「そうか、では僕の一命を預ける。信用の対価にしてくれ、ラナウりゅ、ラうアリュ、ラナじゅ………………ラウナリュナ。ラウア、リュナさん」

 どうだイゾラ! 僕は諦めなかったぞ?!

「ラナで、良いです。ソーヤ」

 微笑み。

 儚い笑顔だった。

 この世界に来て、一番ときめいた。

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