<第二章:白紙の冒険者>1

【7th day】


 朝霧に包まれた街を歩く。

 目指すのは、突き刺さった角笛に似た々の尖塔と呼ばれるダンジョン。

 今日今から、僕の冒険が始まる。不安と期待に鼓動が速くなる。ここまで、一週間程度の事だったが、失ったもの得たものは多い。あれがどの程度の困難なのかは僕には判断できないが、一つの試練を乗り越えられたのだ。次もきっと乗り越えられる。

 そんな自信を持ってダンジョンに挑む。根拠も意味もないが、無いよりはマシな自信だ。

 朝の鐘が鳴る前の、早朝も早朝であって、受付に人の姿はまばら。薄暗く、朝の静まりに包まれていた。

 その中に知った顔がいたので挨拶。

「おはようございます。エヴェッタさん」

「おはようございます。ソーヤ」

 朝一なのにキリッとした顔で迎えてくれる。

「少し早いですが、事前行動は冒険者の鉄則です。素晴らしい」

「いやぁ」

 マキナに音量最大で起こされただけである。後、寝るのが早かった。

「こちら組合からの支給品です」

大き目の革製の鞄を渡される。

「間違いないと思いますが、一応確認をしてください」

「了解」

 中を開ける。小物入れが付いた太いベルト、鉱石のような物が入ったカンテラが一点、僕の履歴が記されたスクロール一巻、地図用の紙十枚、記入用の加工された木炭二つ。

「これは?」

 一つ、よくわからない物があった。

 革製の入れ物には、試験管に似たガラス容器が二つ並んで固定されていた。振る。コルク栓で塞がれ、中は透明な液体で満たされていた。ガラス容器には、よく見ると細かい金装飾がされており、何か未知の技術を感じる。

「再生点は、ソーヤは後衛職なので心臓近くに着けてください。前衛に転職したのなら、盾の裏、背中に着けるように。別に決まりはありませんが、常に仲間に見える位置に着けるよう工夫を」

 ポンチョがあるから服に縫い付けると見えない。バックパックから細いゴム紐を取り出し、通して首から下げる事にした。

「で、再生点とは?」

 肝心な事を聞く。

「あ、そうですね。忘れていました」

 エヴェッタさんがナイフを取り出す。さりげない動作だったが見えなかった。

「爪か髪をください」

「髪で」

 爪だと指まで落とされそう。髪を二本斬られる。エヴェッタさんはコルク栓を開け、それを容器中に。ナイフをしまい本を取り出す。

「我が名は、磨り潰すエヴェッタ。敬愛なるラズヴァの名を借り、ヴィンドオブニクルを信奉する。ガルヴィングよ、その魔境の零れ、奇跡の一欠片をこの者に授けたまえ。生を知で支え、知を信となす。信は神の手を離れ、魔と変わり、人を廻し、生と換えよ。法魔!」

 酒場で見た光。

 蛍のように舞い、本に収束する。

「ティウロス・メア・リヴァイウス!」

 その光を帯びた本で、頭を殴られた。

「ぐは!」

「あ、すみません。叩かなくてもよかったのに、つい力が」

 つい、で殴らないでください。死ぬかと思った。頭がクラクラする。あ、何か大事な記憶を失っていないか? 僕は誰だっけ?

「後は、容器に色が出るまで振ってください」

「………はい」

 何故、最終工程が地味なのだ。

 容器をシャカシャカ振る。エヴェッタさんは書類をめくりながら何か確認をしていた。

 すると他の冒険者も何人か集まり出した。僕と同じで新米なのだろう。担当に同じように支給品を受け取っている。ちなみに、僕のように本でぶっ叩かれている奴は一人もいない。頭頂部がズキズキする。

「あ、エヴェッタさん色出てきました」

「はいはい、確認します」

 赤い色と青い色がそれぞれの容器に浮かび上がる。

「成功、したのかな?」

「え」

「たぶん成功したと思います。よく見てくださいソーヤ。赤色が内魔力、青色が外魔力です」

 赤色が親指の先ほど、青色が小指の先ほど、容器の底に沈殿している。

「よいですか、この赤い内魔力は、あなたの身体を再生させる容量です。これがある限り、手足が千切れ飛び、腹からモツがこぼれようとも、自動的に再生します。これがガルヴィングの残した二つ名の由来、法魔・再生点<ティウロス・メア・リヴァイウス>です」

 あ、そういえば頭がもう痛くない。触っても腫れもコブもない。そして納得した。あの三人組の異常な再生能力はこれのおかげか。

「でも決して、過信はしないでください。首をはねられたら即死です。トラップで串刺しになり動けなければ、どの道死にます。毒や病気、寄生物は防げません。体内に異物を残したまま再生する時もあります。極限の緊張状態では、剣を振るだけでも身体にダメージが行きます。外傷がないからと確認を怠り、空になった内魔力に気付かないで致命傷を負わないように」

「はい」

「それと、効果があるのは街周辺とダンジョンだけです。外で調子に乗った冒険者がよく死にます。再生点は強力な加護ですが、あなたの強さの添え物でしかありません。最後に頼れるのは、精神と筋肉。ゆめゆめ忘れないでください」

「はい、分かりました」

 今の音声は録音しておいた。

「それで、青いやつは?」

「こちらは“ついで”なものです。外魔力は魔法を使用できる量ですね。ソーヤに魔法使いの素養があるなら、そのうち確認する事もあるでしょう」

 これは、ゲームでいうHPとMPみたいなものか。魔法か、使ってみたいな。憧れるなぁ。杖から炎とか雷って凄いじゃないか。

「エヴェッタさん、一つ聞きたいのですが」

「何でも聞いてください」

 自分の再生点を見て疑問が浮かんだのだ。

「この、僕の再生点は、多いのでしょうか? 少ないのでしょうか?」

「………………」

 沈黙。

 もう一度いうが、再生点の赤色は親指の先ほど。容器の分量でいうと十五分の一くらいだ。

 何か、ものすごく言いづらそうな顔をしている。

「多い方では、ないですね」

「え、じゃあ中の下くらい?」

「下の、上? くらい? かと。かも、です。再生点の練習で子犬にかけた時と、同じくらいかと」

「僕、子犬と同じレベル?」

「いえ! その時の子犬も大きくなったらかなりの再生点を持っていました。ソーヤも大きくなれば、そのうちきっと」

 自分、成長期終わっているんですが。

 支給された装備を身に着ける。といっても、小物を入れる場所はチョッキにあるので、カンテラだけ腰に結ぶ。他の支給品はバックパックに。鞄はどうしようかと迷っていたら、エヴェッタさんが預かってくれた。

 朝を知らせる鐘が鳴る。気付くと、二十人ばかりの冒険者が集まっていた。僕と同じ初々しさがある冒険者と、数名のそうでない者。

 一人、その中でも熟練の様子を見せる壮年の男がいた。

 黒髪黒目に無精髭、左目に眼帯を着けている。偉丈夫が多い冒険者の中では小柄な部類に入るだろう。だが体格に隙は無い。あちこちに修繕跡が見られる革製の鎧に、爪痕が新しい丸盾を背負っている。腰に帯びた剣も使い込まれた様子。全てに於いて新しさが無い人だ。しかし、くたびれてはいない。歴戦を物語っている。

 誰かに似ている。用心棒、ショーグン、ミフネ………三船敏郎。インファンタジー?

 彼は落ち着いた声でいう。

「第2402回、新人冒険者講習を開始する。ヒーム種を担当するメディムだ。よろしくしてやる。ひよっこ共」

 ヒーム、という。いわゆる僕のような普通の人間種を指す言葉に、回りから、というかその普通の人間達から舌打ちが聞こえた。

 何となしに周囲を見た結果なのだが、冒険者と担当者の人種が大体同じだった。ヒームにはヒーム、獣人には獣人。獣人は、猫っぽい人に鳥っぽい人が担当していたが、そのくらいだ。

 そういえば、エヴェッタさんは獣人になるのか? 角あるけど。どういう獣要素なんだ? 尻尾とかあるなら見たいが。そんな疑問はさておき。

「俺が担当するのは、お前と、お前に、お前、そこの嬢ちゃん二人だな」

 と、僕を含め指差しされた者が集まる。

 プレートアーマーに剣と盾を携えた金髪碧眼の青年。

 軽装で長剣を背負った赤髪の少年。

 同じく軽装に槍を持った髪の短いボーイッシュな少女。

 それに、セクシィーな肢体が黒いローブ越しでもわかるトンガリ帽子のお姉さん。魔法使いを表す物なのか、身の丈の杖を携えていた。

 最後に、僕。

 五人全員がヒームである。

 やっぱりあるんだろうな。人種的な軋轢が、差別が。面倒だが、こういうのも意識しないと変な事に巻き込まれるから気を付けておこう。

「よし、冒険者は何事も経験だ。さっそく潜るぞ」

 先導して歴戦の冒険者が動く。

 僕も続こうとしたら、いつの間にか背後にいたエヴェッタさんに両肩を掴まれた。

「ソーヤ、親父さんのいう事は絶対聞くように。カンテラは固定しましたか? 忘れ物はないですか? トイレに行きたかったら今の内に済ませておきなさい。危険を感じたらすぐ逃げるように、よいですね?」

「はい」

 お母さんか。

「あーエヴェッタ。そいつがアレか、例の」

「はい親父さん。お願いします」

「されても困るが。他と変わらんくらいに見てやる」

「お願いします」

 恥ずかしいので止めてください。他の人にめっちゃ見られてます。少女にクスクス笑われています。後ろで手を振るエヴェッタさんに小さく手を振り返し、いよいよダンジョンに潜る。

 ぞろぞろと幅の広い階段を降りはじめた。ポータルは使わないのか、と横目で見ながら通り過ぎた。

「おい、あんた。さっきの角付きのねーちゃんと、どんな関係だ?」

 隣にいた少年が話しかけてくる。

 あれ、どこかで見た気がする。思い出せない。喉まで来ているのだが、

「どんなといわれても、冒険者とその担当だが」

「おかしいだろ。お前らグラッドヴェイン様の試練の時にも二人でいただろ。その後、酒場で飯食ってるのと、道端で泣かしているのも見た。これでただの担当って」

 ふと記憶が蘇る。

「あ、思い出した。少年、グラッドヴェイン様と契約していた奴だな」

「何!」

 そこで、後ろにいた騎士風の青年が喰いつく。

「少年! その若さでグラッドヴェイン様と契約を結んだのか!」

「ほぉ凄いな。半年に一人出るか出ないかだぞ」

 親父さん、と呼ばれた冒険者も称賛している。

「自分も挑戦はしたが。一番実力が低いと称された獣人の子供に、片手であしらわれた。少年はどんな試練を受けて契約にたどり着いたのだ?」

「そ、それは」

 いいにくそうな少年を他所に、

「豚を剣で突き刺しました~」

 気楽に少女が答える。

「お前、ベル! 止めろ! それいい触らすな! 変な二つ名が付いたらどうするんだよ!」

「えーでも。シュナちゃんしか契約できなかったんだよー凄いじゃん。もっと褒められようよぉ」

「そうだなぁ。あの豚は硬かったな」

 挑戦した僕の感想である。

「ですよねーお兄さん。あたしの槍も、先っぽしか入らなかったですもん」

 ハハハッ、と不合格組の僕と少女は笑う。

「豚か、そんな日もあるのか」

 青年は何ともいえない顔をしていた。シュナと呼ばれた少年は話題逸らしに気付いたのか、再び糾弾してくる。

「おれの話はいいんだよ! あんたとあのねーちゃんの話だ」

「いや、本当にただの担当なのだが。まあ、迷惑は沢山かけているけど」

「迷惑ってどんな?」

 やけに噛みついてくるな。

「シュナちゃん。ああいうお姉さんがタイプなんだ」

「べっ、別にそんなんじゃねーし」

 なるほどなぁ。美人だもんなエヴェッタさん。

「坊や、もしかしてホーンズを知らないのかしら?」

 すると黙っていた魔法使い風の女性が艶っぽい感じで口を開く。

「ホーンズ?」

 シュナが疑問符を浮かべる。というか僕も知らん。

「さっきの角付きの女性。よく調教されているけど、あれ、ダンジョンのモンスターよ。獣人とよく混同されるけど、角しか異種の特徴がない所が見分けるポイント。あの角も見た事のない形状だから間違いないと思うわ。

 気を付けなさいな、坊や。ダンジョン内で成体に出会ったら八つ裂きにされるわよ。ああ、でも、幼体は高く売れるそうよ。躾ける自信があるなら戦力にしてパーティに入れても良いし、頑丈な鎖を用意すれば情婦の真似事もできるわ。興味があるなら狙ってみる事ね。でも、持ち主から買い取るという方法が一番かしら?」

「いや、おれはその」

 話を聞いて、シュナは何ともいえない顔になる。僕も何ともいえない。しかも、鎖に繋がれたエヴェッタさんを想像してしまった。

「エヴェッタは、レムリア王の持ち物だ。元が何であれ、立派な功績を残した冒険者だった。下手な嘲りは身を滅ぼすぞ、お嬢ちゃん」

 親父さんの中々な迫力。それで、この人が親父さんと呼ばれる理由がわかった気がした。

「申し訳ありません」

 しっとりと女性は謝る。

 階段の終わりが見えた。

 蒸気と熱気が伝わる。

「ここが、々の尖塔第二層になる。一応、ダンジョン内だが上と同じで安全だ」

 第二層は、湯気で包まれていた。石造りは上の層や街と変わらず、だが妙に明るい。照明器具が見当たらないのに、不思議だ。天井にパイプが敷き詰められているのも謎である。

開けた空間は、あちこちに布で仕切りがされており、部屋が作ってあった。空いた部屋を覗くと、石材製の湯舟と木の桶、石鹸、ヘチマに似た物、が並んでいる。パイプの出口らしき物が湯舟の上にあった。

 これは、その、お風呂ですね。

「ここの壁や天井は翔光石で出来ている。何度か完全に取り尽くそうとしたができず。性質上、放置もできんからドワーフに頼んで水道管を通して冷却する事にした。湯はその副産物だ。だが、湯浴みは大事だぞ。怠るな。昔、風呂嫌いな冒険者が街に病原を持ち込んで偉い事になった。他に、湯には薬草を混ぜてあるから傷を治し肉を解す効果がある。無料だから、ダンジョン上がりには必ず入れ」

 女性陣から歓声が上がる。

「本来、五階層毎にしかポータルは置かれていないが、ここと下の層には何故か設置してある。しっかり認証しておけ、一度でも認証しておけばポータルは自由に出入りできる」

 手近にあったポータルに少年が掌を当てる。他のメンバーの様子を見て、僕も倣う。光の膜が薄く変色した気がした。

 これで、安全にポータルを潜れるのだろうか? 40%で変な所に飛ばされたりしないか?

「すみません。親父さん、翔光石とは?」

 と、僕。

 何となく気になっていた。

「ダンジョン特有の光石だ。衝撃を加えると光と熱を発する。支給のカンテラや、街の街灯などに使われている。この階層は特に含有量が高いが他の階層でも取れるぞ。因果関係は不明だが、再生点の効果範囲を過ぎるとただの石くれになる」

「へぇー」

 便利な物があるものだ。熱の程度を調理に使えるか試そう。

「あなた、そんな事も知らないの?」

 と、お姉さんに驚かれる。

「翔光石は、こういうダンジョンでは必ず採れるの。しかもほぼ無尽蔵に。その事からダンジョン生体説を裏付けする一因になっているわ。つまり翔光石とは、ダンジョンが生体活動を行った際に生じる分泌液が結晶化した物、もしくは老廃物といった所。特に々の尖塔は、世界を造った巨人の角といわれている。つまり、ここはまだ生きているのよ。想像できて? 神代の時代より、更の更に古い時代から生き続けた。しかも、これが角の一つでしかない。元の巨人とは一体何なのか! どれほど巨大な者で何故この世界を創り消えていったのか!」

「置いて行くぞー」

 ヒートアップして、壁に話しかけるお姉さんを置いて。僕らは次の階層に降りようとしていた。

「ちょっとあなた達!」

 第三層へ。

「ここもまだ、安全といえば安全な場所だ。ポータルもある。冒険が進めば利用する機会が増えるだろう」

 血生臭い。まだ朝も早いというのに、革製のエプロン姿の男達が巨大な肉を切り分けていた。時折、生き物の断末魔が響く。

 ここは屠殺所だった。

 それに加工場も兼ねているのか、モンスターの骨に薬品を塗装している職人がいた。奇妙な武器を素振りする冒険者に、骨製の鎧を試着している冒険者も。全体的に、街の鍛冶屋とは違う異質な雰囲気をかもしだしている。

「ある程度の腕を上げ、それなりのモンスターを倒せるようになったのなら、素材を持ち込んで武具を作成してもらえ。ただ、ここの職人は変わり者ばかりだ。気まぐれだし、金はかかるぞ」

 とまあ、つまりは今の僕らにはあまり関係ない所だ。だが、気になるのは肉、直売してくれるんだろうか。買いたい。

 少年少女がトランペットを見るように武器を見ていた。それ以外は特に何もなく通り過ぎ、降りる。

 第四層である。

 こんな感じに五十六階層まで降りられたら楽なんだが、ないよな。

 上二つの階層より明らかに空気が違う。カビしけった匂い。それに暗い。階段付近は明かりが射しているが、幅四メートルほどの通路の先には暗闇が口を開けている。

 ダンジョンだ。

 ここからが、本番か。

「よし、お前」

 僕に地図が差し出される。受け取る。階層の階段が記されていた。思ったよりも入り組んでいる。

「臨時でリーダーをやれ。五人でパーティを組んで五階層まで降りろ。俺は下で待っている」

 ちょっと待て、どういう事ですか? 

 と聞こうとしたが、親父さんは走り去った後だった。 

「速っ」

 しかも静かに装備品の金音すらなく消えた。

 四人の視線が僕に注がれる。

「リーダー代わりにやりたい方?」

 昔から人の前に立つのは苦手である。

「自分がやろうか?」

 青年騎士さんが快く受けてくれる。地図を渡す。受け取られる。

「よし! 皆、続け!」

「待った」

 歩き始めようとした騎士さんを止める。

「地図、逆に持っていますよ」

「はっはっは! これはすまん。何せダンジョンの地図なぞ、はじめて見たからな」

 爽やかに笑う。

 少年少女に視線を向ける。そっぽを向かれる。博識そうなお姉さんは?

「次回までに記憶しておきます」

 そうですか。

「すまん。やっぱり僕がやる。もたついてすまない」

 地図を取り返す。少ししゃがみ込み眼鏡のスピーカーに小声で語りかけた。

「イゾラ、地図を読み込んでガイドしてくれ。イゾラ? マキナ? 応答を」

 ん?

 反応なし。嘘だろ、何か干渉している? ええい………まあ、よし。地図を見て移動するだけだ。現代技術なしでもできる。カードタイプの軍用コンパスを取り出す。方角確認。

 移動の前に、隊形を決めないと。

「兄さん、先頭頼む」

「おう」

「後は」

 騎士さんを先頭。その次を僕、少年、お姉さん、最後尾を少女と並べる。

「全員、明かりを点けよう」

 支給のカンテラを点けようと、使い方がわからず適当に振ると明かりが点いた。頼りないボンヤリとした明かりだ。不安を感じて簡易探査機を取り出し明かりを点ける。光量はカンテラと比べ物にならない。通路の行き止まりまで見通せる。

「うお眩しっ。魔法か?」

「そんな物だ」

 驚く騎士さんの前に進みだす。さっきの親父さんの移動を見たせいか、パーティメンバーの足音や鎧の鳴る音が妙に気に障る。それを口にするほど親しくもないので、黙るが。音で探知してくる敵がいたら襲撃されるのではないだろうか?

「次の十字路を右に」

「おう」

 騎士さんは警戒して、剣と盾を構え、左右を確認する。

 頼りないと勝手な第一印象を持っていたが、この人戦闘経験あるな。体運びに無駄が一切ない。

「大丈夫だ」

 彼の言葉に従い。僕も後に続いて曲がり。背後に、何か。

「敵!」

 声を上げて、明かりを向けると羽音を高くしてモンスターが襲ってきた。人の生首、耳に当たる所が大きな翼になっている。それは大口を開けて牙を剝く。

「すまん」

 肩を掴まれ、強引に後ろに引かれた。何とか受け身を取って注視した所。

 全ては終わっていた。

 青年が盾でモンスターを殴り倒し、追撃で少年が剣を突き刺す。一瞬の事だ。僕が呆けていると、更にもう一匹モンスターが現れる。それは、少女の槍で貫かれ、串刺しのままお姉さんの呼び出した炎で火達磨になった。肉の焼ける良い匂いがする。

 あっけにとられた。

「これ、チョチョね。天然物ははじめてみたわ」

 少年の剣に刺さったモンスターをお姉さんがベタベタと触り出す。バイ菌がないか心配だ。あと血生臭い。

「人面相が養殖物よりはっきりしている。羽も倍以上ある。う~ん肉厚ねぇ」

 人の顔に見えたのは、ただの模様だった。擬態だ。羽や、骨の様子から鳥類なのだろうか。それと疑問が。

「それ、美味いんでしょうか?」

 僕の問いかけに、お姉さんの目が輝く。

「美味しいわ。ちょっと凶暴だけど暗室さえあれば飼えるし、歯と骨以外大体食べられるわよ。何より卵が絶品ね。ギネル大卵っていう名称で売られているわ。ギネルっていう大鳥は、本来右大陸にはいないの。このチョチョの卵が、味やコクが殆ど同じで代替品として売りに出され、主流になってしまい名前を奪ったのよ。これ豆知識ね」

「食うのか、それ」

 騎士さんだけが青い顔をしていた。

「えーあたし達の島でも食べてましたよ。羽をカリカリに油で揚げて塩をかけると美味しいです。スープにしても良いかもー」

「島とかいうな。田舎者扱いされるだろ」

「騎士様、街で食べられている食物の三割はダンジョンの物ですわよ」

「そうなのか。すまん、食い物がどこからどう来るなど考えてもみなかった」

「何だあんたお坊ちゃんかよ」

 少年の失礼な発言にも青年は柔らかく返す。

「端の貴族など何の自慢にもならんさ」

「騎士様、やはり良い家柄なので!」

「え、ホント! お金持ち?!」

 イケメン、高身長、性格良さそう、止めに貴族。はい、これで喰いつかない女性がいたら、それはかなり特殊な人でしょう。

 質問攻めされている騎士様を、僕と少年が冷静な瞳で眺めていた。場所が場所なので止めるべきだろうが、今間に入ると男としてやっかんでるように見られるだろう。それは嫌だ。既に敗北しているとしても嫌だ。

「あのさ、少年」

「あん?」

 こういう時は全然関係ない話をするに限る。

「あのチョチョって、何を食べてるんだ?」

「虫かネズミだろ? 小さい畜生共が、ここにもいんじゃねーの? でなきゃ、ダンジョンは糞と腐肉の溜まり場になるだろ」

「そうだよな」

 簡単な食物連鎖だ。で、何となしに浮かんだ疑問を口にする。

「それじゃチョチョってアレは、この階層の頂点か?」

「んなわけねーよ。うちの島でも養殖していた奴いたが、野犬に全部食われたぞ。大して強い種じゃねぇ。サマ使ってる時点で弱いのさ。野生ってんでちょっと驚いたけどな」

「ふむ」

 女性二人のキャッキャッした声。騎士様の爽やかな笑顔。

 僕らは、ダンジョン内での初戦闘後という事もあり、ハイになっていた。浮かれていた。事前に、何の打ち合わせもなしのぶっつけ本番で見事な連携もした。そして勝利。これで、気分が高揚しないのはおかしい。テンションダダ上がりである。

 が、

 僕と少年がややテンション下がり気味だったのは、多少、ほんの少し功を奏した。したが足りない。

 この鳥を主食にしている存在の、接近に気付かなかった。

「ブオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 吼声が上げる。

 それは肥え太った豚だった。ただ、でかい。幅も高さも通路の限界に近い。三メートル半くらいある。血の匂いで興奮したのか、野生の殺意を向けて、僕らに突進して来た! この速度だと接触するのに五秒もかからない。

 昔、畜産のバイトをしていたクラスメイトの言葉が思い浮かぶ。

『豚っているだろ? あいつらクッッソ凶暴だぞ。童話で食べられていたけど、三匹も居たら狼くらい逆に食う』

 一瞬の思考の逃避、次に僕は声を上げる。

「逃げろ!」

 少年が身の竦んだお姉さんと少女を掴んで引き寄せる。角<かど>だ。とにかく角を曲がって後ろを取る。 この巨体じゃ正面から向かうのは、

「来い! モンスターが!」

 騎士様が迫り来る豚を前に、臆する事なく剣を掲げ、盾を構えた。

「騎士たる者が、敵を前に引けッ、ギャアアアアアアア!」

 巨大な鼻先に跳ね上げられた。幸運な事に、彼は豚の後ろに着地する。無事を確認している暇はない。ライトを豚に向け、取りあえずこっちに引き寄せる。彼の回収は後だ。

「走れっ! 走れぇえええ! 次の角を右! しばらく直進しろ!」

 少年が先頭を走る。次に足の遅いお姉さん。後に続くのは僕と少女。

「なにあれ! 何食べたらあんなに大きくなるのかな!」

 少女の叫びに、

「“何でも”だろうな!」

「いやあああああああ!」

 僕が答える。一人なら悲鳴を上げていただろう。薄闇のダンジョンで巨大な豚に追いかけられるのは、中々想像していたよりもハードだ。そして、追いつかれた時の事は想像しやすい。

「少年、次は左!」

「あッ」

 少年は右に曲がる。お姉さんも釣られて右に行く。

「いい! 引き返すな! そのまま進め!」

 転進されたら僕らと接触する。いや豚と鉢合わせになる。頭の地図が確かなら、少年が曲がった先は行き止まりだ。後に続けない。

 豚が荒っぽいコーナリングで曲がって来た。後ろにすぐ足音、衝撃に空気が震えた。

 再びライトを向けて威嚇。豚は怯む所か、更に吼えて突進して来た。

「よし、来い!」

 僕は少女の手を取り走る。

 角を三度曲がるが引き離せない。匂いか、視覚か、たぶん両方で探知されている。息が乱れてきた。腿が吊りそう。少女は、体力的に僕より余裕がありそうで弱気になれない。

「お兄さん! 何か考えはあるんですか?!」

「ある! あるけどもう少し引き離さないと無理だ!」

「少しでいいんですね」

 手を放し、少女が転身する。槍を脇に挟み、木造りの小さい偶像を二つ掲げた。

「樹霊王ウカゾール、豊穣の神ギャストルフォ。アゾリッドのベルトリーチェが、ならびたてまつる神に奇跡をこう。お願いします! 足止めして!」

 彼女は種を撒いた。

 豚はもう間近にいる。間に合わない。僕は咄嗟に後ろから抱きしめて彼女を守る。無意味だが、やらないよりはマシ。

 すると文字通り奇跡が起こった。

 撒かれた種から茨が伸び豚の前足に絡みつく。前のめりに豚が転倒する。

「本当に少しだけです! そんなに持たないですよ!」

「了解ッ」

 豚が暴れる度に茨は頼りなく千切れ行く。わずかな猶予に地図を確認して走り出す。異常な状況と緊張のせいで体力がごっそり減っていた。呼吸が乱れ、足の筋肉が痙攣している。

 何とか、目的地に着く。

「槍を」

 少女に槍を借りてそれを床に置く。上に脱いだポンチョを被せた。

「ウソまさか」

 彼女の察した声は不安に満ちていた。僕は壁を背に、床に腰を着けた。

「君は隅に寄ってくれ、万が一失敗したら僕が食われている隙に逃げてくれ」

 という発言を無視して、彼女は僕の前に座って背を預けてくる。

「いやぁ、それは無理ですよ。この場合、二人とも潰された後で食べられるかと」

「そうなるかぁ」

 通路は直線にして十二メートルほど、視線の先には僕らを見つけた豚が前足を鳴らしている。後は、この畜生が見た通りの知能である事を祈るのみ。

 巨体が突進してくる。

 うわぁ、肉で出来た大型トラックみたい。

 迫力に顔面が引きつる。

 少女の甘い匂い。首筋が汗で濡れていた。細い唇が震えている。身体能力的には僕より上だろうが、それでもか細く小さい。肩を抱くと不安げに腕を握ってくる。人間、生命の危機に直面すると生理機能が子孫を残そうとするらしい。ならこの場違いな劣情は不思議なものではないか。

 思考の逃避はコンマ一秒もなかった。

 タイミングはここ。

「構えろ!」

 ポンチョを跳ね飛ばし、腰を浮かし二人で槍を構える。槍の石突は壁、その穂先に豚が突っ込んできた。槍がたわみ。血飛沫と悲鳴が上がる。

「ブヒィィィイイイ!」

 槍は上口から入り脳近くまで貫通している。だがまだ、これでも死んでいない。それ所か、槍に肉を食いこませながら僕らに喰いつこうと進んでくる。

「いやぁあああ!」

「クソッタレが!」

 山刀を抜いて斬りかかる。全く刃が立たない。ガチっガチっと歯が鳴り、ベルトリーチェに豚が迫る。鼻先に何度も蹴りを入れるが今際の獣は止まらない。

 どうする?

 まずい。

 次の手が。

 ごちゃっとした思考の後、一際甲高い声。

「?」

 ぐるんとした目玉の動き。

 事切れた豚が圧し掛かってくる。そこからまた襲い掛かってくるホラーのような展開には、ならなかった。

「ベル! 無事か!」

 少年がずるりっと長剣を引き抜く。脂と血に濡れたそれが、どこに挿入されていたのかは考えたくない。

「お、重いっ。シュナちゃん、これ退かして」

「やってるけど動かねぇよ!」

 僕も必死に押すがビクともしない。それは、妹と同じくらいの少女と合法的に接触している環境に甘えているわけではない。単純に力不足だ。本当に。あ、幸せだが息できなくなってきた。

「お兄さん! 何か呼吸が変ですよ!」

「ちょっと意識が」

「シュナちゃん早く!」

「だからやってるって!」

 少年少女のやり取りが遠くに聞こえる。視界が暗転する。と、思ったら胸の圧迫が消えて新鮮な酸素を求め咽る。

「お前ら凄いな」

 いつの間に、親父さんがいた。

「こんだけデカくなったダンジョン豚は、中級の冒険者でも手こずる」

 親父さんは片手で豚を退かした。それは、もう片手が騎士様を担いでいるせいで塞がっていたからだが、いやあんた化け物かよ。

「お、メスか。よかったなオスなら流石に喰われていたぞ。あれは硬いからな、物理的にやるには相当な修練が必要だ」

「マジですか」

 この世界の豚怖い。

 超怖い。

 今日の夕飯も豚肉で決定だ。

「親父さん。こりゃ大物ですよ。何この新米がやったの? 凄いな」

 更に、

 いつの間にか、エプロン姿の男達が周りにいた。彼らの手には巨大な包丁。

「よーし、血抜いてバラすぞ。モツは全部駄目だなこりゃ、魔法で火かけろ。骨は適当に砕いて捨て置け、ダンジョンの養分になる。後はポータルに入るサイズに加工しろ。手早くな、他の冒険者が来ちまう」

 慌ただしく男達が動く。惚れ惚れするような速度で豚が解体されていった。

「パーティのリーダーはどちらさん?」

 解体している男の一人がスクロールを持って尋ねてくる。

 少年少女が座り込んでる僕を指さす。

「メスだからね。肉は高く買うけど皮はあんまりだよ。でも量があるから中々の儲けだね。低層の素材は組合が運搬費用を負担してっから無料さ。うちら冒険者組合精肉部門だと、金貨30くらいの額になるな。懇意にしてる商会あんならそっちに回せるが、どする?」

「三人共、異論ないなら組合に売るけど良いか?」

 一応、他のメンバーに聞く。

「金貨30枚! えーと、五人でわけると」

「六人だろ」

「俺は数に入れなくて良い。お前らで分けろ」

 少年少女と親父さんのやり取りを見て、少し離れた所にいるお姉さんにも視線で確認を取る。好きにして、と返事。

「組合に売ります。あ、金貨1枚分だけ肉で貰えますか? ヒレの良い所を」

「ええよ。あんた名前は?」

「日本の宗谷です」

「あいよ。ニホンのソーヤね。正確な報酬額と物品はあんたの担当に渡しておくから、上の受付で取りな。これ証文な」

 スクロールを受け取る。

 すっかり小さくなった豚の残骸を見ながら、その場を後にした。疲労感は凄いが、一仕事した優越感で足を動かした。それと親父さんが同伴してくれる安心感が半端なかった。

 道ながら親父さんが語り出す。

「お前らに一つ助言をしてやろう。戦闘に勝ったからといってはしゃぐな。気を抜くな。デタラメに見えても、モンスターには生態系がある。それを心得ろ。意識して立ち回れ。微細でも勝てないと思ったら、逃げろ。蛮勇を冒険者の道という馬鹿者がいるが、そんなものは豚の糞だ。

 何でもかんでも人が教えてくれると思うな。たとえ間違っても自分達で答えを探せ。多く失敗して学べ。百や二百の失敗で折れるな。仲間を見捨てるな。仲間を信じすぎるな。仲間を頼れ。自分の為に逃げるな。仲間の為に逃げろ。そして、生き延びろ。以上だ。ちょっと多かったな」

 一つ所ではないのですが、それはツッコミ入れるべきですか?

 まあ、その後はこれとして何もなく。適当なモンスターは親父さんが、文字通り片手間で倒して行った。

 そして、五階層に到着である。

 親父さんを先頭にグイグイと進み。あっという間に五階層も終わり、六階層に続く階段付近でポータルを見つけ滞りなく認証。

「よし、んじゃ風呂入って上がりだ。装備もしっかり洗浄しろよ。お疲れさん、お前ら中々良い線いっているぞ」

 ポータルに手をかざすと階層が表示された。ジェスチャーコントロール機能だ。進み過ぎた科学は魔法に似てる、逆もまた然り、と言う事か?

 一階層を選択、それを潜り、初のダンジョン探索は終わった。

 感想をいうなら、死ぬほど疲れた。


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