<第一章:異邦人、ダンジョンに潜れない>2
【2nd day】
冒険者組合の受付のお姉さん。名をエヴェッタという。
『資料を用意するので明日来てください』
そんな風に言われ昨日は帰された。
これとして時間指定がなかったので朝はゆっくりと過ごす。マキナが作成した周囲と街の地図を眺める。物資の整理とキャンプ地の整備に力を入れる。キッチンとトイレを少しでも文明に近づける。ゲトさんが魚を持ってやって来る。あら汁風の鍋を作って二人で食べた。残った魚を干物にして、街に着いたのは昼の一時くらいだ。
と、
「遅かったですね」
エヴェッタさんが門の前で待っていた。腕組み仁王立ちである。無表情さの中に不機嫌がにじみ出ていた。
「え、どうしてここ?」
「一般的に人が出入りするのは、ここ大門だけですから」
「いえ、そうではなく」
「朝一で主要な宿は回ったのですが、見当たらなかったので。そこで、あなたの珊瑚の首飾り。魚人からの贈り物でしょう? それを思い出し、街の外に居を構えているのではないかと予想しました」
「いえ、そうでもなく」
「万が一入れ違って良いようにと、受付に人は用意していますが?」
「はい、それは大事だと思います」
「………………」
「………………」
お互いに沈黙する。
エヴェッタさんは少し震えながら顔を赤くしていた。
「初仕事で張り切って空回りしていますが、何か問題でも?」
「いえ! ないです。ありがとうございます! 何かすみません!」
「仕事ですから」
キリっと表情を戻す。
気を取り直して、神様を探しに行こう。
の前に、エヴェッタさんに遅めの朝と昼を奢る。銀貨1枚分である。
まず最初に足を運んだのは、冒険者の多くが契約している神。
この世界で、有名な冒険譚を残す伝説の冒険者、荒れ狂うルミル・静寂のドゥイン・法魔ガルヴィング・三剣のアールディ・確固たるロブス・忘却のスルスオーヴ。この六人で成す複合神。
人は彼らを称えて冒険者の神、ヴィンドオブニクルと呼ぶ。
受肉し、現存している神ではないが、偶像と物語で人々に信仰されている。彼らの足跡は世界中のダンジョンで見られるという。
その神殿は、神殿というにはあまりも開放的で、というか酒場だ。依頼用のボードもある。まだ昼なのに飲んでる連中もいる。
「若き冒険者を目指す者よ。ヴィンドオブニクルはその探求心を力に換える。名声は奇跡になり、奇跡は物語を産む。そして何れか、彼らと連なる風の物語になるだろう。その心に、冷めぬ心があるなら契約を成すが良い」
と、酒場のマスターがいう。
どう見ても酒場のマスターだ。筋骨隆々でモヒカンだ。彼の後ろには、アホみたいな大きさのバトルアックスが掛けられていた。
「マスター。根菜サラダ特盛りとダンジョン豚の厚みベーコン三枚、ギネル大卵は半熟でお願いします。後エール、あ、やっぱり仕事中なので牛乳で」
エヴェッタさんが注文をする。やっぱり酒場のマスターじゃないか。いや、ちょっと待て、あんたさっき大皿三枚の飯を平らげただろ。
「エヴェッタ。お前ちょっと席を外せ」
「………すみません。つい癖で」
彼女は、とぼとぼと離れ遠くの席に座った。
「あいつ組合員になったのに、いつまで冒険者でいるつもりだ」
「ああ、元冒険者でしたか」
何となくそうではないかと思っていた。
「で、お前さんがあいつの言っていた異邦の冒険者志望だな」
「はい、そうです」
「よし、契約するか!」
「します!」
すっげぇ軽いノリ。まあ、さっさと済ませたいから文句なし。
マスターは一冊の本をカウンターに置き手を添える。
「我が名、ラスタ・オル・ラズヴァ。ヴィンドオブニクルの信奉者として、新たな探求の羅針を与えん。若き者よ、冒険に楽な道はない。探求とは常に命を張る。常人には到底耐えられぬ苦行であろう。それでも前に進み、死する瞬間まで折れぬ心を持ち続けるか? その覚悟があるなら、名を唱え、手を置くがよい」
いよいよ、僕の冒険が始まる。
その覚悟を胸に、マスターの手に自分の手を重ねた。硬い手だ。恐らくこの人も名うての冒険者だったのだろう。その年輪を感じた。
「日本の宗谷」
幾つもの光が生まれる。陽の光の下、それでも力強く輝き、踊り、弾けた。
静寂。
何かが僕の胸を満たした気がした。
「よし、無理だ!」
「よくねぇええええ!」
気のせいだった。
「マスター! どういう事ですか!」
エヴェッタさんが駆け寄ってくる。
マスターは本を片付けカウンターを拭き始める。
「ん~あれだ。たまにいるんだが、お前さん夢はあるか?」
「あるにはありますが」
「それは理想か? それとも現実的な願望か? 冒険っていうのは到底叶わない事を望むものなのさ。その他の神なら一笑するような大望を、我らの神は祝福する。人の夢が集まった姿が我らのヴィンドオブニクルだからな」
妹を助けたいというのは大望ではないのか。そうか、そうだな。本人が望んでいる事ではないものな。僕だって薄々わかっている。自分の願いが歪な事は。
「一言でいうなら、お前さんには浪漫がない。向いてない他所に行きな。だが、そんなお前さんに新約ヴィンドオブニクル、文盲でも楽しい挿絵付き。金貨1枚でどうだ?」
「結構です」
次に行く事にした。
炎。
魔術的な側面で最も根源的な、生み出しやすく、そして御しにくい力。
世界を造った巨人であれ、数多存在する神々であれ、そんな者たちより、まず先に世界には炎が存在した。
ここもまた肉のない神を崇める宗教である。道中受けた説明では、世界は炎から生まれ、また炎に消える、という終末感を持ち。何れ何もかも無に帰るのだから不要な富を持たず、清貧であれという思想を持つ。戦災棄民が宗派の基礎を作り、偉大な炎術師が世界に広めた。
冒険に縁のない者から、炎の魔術を極めようとする者、膨れ上がった富を捨て入信する者、身一つで冒険を始める者、何かと入り口が広い神だそうだ。
こじんまりとした神殿だった。しかし、丁重に掃除されているのがわかる。奥に勇猛に燃える薪が見えた。
「すみません、そこのあなた」
「え、僕で?」
神殿の前で話しかけられる。浅黒い肌に金の尻尾、耳を持った獣人だった。狐? だろうか。年の頃は十代後半くらい。テンションが上がる。
「当神殿に何用でしょうか?」
「入信希望です」
「お帰りください」
「早ッ」
もっと断る理由くらい教えてくれよ。
「何やら納得していない様子。我らの炎は何者をも拒みません、が。あなたとそれ、ほら」
首回りを見ろと、ジェスチャー。そこにはゲトさんから貰ったネックレスがある。
「水気を纏った方だけは論外です。そんな物持ち込んで火が消えたら責任持てますか?」
これ、そんな力があるのか。
「どうしても、というなら魚人のソレを捨てて、我らの炎を拝むくらいは許します」
「いえ、縁がなかったという事で」
「そうですね」
次だ、次。
「我が名は剛腕のグラッドヴェイン! 我が眷属に弱者はいらぬ! 財も! 名も! 血も! 言葉もいらぬ! その身、その技にて証を立てよ!」
そんな風に叫ぶ女性は、近世に神になったという。
波打つ長い金髪、小麦色の肌。肉体には美しさと筋肉が黄金比で存在していた。豊満な胸は布一枚で遮られ、下もまあギリギリなラインの布一枚。地に突き刺している大剣は太く、厚く、人が振るえる域ではない。
「グラッドヴェイン様は、悪竜退治のさいに剣を自らの力で破壊してしまい。仕方なく素手で殴り合い、相手を制した逸話が有名です」
「ドラゴンを? 素手で?!」
「はい、前衛職を志す全ての女性の憧れです」
僕、帰って良いかな?
「ダメだ! 次!」
並んだ列が進み始める。
列の先頭で何をしているかというと、デカイ豚の死体に武器で攻撃していた。
豚の大きさは全長二メートルくらいある。こっち固有の種だろうか。
「ダメだ! 次! そこの貴様! やる前から顔が死んでいる出直せ! そこのボンクラ! 人を嘲笑したな! 生まれ変わって出直せ!」
全然刃が立たない者、緊張ですっころぶ者、槍を折る者、斧が腕からすっぽ抜ける者、人それぞれ現在、20連敗中である。
「僕、無理そうなんだが」
後ろに並んだエヴェッタさんに不安を漏らす。
「そんな事はありません。ほら、あの子を見てください」
身の丈ほどの長剣を持った少年が挑戦する。歳は十四、五くらいか。若いし、まだ骨格が曖昧だ。
「お」
しかし、剣を構えた瞬間。空気が変わった。
左手で柔らかく剣を支え柄尻には右手、低く、猟犬のような伏身の構え、その疾駆も獣のそれだ。
突きの一閃。
肉に食い込んだ剣が、少年の手から離れ震える。
「くっ」
寸で技の未熟さを露呈してしまったようだ。手を保持さえしていれば肉を貫通できたはず。
「得物を手放すとは何たる愚かッ!」
剣を鞘に納め、少年は無言で背を向ける。
「だがその技を二として貴様の若さを三としよう! 合わせて半人前だ! 我が眷属の誉れと共に精進せよ! 十全の働きを得るのは遠く先ぞ!」
「え」
少年の呆けた顔。周囲からの歓声でようやく状況を飲み込む。
「ほら、おい。契約せぬのか?」
「あ、え、し、します!」
どっと笑いが生まれる。初々しい冒険者に周囲に和やかな空気が流れた。
「あの方は、腕は未熟でも将来性を見抜いて評価します」
「なるほど」
腕も十分あるように見えたけどね。
その後、一人も契約を許されず胃が痛い思いで僕の番になる。
「次!」
呼吸を止めて覚悟を決めた。
山刀を抜き上段に構えた。右手で得物を掴み、左手は右手首を握る。
剣技の心得など昔に剣道を噛んだくらいだが、やれる事をやるだけ。
「う、おおおおおおおおおおおおおッ!!」
気合いと叫び。
渾身で山刀を振り下ろした。
声を上げ過ぎて一瞬前が暗くなる。視界が戻ると、2cmくらい肉に刃が食い込んでいる。
しかし判定は如何に?!
「問題外ッ!」
やっぱり駄目か!
「おい、エヴェッタ。こいつ連れてきたのはお前か?」
「はい」
何か知り合いのようだ。
「こいつはどう見ても後衛職向きだろう。連れてくる所、間違ってるぞ」
「………はい」
そうなのか。
「次!」
次に当たるとした。
街を回って気付くのは、神という者達がひどく身近に人と寄り添っている事だ。
そして今日一日だけで沢山の神を見た。ちょっと宗教観が変わってしまうほどだ。特に女神と称される方々は、大きいのから小さいのまで隅々まで美しい。目の保養であった。人でない神々もバラエティに富んで歓声を上げてしまう。男の神は、何かもう大体忘れた。
だからきっと、決して、無駄ではなかった。
と、自分に言い聞かす。
「その元気出してくれ。きっと良い事あるから」
夕闇の街。エヴェッタさんは路傍に座り込み頭を抱えていた。顎を伝って水滴がぽつぽつと地面を濡らしている。僕もその隣に座る。
こんだけ先に落ち込まれたら、僕が落ち込めないのだが。
「まさか、全部に断られるとは」
「いやぁ断られた。断られた。結構、惜しいのも何回かあったが全敗だ」
「………………すみません。力不足で」
「エヴェッタさんはよくやってくれたと思うよ。僕の運がしこたま無かっただけだ」
仕事とは言え、丸一日足を棒にしてくれたんだ。責める事はできない。
「でも、何も成果が」
「そんな日もあるって事で。ダンジョンに潜っても同じだろ?」
「ええ、ええ」
何度か小さく頷く。
「飯食いに行こう。奢る」
「わかりました。手加減しません」
ちょっと待て。
そんなやり取りをしていると、
「なんじゃお主。女を孕ませて泣かしておるのか?」
ん、と声をかけられる。
猫耳の幼女だった。細い尻尾をフリフリしている。めっちゃ可愛い。
「どこを見ておる。ここじゃ、ここ」
やけに落ち着いた声だと思ったら、彼女の抱えている猫が喋っていた。
猫が喋っていた。
「ね、猫が喋ったぁああッ!」
こっちに来て一番驚いたと思う。
「なんじゃ騒がしい奴」
「エヴェッタさん、猫が! 猫が喋ってエヴェッタさん?」
顔が真っ青になっている。
「ソーヤ。明日は受付で待っています。昼前には来てください。今日はすみませんでした。ご飯は今日の分も含め明日いただきます。では」
脱兎、去った。夕暮れの街並みに背中が消える。
猫嫌いなのか。
「ふん小心者のホーンズめ。そこのお前、お前じゃ間抜け面」
「はあ、何でしょうか?」
金目に灰色の長毛、モフモフの猫が僕に話しかけてくる。
「童に駄賃をやれ、妾<わらわ>を此処まで運んだのじゃぞ。これを労わずにどうする」
何で僕が、と思うが。猫耳幼女があまりにも愛らしかったので、ポケットから銅貨を一枚取り出す。猫に奪われ、さも自分からだと渡される。
「ご苦労であった。教会には気を付けて帰るのだぞ。寄り道するな、買い食いもダメじゃ。とくにこんな顔した男には気を付けろ。またな」
銅貨一枚を大事に持って、幼女は手を振り去って行く。僕も手を振った。
「で」
残った猫は、僕の膝に顎をスリスリとこすりつける。
「何用でしょうか? えーと猫ちゃん」
「ミスラニカじゃ、ソーヤとやら」
ミスラニカ………どこかで聞いた気がする。どこだっけ? 先物取引、物件? 物件の名前?
「先日の悪漢を退けた技、実に見事であった。褒めてつかわす」
自然とカランビットをいつでも引き抜ける態勢になる。
昨日のアレ、こいつに見られたか。
「だが妾の安眠を妨げた罪、万死に値する。その身をもって償うがよいぞ」
いきなり死ねとかいわれた。
「具体的に何をすれば?」
「貴様の生涯を賭して妾に尽くすがよい」
猫ってこんなドヤ顔できる生き物だったのかと認識。
「ああ、はいはい。忙しいから帰るわ」
付き合ってられん。
「貴様ぁー! 寛大で不遜な妾が折るに折って命だけは許してやるのじゃぞ! 何というお買い得! こんな事、百年に一度あるかないかじゃ! あーわかった! わかった! もう少しだけ誓約を緩めてやる! とりあえず聞くがよい!」
ズボンにぶら下がりながら悲鳴をあげる猫。無視してこのまま帰ろうとも思ったが、憐れなのでもう一回だけ話を聞いてやる。
「飯、飯じゃそれで許してやる! 何と妾の心広き事まさに大海の如きじゃ」
「えー」
何かこいつ面倒臭そうだ。僕はそもそも犬が好きなんだ。さっきの猫耳娘はよかったが。
「えーって、貴様。妾がこれほ、ど」
ぽとりと猫が落ちた。死んだか? と思うほどぐったり横になっている。
「いかん。急に、動き、過ぎ、て、限界………じゃ」
「えー」
ここで捨てて明日に死体を見つけたら、何か後味悪い事になりそうだ。
「お前、腹減ってるの?」
「かれこれ、十五年腹を満たしておらぬ」
ほろり、ときた。
猫一匹くらい扶養する余裕あるかな。
「うち、来るか?」
「仕方ない。行ってやろう」
本日の収穫、猫一匹だ。
【3rd day】
異世界の朝は早い。遠くから、朝を知らせる大鐘の音が聞こえた。
六時起床、水浴びをして身支度。マキナに洗濯を手伝ってもらい。それを干す頃に、朝の食材を持って客が来る。
「エビと貝だ」
「ありがとうございます」
「何ぞ手伝うか?」
「いや、座っててください」
「そかそか」
ゲトさんは専用の椅子に座って、あげた知恵の輪に挑戦する。
小振りなエビの頭と殻を外し背ワタを取る。小振りと言っても二十尾もあれば贅沢だ。あさりに似た貝は軽く塩水で濯いだ。エルフニンニク――――無臭ニンニクをこっちではそういう。これの芯を外し細かく輪切りにした。次に唐辛子と似た品種の――――異界辛子と呼ぼうか。いや、面倒なので唐辛子でいいや。これの種を抜く。平原の山菜を塩で揉んで放置。
昨日帰りに買った土鍋にオリーブオイルをドバドバと入れる。
ニンニクと唐辛子を投下。塩を適量。
ニンニクを焦がさないよう鍋を火から離しながら匂いを移す。適度な感じになったら、材料を全部入れて煮込み開始。
これまた昨日買った硬いパンを輪切りにして表面を焼く。皿に焼いたパンを並べて簡易テーブルに置いた。
鍋が良い感じにグツグツして来たので火を消す。
異界アヒージョの出来上がりである。
何でも異界とか異世界とかつければそれっぽいが、食材店を覗いたら食い物は殆どこっちと変わらなかった。
しばらく平原の風にさらして冷ます。
飲み物は、緑茶でいいや、と。水出しで適当に作る。
五分後。
「ゲトさん食いましょう」
「おうおう」
スプーンを渡す。
「具をパンに乗せて一緒に食べます」
「そうか」
好物なのか貝ばっかりをパンに乗せて口に入れた。
「うむ。これはまたまた、中々」
ガリガリと音。ゲトさんは貝殻ごと食べていた。いや、美味しいなら文句ないが。
「いただきます」
手を合わせ、僕も贅沢にエビを乗せてパンを食う。
「う、うまいぃ」
至福。
食欲を加速させるニンニク風味、プリプリのエビが口の中で踊る。食感もさる事ながら、旨みが沁みたオリーブオイルがパンと合う。これは止まらない。山菜のほのかな苦味が味のアクセントに。塩が、ほんの少し足りないと思うが我慢。貝は全部食われた。
パン。
パンだ。
パンが足りない。パンを持って来い!
という事で、保存食として買ったパンまで二人で食べてしまった。
最後辺りなど、土鍋に残ったオイルをパンで掬って食べていた。固くて味気ないパンが、こんなに進むとは思わなかった。
「うぐっ、陸のモンこんな食べたのは初めてだ。少し横になる」
寝そべった魚人は、さながら打ち上げられたクジラのそれだ。等と失礼な感想を思う。妹の料理には負けるが美味い朝飯だった。素材が良いからね。
「いやぁ、しかし、何か、その、悪いですよ」
洗い物をしながら申し訳なさを口にした。
「んん、何ぞ悪い食い物でもあったか?」
横になったまま返事をするゲトさん。
「いえいえ、こんな美味い物無料で貰った事で」
「変な謙遜をする種族だな。火を使えんオレらにとっては、こんな飯は生涯に一度や二度食えるかだ。それだけでも十分価値があるぞ。それにな、どうせ金貨余りの品だ。お前がもらわんなら、捨てるだけだ」
「その金貨余りとは?」
よくわからない言葉だ。
「金貨一枚にならなかったモンだ」
「銀貨や銅貨にすれば良いのでは?」
「おお、忘れていた」
え、貨幣価値を? と思ったが違った。
「銀貨を持っているか?」
ポケットから一枚出す。
「それな、オレら異種族には肉を焼く劇毒だ」
「ちょ!」
思わず手放す。
「お前が驚いてどうする。どれ、食後の腹空かしに一つ話をしてやろう」
魚人の神官が語る、銀貨の血塗られた歴史。
はじまり、はじまり。
古代。
神依りの時代が終わり、人の歴史が始まって間もない頃。
獣人を統べた王がいた。
名を獣<けだもの>の王、ラ・グズリ・ドゥイン・オルオスオウル。
人と獣が相容れぬのはいつの世も同じ、違うのは立ち位置だけ。
その時、人は滅びの寸前であった。
大陸全土で勢力を失い、残す領地は左大陸の最北。ドワーフ秘蔵の銀鉱だけであった。
そこで最後の王が神に祈る。
「どうか、けがわらしい忌血を滅ぼす力を、我らに」
千日の祈りの日、百人のエルフがその命を捧げ、ようやく神が応える。
『ならば人の王よ。その忌血を飲み干し、自らも獣となれ、ならば我らは力を貸そう』
苦渋の末、王は従う。
見返りに、神は奇跡を起こす。
銀には霊禍が宿った。
王は願う。
全ての銀よ、我ら人以外の種族、全てを憎め、焼け、殺せ、殺せッ! この醜き体の者全てを廃死、滅すのだッ!
祝福を受けた銀は王の望みとなる。
ドワーフはそれで数多の武具を造り出した。
並ぶ槍、剣、矢を前に醜い王は、最後にこういった。
「さあ、我が子達よ。“手始め”である」
その日、獣狩りの王達が生まれた。
そして人は、獣を滅ぼす間際まで追い詰めるも、疲弊と慈愛を持ってそれを止め、共存する。
平和の証として獣狩りの武具は貨幣となり世界に広まった。だが再び獣が人に牙を剝けば、それらは剣となり槍となり矢となり、次こそは獣達を滅ぼすであろう。
彼らに応えた神の名は、誰も知らない。
「………………」
色々と思う事はあるが、よそ者が簡単な思考で口にして良い事ではない。
拾った銀貨には獣がいる。それはかつての王の姿か、獣の王なのか。
「オレら魚人は、獣人が海を渡るのを手伝ったが、直接人間を殺しちゃいないぞ。とんだトバッチリで呪われたわけだ」
「何か、すみません」
「こっちの人間でないお前が謝っても意味はないぞ」
「その通りです」
「後、銅貨な。あれは単純にダメだ。すぐ錆びる水が汚れる」
銅に毒があるって迷信、一時日本で流れていたな。
「というかゲトさん。差し支えがないなら教えてほしいのですが」
「あらたまって何ぞ」
僕が力添えできるとは思わないが、せっかく得た縁なので、もしかしたらという事もある。
「何でお金が必要なんですか?」
昨日ゲトさんが言った事だが、魚人は海の恵みがあれば十分生きて行けるそうだ。陸に干渉する必要は今も昔も殆どない。
これから先も深海に居を構える彼らを、人間は支配などできないだろう。
「オレには孫娘が五人いての。その末っ子が嵐で潰れた商船から男を一人助けた。そいつを陸に送り届けた後、熱病にかかったようにその男の話ばかりをして、ある日ふらりと孫娘は消えた。オレらの至宝を一つ盗み出して。至宝の名はグ・バゥリィ、それは最も尊い代償を払い、己の姿を望む形に変える。孫が男を追って行ったのは明確だわな」
何か人魚姫だな。
「他の氏族に糾弾されたが、オレは本人が幸せならそれでいい、そう思っていたが。ある日。人づてに商談があると呼び出された。相手はエルオメア西鳳商会。売りつけたい者は、魚のメス一匹。価格は金貨4000枚」
人魚姫は泡に消えなかったが、商会で売り物になったそうだ。
パン一つ銅貨1枚の世界。金貨4000を稼ぐには何をすれば良いのか、僕には想像できない。
「忘れろ。オレはお前に同情されたくてこの話をしたんじゃねぇ。疑問に答えただけだ」
「ええ、はい」
そんな事をしていると。
「む何じゃ、美味そうな匂いがする」
テントから灰色の生き物が出てくる。タダ飯ぐらいは体を伸ばして、大きく口を開けてアクビをした。
「おはよう。ミスラニカ、様」
なーんか納得できないが、敬称で呼ばないとダダこねてうるさいので仕方ない。
「ソーヤ、朝餉を用意せよ」
「はいはい」
異界魚の一夜干しを水で晒し塩分を抜く。水気を払ったらほぐして皿に盛った。
「なんじゃこれは」
「何って魚」
「ありえんだろ! 匂いから察するに、貴様らもっと良いもの食べてただろうがー! だろうがぁぁー! この妾にこんな魚の身だと! 不敬じゃ! 剣を持て!」
子供のようにひっくり返ってジタバダする。
「んじゃいいよ。食わなくて」
さっき飛んでた羽根付き兎にやる。珍しいし、あっち餌付けするよ。
「マテ」
皿を下げようと伸ばした手に前足が置かれる。
「別に食わぬとはいっておらぬ」
「そうですか」
文句言った割にはがっついて魚を食べだす。ゲトさんが、何とも言えない顔で猫を見ていた。
「ソーヤ、それは何ぞ」
「猫です。こっちでは違う呼び方で?」
「いんや、猫だ。喋るという事は、それなりの、いや、まさかな。今日は話し過ぎたし食い過ぎたの。オレは行くぞ」
去り際にゲトさんは、
「ミスラニカ? はて………ううむ、どこかで聞いたが満腹で頭が回らぬ」
川に飛び込んでちょっと遅めに消えていった。
「ちと足りぬが満足じゃ」
「さいですか」
文句言ったくせに満足したミスラニカ、様は口の周りを舌で嘗め回して、
「寝る。昼餉の準備ができたら起こすがよい。次は魚以外の肉を用意するのじゃぞ」
再びテントに戻っていった。
マジで食っちゃ寝するだけかよこいつ。
猫ってそういうものだが納得できねぇ。無力でニャー、ニャー、しか言わないだけなら良い。困難な状況で自分以下の生き物を愛でるのは慰めになる。でもこいつ普通に喋るじゃないか、生意気じゃないか、猫として見ても可愛くない方じゃないか。
『ソーヤさん、猫ちゃん可愛いですね! マキナ猫大好きッ!』
「………そうか」
マキナが嬉しそうな表情と音声を作る。一応、こっちの住人の前では喋らないように命令していた。ポンコツは無能を愛するのか。シンパシーなのかな。シンパシーだろうな。
本日の神様探し、午前の部。
一言、全敗である。
「大方予想通りです」
エヴェッタさんはキリリッとした顔で言った。頼むからそれは覆してくれ。
「しかし良い考えがあります」
「本当ですか?」
「しかしそれはご飯の後です」
昨日、入信を断られた酒場で飯にする事にした。昨日言った通り、また僕のおごりである。
「おう、夢無き冒険者志望と元冒険者。今日は何の用だ?」
「マスター。ダンジョン豚の塩焼き皿に、山盛り山菜炒め、石食い亀のスープに蜂蜜入り高級フワフワパン。全部三人前。仕事中なのでお酒はいりません、牛乳で」
「あいよ!」
中々ヘビーな注文である。食いきれるかな、持ち帰りとかできるのかな。
「エヴェッタさん。僕、朝多めに食ったので」
「ソーヤは何を食べますか?」
全部お前が食うのかよ! しかも他人の金で。
僕は、お任せで軽い物を注文した。厚いベーコンが二枚と酢漬けの豆がお椀一杯来た。不味くはない。うん、ただ、味付けが単純だ。塩と豚の肉汁、酸っぱいだけの豆。
隣では、満漢全席ばりに料理が並んでエヴェッタさんが端から平らげていた。気持ちの良い食べっぷりである。こっちの世界の女性って、みんなこのくらい食べるのかな。
二人で食事に集中してしばらく。
僕は嫌気がさした豆の味を、もったいないので時々口にしてはうんざりするを繰り返している。味が寂しいので口を動かした。
「そういえば、昨日。猫を拾ったんですよ」
「正気ですかあなた?」
エヴェッタさんは、山菜の器を持ったまま驚愕と言った表情を浮かべた。
「猫、猫、あの目が細くなる猫、ザラザラした舌に、ピンと立った尻尾。全ての魂なきモノを連れ去って行く猫」
食事の手が止まる。
「猫嫌いなんで?」
「はあ?! こう見えても、わたしはそこそこの冒険者だったですが! それが猫くらい! くらい!」
すげー取り乱して見えますけどね。ヤケ食いと料理が見る見る減って行く。
あ、ミスラニカ様の飯を忘れた。
マキナに煮干しの袋でも開けてもらうよう連絡するか、と。眼鏡型デバイスの透過モニターに緊急連絡の表示。マキナ、ではなくイゾラから。
他に聞こえないよう、半身と手で顔を隠し小さく返事をする。
「どうした」
『至急キャンプ地に帰還してください。襲撃を受けました』
街とキャンプ地までの距離は5㎞。
連絡の後、システムがダウンした。マキナもイゾラも連絡が取れない。状況は不透明。エヴェッタさんを利用しようとも思ったが、最悪の展開に巻き込んだ場合を想像して、金と共に酒場に置いてきた。
空は僕の気持ちと同じで暗雲を浮かべている。
到着してからの戦闘も考え、体力を残しながらの全力で駆けた。
キャンプ地を小さく捉えた時点で、伏せて双眼鏡を使う。荒れていた。テントは吹っ飛び、簡易キッチンは散らかり、資材が地面に散らばっている。
コンテナを集めたテントも破壊されており、中が丸見えになっている。伏兵は確認できない。近づく。
AKを構え、銃口と視線をずらさないように移動。上半身は極力動かさない。荒れたキャンプの死角を一つずつ潰して行く。トラップにも注意。爆発物はないだろうが、こっちの毒物にでもやられたら、マキナがいない今、僕は死ぬ。
焦りそうになる呼吸を噛みしめて抑える。シートの下敷きになっているマキナ・ユニットを発見した。ゆっくり、祈りながら、それを捲る。
「………………」
外装に目立った傷はなし、靴跡が土と共に付いているくらい。まずは一安心。
「AIJ006マキナ・オッドアイ、起動しろ」
『………………登録ユーザーの声紋確認。自閉モード解除、システムリカバリー開始。起動、起動、不明なデバイスを確認。システムサポートの対象外です。最新ツールをご利用の場合』
「イゾラ強制起動」
起動を急がせる。
『了解、起動。システム稼働率30%』
一瞬のノイズとディスプレイのチラつきの後、眼鏡のデバイスが復活する。イゾラに負担をかけないよう簡潔な指令を出して行く。
「命令。パルススキャンを開始。生体をレッドポイントで表示しろ」
『パルス起動、スキャン…………反応なし』
パルスの範囲は100m。これで伏兵はないと確認できた。
ひとまずの緊張を解く。
「命令。上空映像をディスプレイに表示。範囲は2㎞で。近づく者があればクローズアップ」
『了解。ドローン自動シークエンス解除、表示開始』
AKを降ろして、マキナ・ユニットを立たせた。あくまで素人目だが水溶脳や機能に異常は見つからない。ただこいつは元から壊れかけだ。何を切っ掛けに臨終するか分かったものではない。
「質問。どれほどの時間で全機能を取り戻せる?」
『不明。現在のシステム稼働率18%機能低下中』
まずいな。
「質問。再起動した場合、どれほどの時間で全機能を取り戻せる?」
『不明』
「質問。何があった?」
『三人組の男に襲撃を受けました。一人にトレーサーを付着させました』
「位置を表示しろ」
『了解』
眼鏡に街の地図と赤点が表示される。それとは関係ないが、視界の隅に何が引きずった後が見え、身を震わせた。
「何を盗られた?」
『武装と医療コンテナです』
流石に絶句した。よりにもよって両方生命線だ。
盗られたコンテナは施錠してあった。鍵が掛かっていたから貴重品とふんだか。
「コンテナの現在地を表示しろ。追跡しているよな?」
『不可能。機能5%まで低下。雨天警報、ドローンに帰還信号を送ります。ソーヤ隊員、身を隠してください。サポート無しで決して無理、な』
電源が落ちた。
画面が切り替わり、再起動の%メーターは1%から動く気配がない。雨が降り出した。思考が止まる。人間、色々在り過ぎると脳がパンクするのだ。
「…………」
僕の再起動は、体感五分くらいで完了した。
ここは危険だ、移動するか? 街で宿を取るか。駄目だ、そっちの方が危険だ。冒険者組合に顔を出してエヴェッタさんを頼るか。もしいなかったら? いや、彼女は本当に信用できるのか? やっぱり街は危険か。考えがまとまらない。
参った。
文明の利器に頼り過ぎた人類の末路だ。身の守り方一つ思い浮かばない。
混乱した頭を落ち着かせようと片付けを始めた。単純作業は割と良い事を思いつかせる。それとも逃避か。
で。
「スキャンに反応なかったものな」
猫の死骸を見つけた。
槍か剣か、腹を突き刺され血を吐いて死んでいた。
逃げれば良いものを。きっと勇敢に戦って死んだのだろう。まあ、そう思い込む。どんな奴でも死んだら多少は美化されるべきだ。
キャンプ地から離れた所に穴を掘って埋めてやった。
適当な木の板を挿してマジックで『ミスラニカ様の墓』と書く。
手を合わせる。
温い甘い雨が背中を濡らした。
昔から、こういう時に何を思えば良いのか、よくわからない。
こんなものだろう。
礼儀は果たした。
次は憂さ晴らしだ。
似合わない眼鏡を外す。残りの弾薬をチェック。敵が三人なら充分、追加があるなら心もとない。神様探しに街を奔走したので、地理は頭に入っている。先の地図の位置も把握済み。
「すまん。マキナ、イゾラ、ちょっと無理をしてくる」
活気と生命に満ちた部分が大きく明るいほど、反して暗い場所は静かに湿って濃く在る。
連中が潜んでいたのはそういう場所だ。
ダンジョンという夢に破れた落伍者が集まる区画。または、それすら目指せなかった半端者が寄り添う場所。スラムというほどひどい物ではないが、そこらの戸口を開ければ何がでるやら。
潜んで、という部分は間違いだ。
連中にそんな繊細な感覚はないらしい。
半地下の建物だ。降りる階段が一つあり、上は倉庫のような建物。横の換気窓から明かりと、金が入って酒でも飲んでいるのだろう。ヘったクソな歌とゲスな笑い声が漏れていた。声の感じでは三人以外いない様子。
意識せず抑えていた怒りが爆発しそうになる。
冷静になる為に、両隣の民家をノックする。右のお宅は子連れの獣人宅だった。訝し気な顔も、金貨一枚で解れる。
「すまない。少し騒がしくする」
「どうぞご自由に」
と返事。
左のお宅は老婆が住んでいた。騒がしくする旨を伝えると、耳が遠くなって来たから気にしないと返事。迷惑代に金貨を一枚握らせる。
さて、僕は冷静だ。これで間違いなく冷静に違いない。
更に金貨一枚を、換気窓から投げ入れた。
それが跳ねる音を待って、階段を駆け降りる、その勢いのまま戸にタックルしてぶち破った。
右に一人、左に二人、倒れ込みながら左の二人にAKを連射。壁と床が血飛沫で汚れる。密室の銃声で耳が鳴る。
ガバメントを抜いて右の男の膝を撃ち抜いた。男はすっ転ぶ、それでも剣を抜こうとする。肘と掌に風穴を空けた。獣のような悲鳴。
銃口を向けたまま、立ち上がり態勢を整える。部屋に置いてあったカンテラを掲げた。狭い部屋だ。粗末なテーブルに転がる酒瓶、椅子、低い天井の梁には鉄鎖とロープが下がっている。他に敵はいない。
「お前には聞きたい事がある」
「ぷっ、ぶははははは!」
ゲラゲラと笑い出す男。撃ち所が悪かったか。頭に二、三発撃ち込んでやろうか。
「お前」
男の顔を照らす。
見覚えがあった。二日前に銃床で顎を砕いた奴だ。確かなら、こんな笑っていられないはず。魔法? そんな手軽に治せるものなのか?
「すげーな異邦の武器ってのは、だけどお前ぇよ。冒険者を舐めすぎ」
「あ?」
背後に気配、衝撃。横殴りに飛ばされて壁に肩をぶつけた。呼気が肺から漏れる。
冗談。
撃たれたはずの男が砕けた椅子を片手に持っていた。あれで殴られたのか? いやまて、アサルトライフルで撃たれてすぐ動けるのか? どういう事だ。
混乱の中、
「おら、こんなもんだ」
男の、穴の空いていた掌が、巻き戻しのような再生を行った。すらりとロングソードが白刃を覗かせる。その光景で、解明はしていないが理解はした。
「ま、死んどけや」
ふざけるな。
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