ツツジと夏の坂道

渡辺ファッキン僚一

第1話

 ギュッと自転車のブレーキを強く握り、眼下の長い坂を見つめる。

 牛が草をはむ牧草地の間にある、200メートルも続く長い長い下り坂。

 最初の150メートルは普通の傾斜だが、残りの50メートルが鬼傾斜だ。

 ……いつ見ても凄ぇな。

 これから自分が何をするつもりなのか考えると、寒気がして、サドルの上のキンタマが深い皺を刻んだ。

 肛門が腹の真ん中辺りまでめり込むような気がする。逆脱肛だ。下手すりゃ、口から肛門が飛び出すぜ!

「こっ、この坂野郎」

 じんわりと汗が滲む。

 自然と荒くなる息を腹の底に押し返す。

 怖いけど、怖くたって、関係ねぇ!

 俺は人間様ッ! 

 それに比べて、こいつはただの坂じゃねぇか! 無機物! しかもタンポポとかに割れ目作られてるし! ぷっ! ぷふっ、プスプスッ! ただのアスファルトって。

 笑える!

 どっちが偉いかって言えばそんなもん、ど~考えたって、こ~考えたって、人間様だ!

 テメーなんかこれっぽっちも凄くねぇ、全然凄くねぇ! だいたいテメーを作ったのは俺達人間様だぜ?

 ……っていうか小道?

 ぷっ、ぷぷ~。ぷすぷす。

 テメーなんざ小道だ! ボケが!

 ガンガンと踵でアスファルトを蹴る。

 格の違いを見せつけたらぁ!

 テメーはただの角度のついたアスファルトじゃねぇか! しかも無駄に長いだけのな!

 言っとくけど、俺は17年間も人間やってんだぜ? あん?

 口喧嘩は苦手だけど、テメーが相手ならゼッテー負けねぇ!

 喋ってみろ、オラッ!

 オメー何年も坂やってのんに喋れねぇじゃん! 恥ずかしい~。

 この時点で俺の勝ちだ!

 …………わかってるよ。

 テメーに口で勝ってもしょうがねぇ、とな。どんなに努力してもテメーが喋れないってことくらい知ってるんだ。キサマの弱みにつけ込むほど俺は卑怯じゃない。

 だからよぉ! オメーには体でわからせてやんよ! どっちが上か、ハッキリわからせてやんよ!

 雌雄を決する! 

 どっちが雄で、どっちが雌かハッキリさせたらぁ、ボケ野郎!

 ……長尾兄弟ッ! 心配すんなッ! 

 ゼッテー心配すんな!

 おまえらのは仇は必ず俺が討つッ! 特に長兄ッ!

 オメーの無念は俺が晴らす!

「うおおおおっ! うおおおお……んっ? ……えっ? おっ?」

 叫ぶ俺の横を、まるで誰もいないみたいに通過しようとする女子がいた。

 おいおい……。

 自分で言うのもなんだが、こんな場所で叫ぶ変な奴の側を何事もないかのように歩くなんて、心臓でかすぎじゃね?

 ……誰かと思えば、甘利ツツジ、だ。

 いつも教室で難しい本を読んでいて、口を開けば難しいことばかり言う嫌な女子。

 長尾の長兄が、あいつ裂編戦争真っ最中に生きてたら「お国の為に立て」とか「奉仕精神を持て」とか、そういうこと言いそうだよなぁ、とつぶやいたのが、クラスの男子に激受け。

 そのせいで男子から陰で、お国や奉仕、というあだ名で呼ばれている。

 それが甘利ツツジ。

 スタスタと坂を下ろうとするツツジを、

「おい」

 と呼び止めてしまった。

 面倒そうに後ろでまとめた長い髪を揺らしてツツジは振り返り、

「なに?」

 冬の海みてぇに冷たい声だった。

 話しかけたのを物凄い勢いで後悔。

 こいつ何様?

 そんな声を出していいと思ってんのかよ!

 冬のスケトウダラ漁で、何人の漁師さんが氷点下の海に落ちて死んでると思ってんだ!

 ツツジは怪訝そうに俺を見やって、

「なによ?」

「用事があんだけどいいか?」

「だからその用事ってなに?」

 なぜに話しかけただけのクラスメイトをそんなに追いつめんだよ! 気の弱い奴だったら、これだけで精神崩壊ものですよ?

「俺を見ててくんない?」

「はぁ?」

 何もそこまで、って誰もが思うレベルまで嫌そうに顔を歪める。こんなに嫌そうな顔の人間、見たことねーッ!

 俺があんな表情するとしたら、牛糞の発酵蔵の掃除を親に命じられた時だけだぜ。

 ……ってことは、

 発酵蔵の掃除と同レベルで俺を見たくないってことか……。

 そう考えると……。

 ふつふつと燃えてきたぜ!

 俺って、こういう相手と話すのが割と好きなんだ。

 新しい発見がありそうで楽しいじゃん。

 いいぜ、いいぜよ、甘利ツツジ!

「なんであんたを見ないといけないの?」

「おう! その理由を今から語るから聞いてくれ! 全力で語るから全力で聞いてくれ!」

「聞いてあげるからいちいち怒鳴らないで」

「よし、聞け!」

 いちいち怒鳴るのは俺の話術だ! 

 相手が引き気味だろうがなんだろうが、こっちのテンションが高ければ高いだけ、必ず何か伝わる。それを信じて、話す!

 ツツジの心が流氷の浮かぶ冷たい海だとしたってだ、同じ人間なんだから、伝わるに決まっとる。

 ほら、裂編戦争の時に正統シビル・ハン国の軍艦が、オホーツク海でガンガン沈められまくった年。斜里や紋別の漁港はカニの大豊漁だったらしいじゃん。

 身もたっぷりで、脂がのっていて、味も最高だったって。

 ……いいもんを食ったからな。

 それと一緒!

 例え俺の言葉がツツジの海に沈んでも、いつかカニの大豊漁となって帰ってくる!

「長尾兄弟の長兄が足を骨折したの知ってるだろ?」

「………」

 ツツジは短い沈黙の後、げっぷした後の羊みたいに、あ~、と言って、

「最近その人が学校に来てないのってそういうことだったんだ」

 だったんだ、って……。

 ……こいつクラスメイトが骨折したことも知らんのか?

 HRで担任が言っただろ?

 そして、教室をどよめきの波が通り抜けただろう?

 一人だけその波を受けなかったわけだ。

 こいつ、クラスメイトとかどうでもいいんだな。

 なかなかやるじゃねぇか、おもしれぇ!

 そういう冷たい女のテンションさえも引っ張り上げてこその俺! 燃えるぜ!

「長尾はこの坂を下る最中に、自転車のブレーキが壊れて転んじまったんだ」

「そう。それでどうして私があんたを見ないといけないわけ?」

 気の短い奴だな! あれか? カルシウム不足か? 妊婦か? あっ、女体伝説で聞き及ぶ、生理中って奴か?

「話を聞けって! それは表向きなんだ……その、長尾のついた嘘なんだ。本当はブレーキなんて壊れてない」

「長尾くんがそう言ったの?」

「違う。あいつの見舞いには一度も行ってないから、本当のことは知らんッ! だけど俺にはあいつが嘘をついたってわかるんだ」

「……どうしてわかるの?」

「長尾兄弟は兄弟同士でこの坂をブレーキかけずに走り抜ける、という対決をしてたんだ。長兄も次兄も失敗だ。みんな途中でこけた」

「へー」

 ひどく興味を失ったような平坦な声。

「それでも! それでも長尾兄弟は挑戦し続けた! 転んでも転んでも果敢にチャレンジし続けた! だけど、俺はそんなバカらしいことに参加せず、次々と長尾兄弟が転げるのを爆笑しながら見てたんだ」

「あっそ」

「次兄が最初にチャレンジした時の転げ方はマジ爆笑だったぜ。牧草地まですっ飛んで顔面から牛糞に突っ込んでんの」

「へー……」

「あの常にゲリ便な、鉄板の上に広げたばかりのお好み焼きみたいな牛糞にだぜ? おもむろに顔をあげた次兄が、ふんっ、と、鼻に入った牛糞を噴き出した時の神々しい事といったらなかった。激バカ格好良かったぜ」

「まだそういう話が続くんだったら私、帰りたいんだけど」

 帰るなよ! ってか笑えよ! 爆笑してよ、ツツジさん!

 牛糞オンザ顔だぜ? 奇跡的におもしろいじゃん! 神がかってんじゃん!

「長尾兄弟のチャレンジは長兄の骨折によって幕を閉じたんだ。だから、次は俺なんだ。いつも笑って何もしなかった俺が、ノーブレーキ下りに挑戦しないといけない番なんだ」

「はぁ?」

「長尾の長兄が嘘をついたのは、俺へのチャレンジしろっていうメッセージに決まってんだよ。だから俺はやつの志を継いでこの坂を下らないと! 高校最後の夏休みを前に長尾は骨折したんだぜ? いろんなことができねぇんだぜ! 山もプールもダメだ! この坂を俺が打ち破ってやんなきゃ救われねぇ。だから、あいつの見舞いに行くのはこの坂に勝ってからだ」

 俺はズバッとツツジを指さし、

「坂と俺の世紀の大勝負を見届けて欲しいッ! だってほら、俺だけが本当のことを知っててもしょうがないだろ。嘘だと思われるかもしれないしさ。その点、おまえは真面目だからみんな信用するに違いない」

 ツツジは微かに目尻を上げ、軽蔑を隠さずに、

「そもそもどうしてそんなくだらないこと始めたの?」

「それは……。……その……アレだ」

 ………。

 ……なんだっけ?

 コーラの一気飲みで遅かった奴の罰ゲームが、最初のきっかけだったかな……。

 ……我ながらほれぼれするほどくだらねぇ。

 ……とてもツツジには言えない。

「理由なんか、もうどうでもいいんだよ! 始めちまった勝負だ! やるしかねぇんだよ! 坂と人類の勝負なんだ。人類代表として負けるわけにいくめぇよ!」

 ツツジは、はぁ、と呆れたようにため息をつく。

 これだけ俺が熱く語ったのに、微塵も心を揺さぶられなかったご様子。

 予想以上に鉄の女だな、コイツ。

 冬の海で鉄なのか……。氷点下の鉄って肌にくっつくからな。さわったら肌がべりべりになって大変そうだ。こいつにさわる時はちゃんと手袋しねぇとな。

 ツツジは大きな目で、俺を真っ直ぐに見つめて、

「高校生にもなってどうして小学生みたいなことするわけ?」

「……うっ、うるせぇ! やると決めたことをやるのに小学生も高校生も関係ねぇ! あるわけねぇ!」

「うるさいから、怒鳴るの止めてくれない? ……私からも質問していい?」

「おっ、おう! しろ! ケメンッ!」

「光文二年の、陛下のやめなさい発言で、極右も極左も壊滅に近いくらい自主的に活動を停止したけど、そこまで極端な反応をする必要があったと思う?」

「……えっ?」

「何かあれば、日本だって裂編の波に巻き込まれたかもしれない。だからって、極端な思想を根こそぎなくしちゃってよかったのかしら? どう思う?」

「……そっ、そうだな。……あれはだな」

 うわっ! 政治の話だ。

 そっ、そりゃ、俺だって政治について、思う所がまったくない、ってわけじゃない。でもなぜ急にこのタイミングで聞く?

「どうなの? どう思うの? 陛下のやめなさい発言くらい知ってるでしょう?」

 真面目に答えなかったら絶対に許さない、と目が語っていた。

 さすがお国だぜ!

 ったく、よくわかんねぇけど期待を裏切らねぇ女だ。

「そっ、そうだな……」

「別に何も意見がないんだったらそれでもいいわ」

 再び軽蔑を隠さずにツツジは言った。

 心底、俺のことバカにしてんだろうな~。

「意見はあるぜ。俺は陛下が言ってくれてよかったと思うぜ。極端な奴らが大活躍するといろいろ面倒だろ? 俺ん家は酪農だからな。爺ちゃんから聞いたんだけど昔は牛乳の産出量制限とか、そういうのが無茶苦茶あったりして大変だったらしいぜ。やっぱり政治が混乱すると、こっちも混乱しちゃうんだよ。陛下のおかげで安定したんだから、ありがとう、だろ」

「ふ~ん。でも政治が混乱して戦時体制になった方が、たくさん牛乳、売れるんじゃないの? 作っただけ国が買い取ってくれるんでしょう?」

「別に変わんねぇって。牛は生き物だぞ。買ってあげます、って言われたって牛の数は急に増やせないし、一頭から搾れる乳の量を増やすことだってできねぇんだよ。それに増やしたら人を雇わなきゃいけないだろ? 新しい働き手のために家を建てなきゃなんねぇし。したら赤字だ」

「そういうものなの?」

「そういうもんだ。酪農家の経営は結構、微妙なバランスだぜ?」

 ツツジの家って、灯油の小売店だから、こういうことは知らなくても無理ないか。

 この土地じゃ冬場に灯油がなかったら死に直結するから、相場に合わせて値を上げ下げしても売り上げは一定なはず。

 農家の苦労とかあんま知らなそうだ。

 まぁ、俺達の知らない苦労は沢山あるんだろうけど。っていうか、そういう問題じゃなくて、そもそもツツジは俺達のことなんかに興味ないみてぇだし。

「じゃ、リトアニアの新農本主義についてはどう思うの? 裂編後に一番、躍進した国よ。日本も見習うべきじゃないかしら?」

「あ~、あれな~」

 今週の農協新聞に載ってたな。

 牛の乳がガンガン出るっていう魔法の薬な。

「よく知らないけど、家畜に薬物を使うんだろ?」

「薬物って言っても自然のものよ。漢方薬みたいなものだわ」

「だとしても、何年間か様子を見ないと、ウチの牛には使いたくないなぁ」

「……品質が不安だから?」

「それもあるけどざ、一頭あたりの搾乳量が増えるってことは、それだけ牛に負担をかけるってことだろ? 今でも結構、牛に無理させてんじゃねぇかって、俺は思うんだ。無理させすぎたら、むしろ損するかもしれないからな」

「ふ~ん、そうかもね。リトアニアの大躍進は始まったばかりだから、まだ様子を見る必要があるかもしれないわね」

 ツツジは短い沈黙の後に、意味不明の笑みを浮かべ、

「あなたは政治の話を全部、自分の家のことに結びつけて考えるのね」

「んだよ、ダメか?」

「ダメじゃないわ。政治って身近なものだったんだ、って驚いたの」

「んじゃ、おまえにとってはどういうものなんだよ?」

「……そうね。なんかこうもっと遠くにあって、ふわふわした感じよ」

 ……ふわふわ、かぁ。

 政治に対してそんな可愛らしい表現はどうなんだろう? でもいいよな、ふわふわ! 楽しそう!

 微笑んでいたツツジは、キッ、と元のキツイ顔に戻ると、

「そういうことちゃんと考えられるのに、どうしてブレーキをかけずに坂を下るなんて、バカみたいなことするわけ? 危ないし、意味ないじゃない」

「意味があるとか、ないとかじゃねぇんだ、オラッ!」

「じゃ、何よ?」

「やんなきゃなんねぇことなんだ!」

「だからどうしてよ?」

「どうしてかっていうと……。こいつをやんなきゃ……。っていうかやりたいんだ! それが勉強とかスポーツだったりする奴もいるだろうけどさ……俺にとってはこの坂なんだ! 俺の夏の甲子園だッ!」

 ツツジは難しそうに顔をしかめて、

「こんなものと、狂った努力をする球児を比べるのって、どうなのかしら?」

「同じだよ。あいつらだって全員プロになるわけじゃないだろ。やりたいからやってんだろ? だったら一緒だろ。こいつに成功したら、俺の高校最後の夏は終わってもいい! っていうか、終われ、俺の夏ッ!」

 くだらんことは重々承知。

 だけどもうガッチリとスイッチが入ったんだ。

 逃げ出すわにはいかねぇぜ。

 背中を見せたら殺られるぜ。 

「もうちょっと大人になったら?」

「終わったら大人になってもいい。だけど、こいつをやらないと、長尾兄弟のチャレンジを見て、爆笑しただけの俺になっちまう。そんなもん目覚めが悪くて大人になれねぇよ」

 ツツジは怖ろしいほど真剣に頷いて、

「わかったわ」

「わかったか!」

「あなたにとっての通過儀礼なわけね。それにはバンジージャンプとか刺青とか割礼とか、苦痛が伴うものが多いって読んだことある。どれだけ文明が進んでも人間は変わらないってことね」

 ………。

 ……いや、それはどうなんだろう?

 そんなたいした話じゃないと思うが……。

 まぁ、よし!

 冷たいツツジの心にも俺の魂の叫びが届いたってことだ!

 ツツジの海に俺の名を刻んだ大漁旗がたなびいた!

「それって工具箱?」

「ん? ああっ、そうだ」

 俺は自転車に工具箱を付けていた。

 自転車屋なんか三十キロくらい向こうにしかないから、いつ故障してもいいように携帯しているのだ。

 二百円でパンク修理も請け負っている。

「開けるわよ」

俺が返事をする前にツツジは工具箱を開けて、ニッパーを取り出すと、何のためらいもなく、自転車のブレーキワイヤーをパチン、パチン、と切断した。

「なっ、なにすんだよ!」

 ツツジは器用に手のひらの中でニッパーをくるんと回して、

「ブレーキを使ったかどうか、見るだけじゃわかんないから。これならその心配もないでしょ?」

「それはそうだが……」

 無茶苦茶なことをしやがったな。

 学校じゃ静かなくせに、本当は行動的な奴なのか?

 ツツジは、ばっ、と大きく足を広げて、荷台にまたがり、牛にするみたいに、俺の背中をパンパン叩く。

「ほら、行きなさい」

「勝手にしきってんじゃねぇ! っていうかなんで後ろに乗ったんだ?」

「一番、近い場所で見届けてあげるのよ」

「二人乗りだと転ぶ可能性が高くなるって! 転んで怪我してもいいのかよ?」

「いいわよ」

「バカか! 顔に傷ついたらどうすんだ!」

「だ~から、いいのよ、別に。この顔、子供っぽいから好きじゃないの」

 確かに高校生にしては童顔かもしれんが……。

「そういう問題じゃないだろ!」

「いいの。顔に傷のあるなしで好きになったり嫌いになったりする男なんか、少しも興味ないから。そう考えたら、ないよりあった方がいいのかも? それにちょっとは大人っぽく見えるかもしれないわね」

 顔に傷があったら大人っぽいって、発想が完全に男子小学生じゃねぇか。こんな奴に大人になれと言われたのかよ!

「……でもいろいろまずいだろ?」

「なに?! もしかしてあんな大げさなこと言っておいて転ぶつもりなの?」

「転ぶつもりなんか微塵もねぇ、ボケッ!」

「長尾兄弟の挑戦を見ていただけなのが引け目なんでしょう? だったら私を乗せるくらいのハンデがあるべきよ。同じ条件だと同じことしただけになってしまうわ」

 どういう理屈だ、それ!

「わかったら、とっとと行きなさいよ」

 ぱんぱん、と再び俺の背中を叩く。

「おまえ、なんで急にそんなノリノリなんだよ」

「ノリノリなんかじゃない! ちゃんと見届けてあげようと思っただけじゃない。感謝しなさいよ! ……それに」

「……それに?」

「い、いいじゃないどうでも。さあ、行きなさい!」

「どうなっても知らねぇぞ?」

「顔の皮が全部めくれたって文句言わない」

 それはさすがに文句を言っていいと思うぜ。

「でも、いくら急な坂道っていっても舗装道路でしょ? 砂利道で転ぶならわかるけど、何回やっても転ぶなんてことある?」

「おまえこの道をちゃんと観察したことないな?」

「あるわけないじゃない」

「最後の傾斜が急になる部分が、ガタガタボコボコなんだよ」

「どして?」

「軍用車って冬場にスタッドレスタイヤじゃなくて、スパイクタイヤなんだ。ここ軍の演習場が近いから、軍用車がよく通るからな」

「……スタッドレス? スパイク?」

「スタッドレスは雪道でもすべらんように作ったゴムだけのタイヤ。冬になったらタイヤを付け替えるだろ。あれがスタッドレス。スパイクタイヤはもっと雪道ですべらないように、金具をつけたタイヤ」

「ふ~ん」

 こいつ、冬に自動車のタイヤの付け替えを手伝ったりしないのか?

 ……女の子ってそういうことさせられないのかもな。

「冬場なら雪が降ってようがなかろうが、軍用車はずっとスパイクタイヤを付けっぱ。急に雪が降ったら困るし、急に戦争始まったら困るだろ? その金具がアスファルトを削りまくって、道路がガタガタになるんだ」

「ふ~ん、でもどうしてあそこだけなの? 道路全体がガタガタじゃないとおかしいじゃない」

「さてはおまえこの道を観察したことないな?」

「ないって言ってるでしょ!」

「あそこの道路沿いに防雪壁があるだろ」

「あの銀色のアルミっぽい長い板?」

「そう。風で雪が移動するのを防ぐんだ。あまりにも坂が急だから、

雪で自動車がスリップするのを防ごう、ってわけだろうな」

「もうわかったわ。あそこだけ雪が積もらないから、スパイクタイヤに削られてガタガタになったわけね」

 自慢げに言うけど、ほとんど最後まで俺が説明した後じゃねぇか。

「デコボコということは、あそこで転んだらダメージはひどそうね」

「おろしがねでガリガリやるようなもんだからな」

「……おもしろいわね」

「おもしろいか?」

 ツツジは俺みたいなことを言った。

「おもしろいわ。だっておろしがねで削られたことないもの」

 あるわけねぇだろ!

「初めての経験ってわくわくするわ」

 ……ったく。

 なかなかよくわかんねぇ熱い魂を持ってるじゃねぇか!

「おまえっておもしろい奴だったんだな」

「……おもしろい?」

「そんなふざけたこと言う女子がいると思わなかったぜ」

「……そうね。私はおもしろいかもしれないわね」

 ツツジはなぜか力なく口を噤んでから、

「もうお喋りはいいでしょう。早く行きなさい!」

 バンバン俺の背中を叩く。

「ちょっと黙っててくれ。精神統一をすっから。必要だろ、そういうの」

「わかったわ」

 俺は改めて坂道を見つめる。

 やっぱりとんでもない鬼坂だ。

 さすが長尾兄弟の挑戦をことごとく阻んだだけある。

 ……おっかねぇ。

 こんな所、二人乗りで突破できるわけがねぇ。二人ともすり下ろされて終わりだが……。

 だが、だが、しかし!

 おもしれぇことになったんだ!

 どんな結末になろうがおもしれぇことはやるしかねぇ!

 だって!

 だって!

 おもしれぇんだからな! 

 後悔はしねぇぜ!

 始まれ、俺の夏ッ! そして坂の下で終われッ!

 全身を駆け巡った緊張が、ぐぐっ、と顔面に集中する。

「うおおおおっ!」

 そいつを口から一気に吐き出す。

「おい、俺の腰を掴め」

「えっ? 荷台の後ろを掴むからいいわよ」

「……俺がエロいこと考えたと想像したな?」

「してない!」

「おまえがうっかり体重を移動させちゃった時に、自転車の後ろに直接かかるより、俺の体に来た方が運転しやすいんだよ」

「……わかったわよ」

 ツツジはためらいがちに後ろから俺の腹に手を回した。

 よ~し、やるぞ!

 やってやるぞ!

「行くぞ!」

「行きなさいッ!」

 ぐっ、とペダルを一度だけ回す。

 坂に引っ張られるような、ぐわん、とした感覚。

 後は自由落下だ。

「な~んだ、たいしたことないじゃない」

「本番はまだ始まってもいねぇぜ、お嬢ちゃん!」

 ジャーと音をたてて車輪がレシプロ機のプロペラみたいに回る。

 空気がどんどん体に当たる。

 加速。加速。加速。

 まだだ。

 まだ最初の普通の傾斜! これからもっと速くなる。

 ハンドルを握る手が急激に汗ばむ。

 くっ、くうっ。

 うううっ!

 うおおおおおっ!

 速ぇ!

 森田先輩の運転する鬼改造の古いシルビアで、200キロを出された時も相当に速いと思ったが、体感速度はこっちの方が上。

「…こ………いぃ……わ……こ……ぃ…」

 か細いつぶやきが後ろから微かに聞こえる。

「えっ? なんて?」

「……こっ、こわい」

「おっ、おまえ! 今になって……」

「……こっ、こっ、こわい、こわい!」

 ブレーキのワイヤーを切った勢いはどうしたんだよ!

「だったら目をつぶってろ!」

 悪いが気遣う余裕はない。

 走ることだけに集中しないと、転ぶ。間違いなく転ぶ。

 風の音がどんどん大きくなる。

 っていうか風を切る音しか聞こえない。

 ……いよいよ!

 いよいよだ!

 長尾三兄弟を喰らった、魔のデコボコ鬼傾斜!

 マッハの世界だ。衝撃の瞬間だぜ!

 俺は……行くぜ! 俺は行くぜ! 俺は行くぜ! 俺は行くぜ!

 って、んな決意をかためなくても行くしか……うわぁおおっ?

「キャッ!」

「うっ、うおおおっ!」

ガタンッといきなり来た。

「キャッ!」

「うっ、くっ、くあっ!」

遠くを遠くを見る! 先を見る!

 近くを見てデコボコに対処したらハンドルを切りすぎて転ぶ。

 ハンドルじゃなくて、体で、体重で、デコボコをやり過ごす!

視界が上下に小刻みに揺れる!

「うっ、うっ、うおおおおおっ!」

「ギャーーーーーーッ!」

 ペダルに力を入れて足を踏ん張る。

 おっ、おっ、おおおおおっ!

 ガタン、ガタン、ガタンッ!

 揺れる!

 尻と腕と足が揺れにあわせて小刻みに動く。

 それでなんとか揺れを殺す。

 キンタマがキューキューなって、心臓まで入ってきそうだ。

 なっ、長尾ぉぉぉぉおおぉおお!

 俺は、俺は、負けねぇぜ!

「おっ、おおおおおぉっ!」

「ぎっ、ギャーーーーッ!」

 ガキャン! と嫌な音をたてて、凸に乗り上げた前タイヤが、びんっ、と跳ね上がりバランスが崩れる。

「くあっ!」

 ハンドルを右にひねるが、立て直せない!

 だっ、ダメか?!

 ダメか!

「きやああぁぁぁぁあああぁあ!」

 せめて転ぶ時はツツジの下敷きになろうと、振り返った瞬間、

 ガンッ!

 ツツジが横のガードレールを蹴った。

 その衝撃で奇跡的にバランスが戻る。

「おっ、おおおっ!」

「きゃああああっ!」

 猛スピード。

 風景がどんどん後ろにすっ飛んで、音速、光速!

 寿命が縮む、一気に老ける。

 夏を風景と一緒に後ろに放り捨てて、坂。

 ぶおんっ、と駆け抜ける。

 うおおおおっ!

 うおおおおっ!

 抜けた! 抜けた! 抜けた! 行った!

 最後まで行った!

「行った! 行った! 行ったぞ!」

「なに? なに? 行ったって、あっ……天国?」

「死んでねぇって! 坂を最後まで行ったぞ!」

「えっ? あっ! 本当? ……本当だ!」

「わははははは!」

「あははははは!」

「わははははは!」

「凄い! 凄いじゃない! やった! 凄い! うわあ! 凄い、おめでとう! 凄い!」

「わははははは、凄い凄いな! おい!」

「うん! 凄い凄い! すんごく、凄い!」

 ツツジがハイテンションで喋り始めた途端、背中の真ん中辺りがやけに、スースーした。 下っている最中、

 ずっとそこにツツジが顔を押しつけたせいだ思う。

 汗か唾液か涙か知らないが、濡れてます。

 ……相当に怖がりだな、コイツ。

「うわ~、凄い怖かったぁ!」

「だな。怖かったなぁ。わははは! おまえのおかげだよ!」

「えっ? 私の?」

「転びそうになった時、ガードレールを蹴って、バランスを戻しただろ?」

「えっ? 私、そんなことした?」

「覚えてないのか?」

「全然覚えてない。無我夢中だったからそんなことできたのかも。あはははっ、だとしたら私って……。あー、あっ!!」

 ツツジは急に大きな声で叫んだ。

「どっ、どうした?」

「吊り橋理論って知ってる?」

「知らんが?」

「危険な状況を共にくぐり抜けた男女は、恋愛関係になりやすいって理論よ。……あれって本当なんだ」

「えっ?!」

 さっきまでと違う感じで心臓が跳ねた。

「それってどういう……」

「私、あなたのこと好きだなって思った。そっちはどう?」

「どっ! どどどど、どうって聞かれてもな……」

 いっ、いきなりなんて事を聞くんだ、コイツは!

 おまえがおっかねぇよ!

「あっ、心配しないで。どうせ一時期的な感情だから。それに私はあなたと付き合えないと思う」

「なんでだよ?」

「セックスを……」

「うっ、おおおっ? おっ?!」

「キャッ!」

 驚いてハンドル操作を誤ってしまった。

 坂をうまく降ったとはいえ、まだかなりのスピードを保ったままだ。なんせブレーキを破壊されたからな、この自転車。

 自然に減速するのを待つしかない。

 なんとかバランスを保つ。

「ちょ、ちょっとそんなに動揺しないでよ!」

「いきなりセックスとか言うからだろうが!」

「そのくらいであんなに驚かないでよ!」

 いや、でも女子の口からセックスなんて言葉を聞いたの、生まれて初めてかもしれないぞ? 

 びびるって普通!

「で……セックスがどうしたんだ」

「私、付き合うなら、この人とセックスできそうだなぁ、と思う人にするって決めてるの」

「なんだそりゃ」

「今までそういう人に会ったことないのよね。勿論、あなたもふくめてね。だから私につきまとわれるかもって心配しなくていいわ」

「そっ、そうか……でも、凄い決め方だな、それ?」

「そう? だって付き合ったら絶対にしなきゃいけないんでしょ?私は誰ともそういうことしたいと思わないから。ってことは、したくないことをしないといけないわけでしょ? だったらそれを一番に考えるのって普通じゃないかしら?」

「……う~ん。なんか間違ってる気がするけど……。よくわかんねぇや!」

 ね? わかんねぇ!

「でもあなたを好きだって思ったのは本当よ? 私が人間に向かって好きだなんて言うのは……いつ以来かな? ……ん~。……初めてかも!」

「それは光栄だぜ!」

 人生最大のモテだ!

「そう思っていただけるなら私も嬉しいわ!」

 ツツジの声が弾む。

「あはははは、男子の体って臭くて汚い気がして、叩く以外でさわるの嫌だったけど、好きな相手ならそんなに抵抗ないわね」

「あ~そりゃ、ますます光栄だぜ!」

「どうもどうもどうも~あはははは」

 笑いながら、がんがんと俺の背中に頭突きをする。

 よくわかんねぇけど、ツツジのテンションが、極限近くまで上がっているってよくわかった。

「で、これからどうするの?」

「これからって……別に。無事に長尾の長兄の仇は討ったからな。明日、見舞いに行くよ。あの坂がただの坂でしかねぇことを証明したって報告するよ」

「そうじゃなくて、一、二時間範囲内のこれからよ」

「ん~、あっ、おまえん家、こっちだよな。このまま家まで送ってや……うおおっ?!」

 急にツツジは悲鳴を上げて、体重を牧草地側に傾けた。

 完全に気が緩んでいた。

 咄嗟にハンドルを回すが、もう戻りようがない。

前輪が草を巻き上げ、ガシャン!

「うおおっ?」

「きゃああぁ!」

 二人そろって牧草地に放り出された。

「うぐっ」

 背中を打ち付ける。

 うおお~、びっくりしたぁ。

 下が牧草地でよかった。

 どこにも怪我はないし、牛糞もない。

 俺は起きて近くに倒れたツツジに走り寄る。

「おい、大丈夫か?」

「うん、平気」

 ツツジは大の字に倒れたまま頷く。

「どうしてあんなことしたんだ? 蜂にでも刺されたか?」

「だって家まで送るなんて言うから」

「はぁ?」

「あのままだったら家に送ったんでしょ? 私はもう少し話をしたかったのに……そんなこと言うから……。こういうことになったわけよ。こういうことにね」

「おまえなぁ……」

 ブレーキのことといい、今のことといい、行動的すぎるだろ。

「口で言えよ!」

 ツツジはだらしなく弛緩した顔で、えへへ、と笑うと、

「その……そういうのも、もどかしくって。もう話し合う時間ももったいない気がしちゃって、実力行使あるのみ! と瞬間的に思い詰めちゃったのよ」

「本当、無茶苦茶だぞ、おまえ」

「そうだね。……こんなことできるんだなぁ、私。こんな自分、知らなかったよ」

 ツツジはへらへら笑顔で空を仰ぐ。

「私ね」

「うん?」

「恥ずかしいから言わないでおこうかと思ったんだけど、黙ってるのも卑怯な気がするから、言うけど」

「おう、言ってくれ」

「いろいろ悩んでて。……それがもう面倒で、自分でもどうしたらいいかわかんなくて、それで強い力に巻き込まれて、どうにかなっちゃえばいいのに、私なんか台風に巻き込まれて、飛んでっちゃえばいいのにって、最近、ずっとそう思ってた」

「ここまで来る台風って、日本列島をほぼ横断した後だから、かなり勢力弱まってるよな」

「飛ばしてくれそうにないよね」

「だな」

「だからさ、台風の代わりに、あなたを使ったの。な~んか熱くて無茶苦茶なことを言ってたから、あー、この人は台風だなって、気づいて。それなら、いいや、って。この人になら何されてもいいや、って」

「あ~、それって坂を降りる前に言い淀んでたことか?」

「うん」

 俺って台風か……。格好いいな、俺! 

 人生で一番、格好いい瞬間かも! 惚れるぜ、俺!

「で、どうだった?」

「こわくて、楽しくて、頭がスッキリした。何年も溜まっていたモヤモヤが吹っ飛んじゃったみたい。頭がとってもくっきり! こんなの何年かぶりかも」

「そらよかったな」

「そっちどうなの? 成功したから大人になったんでしょう?」

「うん? ああ、だな~。まぁ、テンションは上がって、気持ちはいいけど、……わかんねぇな」

 ツツジはいやに確信ありげに頷き、

「きっと、後になればわかるわ」

「そうかもな」

 坂を下ったから大人になったって言われても正直困る。

 自分が言い出したことではあるが……。

 だけど、まぁ、な~んか、変わったかもな。

「とにかく充実した気持ちだぜ!」

 よっしゃ、俺の高校生活最後の夏は終了!

 終わってヨシッ!

 秋になれ! 鮭よ、川を上がっていいぞ!

 ヒグマとリスは冬眠してヨシッ!

「うおおぉおお!」

俺は両手を広げて叫びながら、ツツジの横に ドサッと倒れた。

 青い、空。

 あー、牧草地で寝っ転がるなんて小学以来かもな。

 そうそう、草がちくちくして、意外と気持ちいいもんじゃないんだよな。

「ねぇ、田舎の空は澄んでいて、都会の空は淀んでるって言うけど本当だと思う?」

「さぁ、知らなけど……気持ちの問題じゃね?」

 公害規制とか結構、厳しいはずだから、そんなに空が汚れてるとは思えん。

「私、その空を見て来ようかと思う」

「ん? どういうことだ? 旅行?」

「違う。進学」

「あ~、おまえ頭いいもんな。札幌?」

「違う。もっと遠くの都会」

「東京? 大阪? 京都?」

札幌をさけて、より上の大学に行くんだったら、だいたいそんな所だろう。

「違う、皇都の大学」

「なんで皇都なんだよ?」

「あそこの国立大学って結構、レベルが高いんだよ。知らない? 全国の国立で五位以内に入るんだから、裂編以降の新設校じゃ断トツのNO1よ。校舎が新しくて、施設も充実しているから、悪い選択じゃないと思うわ」

「でもおまえならもっと上を目指せるんじゃないの?」

「議事堂も省庁のビルも政党ビルも皇居も、み~んなあそこにあるじゃない。政治をやる場所の近くにいてみたいの」

「ふ~ん」

 な~んか、よくわかんねぇな。

 っていうかツツジは政治が好きなんだなぁ。

「裂編戦争が終わってから二十年もたつよね?」

「あ~、うん」

 ほぼ五年の間に、国が潰れたり新しく出来たり、国境線をぐちゃぐちゃ書き換えたり、という、世界中で同時に起きた国土の再編運動を総称して裂編戦争と呼ぶ。

 国の数が倍くらい増えて、ほとんどの国の国名が変わった。

 爺ちゃん達と話をすると、アメリカとかロシアとか中国とか、もうなくなった国の名前がぽんぽん出てくるのでややこしい。

 あんなドでかい北アメリカ大陸に二つしか国がなかったなんて、

なんつーか、信じられん話だ。

 ……まぁ、俺にとってはその程度のもんだが、どうもツツジにとっては、その程度じゃないらしい。

「もう二十年もたつのに、裂編難民がまだいるんだよ。私達はこ~んなに平和なのに、同じ世界に難民がいるのが不思議で、申し訳ないような……そういう気持ちになる。私達ばっかり平和でいいのかなって……。そういうこと考えたことない?」

「……俺はそういうこと考えない」

「どうして考えないの?」

「俺は酪農家の跡取り息子だぜ? 戦争しようが平和だろうが、みんな牛乳飲むし、チーズ食うし、バターでジャガイモ食うだろ」

「……うん。そうね。牛乳は必要だわ」

 やけに真面目にツツジは頷いた。

 コイツ、牛乳好きなんかな?

「だろ? 嵐が吹こうが雪が降ろうが銃弾の雨が降ろうが、俺は牛乳を作る。難民がいようと、いなかろうと、だ。世界中が戦争しようと、UFOが攻めてこようと、だ。世界が混乱の渦にあろうと、平和の海に漂っていようと、牛乳を作る奴は必要だろ?」

「……うん」

「だから俺は牛乳を作るんだぜ!」

「そういう風に自分を規定したのね」

「んっ? なに? きてい?」

「うらやましいってことよ」

 ツツジはゴロンゴロン転がって近づき、

「痛ッ」

 ぺしっ、と唐突に俺の額を叩いた。

「なにすんだよ!」

 ツツジはさらにぺしぺしと俺の頭や額や頬を軽く叩いて、

 にしし、と笑って、

「人間の体ってこういう風になってんだ。私、両親と手をつなぐのも嫌がる子供だったから、人間の体にほとんどさわったことないんだ。ほっぺは柔らかいのに、額は硬いね~」

「硬いんだよ!」

 別のとこさわったらアソコも硬くなるぜ!

 って言おうかと思ったけど、ツツジは女子なので止めておく。男子じゃないからな。

「は~、知らなかったなぁ。人間の体にさわるのっておもしろいんだね」

 おまえ、それ意味深すぎるだろう。深い意味なんかないんだろうけど、下手すりゃ、勘違いされて大変なことになるぜ?

 俺はツツジの手を払いのけ、

「で、なにがうらやましいんだ?」

「自分が何をするのかハッキリわかってるんだもん。私はなんか、もやもやもやもやして……ダメね。だけど! 坂を降ってバーンと弾けたから、だから、私も決めた!」

「おっ? 何をだ?」

「難民の人達の役立つことをしようって! ほら、こまごまとした支援や募金なんて意味ないのよ。だって二十年も続けて成果なんてほとんどないじゃない。どこか根本的に間違ってるのよ。ってことは政治が間違っているってことよね? だから、私は政治をする!」

 ……そういうのって、する、って言ってできるもんなのか?

 よくわかんねぇけど、いいじゃねぇか!

「おもしれぇ! 応援してやるよぜ!」

「ありがとう! するぞー! 私、するぞー!」

 わははははっ、本当におもしれぇ奴だな。

 歌手になりたいとか、作家になりたいとか、そういうこと言う奴はいくらでもいるけど、政治をやりたいって叫ぶ女子高生ってあんまいねぇよな。

「ねぇ、あなたモテないでしょう?」

「……ッ! ……ったり前じゃねぇか! モテるヒマなんかねぇんだよ! おまえだってモテないだろ?」

「当たり前じゃない」

 ツツジの場合は単純に、近づきがたい雰囲気を発散してるせいだと思うけどな。

 あ、もしかして俺もか?

 俺も女子が近づきづらい雰囲気を発散してんのかな?

「だったらちょうどいいわ。私、がんばって全力で政治するけど、挫折したらお嫁にもらってよ。その時は私も牛乳作る」

「はぁ?」

「保険よ、保険! 保険があるから全力で闘えるし、無茶もできるんじゃない。安心感があるから無鉄砲に走れるんじゃない。鉄砲玉だってそうよ!」

「鉄砲玉?」

「組織の後ろ盾ナシでチャカをハジく鉄砲玉はいないわ。フンドシを持ってくれるって安心感があるからハジくのよ」

 ……女子高生の言う例えか、それ。

「あなただってモテないんだから、いろいろやってダメでも私がいるって保険があれば安心。ほら、お互いに得よ!」

「得っておまえなぁ」

「まぁ……あんまり待たせるのもアレだから、三十歳くらいまで待っててよ。それまでに私が挫折しなかったら、後は好きにしていいから。私も三十歳までは結婚しないでおいてあげる」

「……あげるって」

 なんちゅう押しつけがましい言い方だ。

「おまえ俺とはセックスできないんじゃなかったのか?」

「その時はあなたで妥協するわ」

「妥協かよ!」

「なに? 私じゃ不満ってわけ?  してあげるって言ってるのに!」

「わーったって! 本当におまえは俺が思ってたより千倍は滅茶苦茶な女だな! いいよ、保険な、保険」

「やったねー、あはははは」

 何がそんなにおかしいのか、

 ツツジは両手両足をバタバタさせて笑う。

 ぶちぶちと牧草を千切って、紙吹雪みたいに放り投げる。

 こいつ!

 こいつはおもしれぇ女だな!

 俺は身を起こして、ぺちっとツツジの額を叩いた。

「痛ッ、なっ、何をするのよ?!」

「そういや俺も女子の体にさわったことないなぁ、と思ってよ」

 ツツジは起きあがって両手を胸の前で組み、

「えっ、エッチ!」

「えっ、エッチィだと?!」

 おっ、おまえ、人の頭と顔面をあんだけ好き勝手に、叩きまくっておいて、逆襲されたらそんな反応かよ!

「女の子に勝手にさわったらダメよ。それに女子の体って言い方がエッチなのよ」

 ぺちっ、と俺の額を叩く。俺はぺちっと叩き返して、

「男女差別すんな!」

 ツツジは、大きく口を開けて、あはははは、と笑いながら、ぺちぺちぺちぺち、と両手で俺の額を連続で叩いた。

「まっ、負けねぇぞ! わはははっ!」

 俺も両手でツツジの額をぺちぺちぺちぺち。

 ツツジと俺の笑い声がどんどん空に溶けて、それで、高校最後の夏の終わり。

 夏休みが始まる前に終わった、充実して、一生忘れない、夏の最後。


 ……で、俺とツツジはそれからよく話すようになって、でも初めて手をつないで歩いたのは、ツツジが皇都に行く前日で……まぁ、そういう仲だった。

 次の年の春。

 俺は予定通りに実家で働き、ツツジは国立皇都大学にきっちりと入学した。

 時々、手紙は来たけど、ツツジはこっちに帰ってこなかった。

 ツツジの姿はテレビや新聞で、年に一回くらいのペースで見た。

 最初は学生を主体とした難民支援団体の広報担当として、各テレビ局の難民支援番組に飛び入り参加。

 その後、国際統一機構の設立反対デモの主催者として。

 さらにその後は再裂編支援組織の一員として……。

 そして、さらに時が過ぎた時、ツツジは犯罪者になっていた。



 ……ランボルギーニの500馬力のトラクター。

 こんなに馬力のあるトラクターは国内に数台しかない化け物だ。最近、跡継ぎのいない酪農家が幾つか出たので、それらの牧草地を地域で買い取り、ここら一帯で大規模酪農を目指すことになったのだ。

 その一環として地域で買ったのが、このトラクターだ。

 遠くの牧草地へ移動するために、そいつに乗って一般道を走ってい俺は、前方に信じられないモノを見つけて慌ててブレーキを踏んだ。

 ドアを開けて身をのりだした俺に手をふる女。

「やっほー! 元気だった? 十年ぶりだね!」

「おまえな……」

 坂の上。

 あの時と変わらず、めんどくさそうに長い髪を後ろで束ねた二十八歳のツツジが、オートバイの横に立っていた。

 トラクターから飛び降りた俺にツツジは近づき、

「久しぶり。牛乳ちゃんと作ってる?」

「作ってるよ。最高に美味しい奴をな」

「殺菌しなくても安心して飲める牛乳を作ったんだよね?」

「なんで知ってんだ? 俺、手紙にそんなこと書いたか?」

「これでもちゃんと酪農乳業新聞を時々、読んでるのよ。あなたのこと記事になってた。ほら、もしかしたら牛乳を作ることになるかもしれなかったから、一応、お勉強しておこうと思って」

 くすっ、と挑発するようにツツジは笑った。

「おまえ、勉強得意だもんな。で、こんな所にいていいのか? 警察に追われてんだろ?」

「大丈夫。九州方面に逃げたって情報を流したから、こっちに逃げたなんて思ってないはずよ」

 ツツジはこの十年の間に、テロリストになってしまったのだ。

 ツツジが酪農乳業新聞を読んでいたように、俺もツツジの参加する組織のチラシや雑誌をたまに入手して読んでいた。

 その組織の行動を簡潔にまとめると、

 大陸の裂編難民に武装蜂起をうながす、だ。超危険。

「国内じゃ活動しづらくなってきたから海外に拠点を移すの。これからオートバイで稚内まで行って、そこからシビル・ハン国に渡って、陸路で難民キャンプに行くわ」

「シビル・ハン国に渡って、って簡単に言うけど、正規のルートじゃ無理だろ? 国境だから巡視艇が多いぞ。捕まりに行くようなもんじゃねぇか」

「大丈夫よ。支持者に特攻船をカンパしてもらったから」

「特攻船ってカニ漁に使う奴か?」

「うん」

 特攻船とは国境の向こう側の漁場で違法操業をする漁船。巡視艇に見つかったらすぐに逃げられるように、凄い馬力のエンジンを軽い船体に無理矢理取り付けた、金とロマンと危険が山盛りの壮絶な漁船だ。

 ……猛スピードで国境の海を一気に突っ切ろうってわけか。

「もう日本に戻ってこれないかもしれないから、あなたの顔を見ておこうと思って。会えてよかった」

「おまえなぁ……。ったく、なんでそんなことになったんだ?」

「知っちゃったから」

「知ったって何を?」

「国も親も子も恋人も失って、未来の希望なんかもうな~んにもなくて、せめて戦って死にたいって、呪いの言葉のようにそれを繰り返す人達が世界中にいるって知っちゃったから」

「そういう人達に希望を見せるのが、おまえのしたいことじゃなかったのか?」

「そうよ。難民が見たい希望は、

突撃銃と対戦車擲弾、それに携帯式地対空ミサイルだってわかったわ。そのくらいならなんとかウチの組織から提供できるから」

「……牛の乳を搾るだけの俺にはわかんねぇけど、間違ってんじゃないのか、そういうの?」

「せめて戦って死にたいって、呪うように言う難民の気持ち、わかる?」

 俺の日常から遠すぎるぜ、そんなもん!

 わかるわけねぇだろう!

 だけど、わかんねぇと何も言っちゃいけないのかよ!

「わかんねぇよ! わかんねぇけどさ! でもだからって、あー、もう、わかんねぇな!」

 わかんねぇよ!

「私も自分のしていることが完全に正しいとまで思わないわ。それでもするしかないことってあるのよ。あなたの顔を見れてよかった。

それじゃ、私、もう行くね」

「待てって!」

 俺は咄嗟にツツジの手を握った。

「えっ? あの…………」

 俺はじっとツツジを見つめる。

「あの……どうしたの? あはっ……あの……手、凄い硬いね。十年前より、硬い。ちゃんと働いている人の手だ」

 俺はツツジの手を握ったまま、腹の底まで息を吸って、一気に吐き出す。

「ボケッ!!」

「ぼっ、ボケ? ……もっ、もっとロマンチックなこと言われるかと思った」

「甘ったれんな、ボケ! 正しくねぇって思うことに夢中になって命かけて、特攻船で国境を越えるって、ボケすぎるだろ!」

「かっ、勝手なこと言わないでよ! 私だって……」

「難民に武器を渡すのは勝手なことじゃないのかよ!」

 ツツジは、キッ、と俺を怖い顔でにらみ付けて、

「私達の平和は偽りの平和なのよ! いい? 世界の富裕層の割合は……………」

 ツツジは電池が切れたみたいに力無くうつむくと、絞り出すように、ぽつり、と、

「……間違ってるなんて……そんなの……わかってるわ。あなたが相手じゃなきゃ、言いくるめちゃうけど、そんなことしない。いつも議論をしてる私があなたを簡単に言い負かして当然だし、そんなことしたって何の意味もないもの」

 ツツジは小さく、うん、と頷いて、

「間違っていると思う。認める。だけど、私を待ってる大勢の人達がいるから……」

「俺んとこに嫁に来いッ!!」

「えっ?!」

「そいつら放っておいて、一緒に牛を育てよう!」

 ツツジはびっくりしたように目を丸くして、

「あっ……はっ、はい。……って! はい、じゃない! はいじゃない、私。そんなのもう無理よ! 私、テロリストって言われるような人になっちゃったんだよ? お嫁に行けるわけないじゃない」

「テロリストが農家の嫁に来たらダメか?」

「そっ、そんなこと真顔で言われたら困るけど……。無理よ。迷惑をかけちゃうわ」

「無理でも迷惑でもいいから来い。うちの牛はみんな可愛いぞ? そうだ! ちょうど余剰牛乳ってのが軽く問題になってて、もしかしたら牛乳の廃棄処分とかあるかもしれないんだ。そいつを難民に届けるルートを、おまえなら作れるんじゃないのか?」

 ツツジは、うん、と頷き、

「……武器の代わりに牛乳を届けるって素敵だと思うわ」

「そのオートバイは捨てて、この格好いいトラクターに乗れよ。500馬力だぜ? 俺の家に連れて行くから」

「本気で言ってるの?」

「ったり前だろうが?! それとも何か? 十年前に嫁に来るって、おまえはふざけて言ったのかよ」

「本気だったと思うわ。だけど、ごめん。……行けないわ」

 俺は、ぐいっ、とツツジの腕を引っ張り、

「いいから来い!」

「行けないッ!」

「来いッ! あの時みたいに俺が台風になってやる! おまえを巻き込んで、こんがらがった頭をスッキリさせてやる。だから、来いッ!」

 俺はツツジを引っ張り、抱きしめた。

「あっ。………。あははは、捕まっちゃったね、私。……もう一回、この坂を自転車で下る?」

「おまえがそうしたいなら、何回でもやってやるよ」

「………ありがとう。だけど、離して。逃げないから、離して」

「……わかった」

「私、シビル・ハン国に行くわ」

「逃げる気満々じゃねぇか!」

「違う! ちゃんと戻ってくるから。……一応、私も組織でそこそこのポジションだから、責任があるから。武器の代わりに牛乳……って話、してみる。その下部組織作りの勉強に、って理由でなら、ここに戻って来れると思うから」

「下部組織っておまえ……」

 俺を組織の一員にするつもりかよ。

「もちろん、そこからずるずるなし崩し的に抜けるつもりよ。結局、最前線に立たない人のことなんか、みんなすぐに忘れちゃうから。ちゃんと、きっちり挫折するつもりよ」

「……そうか」

「必ず戻ってくるから……だから……んっ」

 ツーッ、とツツジの目か涙が流れ落ちた。

「あっ、ごめん! そういうつもりじゃ……ごめん。ごめん、ごめん、ごめん! そ、そんなつもりじゃないの……。本当に、そうじゃないの!」

 止めどなく流れる涙をツツジは、一生懸命、両手で拭った。

「いいよ、俺はおまえが必ず帰ってくるって信じてる」

「ごめん。本当に必ず帰ってくるから……」

 ツツジは涙を押し戻そうとするみたいに、ギュッ、ギュッ、と手のひらの底で頬を強く擦り上げる。

 ツツジは逃げるようにバイクにまたがった。

「必ず……必ず、戻るから。そしたらちゃんお嫁さんにしてね」

「わかってるよ」

「あのね……。今だから言うけど、あの日、牧草地で二人で寝っ転がった時、あなたとならセックスできそうだなって思った。気づかなかった?」

「まー、気づいてた。さすがにそれは気づいてたよ。俺の勘違いかもしれない、とおも思ってたけど」

「だったら、試しに軽く襲ってくれれば良かったのに、そしたら私、もっと早くにお嫁さんになれてたかも」

 無理した感じでツツジは微笑んだ。

「おまえを軽くでも襲うなんて、そんなおっかないことできねぇよ」

「押しが強いくせに、肝心な所で押しが弱いのよね」

「それはな……。おまえを信じてるっていうか、おまえのおまえっぽい所が好きだからな。おまえっぽさを消したくないんだよ」

「嬉しい……かな? 嬉しいわね、きっと」

 かぽっ、とツツジはヘルメットをかぶった。

「それじゃ、行くから。……私が戻るの遅かったら気にせずに結婚しちゃっていいわ」

「わーってるよ。俺もそこまで善人じゃねぇしな」

 ツツジは、うん、と頷くと、ふと気づいたように、

「長尾兄弟はどうしてるの?」

「長兄が家を継いで、次兄は札幌でサラリーマン。二人ともとも結婚したよ」

「へ~、そっか。良かった」

 ツツジはバイクのエンジンをかけて、

「それじゃ、またね」

 そのまま一気に坂を下っていった。

 ……ったく、あいかわらずおもしろくて滅茶苦茶な奴だな。

 俺はトラクターによじ登り、どさっ、と運転席に座る。

「あーっ、あーっ、あーーーーーーーっ、もう、なぁ!」

 ドンッ、とドアを蹴る。

 わかっているのだ。

 今、あの坂を二人で下ったって、どうにもならないって。

 あの時、あの瞬間、最後の夏だったから。

 だから、きっと、俺もツツジも変わったんだ。

 今はもう普通の坂で、俺のライバルでも、長尾の仇でもない。

 帰ってくると言ったツツジの嘘も。

 それを信じると言った俺の嘘も……。

 きっと、ずっと、嘘のままで。

 夏で……。

 坂。

 ったく、畜生ッ! なんでこんなことに……。

「んっ? あれ……」

 長尾の長兄の息子だな。長兄の長兄だ。

 長尾の長兄は高校卒業後、男子から陰でデブスと呼ばれていた女と結婚したのだ。

 好きな相手なのに男子間の空気をよんで、デブスと呼んでいた長尾の長兄の気持ちを考えると、今でも軽く泣ける。偉いよなぁ、あいつ。

 あのガキ、えっと結婚してすぐ生まれたから、今、八歳か九歳だよな。

 そいつが自転車にまたがり、頭をぐっと下げ、腰をぐっと上げて、坂に突入。

 おっ、おおおありゃ、ノーブレーキで突っ込むつもりだな。小学生なのに勇気あるな!

 さすが長尾の血を引く男よ!

 俺はトラクターの窓から息を飲んで、長尾の息子を見つめる。

 ぐんぐん、スピードが上がって、

 急勾配に突入した途端、豪快に転けた。

 そりゃ、そうだ。

 俺は窓から顔を出して、

「おーい?! 大丈夫かぁ?!」

「大丈夫ッ!」

 こっちに手をぶんぶん振ってから、

 自転車に再びまたがり、何もなかったみたいに走っていった。

 まだ早いんだよな。

 体重がないとタイヤが簡単に跳ね上がって……。

 ……ッ!

 体重がないと跳ね上がって……?

 あっ! そうか! あの時、坂をノーブレーキでいけたのって、ツツジがガードレールを蹴っただけじゃなくて、二人分の体重があったからか! 二人だから出来たのか!

 ……二人だから。

 くっ!

 俺のはランボルギーニの500馬力のトラクター!

 ツツジのはヤマハの60馬力くらいのバイク!

 ちょっくら性能の差って奴を見せつけてやるか!

 押しの強さな! チクショウッ!

 そうやってためらいがちに誘うツツジもアレだが、

 気づいて踏み込めなかった俺も相当にアレだ……。

 意気地なしだ!!

 二人だから出来たんだ。

 これから何をするのか知らんが二人でやろうぜ、ツツジ!

 坂が言いたかったことって、そういうことだろ!

 うおおおおおっ!

 もうわかんねぇ!

 わかんねぇけど、俺は完全に気づいたぞ、ツツジ!

 とっ捕まえてやる!

 押し倒して、可愛い可愛いって、お人形さんあつかいしてやる!

 クソッタレ!

 その分、牛乳を作ってもらうぞ、ツツジ!

 さらにその先の未来はわかんねぇけど、狂ったように可愛がってやる!

 おもしろいことたくさん言わせてやる!

 おまえは牛乳作ってたっておもしれぇ女だよ、きっと!

 ふざけんなよ、オラッ! テロリストだろうがなんだろうが、

 ただの女じゃねぇか! 女だ、女ッ!

 俺はただの男じゃねぇか! 男だ、男ッ!

 坂を下って! とっ捕まえて! ノーブレーキで! 前へ!

 けっ! 

 テメーッはやっぱりただの坂じゃねぇな!

 永遠の俺のライバルだッ!

 エンジンをかけ、アクセルを踏むッ!

 爆音! 暴音! 進むぜ行くぜ、猛スピード!

 坂をトラクターで下る。

スピード、スピード、スピード! マッハ、光速!

 あの夏の、あの日以来の、ノーブレーキ。

高校最後の夏も、青春も終わったなんて言って、ただくすぶってただけだ。

 全部、ツツジのせいだ。

 おまえのせいだ、ツツジ! 俺の青春を返しやがれ、チクショウ!

 捕まえる!

 女を捕まえるなんて男の本懐じゃねぇか!

「うおおおおおっ!」

 叫ぶ、高校生の時のように叫ぶ。

 今度こそ、本当に夏を終わらせてやる!

 ツツジ! ツツジ!

 捕まえて欲しいんだろう?

 ほん~とうにおまえはデタラメでおもしれぇ女だ!

 だから本気で押し倒して言ってやる!

 愛してるぜ、ツツジ!

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ツツジと夏の坂道 渡辺ファッキン僚一 @fuckinwatanabe

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