ラピスラズリ

ペーンネームはまだ無い

第01話:ラピスラズリ

 生まれてから1番最初の記憶。私にとってのそれは、大好きな男の子の笑顔だった。

 眠りから覚めたばかりの私を見ながら彼がニッコリと笑っている。


「おきたー?」


 無邪気に問いかける彼を見た瞬間、心に温かい気持ちが広がった。この感覚は知ってる。恋、だ。

 私は彼に膝枕ひざまくらされていた。私が寝ている間、ずっと膝枕してくれてたのかな? そんなことを考えながら私は彼に笑いかける。


「うん、おきたー」

「じゃあ、あそびにいこ?」

「うん」


 私は飛び起きると、座ったままの彼の手を引っぱった。すると、ゆっくりと立ち上がろうとしていた彼が盛大に転ぶ。


「あし、しびれたー」


 照れ笑いを浮かべる彼を見て、また胸が温かくなる。彼と一緒にいるだけで胸が高鳴る。あぁ、感じずにはいられないな。どうしようもないくらいに彼が好き。きっと……、ううん、間違いなく運命の人。

 私の人生には最初から彼がいて、最初からこんなに暖かい恋を知っている。だから、きっと私の人生は世界中の誰よりも幸せなものになるだろう。その思いは余命を宣告された時でも変わらなかった。


「娘さんは小学校入学までもたないでしょう」


 両親と一緒に行った病院で医師がそう告げた。私には言葉の意味が未だ解らないと医師は思っているようだけど、私にも意味が理解できた。といっても、私は死んじゃうのか~、くらいの理解でしかなく、それがとても悲しいことだというのは両親の様子を見るまでは判らなかったのだけれど。

 父が声を荒げて医師へと詰め寄り、母が涙を流しながら静かに懇願する。


「何とかならないんですか? アンタ、医者でしょう!?」

「お願いです。どうか、この子を、この子を……」

「全力は尽くします。しかし現代医学は万能ではありませんから」

「……私たちに何か出来ることは無いんですか?」

「せめて娘さんに楽しい思い出でも作ってあげてください」


 すっかりと元気を無くした両親と一緒に私は病院を後にする。父の車で帰る途中、母が私に「1番やりたい事って、なーに?」と聞いてきた。そんなのもちろん決まっている。私はあの大好きな彼と一緒にいたい。

 それからほぼ毎日、私は彼と一緒に遊んだ。公園に行った。動物園に行った。遊園地に行った。キャンプに行った。何処に行く時も彼と一緒。彼のご両親も私のことを彼と分け隔てなく接してくれた。時折見せる表情から、私の病気のことを知っているのだろうな、と察する。それがあわれみだとしても、私を受け入れてくれたことが嬉しかった。

 同じ幼稚園へ通い始めてからも彼と過ごす日々は続いた。年少から年長まで彼と同じクラス。毎日が幸せだった。徐々にしびれを増して動かなくなっていく手足は、私に時間があまり残されていない事を告げるけれど、本当に幸せだった。

 彼と過ごす毎日は私が入院してからも続く。


「はやく元気になってね」


 お見舞いに来た彼が私に笑いかけた。大好きな笑顔。私の手足はもう動かないけれど、胸は未だ大きく高鳴ってくれる。でも、この鼓動ももうすぐ止まってしまう。そう思うと悲しい気持ちになってしまうけれど、それ以上に充実感が私の心を満たしていた。最初から最期まで私の隣には大好きな彼がいてくれたのだ。これ以上に何かを望もうなんて思いもしなかった。


 入院生活も既に1か月が経過し、私は嫌だった酸素マスクにも慣れた。

 ……たぶん、もう私の命は長くない。彼と会えるのも今日で最後かもしれないな。そんなことをぼんやりと考えていると、今日も彼がお見舞いに来てくれた。


「ようこそ」


 私は努めて明るい声で彼を出迎えると、彼は神妙な顔をして私の手を握った。


「元気ないの?」


 ……まいったな。気弱になっていたのを彼に見抜かれたようだ。

 「そんなことないよ」と私が嘘をついても彼は納得していない様子で何かを考え始めた。きっと私を元気づける方法を考えているのだろう。やっぱり彼は優しいな。

 不意に彼が顔を上げると、恥ずかしそうに私を見つめた。


「好きだよ。ぼくと結婚しよう?」


 あまりに唐突のことで最初は理解できなかったものの、徐々にその内容を理解していく。お互いの両親がいるところで彼は愛を告白したのだ。

 飛び上がりそうなくらいに嬉しかった。こういうのを天にも昇る気持ちというのだろうか。今まで感じてきた幸せを全部あわせても、今の幸せには叶わないかもしれない。

 ……でも。それでも私は彼の告白を断った。結婚なんて出来るはずないし、健全な男女交際だって出来るはずがない。私に残された時間はあまりにも短すぎるのだ。死に別れるためだけに付き合うなんて私は嫌だ。

 私の返事を聞いた彼は、泣きそうな顔をしながら病室を飛び出した。追う様にして彼のご両親も病室を出ていく。父や母たちは病室に残ったが私が「ひとりになりたい」と伝えると渋々と居なくなった。

 ひとりになった病室で彼の言葉を思い出すと、嬉しくて、切なくて、悲しい気持ちになる。……心残りできちゃったな。死にたくないな。そんなことを考えながら私は眠りに落ちていく。


「――起きてっ! ねぇ、起きてってば!」


 そう言いながら私を揺り起こしたのは母だった。

 時計を見ると深夜23時。私は母の顔を見る。


「どうしたの?」

「……その手」


 母に言われてから私はやっと気づく。全く動かなかった私の手足が何事もなかったように動くのだ。すぐ様に私は検査を受けることになった。

 検査結果を見た担当医が言葉を漏らす。


「……ありえない」


 私に巣食っていた病気は、この半日で綺麗サッパリと消えてしまったらしい。終わるはずだった私の人生は、訳の判らないまま唐突に延長が決まった。

 呆然とする担当医を余所よそに、両親が私をギュッと抱き締めて喜んだ。涙を見せたことのない父ですらボロボロと泣きながら私の名前を何度も繰り返す。

 そんな中、当の私は複雑な心境だった。……彼は告白を断った私を許してくれるだろうか?


 数日の経過観察を終えて退院した私は、また幼稚園へ通い始めた。久しぶりに登園した私は彼を探す。あの日以来、彼とは1度も会っていなかった。

 彼はすぐに見つかった。私は嬉しさと不安が入り交じったまま彼に走りよると、彼が私に気付いて大きな声を上げる。


「ウソだからっ!」


 彼の言葉は突然で、最初は何を言っているのか解らなかった。でも、やがてその意味にたどり着く。


「……ウソって、私を好きだって言ってくれたこと?」


 あの日の告白を無かったことにしたいってこと? なんでそんなことを言うの? 私が彼をフッてしまったから?


「ちがうの、私は――」

「おまえなんか大っ嫌いだっ!」


 彼の言葉を聞いた瞬間、周囲の温度が下がった気がした。耳鳴りがして目の前が暗くなる。立っていられなくなった私は座り込んでしまう。彼が私を嫌い……?

 放心状態になった私を見下ろしていた彼は、私の視線から逃れるように顔をそむけると走り去った。そこでやっと私は彼の言葉を理解する。私は彼に嫌われてしまったのだ。あんなにも優しかった彼にこんな態度をとらせてしまう程に、私は彼を傷つけてしまったのだ。今さらになって出てきた涙とともに、私は大きな鳴き声をあげる。


 それからの毎日はとても辛かった。彼は私を避け続けた。私が声をかけても顔をそむけて逃げて行ってしまう。家族同士の交流もなくなり段々と疎遠になっていった。諦められない彼への想いが私の心を締めつける。

 彼との関係を改善できないまま、彼と私は小学校へと進学した。同じ小学校ではあったものの、同じクラスにはなれなかった。まるで彼の住む世界とは別世界に放り出された気分。時折に彼を見かけるととても辛い気持ちになる。私の知らない友達と楽しそうに遊び、私の知らない女子と仲良さそうに話す彼。心にモヤモヤとした何かが重なり積もる。……嫌だな。ヤキモチだ、これ。

 ……恋って辛いものだったんだな。今までずっと満たされた恋しか知らなかったから、こんなにも辛い恋があるだなんて考えもしなかった。胸が苦しくて、何も手につかない。夜、眠ろうとして電気を消すと、彼の事を考えてしまって涙が止まらなくなる。辛くて、辛くて、何度も逃げ出したくなった。彼を好きでいるのは、もう止めよう。何度もそう思った。でも、何をしても、どうしても、彼への想いを断ちきることはできない。彼を傷つけた私には彼を好きでいる資格すらないって解っているはずなのに。


 持て余した恋心をどうして良いか判らずに過ごしていたある日の下校中、私は偶然に彼と出会った。一瞬だけ視線が交差するけれど彼は慌てて視線を逸らす。


「ゴメンなさい」


 私の口から思わず謝罪の言葉が漏れた。それは私が彼にずっと言いたいと思っていた言葉。彼を深く傷つけてしまったことに対する謝罪だ。


「本当にゴメンなさい」


 私が言葉を続けると、彼が肩を震わせたような気がした。けれど彼は一言も発さないまま私の横を通り過ぎていく。私は急いで追いかけて彼の横に並んで歩くけれど、彼は私の事をチラリとも見ようとしない。どうやら意地でも私と言葉を交わさないつもりのようだ。……だったら、私も意地だ。彼が許してくれるまで諦めない。


 それから毎日、私は下校時に彼を待ち伏せるようになった。下校の時刻になると私は誰よりも早く校舎を後にすると、通学路で彼を待ち伏せる。

 彼の姿が見えると、私は彼のかたわらに走りよって肩を並べて歩き出した。彼は私のことを気にしないフリをしながら歩き続けるので、私も無言で彼の隣を歩き続ける。不毛な意地の張り合いだとは解っているけれど、絶対に彼の方から声をかけさせるのだ。そう私は胸に誓った。

 毎日、毎日、彼と私は一緒に無言で下校する。そんな日々がしばらく続いたある日、下校中に急に雨が降り出した。勢いの強い夕立。今日は傘なんて持ってきていない。どうしよう。意見を求めるように彼の方へ顔を向けると、不意に私に降りかかる雨が遮られた。決して大きいとは言えない彼の折り畳み傘。それが私の頭上にあった。傘を差しだしている本人はというと、雨を全身で受けてずぶ濡れになっている。相変わらず私の方はチラリとも見ようとしない。……本当に意地っ張りだ。

 私は寄り添うようにできるだけ彼に体を近づけると、ふたりで小さな傘の下に入った。もちろん私も彼に声をかけたりしない。雨の音だけが辺りをつつむ中、いつの間にか止めてしまった歩みをゆっくりと2人で再開した。


「……ゴメンな」


 ふと彼の声がしたような気がした。私が顔をあげると彼が真っ直ぐと私の目を見つめている。


「……うん」


 私は何とかそう答えると、泣き出してしまわないようにギュッと目をつぶる。

 そうして彼と私の意地の張り合いは終わりを迎えた。


 中学校へ進学した彼と私は、今までと変わらずに一緒に下校を続けていた。また同じクラスにはなれなかったし、未だにヤキモチを焼いてしまったりするけれど、ふたりの関係はおおむね良好。この間なんて彼が私のことを「何でも相談できる」と評してくれた。……うん、喜ぶべきなんだよね、きっと。

 今の関係で私は十分に幸せだ。だから、私は彼に想いを伝えていない。想いを伝えることで今の関係が壊れてしまうのが怖いのだ。彼と一緒にいられなくなるくらいなら告白なんてしない。それに、1度は大嫌いになった私なんかに告白されたって、彼は困ってしまうよね。


 卒業を間近に控えたある日、彼がポツリと私に相談をもちかけた。


「これ、どうしたら良いと思う?」


 そう言って彼が差し出したのはハートのシールが貼られた封筒。


「……中、見ても良い?」


 彼がうなずくのを確認してから、私は封筒から便箋を取り出す。送り主は……彼と仲の良い女の子。何度も嫉妬した相手だから私もよく知っている。

 手紙はラブレターだった。要約すると、私の命はもう長くないから最期の思い出に付き合ってほしい、というものだった。近頃は彼女を見かけないと思っていたら、病床にしていたようだ。つくづく厄介な女の子に好かれるな、彼は。


「……付き合った方が良いのかな?」


 彼がうつむきながら呟いた。

 付き合った方が良いか? そんなの決まってる。ダメに決まってる。私は嫌だ。彼が付き合ってしまうなんて絶対に嫌だ。

 でも私の答えは――。


「――うん、もちろん。彼女の事、大事にしてあげないとね」


 病気で死のきわにいる彼女に子供の頃の自分を重ねてしまった。彼がずっとそばにいてくれたから私は闘病生活に耐えることが出来た。彼が居なかったら、なんて考えただけで怖くなる。だったら、同じ境遇の彼女にも心の支えとなる人がいるべきだ。……それに私と違って自分の想いをハッキリと伝えた彼女にはむくわれてほしいと思った。


「……そうだね」


 私の答えを聞いた彼が、どこか困ったように、どこか悲しい様子で笑った。


 帰ってから私はひとしきり泣いた。

 私は間違ってない。理屈では解っている。私には彼のそばにいる資格はないし、彼を今より必要としているのは彼女だ。だから私の判断は間違ってない。間違ってないはずなのに……。

 翌日。彼と会った瞬間に涙がこぼれそうになるけれど何とか我慢できた。でも彼が彼女とどうなったか聞くことはできなった。


 鬱々うつうつとした気持ちを解消できないまま、彼と私は高校へと進学した。彼女に悪いと思いつつも彼と一緒の下校を続けている。

 あの日から毎日が辛い。彼の前では元気な振りをしているけれど、ひとりになると涙がこらえられない。

 私はバカだ。彼の告白を受けいれれば良かった。彼に告白すれば良かった。彼女と付き合えば良いなんて言わなければ良かった。ホント、後悔してばかりだ。

 過ぎた時間は戻らない。もうこの恋は実らないだろう。だから私の気持ちにもけじめをつけなければいけない。……告白しよう。告白したってフラれるって解ってる。フラれると思うだけで悲しくて辛いけど、せめて彼の言葉で私の気持ちに引導を渡してほしい。


 私の恋を終わらせると決めた日。空は透き通るように青かった。

 その日は色々とあったけれど無事に彼と一緒に下校することが出来た。どこか上の空な様子の彼の顔を覗き込む。彼は今日が何の日か覚えてるかな? 10年前の今日、あなたは私に告白してくれたんだよ。今日はあの日とは逆になるね。告白するのが私で、告白を断るのがあなた。

 心の片隅で彼が私の想いを受けいれてくれるんじゃないかって期待していた。そんなことあるはずないと自分に言い聞かせても、楽しかった彼との思い出が私に淡い希望をいだかせる。私は頭をふって妄想を振り払うと、彼に気付かれないように深呼吸した。

 胸がドキドキする。口の中は乾いてカラカラだ。私は真っ白になった頭で告白のタイミングをはかる。

 私は勇気を振り絞って彼の前に立つと、彼の目を見つめる。……さぁ、私の恋を終わらせよう。


「ねぇ――」


 私は緊張しながら彼の名前を呼んだ。


「――今でも私のこと、好き?」


 私はね、ずっとあなたのことが、好きだったんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラピスラズリ ペーンネームはまだ無い @rice-steamer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ