『けものフレンズ』論への誘い

いわしまいわし

『けものフレンズ』の物語構造についての一考察

はじめに

 これから大人気アニメ『けものフレンズ』を考察していきます。テーマは「物語の構造」です。はじめに注意をしておきます。この文章はアニメ『けものフレンズ』を全話視聴済みであることを前提に書いています。アニメを噂だけで聞いている方などはまず全話視聴することをオススメします。ネタバレも含みますので未視聴の方は注意してください。


目的

 著者は『けものフレンズ』の考察を専門にしているわけではありません。よって深い考察や新たな側面を見つけることは勿論出来ません。ここでは「今まで考えないでアニメを見ていたけれど自分だけの意見を持ちたくなった」人たちを対象にしようと考えています。その為に『けものフレンズ』には物語としてどこに魅力があるのか知らなくてはなりません。ただ「キャラクターが可愛い」「台詞回しが面白い」と言っても理解してくれない人は理解してくれません。

 著者は『けものフレンズ』の魅力について「正解」を知りません。そもそも答えなんて物は存在しないのかもしれません。そこで著者が考える物語構造を紹介したいと思います。物語構造を理解した上で魅力を考えることで皆さん自身が文学的に魅力を語れることを目的としてここでは書こうと思います。

 第二の目的としてヒットした『けものフレンズ』から着想を得て物語を書きたいと考えている作家さんに何かヒントにならないかと考えています。拙い文章ですが何か一つでも得るものがあれば幸いです。


『けものフレンズ』一般論

 前提としてよく言われている『けものフレンズ』の物語論を紹介しておかなければなりません。大抵多数派の意見は正しい物です。しかしながら大人気となったアニメではどれが多数派の意見なのか分かりません。そこで勝手ながら著者が多数派だと思う物について説明することにします。

 よく言われるのは「『けものフレンズ』は王道の物語」でしょうか。そうだと信じてここでのキーワードを「王道」に絞って考えてみましょう。一口に王道といっても意味を共有しなければ説明にはなりません。実用日本語表現辞典には「楽なやり方という意味より転じて、多くの者が選びそうなやり方を意味する語。ありがちといった意味を含むこと」 とあります。しかしこれでは『けものフレンズ』がありがちな物語となってしまってこれ以上考えることが出来なくなってしまいます。そこでもう少し「ありがち」という言葉を掘り下げて「王道」に迫ってみましょう。

 まず決して王道が悪い物語であるか聞かれればそうではありません。名だたる少年漫画などは殆ど王道展開です。ではヒットする王道展開にはどんな要素が必要なのでしょうか。著者はここで『けものフレンズ』にも含まれる二つの要素を挙げてみたいと思います。一つ目に起承転結がしっかりした物語であること、二つ目は勧善懲悪であることです。その他にも沢山要素はあるとは思いますが今回は二つにしたいと思います。

 まず一つ目に「起承転結」です。物語の基礎として多くの人に知られています。『けものフレンズ』はストーリーでありながら一話一話に起承転結が際立つアニメです。具体的には



Figure 1 際だった起承転結

です。それぞれが起承転結の役割を果たしてまるで「明るい推理アニメ」を見せられているようです。視聴者が毎週見ても飽きずに見続けられたのはその辺りが影響しているのではないでしょうか。

 二つ目に勧善懲悪です。アニメ内にはセルリアンが悪役として登場します。フレンズを元の姿に戻してしまう為完全に悪として描かれています。これが先に進むための障害(「先」については後述します)として登場したのが十一話です。サーバルちゃんとかばんちゃんは色々な苦労、悪と戦ってそれを解決しています。

 以上のことから『けものフレンズ』は「王道」の物語構成をしているのは間違いないでしょう。ここからはこれを前提として深く潜り込んでいきます。


かばんちゃんの目的と視聴者の立ち位置


 さて本題に入りましょう。『けものフレンズ』のキーフレンズと言えばかばんちゃんを挙げる方も多いのではないのでしょうか。いつも課題の解決にはかばんちゃんの知性が必要になっていました。かばんちゃんのアイデアで多くのフレンズが一つにまとまっていました。

 かばんちゃんは第一話から他のフレンズとは異質な存在だと暗示されています。自分が何のフレンズであるか知らない謎を秘めていました。そう考えると主人公の特徴はサーバルちゃんではなくてかばんちゃんの方が合っているのでは無いかと感じてしまうほどです。そして視聴者に対してもかばんちゃんは特別な役割を演じています。第一話で殆ど全ての視聴者はかばんちゃんが「ヒト」であることを察知できるでしょう。紙飛行機を折ってセルリアンの注意を引付けるサバンナ動物がヒト以外に考えられませんから気づくことを前提としています。視聴者と同じ動物であるかばんちゃんは視聴者にとって特別な存在「感情移入できるキャラクター」として登場しているのです。

 それではかばんちゃんの目的について考えてみましょう。『けものフレンズ』はかばんちゃんを追っていく物語構成をしています。第一話と最終話でかばんちゃんとサーバルちゃんは一度お別れをしています。その時にかばんちゃんの場面にサーバルちゃんが登場しています。ここから(人にとっては当然と思われるかもしれませんが)かばんちゃんの目的がそのまま物語の目的となっていることになるはずです。言い換えるならば第一話の時点で視聴者が望んだハッピーエンドと目的の達成が結びつくのです。このことは後々重要になりますから覚えておいて下さい。しかし今はかばんちゃんの目的が重要であることを理解した上で次の段落に進んでいただけるとありがたいです。

 さあかばんちゃんの目的について詳しく見ていきましょう。実はこの問題は単純ではないのです。なぜならかばんちゃんの目的は一つでは無いからです。皆さんは何だと思いますか?

 まず思い付く目的は「自分が何の動物であるか知ること」でしょうか。これは第一話からの目的で暫くかばんちゃんとサーバルちゃんは図書館へ向います。しかしながらそれは物語の途中で達成されてしまいます。無事図書館についた二人は博士と助手から「かばんちゃんがヒトである」と教えてもらうのです。

 次にかばんちゃんは「自分と同じヒトに会うため」に旅を続けます。目的が変更されたのです。この意味についても著者の考えを後々説明します。これは最終話、そしてその先へ続いていきます。この二つの目的の共通点は何でしょうか。もしかしたら著者も気づいていない点がいくつもあるかもしれませんが特に著者は「達成しなくても良い」ことが最大の共通点だと考えています。

 例えば三話や四話、二人が図書館に向けて旅をしている最中を思い出してみて下さい。かばんちゃんは苦しそうでしたか?サーバルちゃんは辛そうでしたか?目的が達成されなくても二人は楽しく旅を続けていました。仮定の話になりますが博士がヒトについて何も知らなかったとしましょう。かばんちゃんは残念でしょうが、分かっても分からなくても生活に影響しません。すぐに立ち返って元気な笑顔をサーバルちゃんに向けるでしょう。つまり目的の達成=視聴者の望みはポジティブな物です。仮にこれを「ポジティブな望み」とでも名付けて起きましょう。


目的が二つある意味


 今までのことを理解した前提で話しを進めます。目的が二つある意味について予告通り説明しましょう。それを理解するためには二つの目的の「相違点」に注目する必要がありそうです。何が違うでしょうか?これも人によって答えが違って当然ですから少し立ち止まって考えてみて下さい。

 考えてみましたか?筆者が考える相違点を端的に言えば「視聴者の立ち位置」です。具体的に説明します。一つ目の目的「かばんちゃんは何の動物であるか」については前述の通り視聴者は最初から分かりきっています。つまり視聴者>かばんちゃんの構図が成り立っているのです。前半の方の話しは何かホッコリとした気持ちで見ていた方も多いかと思います。それは構図からまるで「かばんちゃんの親」のような気持ちで見守っていたからでは無いでしょうか。しかしそれは「飽き」を生じさせてしまいます。特に子供に興味の無い人などは切ってしまった人も多いでしょう。

 それでは良くありません。そこで視聴者を飽きさせない機能が「ジャパリパーク」の正体です。毎話毎話少しずつ『けものフレンズ』の裏側を謎として残しています。そこで視聴者はフレンズ達の活躍を見守りながら自分もジャパリパークの謎を解く役割を果たせるのです。それが『けものフレンズ』の前半です。

 それでは後半はいかがでしょうか。博士からかばんちゃんがヒトであると教えて貰います。ここで立ち位置がかばんちゃん=視聴者の構図になって視聴者だけが持っていたアドバンテージが無くなってしまいます。前述したかばんちゃんの特徴「感情移入できるキャラクター」にここで成ったのです。そして次の目的「かばんちゃんが他のヒトに会う」は視聴者にも達成できるか分かりません。視聴者の望みは「かばんちゃんが他の人に会えてジャパリパークの謎を教えて貰う」ことに上書きされたのです。それが第十話まで続きます。まだここまではポジティブな望みが続いています。


新たな望みの出現、変更


 第十一話が物語の佳境となりました。アニメ視聴者に「どの話が一番印象に残りましたか?」と聞けばここを挙げる人が多いのではないでしょうか。それまでとは打って変わって暗い話でした。途中でサーバルちゃんが黒いセルリアンに飲み込まれ十一話の最後にはかばんちゃんが飲み込まれて終わります。誰もが予想の至らなかった展開に衝撃を覚え無い方はいなかったと思います。

 さてここで前回の続きで「次回の最終話でかばんちゃんは他の人に会えるのだろうか」と望みを持ち続けた方は余程精神が強い方か脳天気な方かなと思います。殆どの方は「かばんちゃんが助かっていて欲しい」と最終話に望みを持ったでしょう。これは達成された場合今までの生活が戻り不達成の場合今までの生活にはもう戻れない望みです。前述の「ポジティブな望み」とは正反対でこちらは「ネガティブ」な望みに変わっています。一番盛り上がる最終話に向かって『けものフレンズ』は絶対に達成されなければならない望みを視聴者に植え付けたのです。


最終話、望みの達成と目的の継続


 最終話はまさに「王道」展開と言えるでしょう。確かに前述の通り「ありがち」な意味ですが同時に視聴者が一番望んでいた展開です。「ありがち」という言葉には良い意味も含まれているようです。

 最終話について説明することは多くありません。十一話の望みが達成されたこと、そしてかばんちゃんの目的は未達成つまり継続していきます。どうやら二期も暗示されているようで期待されている方も多いかと思います。


まとめ


 長々と筆者の考察におつきあいありがとうございました。簡単にまとめますと『けものフレンズ』は視聴者の心を弄ぶ物語構造をしています。大ヒットした理由の一端でも説明できていたら幸いです。

 さて、最後にこの文章はあくまで「誘い(いざない)」です。筆者は皆さんに『けものフレンズ』を考察していただきたく拙い文で書きました。これを読んだ方も是非色々考えてみて下さい。その為の第一歩として「この文章に反論」してください。この文章の不自然な箇所はいくつもあると思いますのでそこを見つけることを取っかかりとすると割とすんなり考えられると思います。

 最後まで読んで下さりありがとうございました。

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『けものフレンズ』論への誘い いわしまいわし @iwashi_nitsuke

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