6. 「二次元」

その国の歴史――少なくともある時点より後の歴史は、ある1人の科学者の手によって作られた。そう言っても過言ではないだろう。


その科学者は、遺伝子についての研究をする研究者で、国内第2位の大学で研究を行っていたというから、それなりに優秀な研究者だったのだろう。

しかしそのわりにはあまり目立った研究の成果は残っていない。研究仲間も多くなく、研究者としてはどちらかというと日陰者であったようだ。


学生時代にしても特に優秀だったというわけではなく、何か大きな成果を上げた記録もない。指導した教官もそんな生徒がいたかどうか……と思うような地味な生徒であったようだ。


唯一彼について特筆すべき点があるとすれば、彼は古い時代の「二次元アイドル」という文化に異常なまでの執着心を持っていた、ということだろうか。

今でもネットワーク上には、彼が公開していた「二次元アイドル」研究の膨大な資料が残されている。それは本当に途方もない量で、これに時間を費やしていたのなら、そりゃ本業の研究者としては成果も出ないだろう、と納得せざるを得ない内容だった。


そんな彼が、一体どうして歴史を作るような事になったのか。

それは、彼の残した中でも特に古い研究メモにあった、この走り書きが発端なのだろう。


『二次元の嫁と子供を作るには?』


「二次元の嫁」というのはだいぶ懐古趣味的な言葉で、今の感覚だと理解が難しいかもしれない。

「二次元の」というのは、「フィクション上の」という意味だと思ってもらえばいい。

「嫁」というのは実際に彼の配偶者ということではなく、「お嫁さんにしたいくらい好きだ」ということ。

つまり、「嫁にしたいくらい好きなフィクション上の女性」。

創作された物語に登場する異性を好きになってしまうような事は、若い頃には誰しも少しくらいはあるだろうが、それの重度のものだと思ってもらえれば差し支えない。


つまり、彼がやろうとした事は「フィクションの女性と子供を作る」ということだ。

テーマ設定の時点で何をどう考えても無茶苦茶だ。

どう考えても無茶苦茶な事なのだが、あろうことかそれを彼は成し遂げてしまったのだ。


彼のアプローチはこうだ。

「二次元の嫁」と子供を作るには、その「嫁」の遺伝子がわかればいい。

すでに遺伝子を操作して、望むままの遺伝子を作る技術は確立されている。

遺伝子さえ確定できれば、それを元に受精卵を作ることで、自分と「二次元の嫁」の子供を作ることはできるはず。


じゃあ、どうやってその遺伝子を確定するか?

「二次元の嫁」には外見や声、性格など様々な情報がある。その情報に合致する遺伝子を「発見」すればいい。

彼はひたすらに研究を重ね、恐ろしい執念で人間の外見に関わる遺伝子コードをほとんど独力で解析しきった。

外見だけでなく、性格や頭の良さなど、個性に影響する部分も解析を重ね、ついには外見や性格、病歴などの特徴から「その人が持っているであろう遺伝子」を高い精度で確定させる、という技術を確立してしまった。


この技術は、驚きをもって世間に受け止められた。

いや、驚き、というよりは、「気持ち悪い」というような、拒絶に近い反応が多かったようだ。

それはそうだろう。自分の外見などの特徴だけで遺伝子が解析されてしまうのだ。

もちろんその遺伝子は、細かいところまで完全一致する、完全な遺伝子というわけではない。

しかし外見に関わる部分だけならかなりの精度で一致するのだ。例えば自分の知らないところで、自分そっくりの外見の人間が作られる可能性だってある。それはさすがに気持ちのいいものではない。


だがその一方で、特定の人にとってはこの上ない朗報ともなった。

たとえば、先天的な肉体の問題を持って生まれた人は、その問題のある箇所を調整した遺伝子に調整して受精させれば、子を産む事を躊躇う必要がなくなる。

整形をした人が、自分の遺伝子もその整形に合わせて加工し、子には整形後の姿を遺伝させる事もできる。

また、同じ発想で外見ではなく内蔵などの解析が進めば、様々な遺伝的な要因による病気も調整してから受精させる事ができるはずだ。


かくしてこの技術はいい意味でも悪い意味でも大きな話題となり、彼の名前は一躍広まった。

だが、当然ながら、彼はその事についてはさして関心がなかった。彼の関心はあくまで「二次元の嫁と子供を作る」事なのだから。


彼はすぐさま「二次元の嫁との子供」を作る事にとりかかった。

しかし、世間には倫理という壁がある。

整形した人や遺伝的な病気などを抱えた人に対して、医療行為としてそれを使うのはまだいい。

だが、彼自身が求めていた事、つまり実在しない人間との子を作るという事は、どうなのか。

それは明らかにデザイナーベビーのような事、外見を思うままに調整して子を産むという、神をも恐れぬ行為につながる。

おかしな遺伝子コードが混入して、未知の病気など、何か大きな問題を持った子供が産まれる危険性だってある。

先々で緩和される事もあるとしても、現段階で全てをOKとするには、あまりに危険な技術なのではないか。

喧々諤々の議論の末、結局その科学者が実際に子供を作ることは叶わなかった。


それに対する科学者の答えは「なら僕が二次元に行く」だった。

彼は即座にコンピュータ上に仮想環境を整え、そこで人を完全にシミュレートできるようにした。

……というか、遺伝子から人の成長をシミュレートして解析するために、それに近い環境はすでにできあがっていたのだ。

その仮想環境内で、彼自身の遺伝子と、「二次元の嫁」から逆アセンブルした遺伝子を元に子を作り、彼自身はその仮想環境にダイブして子育てを始めた。

現実世界の事ではない。仮想環境でのことだ。さすがにこれにまで文句を言える人はいない。


同時に彼は、同じ願いを持つ人のため、この技術と仮想環境を解放した。

まあ、解放した事自体は、社会的な意義だとかそういうもののためではなく、単に自分の子に友達がほしいとか、仮想環境の運用コストをまかいたいとか、そんな現実的で打算的な都合だったらしい。

理由はどうあれ彼は遺伝子技術と仮想環境を解放し、それは人々に驚きをもって迎えられると同時に、密かなブームとなっていった。

それは「フィクションの登場人物と子供を作りたい」という、彼と同じ願いを持つ人の間に限った話ではない。

不妊で実際に子を産むことができない親。パートナーに恵まれず、子を作れなかった人。同姓同士のカップルや、セクシャリティの問題を抱えた人。実際に子供を作りたくてもそれが叶わない人々にとって、この技術と仮想環境が救いとなったのだ。

仮想環境であれば、実際には作れなかったはずの子を産み育てることができる。

もちろん、所詮は仮想環境だ。できることにも世界にも限りはある。子供に与えられる環境としては、十分とは言えないのかもしれない。

それでも自分たちの遺伝子を受け継いだ子を、仮想的とはいえ育てられる事、それは彼らにとっては救いであり、大きな喜びとなったのだ。


子を作る相手は、本当に好ましく思っている相手であれば誰でも――フィクション上の存在であっても――許された。

「あの人との間に子供ができたら…」みたいなifの世界を実際に体験できる。

さらには、自分とは関係ない者同士をくっつけて、その子を育てる、という事をする人もいた。たとえば絶世の美男美女をくっつけて、その子を我が子として育てたい。そんな願いを持つ人もいた。

人だけではない。ペットとして猫や犬、家畜として牛や豚などたくさんの動物も遺伝子を取り込みコンバートされた。細菌や昆虫、植物なども多く取り込まれた。

果ては絶滅した動物までが取り込まれるに至って、ようやくそこで取り込む生命の制限をかけたほうがいいのではないかと議論が起こったりもした。


そうして仮想環境内の環境は豊かになり、人口も増え、仮想環境内外の参加者たちの努力で仮想環境内の環境も少しずつ改善されていった。

空間は拡張され、街ができ、経済が回り、政治が整い、それはいつしか仮想世界の中にある、もう一つの都市のようになっていった。


仮想環境の社会が整うにつれ、それは現実の社会にも大きな影響を与えるようになった。

なにせそこは、多くの人が夢見るような存在がたくさんいる世界なのだ。

絶世の美男と美女をかけ合わせた子や、女性が憧れる王子様のようなスマートで美しい男性、かわいらしいアイドル、セクシーな女性が多く住む、まるで映画やドラマの中のような世界。

そしてその「夢に見るような存在」たちは、また別の「夢に見るような存在」と惹かれあい、結ばれ、子を産んでいく。

そんな世界の美男美女たちを、現実世界の人々が放っておけるわけがない。

仮想環境の美男美女がアイドルユニットを作って現実世界含めた大ヒットを飛ばしたり、仮想環境で撮られた映画が現実世界で大ヒットになったり。

さらには仮想環境の作家が大ベストセラーを生み出したり、仮想環境内の研究者が現実の物理学の新しい法則を見つけ出したりするに至って、もはや人と仮想世界の人の境界線は、ほとんどなくなった。


やがて「3次元なんてクソだ」と言って仮想世界に入りたがる人も後を絶たず、「子を作るなら仮想世界がいい」というカップルも増え、現実の世界は少子化に歯止めがかからなくなり、事を重く見た政府が規制に乗り出すことを検討し始める事態となった。


しかし、運命のイタズラというのは恐ろしいものである。

仮想世界の存在が大問題になりかけたそのタイミングで、一つ世界を揺るがすとんでもない事実が判明した。

その星の属する惑星系の主星に大きな問題が発覚したのだ。


観測データは告げていた。今から数年後、主星に超巨大フレアが発生する。

そして、そのフレアは間違いなくこの星を飲み込み、地上の文明も生命も全てを破壊し尽くす――と。


それは避けようのない現実だった。

世界は大パニックになった。

技術革新は進み、惑星間を有人飛行するくらいならできる技術はある。しかし別の惑星に移住しようにも、この惑星系には他に人が住めるような星がない。

他の星系に移住するしかないのだが、多数の人間を乗せて恒星間を渡る技術は、まだできあがっていない。

残された数年の間では、どれだけ急いだとしても、人類が数光年先の別の星系へと旅立つ手段を用意するのは不可能。

もはや滅びを待つしかないのか……そう誰もが絶望しかけた時、ある人が気づいた。

あの仮想環境なら、行けるのではないか――


仮想環境下の人々は、確かに仮想的な存在だ。しかし、その出自はともかくとして、少なくとも人としての遺伝子を正しく持っている。

中には現実世界からコンバートされた遺伝子もあるのだから、彼らは間違いなく人と言っていいはずだ。

そして何より重要な事だが、彼らはエネルギーとコンピュータさえあれば生きていけるのだ。

たくさんの生身の人間を恒星間航行させる技術はないが、機械を恒星間航行させるのなら、すでに実証実験が済んでいる。

あの仮想環境を宇宙船に積み込んで宇宙に飛ばしたなら、あの仮想環境内の人々は恒星間を渡れる。それはある種の超長距離移民船と呼べるのではないか。


さらに、データと素材を元に様々な機械や有機物を生成する技術も、ある程度実用化されている。

仮想環境内で研究を続けて精度を上げていけば、いつしかよい星にたどり着いた時、仮想環境の人々の子を、今度は実際の人として再生することも不可能ではないはずだ。


かくして絶望の世界の小さな希望となった仮想環境に生きる彼らは、仮想環境そのまま宇宙に打ち上げられ、超長距離移民船として、はるか遠い星の彼方を目指す旅に出ることになった。



彼らの星は確かに滅びた。しかし、彼らはコンピューターの中で確かに生き続けている。遠い宇宙の果てに、まるで映画や物語の中のように、美しく個性的な人ばかりが住まう星が誕生する日も、きっと遠い未来のことではないだろう。

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