5. 新しい人

その国を訪れてしばらくの間、私は自分の中でくすぶる違和感の正体が何なのか、どうもつかめないままでいた。

何かが変なのだが、何が変なのかがよくわからない。

ぱっと見、普通の国なのだ。雰囲気はいい。街はクリーンで快適。活気もある。

だが、何かが微妙にひっかかる。ひっかかるのだが、それが何なのかいまいちわからない。


そして滞在三日目になって、宿泊していたホテルのロビーから、フロントの様子を何の気なしに見ていた時、その違和感の正体にようやく気づいた。

アンドロイドが、人に指示を出しているのだ。

人間がアンドロイドに指示を出すならわかる。それは今や多くの国で当たり前に見られる光景だ。

しかしその逆は滅多にない。

まあ、仕事についたばかりの者を指導するような、定型的な仕事をアンドロイドにやらせるような話ならどの国でもある。

だが、この国で見られる光景はそういうものとは全く違う。

先ほどのホテルのフロントもそうだ。明らかに長い経験を持っていそうな老齢のフロント担当相手に、アンドロイドがいくつかの指示を出していた。そしてその指示に対して、フロント担当は謝罪なのか感謝なのか、丁寧に頭を下げていた。

このホテルに限った話ではない。アンドロイドがたとえば会社の管理職の立場で部下に様々な指示を与えていたり、時には大企業のトップの講演だと聞いて行ってみたら、講演者がアンドロイドだったりする。この国にいると、そんな場面に本当によく出くわす。


これは一体どうなっているのだろう。私の好奇心に火が着いた。

私は街のライブラリに駆け込むと、いつものようにデータの収集を開始した。

収集を開始して、すぐにこの現状の背景にあるもののことは理解できた……というか、そもそもデータ収集をするまでもなかったかもしれない。

それはこの国の正式な歴史データにもしっかりと書いてある事だった。

あのアンドロイドの中にいる、とある存在のこと――


時は大きく遡る。

今ほどではないがコンピュータが十分に進化した頃、仮想環境を使って、人の遺伝子を研究していた研究チームがあった。

彼らは、コンピューター上で仮想的に作った受精卵を育て、仮想環境下で人として成長させ、人として暮らさせ、どういった遺伝子がどう影響するかを調べていた。

コンピュータ上であれば、時間を加速して、生まれてから数十年後の人を、数時間で確認することもできる。

研究は順調に進み、たくさんの遺伝子のコードが解明され、たくさんの病気や遺伝的な問題が解決されていった。

……とまあ、ここまでは、多くの国で同時多発的に起こっていたことだ。ご存知のかたも多いだろう。


だが、この研究チームはここからが大きく違った。

彼らは遺伝子のコード解明に飽き足らず、「よりよい人類」というものの研究へと進んでいったのだ。

もっと現代の環境に適応し、健康で逞しく、賢い、そんな人間になることはできないのか。もっと優れた人間というのは生まれ得ないのか。


当初は遺伝子の調査結果を元に、遺伝子をデザインし、コーディングする事も考えた。

だが、その手法では限界がある。人類という種の限界を超えられないのだ。

確かに「最も優れた特性を持った人」は作れるかもしれない。だが、ヒトという種の枠を超えたものは絶対に産まれない。

遺伝子そのものが、バージョンアップしない限り、人間の種としての限界は超えられないのではないか。

そこで彼らは考えた。たくさんの世代を積み重ねていけば、何かが起こるのではないか。


彼らは仮想環境をより徹底的に作り込んだ。

現在のこの国の環境、資源、科学技術レベル、その他様々なものを仮想環境上に組み込み、コンピュータ上に生態系と社会を作り上げた。

そして、その環境の中で、人間を現実よりもずっと速い速度で世代交代を重ねさせ、何千、何万という世代を、コンピュータ上で積み重ねさせたのだ。


途中で人類が滅んでしまうこともあった。

望ましくない方向へ進化していってしまうこともあった。

仮想環境内で戦争が起こったり、優れた人に到達するどころか、逆に退化していってしまったり。別の種が台頭してくることもあった。


それでもめげずに、様々な条件で並行していくつもの世界を走らせた結果、ある仮想環境で、現世の人よりもずっと知性も環境耐性も何もかもが高い人間が生まれた。

平均身長は現代の人よりも小さいが、彼らは柔軟でしなやかな肉体を持ち、病気にかかりにくく、長い寿命を持っていた。

柔和で、穏やかで、器用で、そして賢かった。

それは、明らかに自分たちよりも優れた設計の、新しく優れた人類だった。


すぐさまその遺伝子が解析される。

通常の人類との遺伝子上の違いは、当然ならがさほど多くはない。多くはないが、違っている部分一つ一つがそれぞれ驚くような発見に満ちていた。

研究者たちは興奮した。

現代の遺伝子ベースの医療に応用できる発見が多数あることはもちろん、私たち人類は、この先もっと優れた設計にステップアップすることができる可能性が間違いなくある。それが確認できただけでもとてつもなく大きな成果といえた。


だが、興奮はそれだけでは収まらなかった。

なにせ、何世代もの時間を積み重ね、厳しい時間と環境の選別を乗り越え到達した、優れた人類がそこにいるのだ。

仮想環境の中では科学や物理の理論、技術なども大きく進展し、見たこともない道具やアイデアが溢れている。

その一つ一つが研究者たちを驚かせ、興奮させた。


研究者たちは加速させていた仮想環境の時間の流れを現実のものと同じになるようにし、その新しい人類の世界をつぶさに観察しはじめた。

そこにはたくさんの驚くべき発見があり、それらは現実世界へと伝えられ、数多くの驚きと賞賛を得た。


しかしそれを繰り返すうち、研究者たちの中に、小さな罪悪感めいたものが生まれ始めた。

自分が作ったものではない、新しい人類たちの作ったものを、こうして勝手に発表して賞賛を得ていていいのだろうか。

これは窃盗のようなことではないか――

同時に、彼らをつぶさに観察していたからだろう、ある一つの欲が生まれ始めていた。

彼らと話すことはできないか。彼らとコミュニケーションを取ることはできないだろうか。

そう思ってしまうほど、彼らは魅力に溢れていたのだ。


しかし、一体どうやってコミュニケーションを取ればいいのか。

言語はある程度解析されているので、話をする事自体はできるだろう。

だが、自分たちをどう説明したらいいのだろう。「あなた達の世界は仮想環境です」だとか「あなた達は実験の結果生まれた仮想的な存在です」だなんてとても言えない。


研究者たちが思い悩んでいると、1人の研究者が仮想環境内にあるものを見つけた。

それは一つの研究の記録で、彼らの世界がどういうものなのか、そして、その創造者について書かれていた。

それを読んだ研究者たちは驚いた。どうやら彼ら自身、自分たちが仮想環境内にいるということを把握していて、いつか創造者とコミュニケーションを取る日のことがすでに想定に入っているらしいのだ。


なるほど言われてみれば、仮想環境というのは計算上の都合で世界は狭く限りもある。

たとえば天体の運行などは、地球が球としてすべてある前提で組み上げられているが、彼らが行動し観測できる地球はその一部だけだ。

彼らは仮想環境の制限のため、地球の裏側を旅することもできないし、宇宙に飛び立つこともできない。

だから気づいたのだろう。自分たちが、どういう存在であるのかを。


なるほどそれならばもはやコミュニケーションを妨げるものは何もないのではないか。

研究者たちは仮想環境内にアバターを投入し、コミュニケーションを開始した。


彼らは本当に賢く、すぐさま事情を理解してくれた。

様々な技術やアイデアを現実世界に伝えることも、快く了承してくれた。

それより何より、彼らとのコミュニケーションはなんとも刺激的で、研究者たちは時が経つのを忘れてそれに没頭した。


そして研究者たちが仮想世界に興味を持つのと同じくらい、新人類たちも、現実世界の側に興味を持った。

当然だろう。自分たちを作った、ある意味では神のような存在たちの世界だ。

仮想環境の中のほうが圧倒的に進歩した社会ではあったが、それでも彼らは現実世界を見たいと願った。

とはいえ彼らは仮想環境の中の、仮想的な存在だ。

遺伝子を元にして新人類を現実に誕生させる事はできるとしても、それはあくまで新しい生命であり、仮想環境の中で生きている彼らではない。


そこで研究者達は提案をした。彼らは電子的な存在なので、アンドロイドの体を制御して一体化することならできるはずだ。

研究者たちはすぐさま人数分のアンドロイドを用意すると、新人類たちがそれを制御できるようにした。

ついに新人類たちは研究室のコンピュータから、現実世界への一歩を踏み出したのだ。


それから彼ら新人類たちが現実社会に受け入れられるまでは、さほど時間はかからなかった。

もちろん事前に研究者たちが内情を明かしていたのもある。

そして仮想環境からもたらされた技術やアイデアが、たくさんの社会の問題を解消したからでもある。

だが、そんなことは些細なきっかけにすぎない。

彼らは人よりもずっと賢く、穏やかで、機知に富み、優しく、そしてさらにはたくさんの驚くような技術やアイデアを持っている。

人に好かれないほうが難しいのだ。


彼らはあっという間に現実世界に溶け込み、その優れた知性を活かし、多くの者は人を指導する立場になった。

だからこの国では、アンドロイドが人に指示を与える。

この国のアンドロイドたちは、単なる機械ではないのだ。その中には人を超えた新人類がいて、その実体は仮想環境の中で暮らしている。

この国の今の政府の代表も、新人類であり、普段は仮想環境の中から、必要な場合はアンドロイド姿で政治や外交を行っている。


人が作り出した仮想的な存在が、人を統べる者になる。

そんな世界を、一体誰が想像しただろう。

しかしそれはここに実在し、どうやら他の多くの国よりも、よい国と呼んでいい状態にある。

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