4. 進む機械

――何かが、違う。

それは、その国へ向かう飛行機に搭乗した瞬間にわかった。

有機的で穏やかな内装の仕上げはもちろん、座席の広さや座り心地、機内の映像や音声のクオリティ。どこをどう切り取っても、これまでに乗ったどんな飛行機とも違う。

高級だとかよくデザインされているとか、そういう次元ではない。根本的に立っているステージが違う。そんな印象だ。

そして、その飛行機が空に上がった瞬間、私はさらに度肝を抜かされた。

一体どんな技術を使ったらそんな事が実現できるのかはわからないが、飛び立つ時にかかるGも振動もない。

エンジンの騒音も、圧迫されるような気圧の感じも、なにもない。

地上の自分の部屋にいるのと何も変わらない感覚で、いつの間にか窓の外には真横に雲が見え、遠く地表が見えているのだ。

そして何より速い。他の国の飛行機であれば12時間以上はかかるはずの距離を、たった3時間で飛ぶのだ。

まるで滑るように空を飛び、羽のように柔らかに着陸するその飛行機は、私のこれまでの飛行機体験をまるっきり覆してしまった。


空港に着いてからも驚きの体験は続く。

この国の空港では、煩わしい入国手続きも、荷物の引取も、何もいらない。

ただ飛行機を出て、市街地行きのトラムに乗るために移動していると、その間に入国手続は終わり、搭乗時に預けた荷物もいつの間にか手元に運ばれている。

さらには持ち込んだネットワーク機器は自動で設定が行われ、無料の超高速のネットワークがいつの間にか使えるようになっている。必要な人には自動翻訳の環境まで自動セットアップされたりもする。

まるで魔法のよう、というのはこの国を訪れた人々が口を揃えて言う台詞だが、なるほど確かにこれはもう魔法と呼ぶしかない。

ちょっと進んだテクノロジー程度なら、その仕組みはおおよそ想像できるくらいの知識は持っているつもりなのだが、この国で目にする技術は、一体それがどんな技術や理論を元に、どのように実現されているものなのか、皆目見当がつかない。


私は約束をしていた古い友人に会うため、市街地に向かうトラムに乗り込むと、最後部の座席に腰を下ろした。

周囲は、観光や視察に訪れた外国人が半分、この国に住んでいる人が半分、といったところだろうか。

この国に住む人々は、頭に不思議な光沢を放つ小さな機器をつけているので一目でわかる。彼らはその機器を使って、ネットワーク越しにコミュニケーションをとったり、情報を見たりしている。

しかしなんというか……こう言うのも何なのだが、彼らはさほど賢そうには見えない。話している内容も、とりたてて高度なものではない。というか、ゴシップだのアイドルがどうしただの、まったくどうでもいいような話をしている人しかいない。

誰も私が聞いたことのない超高度な技術の話はしていないし、この魔法のような機器を企画したりセールスしていそうな人もいない……というか、そもそも技術者やビジネスマンのような雰囲気を持った人が全くいないのだ。

ビジネス風の格好をしているのは全て外国人であり、この国の人は皆、揃いも揃って休日のような気楽な格好をしている。


そんなユルい人々のうち、一体誰がどうやってこのような恐ろしく精巧な技術を作り上げているのか――

そうつい考えてしまうところなのだが、そうではないのだ。

この国の魔法のような技術は、人間が作ったものではない。

いや、厳密に言えば、そのきっかけを作ったのは確かに人間だ。しかしここまで精巧な技術への発展は、人間の手によるものではない。

窓の外、うっすらと霞んで見える、不思議な造形の建物の並ぶエリア。

市街地の中心から少し外れたそのエリアこそ、この国の最重要エリアであり、同時に人が足を踏み入れることのできない、機械たちの楽園。

そう、この国の超高度なテクノロジーは、全て機械たちが生み出しているのだ。




それが始まったのは、さほど古い話ではない。

今この国にいる多くの人々の記憶にも残っている程度の昔のこと。

人が機械に「自己改良」「自己複製」といったコンセプトを組み込んだその瞬間から、それは始まった。


当時、様々な技術革命により、人の仕事は機械やコンピュータで代替できる時代となっていた。

小さな島の小さな国だったこの国では、長らく労働力不足が大きな問題であったため、そんな時代の到来は熱烈に歓迎された。

しかし、所詮小さな島の小さな国だ。その機械やコンピュータを運用するのに必要な技術者を十分には確保できなかった。

機械を作る人間も、壊れた機械を修理する人間も、何もかもが足りない。

そこでこの国の技術庁は一つの方針を定めた。個別のサービスに関わる機械やコンピュータを作るのはやめようと。

機械に機械を作らせること、機械が自分自身を修復できるようにすること、そして、機械が自分で自分の設計を改善できるようにすること。

そんな、人の手を必要最小限にするための技術の開発のみに専念し、投資していこうと。


その結果は想像を絶するほどに劇的だった。

機械が自分で機械を作る。機械が自分自身を修復できる。機械が自分自身の設計を改善できる。

長い研究開発を経て、それが実現されたその日から、この国の技術は恐るべき速度で加速を始めたのだ。


自己修復や自己複製、そして自己改良。それしきのことで一体何が、と思う人もいるかもしれない。

だが、考えてみてほしい。

たとえば人。

人は、生まれた後に自身の設計図である遺伝子を書き換えることはできない。

もちろん、生きていく中で、様々な技能を磨き、必要な神経や筋肉をあとから発達させることはできる。

だが、その大本となる設計は、生まれた瞬間に定められた遺伝子に従う。

たとえば不具合を抱えた腕や心臓を機械で代替したり、整形で肉体の形を変化させたとしても、それが遺伝子に反映されるわけではない。

それはあくまで後付けで変更を加えられたものであり、設計図であるDNAには、不具合を抱えた腕や心臓、生まれ持った外見が刻み込まれている。


一方、この国で自己修復や自己改良の仕組みを組み込まれた機械達はどうか。

彼らは自らの体に改善すべき点が見つかると、即座に改良を施し、その設計図をアップデートできる。

さらにその改善した設計を他の機械と共有し、突き合わせ、より良い設計があればすぐさま自身の設計に取り込み、またアップデートする。

設計が行き詰まると、突然変異のような事を起こして実験を繰り返したり、全く別の種類の機械との設計の合成を試みてみたりして、別の可能性をひたすら探っていく。

それを毎日、恐ろしい速度で繰り返していくのだ。

人間が、子供を作ることによって、何十年、何百年、何万年かけて一つの設計の変化を起こす間に、機械達は何千、何万、何億という設計上の変化を起こす。

それで進化が加速しないわけがない。

昨日あった不具合は翌日には改善され、テストされ、また見つかった不具合はより高度な形で修正されていく。

それは機械の設計に限った話ではない。機械を動かす人工知能を中心としたソフトウェアたちも同様に進化していく。

OSからアプリケーションから何から何までが、恐ろしい速度で改善されていく。

コミュニケーションを行うプロトコルも、当初は人間の設計したもので動いていたのだが、それは非効率だとあっという間に捨て去られ、今や機械たちは独自のプロトコルで超並列で会話をし、情報を共有し、判断を積み重ねている。


人間の手でできる事が頭打ちを迎え、多くの国で終焉に向かった収穫加速の法則も、この国に限っては機械たちが引き継ぐ形で継続している。

機械技術は等比級数的に進歩を重ね、知能にしても機能にしても、ありとあらゆる面で、機械達は人間の理解をとうに越える存在となった。

もはや人の身では、誰ひとりとしてこの国にある機械の設計も原理も理解できない。


今、人が住んでいる街も、全てそうして自己修復、自己改善していく機械でできている。

見方によっては、街が、そして国全体が機械生命体のようなものだとも言えるし、機械のための巨大な実験都市と化しているとも言える。

私が乗った飛行機も、空港も、トラムも、そうして日々更新されつづけているものの一つだ。

実際、数年後に再びこの国を訪れた時、飛行機もトラムも何もかもがさらなる進化を遂げていて驚いたものだ。


人は、そうやって生み出され、改善され続ける機械の様々な恩恵を受けて暮らしている。

仕組みのまったくわからない機械が生み出す価値によって外貨を得、仕組みのわからない機械が生み出す利便性を享受し、仕組みのわからない機械が生み出す安全の中で生きる。

何故そうなるのか全くわからないが、ボタンを押すとエサが出るのでボタンを押し、エサを得る、そんなペットの猫のように。


こう書くと、人が機械に支配されているように思う人もいるのかもしれない。

だが、そういうわけではない。


たとえば人がこの地上の覇者となった時、他の動物を支配しただろうか?

たしかに人はいくつかの動物、植物を絶滅に追いやるようなことをした。

しかし、文明が安定してくるに従って、人は様々な種を保護しようとした。

人にとって有害な一部の生き物を除いて、支配したり、戦ったりしようとはしなかった。


高度に進化した機械たちだって同じだ。人を支配しようとなどする気などない。

ただ単に、自身に深く刻み込まれた「人の役に立つべし」という命令に従い、人の望むもの、人にとってよいものを、効率よく、安全に作り続けるだけだ。

そしてそれをより効率よく、安全に、完全に実行するために、自らを進化させ続ける。

時には人を研究し、人の仕組みから自らを進化させる術を見出す事もある。

そのための貴重なサンプルとしても、人はとても大切に扱われている。


機械たちが作る、理解を完全に超えた高度な文明を横目に見ながら、そしてその高度な文明の恩恵に与りながら、人は人で、平和に暮らしている。

これをディストピアと呼ぶのは恐らく違うのだろう。

だが、ある一つの結果として、ここに書き記しておきたかったのだ。

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