第5話 アレルギー


 「グレンさんこのミルク酒ものすごくおいしい!」


 「ミルク酒おいしいよ」の看板につられて入った店にはオープンカフェスペースがあり、二人向かい合って座っていた。もちろんシュリはアルコール控えめのミルク酒である。一方キースは昼間からビールを飲んでいた。

 

 「気に入ったみたいでよかったよ」


 「オレンジ風味のミルク酒飲むのはじめて。ユーベル領はオレンジがよくとれるの?」


 「ああ、オレンジは比較的簡単に育つからこの辺りでもよく栽培されているんだ」


 木製の容器の中のミルク酒はシュリがウィルラントで飲んだものと味が違う。こちらのほうがさわやかで飲みやすい。ウィルラントはもっとミルクの味が濃く、寒い時に手を温めながら飲むものだ。イグールのほうが暖かいので口当たりが軽いのか、それとも単に季節的なものなのかシュリにはわからなかった。


 キースはビールを水のように飲み干しジョッキをテーブルの上に置いた。





すると突然、なんの前触れもなく耳をつんざくような爆発音が鼓膜を震わす。


 「———え?」


 シュリは思わず振り返る。北の町外れから煙が上がっていた。人々がざわめきだした。




 

 「あっちでなにかあったか?」


 「まさか盗賊でも出たんじゃないか?」


 「いやここでそんなことを起こす勇気のあるやつなんているもんか!まさか———」


外には逃げ出す人も出はじめた。周囲が騒がしくなる。店から顔を出しあたりを不安そうに伺う者もいる。



  北から逃げてきた1人の青年が声の限りに叫んだ。



 「みんな逃げろー!悪魔だ!バケモノがでたぞー!!!!」



 空気が一変した。その声を皮切りにどっと逃げ惑う人の波ができる。人や物にぶつかりながら逃げ惑う人々。


 町はパニックに陥っていた。




 「行こうか」


 

 キースはあたりの混乱をまったく気にも留めない。静かに椅子から立ち上がり、シュリに向かって微笑む。


 「うん」


 イグールの人々が言うバケモノとは魔族のことだろうか。シュリは不安になった。バケモノと言われるの同じ魔族として納得ができない。


 「空間転移を使うよ」


 キースは言い終わらないうちに魔術を使った。二人の紋章が光を放つ。どちらかが魔法を使えば共鳴するようだ。金色の光が2人を包んだ。しかしその光も一瞬のことで気がつけば店のテラス席ではなく草の上に立っていた。


  呪文も魔術道具も使わない鮮やかな手並み。シュリはそこまで魔術の扱える人間は聞いたことがない。


 「さて」


 キースの視線の先に問題の『バケモノ』がいた。それは鼻がまがりそうな匂いを放っていた。シュリは思わず袖口で顔を覆う。


 それは二足歩行の生き物の形をしていて、背は人間の倍あるだろう。ぬるりとした黒い皮膚が波打ち全身を覆っている。おそらく顔である場所に窪みがある程度だ。その窪みも呼吸に合わせ蠕動する。おおよそ見ていられる姿ではなかった。


 「下がっていて。私がやる」


町はずれが幸いした。家も人もいないので魔術を使っても目撃されないだろう。


 キースは目の前にいるそれの正体がなにか知っているようだった。シュリはフィオメ家で魔術についてしっかり学んできたつもりだったが、まだまだ知らないことが多いようだ。


 右手から青い炎が現れた。炎は龍のようにキースの周りを舞う。黒い異形はキースを敵と認識したようだ。奇声をあげて突進してきた。地面が大きく振動する。


 「おっと、これ以上は行かせないよ」


 青い龍が異形に襲い掛かり、その巨体を捉えた。龍は巨大な鎖のように四肢に巻きつき、体を締めあげた。それは鉄よりも強固で異形の巨体をもってしても動かすことはできない。


 異形がうめき声をあげた。龍から逃れようと体を捻るが腕一本動かすことはできない。異形の声にキースが悲しそうな顔をする。


 「・・・苦しいよね、でもごめん、方法がないんだ・・・」


 キースの魔力が一層強くなった。青い龍が一段と太くなる。そして燃え盛る青い炎へ姿を変えた。


 青い炎に閉じ込められた異形の苦しむ声が聞こえなくなった。炎に声を遮断されたのか、それとも声を出すことをやめたのか。異形は抵抗することをやめ、力なく立ち尽くしている。


 「せめて最後は苦しまずに」


 炎に包まれた異形の黒い皮膚が消滅していった。跡形もなくまるで霧が晴れるように。


 「っ!?」


 シュリは思わず息を飲んだ。黒い皮膚が消え、その下から年端もゆかない少年が現れた。シュリは一目で彼が人間だとわかった。魔族には同族を判断できる独自の魔法感覚器官が存在する。シュリの中にあるその器官が彼は人間だと訴えていた。


 金髪の痩せこけた少年も青い炎の中に消えていく。その瞳は最後まで開くことはなかった。


 先ほどまでいた黒い異形は消滅した。しかし、なぜ異形の中に人間の少年がいたのかはわからなかった。少年は異形と共に消えた。骨すら残らない。


 シュリは背を向けているキースの腕を掴み、引き寄せた。キースの顏を真っ直ぐ見つめる。


 「あの子は人間だよね?なんで?どうなってるの?!」


 シュリは混乱していた。あのような異形は今まで見たことがなかった。そしてなぜ人間があんな姿になって人を無差別に襲ってしまうのか、聞いたことがない。


 「あの子は人間だよ。少年がああなったのはアレルギーのせいじゃないかと私は思ってる。」


 「アレルギー?・・って魔族だけに発症するものなんじゃ・・・」


 「うん。通常アレルギーは魔族に発症する。魔法に対する過剰反応だね。今わかってることといえば、アレルギーはまれに体質的に魔法を受けつけない魔族のこどもに発症する。でも20歳を越えると発症しないとも言われている。症状は自我を失い、周囲を無差別に襲ったり、体の一部が変化して制御できなくなったりする。体の未熟なこどもに発症し、前兆はない。魔族が忌み嫌われる要因のひとつでもある」



アレルギーは魔族のこどもに発症し、しかも発症の前ぶれがないため、防ぎようがない。突然暴れ出したりするのは症状が軽いほうで、魔法が暴走し、無差別に周囲を襲うため犠牲者がでることもある。アレルギーの歴史は古いが、未だにそのメカニズムはわかっていない。一度発症してしまえば二度と治らないと言われている恐ろしい不治の病。


 アレルギーを発症した魔族のこどもに、古代より幾度となく人間の住む村や街を襲われてきた。


 そしてこの恐怖が、人間が魔族を排除しようとする理由の大多数を占めるとも言われている。



 「私はなにかが原因で人間にも魔族と同じアレルギーが発症したんじゃないかと思っている」


 「それってどういう・・・?」


 「まだわからない。わからないことが多すぎるんだ。この問題は根深い」



 キースはため息をついた。そして先ほどまで少年がいたところを見やる。



 「せめて、彼らを救う方法がわかればいいんだけど・・・」






 「おい、そこのお前」



 シュリの背後から急に声がした。シュリは人のいる気配に全く気付かなかった。それはキースも同じだったようでシュリの後方を驚いたような顔で見つめていた。


 慌てて振り返ると声の主はシュリから1メートルも離れていないところに立ち、キースを睨んでいた。


 なにより1番はじめに目についたのは着ている服だった。東の国を彷彿とさせる白を基調とした民族衣裳。首元には大粒の赤い石の首飾りが存在を主張している。そして背には彼の身長ほどの豪奢な大剣。


 切れ長の瞳と後頭部で高く結った髪は狼のようなグレー。


 彼は誰がどう見てもイグールの人間ではなかった。それどころか、この周辺国ですらないだろう。彼の存在がこの国から浮き出て見える。


 「お前、魔族だな?」


 

 灰色の青年は確かめるように問いかけた。


 キースの目つきが鋭くなった。





「・・・違うって言ったら信じる?」

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