第4話 平和


 昼食後、シュリは待ち合わせ場所の図書館へ来ていた。図書館はシュリたちの住んでいる棟とは離れ、独立しているので人気がなく静かだ。朝一回の掃除が終われば誰も立ち寄らない。煉瓦造りの大きな図書館を見上げる。建物は古く風化が進んでいた。城はあちこち改装していて綺麗になっているが図書館は手付かずのようだ。誰も使わないなら優先順位は低いだろう。時間が何十年も止まっているような場所だ。


 シュリはカバンの中身を確認する。お金は持っていないので中身はハンカチと水筒ぐらいだ。しかもこういう外出は初めてなので緊張する。何を持っていけばいいかひとしきり考えた結果この二つに落ち着いた。ナイフなど身を守る道具は持っていくのはやめた。街中で騒動を起こすわけにもいかず、疑いをかけられたら言い逃れができないからだ。使いたくないが身を守る術は魔術だけで十分だ。


 「やぁ、お待たせ」


 キースがふらりとやってきた。彼も庶民の格好をしている。グレーのロングコートに黒いズボン、ハンチングをかぶっている。まるで文学青年のような出で立ちだ。図書館で本を読んでいたら間違いなく様になる。目立つ黒い髪は帽子の中へしまいこみ、魔法で少し色を変えているようだ。瞳の色も青く変わっている。

 「よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げた。キースは苦笑する。


 「律儀だなぁ。今日私のことは殿下じゃなくてグレンって呼び捨てで呼んでね。」


 「わかりました」


 「ほら、敬語もおかしいでしょ?もっとフランクにいこう!」


 キースは上機嫌でシュリの顔を覗き込んだ。いつもと違う場の雰囲気と、透き通った青い目で見つめられてどきっとしてしまう。


 「が・・・頑張る。」


 「うん。期待しているよ」


 シュリはキースの笑顔がとても好きだ。


 2人でこっそりと裏門から町へ下りる。こんな状況にも関わらず、シュリは今まで知らなかったことを知れるチャンスに、胸の高鳴りを抑えられなかった。





 「わぁ・・・すごい」


 シュリは思わず感嘆の声を上げた。ユーベル領は田舎だと口すっぱく言われていたが、眼前に広がる風景はのどかな田園風景とは違っていた。


 「すごいでしょ?ここは田舎だけど、頑張ってると思わない?」


 シュリとキースがいるのはユーベル領の中心街。宿場や市場があり、栄えている場所だ。


 「う、うん。グレンさんがかなり田舎っていうから、陸の孤島を想像してた。」


 言葉がぎこちない。シュリは王子殿下を仮名とはいえ呼び捨てにする度胸は持ち合わせていなかった。さん付けが精一杯でむしろ緊張で片言になりそうだった。



 一方キースは態度も言葉もぎこちないシュリに少し不満の様子だ。しかしキースもいきなり王子を名前呼び捨て、敬語なしは難しいと自覚もあるようだ。咎める様子もない。


 「ここは山の中の町だけど、山を越えた先にある隣のダグラス領へ続く中間地点でもあるんだ。最近道が整備されてきて、ダグラスの港へ行く商人たちが来るようになったから少しずつ栄えてきたかな。ここ以外は山とその隙間を縫うように家がある。のどかな場所だよ。」


人の往来を観察すると、荷馬車を引いた商人が多いようだ。ユーベル領は閉鎖的な町ではなく、宿場町だ。旅人向けに商いをする店や、パブもある。賑やかな場所だ。


 「こういう場所、初めて」


 ウィルラントでは屋敷の外にはほとんど出してもらえなかった。フィオメの屋敷は山の上にあり、町を見下ろすようにそびえていた。ククス領はウィルラントの都市部から少し離れているので家が軒を連ねる静かな町だ。窓からよく町の様子を眺めたものだ。どうしても外へ出たくて、ユリウスにしつこくお願いしたらリックに内緒で連れ出してもらったことがある。本屋と出店によく行き、本を買ったあとミルク酒を二人でこっそり飲んでいた。家に帰ったら必ずリックに怒られる。そんなことをしていた。


 今と状況が似ていてでユリウスのことを思い出した。ユリウスはシュリが行方不明だと知っているのだろうか。もし気付いて探してくれているなら心が痛む。きっとここまではたどり着けないだろう。国も離れているし、なによりユリウスは国の中枢に身をおいている。正式なフィオメ家の人間ではない者を探す時間などないだろう。救出を期待して待つのは時間の無駄だ。


 「シュリ、顔が暗いよ。そんなに私といるのが怖いかい?」


 「・・えっ?いやそんなことは!!」


 知らないうちに考え事が顔に出ていたらしい。慌てて否定する。


 「・・・うーん、ほんと?」


 「・・・っほんとです!ロセにいるときもこうやってこっそり外出したなって

思い出してただけです!」


 シュリはこういう時に賢い嘘をつけなくて自分の間抜けさを実感する。


 「・・・じゃあ、そのしかめっつらは?」


 キースはシュリと違いなんでも如才なくこなすタイプだろう。こういう人と一緒にいると自分の粗忽さが露見する。


 「私そんなに仏頂面をしてましたか?別に、大したことないです。兄を思い出しただけですから。」


 焦って相手に都合の良い情報を与えてしまうのだ。


 キースはあたかも悪巧みを思いついた子どものようににやりと笑う。


 「へぇ、お兄さんがいるんだね。どんな人?」


 「完璧な人です。少々過保護ですけど。」


 「会ってみたいね。そうだ!帰ったらお兄さん宛にお手紙を書かなきゃいけないな。シュリは大切にお預かりしてますって。」


 「手紙は出さないでください。」


 「え?」


 「家の事情が複雑なので。かえってご迷惑をおかけすると思います。それでこの件に関してこれ以上の質問は禁止です。もし破ったら町のど真ん中で叫びますよ?で・ん・か・?」


 今度はシュリが悪巧み顔をする番だった。猫パンチくらいお見舞いしないと立つ瀬がない。この状況ではシュリのほうが有利だ。まさかこんな町の真ん中にキース王子がいるなんて誰も思うまい。万が一バレたら混乱がおこるだろう。


 「ふふふ・・・やるね、負けたよ。これ以上は聞かない。ただし!先ほど言った敬語禁止が守れればね!」


 「守る!」


 即答した。キースは前回のように事を起こすことはしないようだ。シュリは彼の飄々とした態度を見て安堵する。


 「よーし、いい返事だ!ちなみにこれは家に戻っても有効だ!」


 「はい?」


 家というのは今住んでいる城のことだろうか。シュリの頭の中に疑問符が浮かぶ。


 「ずっと敬語抜きってこと。私たちは運命共同体だからね!」


 「ええっ??さすがにそれは・・・」


 リーアム時とはわけが違う。イグール国の偉い人トップ5に入るキースに素性の知れない魔族が馴れ馴れしく口をきくわけにはいかないだろう。


 「私たちは出会い方が特殊だし色々警戒されるのもわかるけど折角出会えたんだ、楽しまないとね。」


 そう言ってキースはキザったらしくウィンクをした。突然のことでシュリは頭の中で色々考えていたことがすべてどこかに飛んで行ってしまった。一拍おいてシュリが話しかける。


 「・・・グレンさん、さすがに今のはない。いくら美形でもそれはない」


 「えー!!シュリ厳しい!私がそれをして落ちなかった女性はいないのに!」


 「そういうのが好きな女性はいっっくらでもいると思うよ?しかもグレンさん美形だし?でもちょっと・・・」


 「シュリ、顔を背けないで。私はこっちだ」


 なんとなくキースを見るに耐えなくて顔をそらしてしまう。会話の中に自然にウィンクを織り交ぜてくるなんて油断ならない。キースが泣かせた女性はたくさんいるに違いないとシュリは予想した。


 そらした目をそのまま泳がせているとその先にシュリの好きな「ミルク酒おいしいよ」の看板が飛び込んできた。。


 「あ、グレンさん私あそこのミルク酒のんでみたーい」


 シュリの意識は完全にミルク酒に持っていかれた。


 「こらまだ話は終わってないよ!」


 キースはミルク酒の看板に吸い寄せられるシュリを追いかけた。

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