第3話 リーアム


 「さて、と」


 シュリは鏡の前でくるっと回った。ふんわりと若草色ワンピースが揺れる。こちらに来てからずっとドレスを着ていたのでワンピースの動きやすさがよくわかる。編み上げブーツを履いているので飛んだり跳ねたり自由自在にできる。久しぶりの身軽さに心が弾んだ。


 キースにナイフで脅されるという事件が発生していから数日、キースの計らいで城内のシュリの正確な立場が認識されるようになった。キースに引き抜かれてやってきた貴族出身の魔術師だと、リーアムが説明に城内を駆け回ったらしい。


 ユーベル領で魔術絡みの事件が増えていることもあり、説得力があったようだ。事の性質上シュリの身の上の詮索をすることは禁じられた。城内の者の反応は早く、キースの決定に異論を唱える者はいなかった。この城で働く者はキースのおかげで魔術に対する偏見や差別意識がないのが一番の要因だろう。とはいえ、この国ではまだ魔術は開けてはいけないパンドラの匣だ。用心するにこしたことはない。


 魔族ということは伏せられ、シュリは魔術師としてキースのパートナーとなった。左手の契約の紋章は魔術を使わない限り浮かび上がってこないのでそのままにしている。その紋章は今まで見たことがないものだったので、まずはイグールの魔術から学ばなくてはならなかった。シュリにはキースの願いを叶えるためのリサーチをはじめ様々な仕事が待っている。


 恵まれていることに、この城には大きな図書館があったので調べ物には事欠かない。ここ数日は図書館にこもって調べ物をしていた。イグールの建国の歴史からイグール人の魔族と魔術の関わりまで。図書館は広く、すべて見て回るためには一ヶ月は要するだろうが、魔術に関する本はとても少ない。これほど少ないと魔術に関する本は処分されたのではないかと疑う。シュリはイグールの魔術や魔族の排除の仕方は異常だと感じていた。正直魔術本はフィオメ家の20分の1以下だ。王子の住む城でこうなのだから市場に出回っている本などないだろう。情報収集が難しい。


 つくづく自分の身に起こった不幸を呪う。魔族だとキースに知られてしまった。この露見が今後どう作用していくのかわからない。正直まだキースを信用しきれていない。キースはこれから少しずつお互いを知っていけばいいと言っていたが、味方が誰もいないこの国で自分を素直にさらけ出すことは得策だとは思えなかった。一国の王子とただの魔族ではもともと持っている力が大きく違う。危険を冒してまで信頼関係を築く必要性はあるのだろうか?キースという人物を自分の目でよく見ておく必要がある。




 

そして今日はキースにユーベル領を案内してもらう日だ。「お忍びで町にいくから町娘に見える格好をしておいて」とリーアムから伝言を受けとった。一番シンプルな若草色のワンピースに編み上げブーツ。長い髪は後ろでまとめている。どこからどう見てもただの町娘。準備万端だ。


 キースに会うのは数日ぶりだった。シュリが図書館に引きこもっていたように、キースも執務室に引きこもって仕事をしていた。空白の一ヶ月分の仕事をまとめてこなしていると聞いた。食事をとっているところも見なかったのですべて執務室で済ましていたに違いない。リーアムが書類を持って駆け回っているところを数回目撃したが、リーアムは見る度に顔色が良くなっていくようだった。仕事で責任者不在は問題であり、仕事を一人に押し付けることもあってはならないことだ。リーアムの一ヶ月間の苦労が垣間見れたような気がした。


 そして昨日、仕事の区切りがついたらしく、普段より機嫌よくリーアムが図書館にやってきた。意外なことに差し入れを持って。









 「邪魔をする。」


 そう言って静かにシュリの目の前に座った。周りには本と紙の山。誰もこないのをいいことにメモを書き散らし、読んだ本を山積みにしてる。まるで秘密基地だ。メモのほうは分類不能に陥りつつある。


 「リーアム様、珍しいですね。」


 シュリは読んでいた本にしおりを挟んで閉じる。


 「別にリーアムで構わない。俺はただの側近だ。」


 リーアムの一人称は「私」だと思っていたが勘違いだろうか。しかしそれにしてもいつもと感じが違った。


 「今日はなにやらくだけた印象ですね。なにかいいことでもあったんですか?」


 「比類なき量の仕事が終わった。」


 仕事が終わった開放感で機嫌がいいのだろうとシュリは納得した。

 「おめでとうございます。今日は無礼講ですね。」


 「ああ、殿下の好きな酒を今料理長が用意している。俺も好物を今晩のメニューに加えてくれるよう頼むつもりだ。シュリ、お前もなにかないか?」


 シュリは目を瞬いた。あまりにも意外だったからだ。城にいることは許されているが歓迎はされていない。いない同然の影のような存在だと思っていたのに、わざわざこちらまで出向いてこんなことを聞かれるなんて思わなかった。


 「お前好物はないのか?」


 なかなか答えないシュリを不思議に思ったようだ。


 「ええと、好物は・・・」


 答えに行き詰る。シュリはイグール国の、そしてユーベル領の料理をよく知らない。とっさにでてこなかった。思わずウィルラントの料理を口走りそうになり焦る。


 「そうですね、特別好きな物はないのでユーベル領の特産品を使ったものをお願いします。」


 「なんだ、つまらん。もし気が変わったら早めに料理長に伝えろ。」

 「わかりました。ありがとうございます。」


 「敬語はやめろ。殿下の前だけでかまわん。」


 「・・・わかった。」


 シュリはイグール語ネイティブではないので実は敬語の方が話しやすい。言葉は常に変化しているので流行を追うのは難しいが、その中でも変化が少ないものが敬語だったりする。つまりボロが出にくい。くだけた会話をするには一抹の不安があったが、会話は実践で上達するものだ。シュリは慣れようと心の中で決意した。


 リーアムはふと持っていたカゴをシュリに差し出した。


 「渡すのを忘れるところだったが、これは殿下からだ。」


 カゴの中を覗くとつやつやのオレンジが3つ、行儀よく並んでいた。

 「わぁ、おいしそう・・・」


 「今が旬だ。うまいぞ。」


 シュリはつやつや光るオレンジを手に取った。身がずっしりしていて食べ応えがありそうだ。


 「ありがとう。殿下は?」


 「執務室のソファで安眠中だ。」 


 「お疲れですね。」


 「ああ、ほとんど睡眠をとられていない。一ヶ月も城を空けていればそうなることもわかりきっている。」


 リーアムはため息をついた。シュリはずっと疑問だったことをリーアムに聞く。


 「なぜ殿下は一ヶ月も城を空けていたの?」


 キースがシュリを召喚したことを知らなければ言えないことだ。この城でリーアムにしか問うことのできない疑問。しかし答えはあっさりしたものだった。

 「しらん。」


 「え?側近でも知らないことがあるんだ・・・」


 「お前、なかなか言うな。それは殿下が臣下に言わないと決めたことだ。俺はそれに従っている。お前を城に置くと決めたことと同じようにな。」


 「殿下を信頼しているんだね。」


 「当たり前だ。それに殿下がいなくても一ヶ月くらいどうにでもなる。」


 「リーアムが優秀だから殿下も城を空けたんよね。絆の深さを感じるわ・・・」


 「ふん、当然だ。」


 自慢げなリーアムに笑みがこぼれた。仕事人間で厳しいというリーアムのイメージが少しだけ変化する。


 「あともう一つ殿下から伝言だ。明日町へ出るから町娘の格好をしておいて、だそうだ。」


 「わかった。町娘ってことはお忍びだよね?」


 「ああ、もちろん殿下の身分を知られるのはご法度。待ち合わせは明日の昼食後図書館前だ。」


 「ありがとう、準備しておく。」


 「ああ、頼む。」


 リーアムは用事が済んだとばかりに椅子から立ち上がった。そしてニヤリと笑みを浮かべる。


 「じゃ、今夜の夕食で。殿下は酒好きだから今夜は高い酒が色々飲めるぞ。楽しみにしておけ。」


 軽い足取りで戻るリーアムを見てシュリは夜を一番楽しみにしているのは彼に違いないと思った。

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