終章

 チャールズがその意識を再び掴んだのは、外部からの音が耳を伝い彼へと届いたからであった。彼を呼ぶ男の声を手掛かりに、一気に意識を覚醒させた彼はパチリと金色の睫毛に彩られた瞼を上げ、重かった筈の身体を一気にガバリとベッドの上から起こす。

「チャールズ!」

 彼の一連の動きに、嬉しそうな声色を隠さず上体を起こした彼の身体へ勢いよく飛びついたのはアレクサンドルであった。「よかった、全然目を覚まさないし、どうなることかと思ったんだよ!」今にも涙が零れ落ちそうな程に、紫色の瞳を潤ませながらそう言ってチャールズを抱きとめるアレクサンドルに「驚かせてしまってすみません」とチャールズはされるがままの状態で眉を下げつつも彼へと告げる。

「きみは悪くないだろう、こういう時に悪いのは大抵ルイだ」

 チャールズの言葉にそう言い切ったアレクサンドルはやっと彼をその腕の中から解放し「身体は大丈夫かな?」と、先程とは違う優しい医師の顔で彼へ問う。チャールズはそこでやっと自身の身体の不調が全て消えた事ーーそして、ルイとの繋がりが元通りに戻っている事に気付く。

「万全です、というよりも前よりもルイさんの魔力が強くなっている気が」

 少しの違和感を覚え首を傾げたチャールズの脳裏に、闇の中で出逢った一人の女性の悪戯っぽい笑みが過る。彼女のおかげなのだろうか、と違和感の正体を断定したチャールズに「よく耐えてくれた」と低く響く男の声が届く。

「ウィリアムさん」

 チャールズが声の主の名を呼べば、小さく微笑みを浮かべたウィリアムはゆっくりと静かに彼へと再び口を開く。

「ルイも、ハイデルベルクも無事だ。日本支部の協力者は怪我をしたようだが……まぁ、それはいい。お前も無事で良かった、これで全て終わる」

「おかげさまで、俺や他の日本支部からの異動メンツも一旦日本に戻る事になったんですけどね」

 不満げな白雪の声にチャールズが眉を下げれば「君のせいじゃない、それに俺はすぐこっちに戻れるよう異動願いを出すつもりだし」と彼は言葉を重ね笑みを見せる。「こっちには俺を王子様と慕うお姫様が居るからね」付け加えられた言葉に、そのお姫様というのが自身の妹の事であると気付いたチャールズは「重ね重ね何と言っていいのか……」と困り果てたように布団の上に突っ伏してしまう。チャールズの様子を見た白雪は慌てて弁解するように口を開いた。

「君は気にしなくても良いんだって! 俺がイーリスと逢ってるのは俺の意志だし、何なら最近あの子が可愛くて仕方な……いや、そういう事じゃなくて!」

 自分自身の言葉に突っ込みを入れながらも慌てる白雪はその顔を耳まで真っ赤に染め上げ「違う、そういう事じゃないんだ」と自分に言い聞かせるかのようにボソボソと呟く。「すごい勢いで墓穴を掘ったなぁ」白雪の言葉にからりと笑ってそう口にするアレクサンドルへ「放っといてください!」と白雪は吠える。そんな二人のやりとりを困った表情を消せないままに見つめていたチャールズにウィリアムは静かに告げる。

「今回の件は、お前には全く非はないだろう。気にしなくていい」

 そう言ってウィリアムはゆっくりとチャールズの元へと歩み寄り、彼のしなやかな金髪に無骨な指を通す。「よくやってくれた」そう重ね笑みを浮かべたウィリアムに、チャールズはやっと笑みを浮かべる。

「全て、終わったんですね」

「これから少しばたつくだろうが、これでやっとルイもゆっくり出来るだろう」

 チャールズの言葉にウィリアムはそう返し「帰ってきたら長期休暇でも出さないとな」と呟いた。そんな穏やかな二人の間に割って入るのはアレクサンドルの明るい声で。「祝杯! 祝杯でも上げましょうよ! 隊長のとっておきのお酒、放出してください!」子供のようにはしゃいだ声を上げるアレクサンドルに二人は小さく笑い「良いだろう。先にリビングへ行っててくれ」とウィリアムは言葉を投げる。アレクサンドルと白雪がチャールズの部屋を出て行く後ろ姿を見送ったチャールズは、彼の頭を撫で続けるウィリアムにそっと声をかける。「僕らも行きましょう」チャールズの言葉に「そうだな」と返したウィリアムはそこでやっと彼の髪を梳いていた手を離すのだ。

 

        *

 

 何かが頰に触れる感覚にルイが重い瞼を上げた瞬間、その視界に飛び込んできたのは透き通るような碧い瞳を潤ませたジルヴェスターの姿であった。頰に触れたものは、彼の落とした涙のひとしずくで。「ルイ?」震える声で彼の名を呼んだジルヴェスターにルイが「どうした」と気怠い身体動かしその腕を彼の頰へと伸ばせば、彼はがばりと彼の身体の上へとその身を投げる。そんな彼の様子に、居場所がなくなったその腕をおずおずとジルヴェスターの癖のついた黒髪の上へと置いたルイは小さな子供を宥めるようにゆっくりとその癖毛を撫でる。「この間とは逆だな」思わず溢れたその言葉に、ジルヴェスターはルイの肩口に顔を埋めながら「馬鹿じゃないの」と涙声でくぐもった声を上げる。

「心配したんだから、もう、戻ってこないと思って」

 ルイの肩口に顔を埋めて彼の耳元で震える声のままで言葉を紡ぐジルヴェスターに「悪かった」と彼は静かに告げる。「でも、ああでもしないと収まらなかっただろ」とルイが言葉を重ねれば「そういう所がダメなの! そういう所が好きなんだけど!」とルイの身体の上から身を起こしたジルヴェスターは喚く。

「どっちだよ」

 要領を得ないジルヴェスターの言葉に眉を顰めるルイに彼は頰を膨らませて不満げな声を上げる。

「複雑なオトコゴコロだよ、もう危ない事しないで……って言っても、ルイは何も考えずに飛び込むもんね、知ってるけど」

 不貞腐れた声でそう言うジルヴェスターに「すまない」と返したルイははた、と気付く。

「それはそうと、あの後どうなったんだ?」

 ルイが千歳によって見せ付けられていたのは、ルイの身体を借りた千歳が動き回っている間の事のみであった。ルイが横たわっていたのは、草の上でもホテルのベッドの上でもない病院のような場所である。自身の姿がどうなっているかすら確認が取れなかったルイはその後の顛末をジルヴェスターへと問う。のだ。

「あの後……ルイが柱の中に吸い込まれてから少しして、茶髪になったルイが」

「そこら辺は割愛してくれ、自分が邪悪な表情浮かべて女言葉話してる姿は思い出したくない」

 説明を始めたジルヴェスターの言葉に重ねるように、ピシャリと鋭く声を上げたルイに小さく笑ったジルヴェスターは「じゃぁ、ルイじゃないルイが倒れた後から」と言葉を紡ぐ。

「あの後、強い風が吹いて気付いたら俺達はあの空間の外に出ててね。先に姿が消えてたスーツの護衛? と氷川で伸びてた理事長と支部長とルイを担いで局内に戻ったんだ。ナナオさんと資料室の人達が一気に上層部の膿を告発して日本支部は今大騒ぎって感じ」

 一気にそう告げたジルヴェスターの語る顛末に、「そうか」と一言口を開いたルイは「七生さんの怪我は大丈夫だったのか?」と浮かんだ疑問を声に出す。その疑問に答えたのは、本人の声であった。

「右上腕骨骨幹部骨折、大した怪我じゃない」

 そう言って彼らの前に姿を現したのは、片腕を吊った姿の七生であった。「今のところ手術も要らないらしいからな。それよりも支部長に蹴り入れてクビが繋がってる事の方が奇跡だ」

 そう言って笑ってみせた七生は、吊っていない方の手で一冊の冊子を軽く掲げて見せる。「支部内がバタついているから、すぐに戻らないといけないんだが、これを君に届けに来たんだ」そう告げて、上体を起こしたルイへ一冊の古びた日記帳を渡した七生は「センセイーー君のお父さんのものだ、君が持っているべきだろう」と言葉を重ねる。その言葉と共に手渡された日記帳をルイはそっと手にする。「父さんの……」ポツリと呟かれた言葉に七生は静かに微笑む。「ウィリアムがあの家から持ち出したんだ、君のお父さんの頼みでもあったようだよ」七生の言葉にルイが小さく頭を下げれば、七生はそうだ、と話を変えるように声を上げる。「それから、君は丸一日眠り続けてたからそろそろ君達の予約した飛行機は離陸する頃でね。滞在延長の申請はしてあるし、フライトは来週に変えたから観光でも楽しんでくれ。氷雨ーー君のお祖母様の刀の申請にも時間が必要でね。ホテルも延泊手配済みだ」そう笑って告げた七生は動く方の手でひらりと手を振り、その場を後にした。

 

「突然延泊と言われてもな……」

 一通りの検査を終えて、やっと日本支部から解放された二人はホテルの部屋に戻る。ルイに充てがわれていた部屋のベッドに飛び込んだジルヴェスターを見ながら溜息混じりにそう呟いたルイに、ジルヴェスターはからからと笑う。

「どうせ帰れないんだから、厚意に甘えて観光しようよ」

 机の前に置かれた椅子に腰を下ろしながら、七生から渡された日記帳を開くルイにジルヴェスターがそう告げて、「俺、キョートって行ってみたいんだよね!」と楽しげな声でルイへと言葉を重ねる。日記帳に残された端正な字を追いながらルイは呟くように声を零す。「京都か、俺も行ったこと無いんだよな」ルイの小さく漏らした声を拾ったジルヴェスターは「じゃぁ決まり! 観光ガイド買いに行こ」とはしゃぐように声を上げ、ベッドの上から身を起こすのだ。

「え、今から行くのか?」

「思い立ったら吉日、なんでしょう?」

 ジルヴェスターの行動にルイが驚いたように声を上げれば、ジルヴェスターはいつもの不遜な笑みを浮かべて言葉を返す。そんなジルヴェスターの姿にふ、と小さく笑みを漏らしたルイは机の上に日記帳を置き、腰を下ろしていた椅子から立ち上がる。「ルーターの延長、連絡しないと」そう漏らしたルイにジルヴェスターは「俺がやっといたから問題ないよ」と笑って返す。おつかいを成功させた子供のように威張って見せるジルヴェスターの頭をくしゃりと撫でたルイは「じゃぁ、本屋行くか」とドアへと足を向け、部屋を出て行く。

 

 誰も居ないホテルの部屋の中、机の上では一冊の日記帳がどこからか悪戯のように吹いた風をその身に受け、一人の男が人生を書き綴ったページの一枚一枚を静かに捲り続けていた。

 

        *

 

 子供達へ

 

 君たちには未来がある。

 私の家の様々な呪いがその身に降りかかる事があるかもしれない、しかし、君たちには未来がある事を忘れないでほしい。この日記を君たちが見る未来が来ない事を祈っている。

 しかし、私が居なくなった時には、この日記を読んで欲しい。そして君たち自身が選んだ人生を歩んで欲しい。

 氷川の家の物語は、永遠に失われるべきだ。それが、私の両親が選んだ道であるから。私もそれには同意をしている。だから、私は氷川の名を棄てた。

 だからこそ、君たちには「翠川瑠唯」「翠川瑠花」としての、氷川に縛られない人生を送って欲しいと、切実に願っている。

 

 君たちの人生に、幸多からんことを。

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COBA:概念外生物管理局 狭山ハル @sayamaHAL

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