Ⅶ-4 サヨナラを告げる

「どうだった? おばあちゃんの勇姿は」

 自分のようで自分ではない男が崩れ落ちる様を最後にブラックアウトした視界を見つめ続けていたルイに、明るい女性の声が届く。彼女の声に「自分の姿をした違う男が女言葉を使っている事にゾッとしていた」とその光景の感想を述べたルイに、彼女はからからと笑う。その笑い声と共に周囲はぼんやりと暖かな光の玉が浮かび、茶髪をさらりと靡かせる千歳の姿が現れる。

「もっと格好良くキメた方が良かった?」

 愉しげに首を傾げる彼女の姿に思わず溜息を漏らしたルイは「そもそも、アンタの方が悪役みたいな笑い方してたぞ」と半ば無理矢理見せ付けられた自身の身体で行われた悪行を思い返しながら顔を顰める。「それに、七生さんの蹴りが今日のベストアクションだろう」少し悪戯っぽく笑ってみせたルイの姿に一瞬呆気に取られた千歳は再び声を上げて笑いながら「やっぱり、睦月に似てるわ」と懐かしさを含ませるように遠い過去を見つめながら言葉を零した。

「さてと、世間話はここまで」

 そう言い切った千歳は、笑みを消した真剣な表情でルイに向かう。「あなたのこれからの話をしなくちゃ」重ねられた千歳の言葉に「これから?」とルイは首を傾げる。「そう、これからの話。聴いてたでしょ? 氷川の血が目覚めた以上、今まで通りにはいかないって」子供を嗜める親のような口調で言葉を紡ぐ千歳に、ルイは声を返す事なく静かに頷く。そんなルイの姿に満足げに頷いた千歳は「まぁ、覚えはあるだろうけどウチは異類婚姻譚と言われる昔話の当事者でね、ご先祖様が縁を持ったのは神の眷属だったの。驚く事にその神自身もご先祖様を気に入っちゃってねぇ。それで氷川は繁栄してきたって訳」と静かに告げる。その言葉を理解し難いように首を傾げたルイに「簡単に言えば、私もあなたも神の領域に片足踏み入れちゃったって感じ?」と悪戯っぽく笑う。千歳の言葉に眉根を寄せるルイに「あ、だからって神様の仕事がある訳じゃないから安心して。ただ、力だけが渡されたみたいな気楽なモンよ」と笑いかけた千歳は「私が氷川の血に目覚めたのは、二十を過ぎた頃だった。そこから、私の身体は時間が止まってるのよ」と重ね、一つ息を吐き出してから再び口を開く。

「一宮の小僧……理事長だったわね、アレよりも私、歳上なのよ。言いたいことはわかったかしら?」

 千歳の言葉に頷いたルイは「俺もそうなる、と言うことか」と小さく呟く。ルイの呟くような小さな声に頷く千歳は一瞬だけ言葉と視線を迷わせ、困り顔で口を開く。「私の血が濃かったからか、息子もそうなったーーまさか、あなたまでそうなるとは思わなかったけれど。普通の人として生きて死ぬことを取り上げてしまったのは、申し訳もないわ」そう告げた彼女の言葉にルイは清々しい爽やかな笑みを浮かべながら、首を横に振る。「これは、俺が選んだ事だ。あなたが悔やむ事でもないだろう」あっけらかんと言い切ったルイの言葉に虚を衝かれた千歳は再び破顔する。「やっぱり、私の孫ね。これで悔いなく消えれるわ」そう言って千歳が浮かべた笑みは、穏やかな聖母像のようだった。「そろそろ、いかなくちゃ」そう告げる彼女に「死ぬのか」とルイは短く問いかける。彼の言葉に頷いた彼女は「長かったけど、やっといける。あなたのお陰よ……さいごにあなたに逢えてよかった」と穏やかに笑いながらルイの頰に優しく触れる。その瞬間、二人の身体を再び暖かく優しい風が撫でた。

「あなたが消えても、俺は忘れない」

「失われなくてはならない物語は忘れ去られるべきよ」

 真っ直ぐなルイの言葉に、千歳は静かに言葉を返す。「けれど、あなたたちくらいは、覚えていてくれたら嬉しいわ」そう言って微笑んだ千歳は、再び口を開きそしてそのまま風に乗っていったかのように消え去った。


「あの人が、待ってる」


 そう言って消えていった彼女の残した最期の笑みは、恋する少女のように甘く爽やかなものであった。光が消え去り風が止んだ暗闇の中、一人残されたルイは俄かに重くなった自身の身体に寂しげな笑みを浮かべ、それと同時に途絶えそうになっていた意識を手放した。

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