2「バケモノみたいじゃないですか」

 あえて鍵はかけずに室長が来るのを背筋を伸ばし、座して待つ。今の僕はさながら殿に具申する武士の如くだ。悪い事をした訳ではないんだ、卑屈になる必要はない。起きたことをそのまま話せばいいだけ。恐れる事は何もない。


「あぁ? 鍵くれぇ閉めとけよ……ってなにやってんだお前」


 土下座である。


 しかしいつまでもこのままでは話が進まない。僕は頭を上げ、室長のいない間に起きたことを事細かに、つぶさに、身振り手振りを交え、時に大仰に、落語家の様に、エア扇子を振り回しながら報告した。


「御後がよろしいようで……」


「よく分かった。雨宮」


「……ハイ」


「去勢するか」


 土下座である。


「冗談だ。俺にも落ち度がある。恐らく最初にクソビッチがお前と接触したときにビーコンでも付けられたんだろうよ。そいつを見抜けなかった俺が間抜けだった」


 ビーコン? そんな物どこに付けられたのか。思わず体中を触って確認してみる。


「物質じゃねえから探しても無駄だ。アサガオの霊糸と似たようなモンだ。……今はもう付いてねえ。回収していったな」


「それより事務所ヤサが割れちまったのはマズいな。雨宮、ちょっと手伝え」


 引っ越しの準備でも始めるのだろうか。室長が事務所に入って数分、すっかり日が落ちて暗くなった空の下で月を眺めていると、二枚の霊符を持って室長が出てきた。


「お前、ちょっとコレもってろ」


「はい……。一応何をするのか聞いておきたいのですが」


 室長が碌な説明もなく僕に何か指示をだす時は、決まってろくでもない事態になっている。避けられるのならば避けておかねば身が持ちそうにない。


「結界を張りなおすんだよ。さいの神! 結界の張り直しだ!」


「ちょ、室長!?」


 僕の悲鳴にも似た静止を余所に室長が続ける。


「対価は! やってくれ!」


「しつちょおおおおおおおお!?」


 手に持っていた霊符が弾け飛ぶ。


 この人馬鹿か! 馬鹿なんだな! いや鬼だ! 神さまへの対価は魂だって言ってたじゃないか! それをこの鬼は僕の承諾も無しに勝手に捧げやがった!

 しかし時すでに遅し、勝手に捧げられてしまった僕の魂を対価にした光の玉が出現し、僕の周りを一回りした後すぐに爆発的な光を発して辺りを飲み込み、一瞬で消えてしまった。


 暗闇での突然の光で眩んだ眼が元に戻るまで数秒。僕は俯き、無言で室長に近寄り、僕の頭頂部が室長の胸元にぶつかる寸前で止まる。

 すぐさま室長の両肩を掴み、大きく息を吸いながら顔をあげ、これでもかと開いた目で室長を見据えた。


「なんて事してんスかアンタあああ! なに勝手に人の魂を対価にしてくれてんスか!」


「寝りゃ元にもどるっつったろ。大丈夫だよ」


「そういう事じゃないいい! 大丈夫とか大丈夫じゃないとかそう言う問題じゃないいい!」


 室長の体を激しく揺さぶりながら半分涙声で叫ぶ。この人頭大丈夫か?


「落ち着け」


「落ち着けるかああああ!」


 魂だぞ? 僕を僕たらしめている僕そのものだぞ? いくら回復して元に戻るとはいえ、恋人とか物とかお金とかと違って、またつくれば、また買えば、また稼げば。なんて簡単に使って良い代物じゃない。しかも他人が。


「落ち着けよっと」


 叫び続ける僕の視界が一回転して止まり、僕を見下ろす室長と月が見えた。合気的な技ですっ転ばされたようだ。余程うまく転ばされたのだろう、痛みも何もない。


「ほんと、勘弁してくださいよぉ……」


 本当に泣きそうだ。実際ちょっぴり涙が出てる。


「悪かったよ、泣くなよ。事務所ヤサバレした状態でモタモタしてられねえし、かと言って俺の魂は昼間使っちまったから対価にゃ足りねえ。今の俺が霊符二枚分持ってかれたらすっからかん。魂だけじゃなく、体も全部持ってかれて骨も残らねえよ」


 そうならそうと事前に教えてほしい。僕にも心の準備をする時間を下さい。確かに、室長には今でに二回、計六枚の霊符で助けてもらった恩がある。その恩を少しでも返したと思えば少しは……、いや、やっぱり納得いかない。


「だから、時間がなかったんだって。少しでも早く結界を張りなおさなきゃ襲撃くらって俺ら三人仲良く無間地獄行きだ。に、しても雨宮。お前……」


 室長が勢いよく頭を振り下ろしてくる。頭突きされるのかと驚き反射的に目をつぶってしまう。が、何の衝撃も痛みもないので恐る恐る目をあけてみると、目の前に目があった。超々至近距離に室長の顔があったのだ。


「ちょ、なにしてるんですか」


 横に転がって逃げようとする僕の機先を制して顔面をわしづかみにされ、体だけが勢いのまま横を向いてしまった。おかげで首が激しく痛い。


「動くな。黙ってろ」


 室長は僕の目ではなく、その奥の何かを見ているようでなんだかとても居心地が悪い。その状態がややしばらく続いたかと思うと軽く顔を放り投げられた。


「なんなんですか一体。僕はノーマルなので室長の気持ちには答えら……」


 ささやかな報復兼冗談を遮るように室長が話しだす。


「お前が一番最初にココ来た時にも思ったが雨宮、お前、魂の総量と密度が異常だ。煩悩に塗れてるくせに、魂の強さだけ言えば菩薩に匹敵する勢いだ」


 突然何を言い出したかと思えば、僕の魂が菩薩に匹敵? たしか菩薩と言うのは、悟りを開いて如来になる為に修行してる仏様の事だったか。

 この世に生を受けて今まで、悟りを開こうなどと大それたことを考えた事もないし、進んで善行を積もうと行動したこともない。そりゃ多少は良い事はしてきたとは思うけど、それと同じだけきっと悪い事もしてきているんじゃないだろうか。


「如来にゃ絶対なれねえだろうがな。さらに、最初に見た時と比べて今のお前の魂は格段に総量と密度が増えてやがる。これで誰か奉ってくれる人間とやしろが在れば氏神うじがみになれるかもな。大出世、超エリートコースだ」


 室長が事務所に向かって歩き出す。僕もそれについて行く。


「ところで室長って仏教なんですか? 神道なんですか?」


「どっちでもねえよ。借りれる力は鬼でも借りる。神も仏も関係ねえ。妖家流ってのはそういう流派なんでな」


 接客用ソファーに腰を下ろし大きく一息ついた室長にインスタントコーヒーを適当な分量で作って渡す。僕の分は……、やはりカップは一つしかなかったので止めておいた。


「そうですか……。ついでにもう一つ。結界を張りなおしたって言ってますけどそれだけで大丈夫なんですか? 引っ越しとか、夜逃げとかしなくても?」


「ああ問題ねえ。力を借りた賽の神ってのは別名『道祖神』、境界を守護する神さまでな、厄災の侵入を阻止する為にココに来るまでの道を歪めて貰ってんだ。だから、真に助けを求める人間以外には絶対にたどり着けなくなってる」


 妖家流、道祖神、なるほど分からん。僕が氏神? ますます分からん。


「道祖神は説明しただろうが。それくらい分かれよ。氏神は例えばの話だ。誰がお前を敬い奉ってくれるってんだよ。まあいい、とりあえず七人ミサキに関しちゃ終了だ。依頼主のヘタレと、もう一人のバカに事の顛末と、今後お前らに害が及ばない事を伝えた」


「あの……、美濃さんはどうなったんでしょうか」


 幽霊屋敷で、浴室の排水溝からあの集落まで連れ去られてしまった女性。恐らく生きてはいないのだろうが。


「ヘタレ共に在った後、知り合いの警察ポリに色々聞きに行った。失踪から三日後に両親から捜索願が出されてたんで、あの家から集落までの下水を調べてみろっつってきた。何かしら見つかるだろうよ。それ以上はウチの仕事の範囲外だ。魂は、お前も見てたろ? 俺の口を塞いでた女がソイツだ。綿津見に連れて行って貰ったんだ、成仏するだろうよ」


 成仏、出来るといいな。せめて、それだけでも。


「んで、だ」


 室長が、往生真姫が残していった謎の茶封筒の封を切り、中を覗く。中から二つ折りにされた紙を取り出し、内容を確認している目線が下に行くにつれて苦虫を噛み潰したような表情に変わっていく。読み終わったそれをテーブルを滑らせて僕に渡してきたので室長を見ると、頭痛をこらえるようにしてこめかみを押さえ、何も言わず目をつぶったままだ。


 読めって事だろうか。恐る恐る紙を手に取り開いてみるとそこには、とても整った読みやすい綺麗な文字が並んでいる。僕はスゴイ癖字なので羨ましい。

 あくまでイメージだが、こんな字を書ける人間はきっと仕事が出来る。そして美形か美人だ。さておき、内容はっと……。


『拝啓、一目で好きになってしまいました、まだ名前も知らないお兄さんへ』


 ん?


『お兄さんの、我武者羅で真っすぐな所が私の心を捕まえて放してくれません。好きです。本当に大好きです。私の事だから、この手紙をお兄さんが読む前に気持ちを伝えている事と思います。そして私たち二人は付き合う事となり、そのまま……、などと考えてしまう、はしたない私をどうか許してください』


 え……と、これは……。


『でも信じてください、私は本当に、本当にお兄さんが好きです。愛しています。先走った私とお兄さんがどうか恋人同士になっていますように。往生真姫」


 なにこの文章、実際の話し方とのギャップありすぎでしょうよ。彼女は僕の何をそこまで好いてくれているのか全く分からない。いやむしろここまでくると逆に怪しいぞ。騙されぬ。もう二度とだ! っと、まだ続きがある。


『追伸:ヤー公、お前に仕事を与えてやるから有難く思え。メルヴェーユ・パラディと言うマンションの屋上へ行け。そこにいる子をすぐに助けろ。絶対に助けろ。それと、私の彼氏様に何かあったら殺す。地獄の果てまで追って殺す。地獄の先でまた殺す』


 これを読んで、僕はどうしたらいいのでしょうか。前半はラブレター、後半は仕事の依頼? いやいや往生真姫は『月の丘』の人間で、妖家相談室とは何らかの因縁がある相手。そんな相手に仕事の依頼をするとはどういう了見なんだろう。

 室長と往生真姫は知り合いっぽかったし、個人的な面で二人は対立していないとかだろうか。でも、追伸以降の文面を見る限りじゃそれはないか。

 手紙から何か他に読み取れる事は無いかと読み返していると、室長が茶封筒から紙束を取り出して、テーブルの上にドサリと置いた。ただの紙束じゃない。札束だった。帯封で纏められた諭吉さんが三束。


「なんですかね、この三百人の諭吉さん達は」


 僕の給料かな?


「まだひと月も働いてねえだろ馬鹿。もうちょい先だ馬鹿。読んだだろ。前半の阿保文章はどうでもいい、問題は後半だ。『マンションの屋上にいる子供を助けろ』……、こいつはその依頼料のつもりだろうな」


 やっぱり依頼なんだ。ウチと『月の丘』の関係性がますます分からなくなってきた。


「その依頼、受けるんですか? 『月の丘』からの依頼を」


「これは『月の丘』は絡んでねえハズだ。アイツ等が霊を助ける。って事はねえ。アイツ等にとって霊は商売道具だからだ」


「商売……、人を呪い殺す為の道具ってコトですか?」


 室長は胸元からボールペンを取り出し、空になった茶封筒に何やら書き始めた。


「アイツ等が殺しに使ってるのは『蟲毒こどく』っつー呪いだ。一つの壺の中に、同種の毒虫を生きたまま詰め込んで共食いさせる。そうすっと最後に残った一匹は同種を超えた最悪な毒を持つんだ。その毒を使ってターゲットを殺すワケだ」


 蟲毒の内容は聞きかじりのうろ覚えだが知っていた。聞いた当時は『自分に、是が非でも殺したい相手が出来たとしても、そんな面倒で陰湿な方法は選ばないな』と思った記憶がある。


「これが普通の蟲毒。だが、アイツ等は毒虫の代わりに人の魂を使う『人蟲毒』とでも言えばいいかね、浮遊、地縛、怨霊、生霊片っ端から集めて壺にぶち込んで作った胸糞悪い最悪な代物で依頼を請け負う」


 僕に分かりやすい様にとイラストと注釈入りで説明してくれているが、イラストが前回と全く違ってやたらポップ。注釈の文字もデザインフォントみたいに可愛らしくて気持ちが悪いです室長。


 さて置き、つまり霊を呪いの道具としか見ていない『月の丘』が、霊を助けろ。なんて依頼を商売敵にしてくるハズがない。って事か。


「そゆこと。にも関わらずクソビッチは『助けろ』と言って金まで出してきた。本来なら回収して壺にぶち込むべき相手をな。上にバレりゃ下手すりゃ自分が壺の中かも知れねえってのに。この金も組織の金じゃねえ。んなモンに手ぇつけりゃ一発でバレるから自腹だろうな」


「そんな危ない橋を渡ってまで助けたい子。って事ですか。何でしょうね、妹さんとか?」


 まさか実の子供ではないだろう。十九歳って言ってたし……。いや、でも、うーん。いやダメだ! 人を見かけで判断しては!


「知らん。興味ない。ただ『クソビッチが個人的に助けたい相手』ってのが可能性その壱」


「その壱? 他になにかあるんですか?」


「その弐。全てがクソビッチの演技で裏には『月の丘』が絡んでる。んで、その屋上の子供を囮にして雨宮。お前を捕らえる罠って可能性だ」


 妖家吉楽という邪魔者が傍にいる僕を狙って失敗の確立を無駄に上げるより、余計な事をせずに、その子供を連れて行けばいいんじゃなかろうか。


「言ったろ? お前の魂は異常なんだよ。一人分にも満たない子供を持っていくよりも、俺を相手にするリスクを負ってもお前を持ってく方が遥かにメリットがデカいと判断したのかもしんねえ」


「……僕ってそんなに異常なんですか?」


「異常だね。最初はまだ『普通のヤツよりはデカいな』程度だったのが、一週間や二週間そこらで菩薩並みに成長してやがる。このペースで成長しちまったら一年後にゃ釈迦如来並みになっちまうんじゃねえかって位には異常だ」


 仏教開祖じゃないですかそのお方。怖いんですけど。僕スゲーなんて感情は一切湧かない。ひたすらに恐ろしい。


「あの、僕ってなんなんですか? 僕は、どうしたら」


 寒気がしてきた。


「悪いが、お前が何者かなんてのは俺には分からん。生来のモノなのか、何らかの原因があるのかも分からん。街ん中をふら付いてるお前を偶然見かけて、使えそうだなと思って、アサガオに連れて来させたんだが、こいつはとんだ拾いモンをした」


 室長にも分からない。僕はなおさら分からない。『貴方には隠されたチート能力があります』だけならまだしも『実社会じゃ何の役にもたちません』と来たもんだ。

 役立てるには極楽か地獄かどちらかに行かなきゃ無駄な力。どっちにしろこの世とはおさらばじゃないか。


「雨宮、なんつーツラしてんだ」


「だって、僕、なんだか、みたいじゃないですか……」


 異常、異常、異常。普通ではない異物。


「はあ? お前、バケモノになりてえの?」


「そんなワケないじゃないですか!!」


 自分でも驚くほどの怒声が口から飛び出る。室長は微動だにしなかった。数秒、時が流れ、何となく気まずく思っていると、室長がニカッとシニカルな笑みを浮かべた。


「じゃあ大丈夫だ。なんか勘違いしてるみてえだがな、お前はスゲェんだぞ? きっちり学べば千手千眼観音せんじゅせんがんかんのんが成し遂げたくてたまんねえ事だってできるかもしんねえって位な」


 千手千眼観音。その千の手と千の目で全ての衆生を漏らさず救おうとする仏様。


「……僕にそんな大きな慈悲の心なんてありませんよ」


「変な所で暗いヤツだな。下手な考え休むに似たりだ。アサガオや俺、飯谷のじじい、呪いに囚われてた七人の女と、その呪いの連鎖に巻き込まれてきた無数の魂を救った時のように突っ走れよ。下向いて暗いツラしてねえで、御天道おてんとうさんの方向けよ」


「今は夜です」


「黙れ。自分が何者なのか分からないなら探せばいい。手ぇ貸してやる。手に余る力に潰されそうだってんなら、使いこなす術を教えてやる」


 見ようによっては人を小馬鹿にしたような彼の笑顔。でも、今はとても優し気な笑顔に見える。


「丁度いい。クソビッチの依頼受けるぞ。可能性その壱なら依頼料も貰ってる、損はねえし、上手くすりゃ恩も売れる。可能性その弐だったとしても『月の丘』には用がある、逆にとっ捕まえりゃいい。俺とアサガオと、お前の馬鹿力がありゃ負けの目はほぼ皆無だ」


 室長は大雑把で、見た目は怖いし口は悪い。


 でも、本当は優しくて、頼りがいのある良い人だ。


「現場にはアサガオの回復を待たにゃならんから、最速でも一週間後。その間、。少しでもその馬鹿力に指向性をつけるために稽古をつけてしんぜよう」


 そして鬼だ。

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