Jump off mansion

1「まって! おねがいまって!」

 室長が依頼主の元へ出かけてから数分後。よく分からない指示通りに部屋には誰も入れない為に鍵をかけようと、握ろうとしたドアノブが勢いよく遠ざかった。


「やほい! 来ちゃったっ」


 往生おうじょう真姫まきがそこに居た。驚きと警戒心から後ろに一歩飛びのき構える。と言っても喧嘩なんかした事がないので腰を少し落とす程度だけど。

 そんな僕を見て往生女史はケタケタと笑い声をあげ、いたって普通に室内へと侵入してくる。


「へー、外観と違って中は随分可愛いねーって、お? アサガオじゃーん。寝てるー。あ、分かった! え、ウソまじで? アサガオと一緒の部屋なのー?」


「いやいやいやいや、ストップ! 何勝手に入ってきてるんですか!」


 僕の前を通り過ぎ、アサガオに近づこうとした往生女史の肩を掴んで引き留める。


「あ、ゴメンゴメン。おじゃましまーす」


 挨拶は大切。違う、そうじゃない。


「そういう事じゃなくて!」


「だいじょぶだよ、おにーさんが心配してるようなコトしに来たわけじゃないから」


 ついさっき、僕らに危害を加えようとしてた彼女が、それ以外に一体何の理由があってここにいるというのか。


「おにーさんに会いに来たのさっ」


 そして始まる必殺おっぱい攻撃。腕にしがみ付き、たわわに実ったその二つの膨らみに挟まれる僕の右腕。おい、右腕ちょっと場所を代われ。


「僕に会いにって……」


「だって、名前聞きそびれちゃったんだもん」


 名前? たしかに告げる途中で室長が乱入もとい助けに入ってくれたおかげで最後まで言えていなかった。でも、別に教える義理も必要もないだろうに。


「アタシの名前は知ってるのに、アタシがおにーさんの名前を知らないのは不公平じゃん? それに名前以外にも知りたいこといっぱいあるしねっ」


 不公平と言われればそうかもしれないが、名前以外に知りたい事とはなんだ? 室長に誰も入れるなと言われたにも関わらず、強引にとは言え部屋に危険人物の侵入を許してしまっている状況で、下手なことは言えない。

 警戒心が顔に出てしまったのか、僕を見て往生女史はまたケタケタと笑う。おっぱいが揺れる。ブラボー。


「スパイしに来たとか、呪いに来たとかじゃないから安心してよ、おにーさん! ってか、早く! 名前おせーてっ」


 ますます怪しい。だが、このままではいつまででもココに居座りそうな気配がする。ここはさっさと名前を教えてあげて、更に僕の話術で逆に『月の丘』の情報を聞き出してしんぜよう。上手くすれば、僕の走ろうとしている道にかかる霧が少しくらいは晴れてくれるかもしれない。


「分かったよ。分かったからとりあえず離れてくれるかな? その、なんだ……。あたってるから、ね?」


「ん? おっぱい嫌いなの?」


「いや好きだけど」


「じゃあイイじゃんっ」


 チクショウ、強敵。とりあえず色々と悟られないように大げさにため息を吐く。


「僕は雨宮。アマミヤ ハジメ。よろしくね、『月の丘』の往生さん」


 先制攻撃はすでに受けてしまっているが、後の先のつもりで『月の丘』の名前をだす。


「ハジメくん! うん、いいねっ! でもアタシのコトはマキって呼ばなきゃダメーっ」


 後の先を軽やかによけられた。行ったことはないからイメージでしかないけど、夜のお仕事で指名ナンバーワンの女の子ってこんな感じなんだろうか。もしそうであるのなら、手ごわいぞこれは。


「じゃあマキさん、あのね……」


「のー! のっと『さん』! あいむマキ! こーるみーマキおーけー? りぴーとあふたみー! マキ?」


 ぐぬぬ、なんでエセ外人風英語なんだよ。いかん、飲み込まれてしまう。巻き返さなければ。


「マキ。あのね、キミは『月の丘』の人なんだよね? うちの室長から少し話は聞いたよ」


「あ、そうなんだー。で、ハジメくんは何歳?」


 これはもうダメかもわからんね。この子、自分の話したい事か聞きたい事以外はどうでもいいタイプだ。室長が返ってくる前に何とかお引き取り願おう。


「二十六。キミ……、マキは幾つなの?」


「アタシが十九だから七つ上だ! いいねいいねっ! ……んで、アサガオと付き合ってるとかじゃないよね」


 言葉の前半と後半で声のトーンの落差が激しすぎて怖い。スゴイ笑顔だったのに、一瞬で真顔になったのですが。しかし質問の意図がいまいちわからないな。かと言って聞き返したり、はぐらかしたりするとヤバい気配がビンビン伝わってくる。


「いや、普通に職場の先輩後輩だよ。出会ってまだひと月も経ってないし」


 可愛い子だとは思うけど。とは言わない方がよさそうだ。僕の中の何かががそう告げている。


「おっけ! じゃハジメくん、アタシと付き合おー! けっていっ」


 うんうん、どうしたどうした? 何がどうなってその結論に達した? 陸上競技の三段跳び並みに思考がブッ飛んでいやしないだろうか。名前を聞いて、年齢を聞いて、お付き合い。ワン・ツー・ジャンプだ。


「待って。付き合うって、僕らさっき初めて会ったばかりじゃないか。そういうのはもっとゆっくり時間をかけて親交を深めてから……、じゃなくて、正直ワケわかんないよ。自分の中だけで完結させないで、僕にも分かるように話をしてくれないかな?」


「えー? 一目惚れ? 最初に話したときに『なんかいいなー』って思って、そのあとハジメくん、七人ミサキをガッツリ背負ったままヤー公助けてたじゃん? それみて『キター!』って思ったんだもん。すっごいカッコ良かったんだもん」


 ヤー公ってのは室長の事か。やっぱり他の人にもそう見えているんだな。いやそんな事より『一目惚れ』? 『カッコ良かった』? 僕の外見にそんな要素一つもないぞ。顔面偏差値、大まけにまけても50に届かないくらいじゃないかな。

 こうおつへいていこうしんじん十干じっかんで言えば丁と戊の間くらい。


「じっかん? 意味わかんねーっ。んーとね、顔は確かにフツー。めっちゃフツー。でもそんなんじゃないの。すっごいカッコ良かったのっ! ホントマジ、あの量の呪いにかかったらソッコーでプチって潰れちゃうのにさ! コノヒトだったら絶対アタシの事守ってくれるって思ったから!」


「あの時は必死というか無我夢中だったから、火事場の馬鹿力が出ただけだよ。生死がかかってたしさ」


「せいし?」


 この子が言うととても卑猥に聞こえるんですけど。


「……出したい?」


 あ、卑猥な意味で言ってるぞコレ。嫌な予感がする。アラートアラート。四つん這いで胸の谷間を左右に揺らしながら上目遣いでじわじわ近づいてくる。

 おのれ『月の丘』め、呪いだけじゃなく催眠術まで使えるのか。左右に揺れるおっぱいから目が離せないぞ。卑怯なり。


「いーよ……。アタシならハジメをイかせてあげられるよ」


 そのまま対面座位状態で、おっぱいを押し付けながら耳元で囁いてくる。バスト・トゥ・バスト。僕は男だからバスト・トゥ・チェストかな。そんな事はどうでもいいんだ!


「まって! おねがいまって! 生きるか死ぬかって意味の生死だから! ちがうから!」


 おっぱい催眠を跳ね除け、彼女の両肩を掴んでなんとか引き離す。それでもまだ抱き着いて来ようと隙を狙っているようなので掴んだ肩は離さない。


「とりあえずほら、ね? アサガオもいるし、もう多分室長も帰ってくるしさ。ね? 目的は果たしたでしょ? 僕の名前を聞くっていう。だから今日は帰ろ? 帰ろう?」


 懇願する。いくら何でもついさっき出会ったばかりの素性の知れない、好きでもない女の子と、職場の宿舎で、同僚の女の子が寝ている横でムニャムニャなんて出来るか! 更に言えばこの子が所属する『月の丘』と妖家相談室は因縁があるっぽいし、こんなのがバレたら蟹風呂の刑に処されてしまうかもしれない。


「アタシは別に気にしないケド……。ハジメがそう言うならいいよっ。今日は帰ったげるっ。でもで大丈夫? ……浮気したらマジ呪うから」


 マキの目線が僕の股間に向いているのに気づき急いでソレを隠す。ってか浮気も何も、僕は付き合う事に了承した覚えはない。が、余計なことを言ってこれ以上居座られると色々と面倒な事になりそうなのでそこはあえて無視。


「大丈夫! 問題なし! 信じてくださいおねがいします!」


「んー……。おっけ信じるっ。カレシの言う事は絶対疑わない、アタシは出来るオンナだからねっ」


 彼女の中で、完全にカレシ認定されてしまいました。


「ありがとう……。じゃ、僕は留守番を任されてて送ってあげられないけど、気を付けて帰ってね」


 どっと疲れた。あわよくば『月の丘』について聞き出してやろうという僕の目論見は一ミリたりとも達成できなかった。


「うん、ありがとっ。お仕事がんばってねっ。って、お仕事で思い出した、もいっこ用事があったんだ」


 マイガッ。これ以上何かあるのか? 僕の心が持たないぞ。


「はいコレ。ヤー公に見せればわかるからっ」


 自分の腰辺りを弄ってだしてきたのは分厚く膨らんだ茶封筒だ。それ、どこに入れてた? と言うツッコミは置いておいて、差し出してきたので何となく受け取ってしまう。


「これを、室長に?」


 見せたら『部屋に誰も入れるな』という言いつけを破った事がバレてしまうではないか。しかも相手が『月の丘』の往生真姫となると、蟹風呂で済むかどうかも怪しくなってくる。なんとか隠し通せないか考えを巡らせる。


「うん、ヤー公ってか、ハジメなら何とかしてくれるんじゃないかなって思うんだ、ソレ」


「僕には何もできないよ。出来る事と言ったらひたすら真っすぐ突っ走る位だよ」


「そゆとこが、好きっ。じゃ、またねーっ」


 往生真姫は来た時と同じく一瞬で帰って行った。残されたのは精神的に疲弊しきった僕と、あれだけ騒がしかったにも関わらず眠り続けていたアサガオ。それと、謎の茶封筒だけだ。


 どうして良いやら、さっぱり見当が付かない。室長に対して隠し事が出来る気がしないし、往生真姫がココに来た事を隠したのがバレたら終わってしまう。僕が。

 ここは正直に全てを話した方が良い。往生真姫がココに来たのは僕のせいかもしれないが、僕のせいじゃない。

 室長が出かけてから今起きたことを包み隠さず話そう。室長だって鬼じゃない……ハズだ。きちんと順序立てて説明すれば分かってくれる……ハズだ。


 それから暫くの間、あらゆるパターンを想定した会話ルートを構築していると、シトロエンの音が聞こえてきた。


 心臓が口から飛び出た。

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