6「僕は考え続けてみます」

 目を開くと天井が見える。最近ようやく見慣れたプレハブ小屋の天井。妖家相談室に隣接した今の僕の、帰る場所。


「無事、帰ってこれた……のかな」


「おう。起きたか雨宮」


 声の方に顔を向けると、入口近くで胡坐をかいた室長が、読んでいた本を閉じて僕に目を移す。


「おはようございます。あの、アサガオは」


 室長が無言で刺した指の先を見ると、ベッドの上にアサガオが寝ている。胸元をじっと見るとゆっくりと上下している。体に力が入らず寝たままで首を捩じっているだけなので顔までは見えないが、少なくとも息はしているようだ。


「大丈夫、なんですか?」


「安心しろ、峠は越えた。心配ねえよ。ただ目ぇ覚ますまで少なくとも一週間くれえはかかるだろうから、お前が、寝てるアサガオを襲う心配はある」


「襲いません。僕は理性で満ち溢れた男です。約六十パーセントが理性です」


 寝ている女の子に不貞を働くなど、クズ中のクズである。そんな輩は、男の風上・風下どころかこの世にもあの世にも居場所はない。

 全ては同意と合意。互いに認め求め合って初めて成立する。それこそが愛。世界を構成する何にも勝る根源元素だ。などと益体もない戯言で自分を誤魔化しつつ布団から体を起こす。


「しっかし雨宮ぁ、お前一体どうなってんの?」


「はい?」


 体を起こした流れで立ち上がり、軽く柔軟体操をしている僕を見る室長は呆れた顔をしている。


「はいじゃねえよ。あんだけの呪いにゴッソリやられたっつーのに、たった二時間程度で目ぇさましてんじゃねえよ。馬鹿じゃねえの?」


 いや、罵倒される謂れはない様に思えるのだが。今回は二時間か、飯谷老人の時と比べてかなり早く回復したみたいだ。寝坊大遅刻は回避。よきかなよきかな。


「と言うか、そんなに危ない幽霊だったんですか? あの七人の女の人達。いや確かに背負ってる時は正直駄目かもってなりましたけど、いかんせん必死でしたしよく分からなかったですけど」


 長座体前屈、開脚前屈と念入りに行いながらの僕を室長は、呆れるを通り越して本気の馬鹿を見るような目で見ている。


「危ないとかそんな次元じゃねえよ。あんなモン、最初の三人に絡まれた時点で一瞬で飲み込まれちまってもおかしくねえんだよ。それをなんだありゃ? 火事場の馬鹿力にしても限度ってモンがあんだろうがよ」


「えっと、僕、怒られてます?」


「三割くらいな。二割は呆れてんの。んで残りの五割は……、まあ、感謝だ。お前のおかげで俺も、アサガオも助かった。あの女達もな。ありがとう」


 かいた胡坐の両膝を掴むようにして頭を下げる、オールバックで黒スーツの室長は、どこかの筆頭若頭にしか見えないが、そんな若頭が頭を下げているという事は実際本当に感謝している証なのだろう。


「ちょっと、室長、勘弁してくださいよ。らしくないじゃないですか。最後は室長が纏めてくれたんですし。……僕も何か凄い無茶なコトしちゃったみたいで、すいませんでした。そして助けてくれてありがとうございました」


 居住まいを正して頭を下げる。僕の言葉も、もちろん心からの感謝だ。僕ら二人の感謝と謝罪の応酬が終わると、室長が事の顛末を話してくれた。


 結論から言うと今回受けた依頼は、あの集落に囚われていた七人の女性達を解放した事で終了した。


「お前さ、七人ミサキって知ってっか?」


 室長の質問に、うろ覚えのオカルト知識を検索してみる。


「えと、海で溺れて死んだ人の七人組の幽霊で、自分が成仏する為には誰かを取り殺さなきゃいけないとかでしたっけ?」


「概ね正解。付け加えると、七人ミサキに殺されたヤツが今度は新たな七人ミサキとして、永遠に続く呪いの輪に取り込まれちまう。自分が助かる為に他人を生贄にしなきゃいけねぇっつーエグイ呪いだ」


 確かにエグイ。『アナタ方七名は鬼に選ばれました。その首輪は不定期で窒息寸前まで自動で閉まります。苦しみから解放されたければ別の誰かを連れてきてください。それができた人は解放してあげましょう。ただし今度は連れてこられた人が首輪をつけられてしまいますがね』とか、出来の悪いデスゲームかよ。主催者は誰だ。チクショウ。文字通りの鬼畜生め。


「主催者……か。本来の七人ミサキってのは自然発生するもんだ。不慮の事故、自殺、他殺。この世に未練や恨みの念を残して死んじまったヤツらが八つ当たりだ復讐だなんだで連鎖してくんだが、大抵はどこかで途切れる」


 言いながら室長はインスタントコーヒーを作る。一瞬何かを迷ったように動きを止め、もう一人分作って僕にくれた。


「ありがとうございます。ずいぶん変わったカップ? ですねコレ。ブリキの、徳利みたいな形して……」


「ああ、花瓶だしな」


「イジメよくない!」


「カップは俺の分しかねえんだよ。ちゃんと熱湯で濯いだから大丈夫だろ」


「そういう問題じゃないですよ!」


「うるせえな。分かったよホレ、俺のカップと交換してやる」


 まさかの対応。てっきり、黙って飲め馬鹿野郎。とでも言われると思っていたので予想外でオロオロしてしまう。


「あ、いえ、大丈夫です。すいません。ほら、なんか、間接キスになっちゃうじゃないですか」


「お前、最高にキモチワリィ事言ってんぞ。半径十メートル以内に近づかないでくれるか」


 このプレハブは、おそらく八坪ほどなので半径十メートルだと外にでもなお離れなければならない。出てけって事デスカネ……。いやいやそもそも僕にそっちの気は無い。語弊を恐れず高らかに宣言しよう。女好きだ!


「次に話の腰折ったらお前を折るからな」


 惨状! と、心の中で叫びつつ頷く。室長は心なしかさっきよりも遠くにいる気もするが、それに言及するのも避けておこう。


「あーもう面倒臭くなった。つまりだ、あの集落に居た七人ミサキは人の手でなんだよ。で、その呪いを造った主催者ってのがクソビッチ、往生真姫が居る『月の丘』っつー集団だ」


 新情報。呪いを造る事が出来る集団『月の丘』

 そこで新たな疑問。『月の丘』の目的。


「馬鹿共……、『月の丘』はな、ストリートチルドレンの相互扶助集団でな。家も身寄りもねえガキ共が身を寄せ合い、同じ境遇のガキに住む場所を与えたり、仕事の斡旋したりしてんだ」


 とてもまともな集団じゃないか。親や社会にすら見放された子供たちが互いに手を取り合って生きていく。実に美しい。しかし、そこに呪いがどう繋がるのだろうか?


「ストリートチルドレンってのはよ、少年院ネンショー上がりだったり、捨て子だったり。下手すりゃ戸籍すらねえんだ。だからまともな職にはまずありつけねえ。生きる為には金が要る。金を得るには職が要る。だがそれを得る手段がねえ。じゃあどうするか」


「……犯罪」


「そうだ。窃盗・強盗・詐欺・売春なんでもござれだ。つっても犯罪は犯罪だ。見つかりゃパクられ塀の中に逆戻り。そんな事を繰り返していつかはどこぞで野垂れ死にだ」


 この国は世界で最も治安が良い。後進国では餓死する子がいるのに、ここは捨てるほど食べ物に溢れている。暖かい家。家族。

 連日テレビで流れる実際に起きた事件も、対岸の火事。他殺も自殺もフィクションの世界。


 国民の大半が目を逸らし続ける現実。


「法を犯せば罰せられる。なら、法に触れずに犯罪を犯せばいい。そう考えたのが『月の丘』だ」


「そんな、無理でしょう?」


「呪いでの殺人は。不能犯つってな、簡単に言えば『呪い』ってのは凶器として認められねえんだ。未遂犯にすらなんねえ。だから、アイツ等『月の丘』は、法的リスクゼロの殺し屋として稼いでんだ」


 殺し屋。映画等の創作物にそこそこ出現する殺人代行業者。依頼を受け、ターゲットを殺害し、報酬を得る。

 実際には様々な障害を排除し乗り越え、多大なリスクを背負い、よしんば成功したとしてもすぐに顔を変えて国外に逃亡とぶか、警察組織がおいそれと手を出せない規模の組織に匿ってもらうかしない限り報酬と釣り合わない、事実上存在不可能な職種。


「それじゃあその子供たちは、誰かから依頼を受けて人を殺して得た報酬で組織を維持しながら同じ境遇の子供たちも助けているってコトですか? いくら法的リスクがなくても一人や二人殺して報酬百万、二百万じゃやっていけなくないですか?」


「組織はストリートチルドレンで構成されてるからな。半グレ共とルート持ってんだよ。半グレから極道。極道から政治屋ってな。百万、二百万? テッペンからの依頼で二人もればゼロが八個は並ぶだろうよ」


 言葉が出ない。考えも及ばない。


 人を殺すことは悪い事だ。いけない事だ。犯罪で稼いだ金は汚れている。どんな事情が有ろうとも認められない。人間、誰しもが苦悩を抱えている。困難にぶつかっている。それでも必死に道を探して生きている。『月の丘』は悪だ。


 そう思うのと同時に、彼らがいくら真っすぐな道を探そうとしても、別の法が彼らを認めてくれず、社会が、世間が彼らを見捨て、突き放した。もうその道しか無くなっていた。金に綺麗も汚いもない。一人、二人死んだ代わりに、未来の有る子供達が百人、二百人生きる事が出来る。『月の丘』は善だ。


 僕の中で二つの相反した考えが、互いに反論し合いながら堂々巡りを続ける。


──じゃあお前が助けてやれよ。

──社会が助けるべきだろ。

──責任を負えないのなら手を出すな。

──無責任。

──責任は彼らを突き放した全ての大人で負うべきだ。

──自分の事は自分でやれ。他人を頼るな。

──だから彼らは自分でやっている。

──犯罪だ。

──ならどうしたら……。

──ならどうしたら……。


「僕は、どうしたらいいんでしょうか……」


「お前に出来る事なんて何もねえよ。現状、数えきれない程のヤツ等と、更に増え続けるガキ共を、お前一人で養えるか? 無理だ。キミたちのしている事は悪い事だからやめなさいと説得でもするか? 無駄だ。『月の丘』の正義と、俺たちの正義は似て非なるモンだ。誰にもアイツ等にはねえんだ」


 何もかもが丸く収まって、皆ハッピー大団円。なんて現実にはあり得ないのかもしれない。でも、それでも……。


「僕は考え続けてみます」


 偽善だ。結局何も思いつかずに終わる。だからと言って何もしなければ偽善ですらない。


「考えるだけ無駄だ。とは言わねえよ。お前はお前でアイツ等にぶつかってみろ。ケツは持ってやる。その代り、俺は俺でアイツ等に貸してるモンがあるんでな、お前にもきちんと働いてもらう」


「わかりました。ところで室長は『月の丘』について随分と詳しいですし、貸してるモノってなんですか?」


「お前、切り替え早いな」


「自分が進む道が何となくでも見えたら、後は突っ走るだけですからね。で、貸してるモノ……」


「ああもうウルセェ!! 近いうちに話してやる! お前はもう暫く休んでろ! 俺は今回の依頼主と話してくる!」


 室長は勢いよく立ち上がり、部屋から出て行った。と思ったらすぐに扉を開け顔だけを部屋に戻して僕とアサガオを交互に見る。


「俺がいねえからって変なコトすんなよ」


「しませんてば……」


「あと、無いとは思うが、誰か来ても扉は絶対に開けるな。分かったな」


「はい? えと、わかりました。いってらっしゃい……」


 扉が再度しまり、すぐにシトロエンのエンジン音が聞こえ、遠ざかって行った。

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