5「……ところでどちら様?」

 一週間が経ちました。その間、アサガオとお出かけ中に変な事に巻き込まれるだとか、室長に連れられ、とある施設訪問中に変な事に巻き込まれるだとか、色々巻き込まれていたのだが、それはまた別の話。

 今日は、ようやく室長の霊符れいふが完成したので、例の漁村へ向かう日だ。


 室長の愛車・シトロエンの車内で受けたブリーフィングによると、本日の僕は後方支援だ。アサガオはある程度の距離までなら姿を保ちつつ糸状態・霊糸れいしになれるらしく、漁村入口付近で見張りをする僕を経由して室長まで繋ぎ、三者同時通信状態で、室長・アサガオの二者で漁村内を探索。という手筈だ。


「各々、些細なコトでも異常を感じたら即報告。アサガオは特に気を付けろ。雨宮も、危ねぇと思ったらすぐに報告いれろよ。んじゃ、行ってくる」


「はい、二人とも、えっと、気を付けていってらっしゃい」


 何か有ったら、僕よりも遥かに上手く対応できるであろう二人に向かって『気を付けて』と言うのもなんだけど、他に言葉が浮かばなかった自分の語彙力の無さが恥ずかしい。

 僕の言葉に室長はすでに歩きながら軽く手を挙げて。アサガオは笑顔とピースサインを残して集落へ消えていった。


 一人残された僕の右手の人差し指から、それぞれ室長とアサガオの方角に向かって伸びる糸が巻き付いている。

 霊糸はその名の通り霊体で作られた糸で、物体をすり抜けられるので引っかかったりする心配はない。便利。


「でもなあ、後方支援って言われても、何をしたらいいのやら。実際は足手まといだから待機って事なんだろうけどさ。一度目の集落探索後にやたら褒められてたような気がするんだけどなあ……」


 霊から大量の念をぶつけられ、削られても削られても耐えられる精神力だとか、限界ギリギリまで削られた精神力の異常な回復速度だとか、ロールプレイングゲームで例えるなら僕は盾役タンク、肉壁、囮、捨て駒……、一番最初に死ぬヤツだ!

 盾役が必死で耐えてる後ろで、大ダメージを与える魔法攻撃職キャスターが室長で、アサガオは何だろうな。霊糸での追跡とか念話しか見た事がないから、支援職バファーかな。


 回復職ヒーラーが居ない! やっぱり僕、真っ先に死ぬヤツだ!


盾役タンクなんて回復職ヒーラーが居てなんぼじゃないか……。これは脱退転職を考えるべきか?」


「ほうほう、それは大変ですなぁ。ギルマスはメンバー募集とかしてないのですかな?」


「うーん、どうなんだろ。募集かけても来るとは思えないな」


「ほえー。ゲームのタイトルはなんでいうヤツです? 自分、オンゲではヒーラーしかやらないんで、誘ってくれれば行っちゃいますよぉん」


「ああ、いや、今のはただの例えで。…………ところでどちら様?」


 あまりにも自然に独り言に割り込んで来られたものだから普通に会話してしまった。


「マキでぇす。往生おうじょう真姫マキ。ヨロっ! おにーさんの名前はなんてーのん?」


 背後から僕の二の腕に頬をぴったりとくっつけて、上目遣いで見つめてくる。茶色の髪をふんわり巻いた髪型で夜のお仕事っぽい、胸元が大きく開いたドレスの女性。 しかもヒールを履いている。鬱蒼とした森を抜けた先にある寂れた廃村に来るにはかなり大変だったのではなかろうか。


「ほれほれー、な・ま・え。教えてくんなきゃマキさみしーんだけどっ」


 ああ、二の腕から顔を擦りあげて耳元で囁かないで。今度はおムネが、ふくよかなりし御乳房が二の腕にあたってるであります軍曹。しかもその胸元が開いたドレスだと、押し付けてムニュりと潰れたオパーイの形が丸見えで、目のやり場に大変困ってガン見してしまいます。


「っと、僕は、あまみ……」


 名前を告げようとした僕の目の前からおっぱいが消えた。辺りを見回すと四、五メートル程先で、まるで糸で関節をつるされた操り人形の様な恰好のマキ女史が不敵な笑みを浮かべて立って居た。


「ざんねーん。デコイかぁ。もちょっとだったのになぁ」


 そう言いながら上を見る彼女の視線を追うと、背後の建物の屋根にヤンキー座りの室長と、頬を膨らませて怒った雰囲気のアサガオが居た。


「ウチの従業員を誘惑してんじゃねえよ、クソビッチ。……ったく、おいアホ従業員、何か有ったらすぐに連絡しろっつったろ。簡単にハニトラ引っかかってんじゃねえよ。学習しろ」


 アサガオのおっぱいに騙されて妖家相談室に連れてこられた時の事を思い出した。


「クソビッチ、霊糸で細切れになりたくなきゃそれ以上動くんじゃねえぞ。テメェ等には聞きてえ事がクソ程あるんだ」


「えー、マキには話す事無いから、死んじゃえー?」


 唐突に放たれた物騒な言葉に被るように響く破砕音。室長とアサガオの乗っていた家が勢いよく崩れだした。

 二人は崩壊に巻き込まれる前に高く跳び上がり僕の前に華麗に着地した。アサガオはともかく、室長も人間離れしてる。

 その隙を突いて霊糸の拘束から逃れたらしい往生女史が、倒壊の際に巻き上がった土煙に咽ている。


「あーもうムカつくー。ソッコーシャワー浴びたいからマキ帰るから」


「逃がすワケねえだろ」


 室長の手には霊札が、アサガオの両手の指先からは細いワイヤー状の霊糸が垂れ下がっている。室長の言葉から察するに、アサガオの霊糸には殺傷能力があるようだ。僕以外のパーティーメンバーがどちらも攻撃職業ダメージディーラーでした。


 攻撃態勢の二人に対して、往生女史はそんな事はどうでもいいとばかりに髪に着いた木くずを鬱陶しそうに払っている。


「あーもう。取れねーし! ウゼェ。園長センセからは魂だけは持って帰れって言われてっけど。めんどい! お前らみんな。海に! 沈んじゃえよばーか」


 感情の波を激しく振幅させた口調が怖い。とは言え、夜のおねーさん風の彼女に何が出来るというのだろうか。

 室長は神さまの力を借りる事が出来るし、アサガオも霊糸で攻撃もできる。僕は何もできないので後ろで応援するとして、往生女史に勝ち目はないだろう。


 しかしそんな事は知ったことではないとでも言いたげな気だるい表情で往生女史が呟く。


「ターゲットロック。システム『七人ミサキ』起動」


 やたらファンタジックな横文字だなあ。とのんきな事を考える僕とは対照的に、室長とアサガオは腰を落とし、完全な戦闘態勢を取った。僕は邪魔になるといけないので、二人から距離をとる。


 それが功を奏した。二人の背後、地面から水が湧きだしその中からゆっくりと白い手が四本、這い出てきたのが見えた。


「二人とも後ろ! 足元からなんか出てきた!」


 僕の声に素早く反応して振り向き、二人の足を掴もうとしていた手から逃れたのもつかの間、飛びのいた先で別の手に掴まれてしまった。

 初めに出てきた四本の手が己の本体を地上に引き上げるべく地面を掴む。ベチャりベチャりと悪寒を催す音を立てながら、頭、肩、胴体と順にゆっくりと現れた得体の知れない二体の者は、室長とアサガオに近づいていく。人の形をしているのに、四足歩行動物の様に。


 二人の足を掴んでいた方の四本の手の方も、既に全身を地面から出し終え、室長はヘッドロックで口を押えられ、とアサガオは絡みつくようにして両手を拘束されている。

 あれでは霊符も霊糸も使えない。どうするどうするどうするどうする。僕には何の力もない。


「逃げてください! 早く!」


 アサガオが叫ぶ。室長の目も逃げろと言っている。往生女史の姿はもう無い。僕は無力だ。


「何……してるんですか……! 逃げ……て!」


 アサガオの声が次第に小さくなっていく。室長の顔面は蒼白だ。二人ですら抵抗できず、そんな状態になっているのだ。僕に二人を助ける事が出来るはずもない。


「ダメ……です……。来ちゃ……。にげ……」


「あああああああああああああああああああああ!!」


 走り出す。二人に向かって。

 無知で無力で無能力。だからどうしたクソッタレ。


 地面を這うようにして、僕より先に二人に近づこうとしていた二体の霊を跳び越える。


 室長の口を押えてる腕を引っぺがせば、霊符を使える。神さまへの願いを叫ぶことが出来る。きっとそうだ。室長なら何とか!


 走る。手を伸ばす。お願いします室長!


「うぉあっ!」


 あと少しと言う所で躓いて転んでしまった。だがまだだ、すぐに立ち上がってもう一度……。


「マジかよ……」


 すでに姿を見せている四体とは別に、六本の腕が地面から生えて僕の足を掴んでいる。六本、三体分。

 握りつぶされるかと思うくらいの力で僕の足を掴み、脚にしがみ付き各々の本体を引きずりあげてきた。更には、跳び越え、抜き去ってきた二体が僕に覆いかぶさってくる。


「…………」


 痛い。苦しい。ふざけんな。

 両腕に力を籠め、上半身と地面との間に隙間を作る。


「……な」


 吐きそう。泣きそう。コンチクショウ。

 右足に絡みつく二体共々引きずって開けた隙間に膝をねじ込む。


「なめ……んな」


 両腕と右足に最大限の力を込めて腰を浮かし、左足を大地に叩きつける。


「室長……、声、出せるように、なれば、何とか、できますか?」


 顔面蒼白の室長は驚いたように目を見開いていたが、すぐにいつも通りの悪い目つきに戻り、ほんの少し。だが力強く頷いた。


「了……解!」


 一歩。二歩。一瞬でも気を抜けば押しつぶされてしまいそうだ。

 三歩。四歩。目の前がぼやけてきた。それでも室長の方角は何とか分かる。

 五歩。六歩。顔を上げていられなくなってきた。室長の足の方角へ。

 七歩。腕、上がれ。上がれ。上がれ上がれ上がれ。


 手に何かが触れた感触があった。手探りでなんとか室長の口をふさぐ腕を掴む。


──タスケテ

──たすけて

──タすケテ

──たスケて

──タすケテ

──タスけテ

──助けて


 聞き覚えの無い七人の女性の声が一斉に頭の中に響く。


 両手で掴んだ細い腕を力の限り引っ張り、室長を拘束から解放し、叫ぶ。


「室長! この人達を、助けてあげてください!!」


 踏ん張りが効かず、仰向けに倒れてしまう。それでも掴んだ手だけは絶対に離さない。


綿津見わたつみいいぃ! 女どもを永遠に続く呪いの輪から解き放ってやってくれ!」


 大丈夫です、名も知らぬ皆さん。室長が貴女達を助けてくれます。神さまが貴女達を導いてくれます。


 室長が三枚の霊符の他にもう一枚取り出し空に掲げる。


「足りねえならコイツも持ってけ。釣りはいらねえ!」


 四枚の札が弾け、光の玉が出現。一つだけ赤い光の玉を中心に三つの青い光が、妖家相談室メンバーと、六人の女性の霊を取り囲み回りだす。それはみるみる速度を上げ、光の竜巻になり僕の周りの六人と、アサガオを抑えていた一人をゆっくりと空へと舞い上げていった。


 中心に浮かんでいる赤い光の光量が増し、彼女たちを包み込む。その光はとても暖かく、心地良い。


 青と赤の光量が最大まで上がり、あまりの眩しさに目を閉じると、声が聞こえてきた。今度は七人分の『ありがとう』


 行けると良いですね。天国……。僕はそう祈った。

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