4「アカペラは勘弁してください」

 仕事初日が怒涛過ぎたせいか、朝まで寝てしまった。アサガオが貸してくれた目覚まし時計はどんなに凝視した所で巻き戻ってはくれない。

 寂れ廃れた漁村から帰ってきて再度室長とアサガオに両肩を借りてなんとか部屋へと戻った僕は、敷きっぱなしだった布団に大の字になった。

 休憩時間は一時間、その後ミーティング。と言い残して室長は出て行った。アサガオも仮眠をとると言ってベッドに寝転がったところまでは記憶がある。


 帰ってきた時間は、夕でも夜でもない狭間の時間帯だったはずで、ただ今の時間は、午前九時五十九分五十秒を回りました。秒針選手、早い! 最終コーナーを回って今……、ゴール!


「現実逃避してないで、素直に謝ろう……」


 部屋をでて、真隣の事務所入り口前で深呼吸。なんか最近深呼吸ばっかりしているきがする。ため息かもしれない。


 意を決して扉をノック、即開け、腰九十度。


「すいませんでした!!」


 ……。

 …………。

 ………………。返事がない。だが気配はする。これアカン奴や。約十七時間の遅刻だ。真っ白企業だったとして、九時間拘束、内一時間休憩の八時間労働で実に二日分ぶっちぎった訳だ。

 履歴書も出してない。契約書も貰ってない。現状、口約束でしかない僕の立場的にこれは、あれ? キミ何でまだ居るの? 関係者以外立ち入り禁止なんだよね。はいサヨウナラ。でもおかしくない。


 雇用契約はきちんとしましょう。はい、学びました。次に生かそう……。


「いつまで直角になってんだお前? 虫入って来ちまうからドア閉めてさっさと入ってこい。ミーティング始めんぞ」


 腰の角度はそのままに、顔だけ少し上げて見る。室長は事務所中心に設置してある応接用ソファーに座り僕を見ている。

 もともとの目つきが悪いだけに感情が読めない。怒っているのかいないのか。わからない。

 室長の対面、来客用ソファーに座っていたアサガオが背もたれに顎を乗せて楽しそうにこちらを見ている。


「ハジメさん、こっちこっち。座ってくださいなー」


 腰の角度を歩行形態へと変え、恐る恐るソファーへと着席。


「えっと……。激しく寝坊してしまいました。本当にすみませんでした……」


 もう一度頭を下げる僕の右肩をアサガオがぺしぺしと叩きながら笑っているが、僕自身は全く笑えない。やっちまった感満載だ。


「雨宮、顔上げろ」


「……はい」


 覚悟を決める。


「んー。もう大丈夫そうだな。頑丈だなお前。あの時、爺さんに取り込まれる寸前までいってたのに、半日くれえで回復しちまいやがったな」


 今、聞き捨てならない事を仰った気がするぞ。


「な? アサガオ。こいつ連れて来て良かったろ? 今までだったらアサガオの回復に四、五日はかかってたからな」


「ですね。ハジメさんスゴイ! 九十点!」


 だからそれ何点満点なんだ。いやそんな事よりも、僕が飯谷老人に取り込まれる寸前だった? 取り込まれるって、それはつまり……。


「もしかしなくても、僕、あのまま室長が来なかったら……」


「ぽくぽくぽく」


 室長が木魚を叩くジェスチャーと効果音。


「ちーん」


 横でアサガオがりんを鳴らすジェスチャーと効果音。


「「なーむー」」


 二人そろって合掌。


「笑えない!! 冗談じゃないですよ! そもそも神さまに何とかしてもらえる力を持ってる室長がやればいいじゃないですか! それならアサガオも僕も危険な目に合わなくて済みますよね!?」


 最も仕事を理解していて、実力のある人間が前線に居た方が効率的だろうに。わざわざ間にワンクッション入れてしまうと齟齬が起きやすい。


「俺、幽霊の声聞こえねえんだよ。視えて、触れるだけ。ただそれだと業務に支障が出るってんで、紹介されたのがアサガオなんだよ」


「初めて会った頃の室長は、とても素直な性格の美青年でした」


「今は美中年だ」


 その後、自称美中年が、話してくれた内容を頭の中で整理してみる。


 所謂、霊能力とは。一、霊を『視る』二、霊の声を『聞く』三、霊に『触れる』そして四、霊を『祓う』力。の四種類あるらしい。

 室長はその内一と三の力しか持っていないので『霊たちが何を言いたいのか』や『霊を除霊・浄霊する』為には、他の誰かの力を借りなければならず、その『他の誰か』がアサガオと八百万の神さま達なのだと。


 大多数の人間は霊能が発現する事無く一生を終えるが、霊能が無くとも条件が揃っていれば霊からの干渉を受ける事もあるし、極々まれに魂の波長が合えば互いに意思の疎通が可能なのだと言う。


 今回の依頼者達は前者、運悪く条件が整ってしまった為に美濃さんが連れ去られてしまった。

 室長とアサガオは後者、魂の波長が合っているので会話できるのだそうだ。


「……ってなワケだ。昨日、雨宮にやってもらったのはお前がどのくらいヤツなのか見たかったからなんだが、フィジカル面は予想以上だったな。まさか初仕事であんだけ粘るとは思わんかったし、回復もアホ程早い。あとはどれだけ情報を得られたか。つーワケで、爺さんと何を話し、何を聞いたのか話せ」


 一般代表の僕には微妙に理解し難い話をされて、危険な事をやらされた件をはぐらかされた気がするが、それに突っ込むと逆にウルトラ寝坊に対して突っ込まれそうなのでやめておこう。


「はい、ええっと……。まず美濃さんの行方について聞いた所、彼女はもういないと言ってました。連れていかれた? とかなんとか」


「そですねー、あの時わたしも美濃さんと一緒に連れていかれそうだったので、残念ですけど途中で手を切らせてもらいました。


 アサガオもかなり危ない状況だったようだ。


「女を持ってったヤツの姿は見たか? アサガオ」


「かなりの怨念と呪のせいではっきりとは見えませんでしたが、六……、いえ、七体が連なっていたと思います」


 アサガオがテーブルの上の紙に、黒い靄に包まれた影が足首を掴みあって一本の縄のようになった絵を描いた。やたらファンシーな絵柄なので恐怖感ゼロだ。


「怨念と、呪いねえ……。雨宮、他に何か聞けたか?」


 室長も、世にもおぞましい七体の霊が女性を海に引きずり込もうとしている絵を描きだしたが、上手すぎて怖い。ホラー漫画家になれるんじゃなかろうか。


「後は、手毬唄のようなものを歌ってくれました」


 僕も何か描いた方がいいのかとも思ったが、絵心皆無なのでやめた。


「手毬唄か。ちょっと唄ってみろ」


「アカペラは勘弁してください……」


 何とか思い出しつつ文字に起こした唄を読み終わった室長の目つきが更にきつくなった。半端なく怖い。


「おい、一言一句間違えてねえのか?」


 ワントーン低い声。なにこれ、僕どうなっちゃうの? いや、記憶力には多少自信がある。一言一句間違いはない。ハズ……。

 無言で頷くと、室長は唄の書かれた紙をテーブルに置き、天を仰ぐようにして背もたれに体重を預けたかと思うとすぐに跳ねるように体を起こし紙を指で叩く。


「雨宮、お前スゲェぞ。普通の人間が聞けばイッパツで気がふれちまう代物だ。こいつぁ元々呪歌じゅかとして作られてる上に、長い年月唄い継がれて更に力を増してる。そんなモンを最後まで聞いてご健在とはな」


 なんだかとても褒められているようだが、話を聞けば聞くほど僕がどれだけ危険な目にあわされたのかが分かって素直に喜ぶ気になれない。


「はあ、そうですか……。それはどうもです。ところでその唄は何て歌ってるんですかね?」


「ああ、ちょっと待ってろ。訛りと古語が入り混じってるから現代語訳してやる」


 そう言って室長は、僕の書いた唄の節ごとに翻訳した唄を書いてくれた。


──かっちゃ が しんねりゃ かつえて しぬる──

     母親が怒ると、飢えて死ぬ

──あな かしこしゃ かしこしゃ──

     嗚呼 恐ろしい 恐ろしい

──おかのうえの もちつきが かっちゃの ゆるしが ほしいなら──

     丘の上の満月が、母の赦しが欲しいのなら

──をみな を ななにん ながしゃんせ──

     女を七人、流しなさい

──されば しんねる かっちゃとて──

     そうすれば起こった母親も

──ゆるがせなりて うちわらう──

     寛容に笑うでしょうと言った

──ひと ふた み よ いつ む なな──

     一 二 三 四 五 六 七

──ななとせ たったら しんげつに──

     七年経ったら新月の晩に

──こりずてまたも ながしゃんせ──

     懲りずにまた流しなさい

──ひと ふた み よ いつ む なな──

     一 二 三 四 五 六 七


 ……。どうしてこうも童謡というのは気味の悪いものが多いのだろうか。『とおりゃんせ』然り『かごめかごめ』然り。


「あの集落があった場所からして、かっちゃ、つまり母親ってのは海の事だ。だから母親が怒る『海が時化しける』と漁が出来なくなって『飢え死にする』。んで、時化を止めたいなら生贄として七人の女を海に流せ。ただし七年後にまた女を生贄にしねえと駄目だから、七年後の新月の日になったら生贄を流せと……」


 と、唄の内容を解読していた室長が、ふとそこで言葉を止めて唄のある部分を指さした。


「丘の上の満月さんが言いました」


 室長の視線を追うと、そこにはアサガオが居る。彼女は真剣な面持ちで室長の指が示す場所を見つめていた。

 室内に時を刻む秒針の音だけが響いている。室長はアサガオを待っているようなので、僕も大人しく待つことにした。


 五分は過ぎ、十分までは届かない所でアサガオが口を開いた。


「断言はできませんが、臭いですね。煩わしい工程を他人に投げてるカンジが、いかにもっぽいと言えばソレっぽいです」


「だな。こいつはもう一度あの集落に行くしかねえな。これで何か面白くもねえモンが見つかりゃ雨宮大明神さまさまってトコだ」


「ですね、見つかれば百十三点ですよーハジメさん」


 やたら過大な期待を持たれてしまっている。こういうのは、勝手に期待しておいてそれが外れると勝手に失望されたりするので勘弁してほしい。そしてそのアサガオ採点、百点満点じゃなかったんだね。


「では室長。集落に行くのは一週間後ですね」


「あ、すぐに行く訳じゃないんですね」


霊符れいふ作るのに時間かかるんでな。そいつが出来上がるまでは休業。お前らも休み」


 一日、命の危険を冒して働いて、一週間の休みか。給料は月いくらなんだろう。不安が加速度的に増していく。

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