3「ストップ・ザ・名誉棄損!」
大きく深呼吸をして覚悟を決める。アサガオの能力らしきものは体験させられたので彼女が少なくとも人間以上の存在であるのは信じる事にしたが、室長に関してはまだ何が出来るのか未知数だ。
アサガオが見えているという事は、霊視能力とかそんな様な力はあるのだろうけれど、では悪意ある霊に襲われた場合にそれに対処できる力があるかどうかはまた別の話なので、逃げる準備だけはしておいた方がいいだろう。
三回ノックして、警戒心を与えないようになるべく朗らかに声をかける。
「ごめんください、怪しい者ではございません。ちょっとお話よろしいでしょうか」
警戒するあまり、余計な事まで口走ってしまった気もするが、今更どうしようもないが、これじゃあ自ら不審者であると言っているようなものだ。
「自分を怪しくねえなんて言うヤツが来たら、俺なら絶対に出ねえな」
「安定の居留守ですよね」
僕も出ないと思います。かと言ってこのままでは埒が明かないので、一応もう一度ノックして数秒後、ゆっくりと扉を開く。
良く言えば木造平屋。悪く言えば、物置小屋。開いた扉から流れてくる濃い磯の匂い。
この集落全体がもともと磯の匂いに包まれてはいたが、小屋の中はそれを遥かに凌駕する、凝縮された匂いだ。
おそらく原因は小屋の中に散乱する投網などの漁業に使う道具だ。長年酷使された彼らは自らが海になってしまう程大量の潮を吸収しているのだろう。
引き戸を全開にして、後ろの二人にも室内が見えるようにしておく。何かあったときはホントお願いしますよ。
ほんの少し身を屈め、頭だけを室内に突っ込み素早く左右をクリアリング。
一歩、敷居を跨ぐ。
二歩、おじゃまします。
室内を見回す。アサガオが言うにはここに一人、霊となった誰かがいるハズだが。
…………居た。
昔話のおじいさんのような服装。禿げ上がった頭。丸まった背中の人物が、部屋の隅で微動だにせず、壁を向いて座っている。
先の幽霊屋敷で見た美濃さんの手や、アサガオのおかげで、この世に幽霊という存在がいるのは信じる事はできたが、こんなにもハッキリと姿が見えている者を幽霊と言ってしまうのはまだ抵抗がある。
「申し訳ありません、お返事がなかったので勝手に上がらせて貰いました。ワタクシ、雨宮と申します。今日は
それらしい言葉を羅列してみるが、飯谷老人に反応はない。そもそも話が聞きたいと言っても、一体どんな話を聞き出せばいいのかを室長から指示を受けるのを忘れていた。
』はなせる こと は ぜんぶ はなし た なんかい も はなし た わっちゃ わるく ね わり のは ぜんぶ うみもり の やつら だ もう かんべん して くれ もう なんも しらね『
室長から指示を受けようと振り向こうとした僕の耳に、鼓膜を震わせない、声ではない声が聞こえてきた。
階下に降りるエレベーターに乗った時の、内臓がぬめりと持ち上がった様な、不快な浮遊感。そんな感覚を覚える。
飯谷老人から目を離してはいけない気がして、後ろを振り向くのを止め、彼の言葉を反芻し解読、理解を試みる。
話せる事は全部話した。何回も話した。わっちゃ?
悪い悪くないの話を、勘弁してほしい程に何度も何かを聞かれた。いったい誰に? よっぽどしつこい性格じゃないかぎり、一般人じゃないだろうし……。となると、警察関係かな。
それとうみもりの奴らか。その辺にアタリをつけて聞いていくしかない。当たって砕けろ。
「僕達は警察関係の者ではありません。実は先日、僕の妹が家出してしまいまして……。方々探しているのですが見つからず……」
嘘。
「ですが、家出する前日に、海が見たいと言っていたのを、妹の友人であるこちらのアサガオさんが思い出してくれまして、今日はアサガオさんのお兄さんに車をだしてもらって、海沿いを探していた所なんです」
嘘。
「最近こちらの村に見慣れない女性が来ませんでしたでしょうか?」
何を聞けばいいのか分からないので、とりあえず美濃さん失踪に関する質問だ。
前半の嘘は信じて貰えなくても別にいいのだ。警察でもないのに人探しなんて探偵くらいだろうが、常識的に考えてウチの仕事を探偵業だとは言いづらい。
だから、人を探している理由を聞かれる前に、もしかしたらそういう事もあるのかも程度の理由付けをしただけだ。
ただ、飯谷老人がどこまで理性を保っているのか分からないので、吐くだけ無駄な嘘だったかなと後悔していると、さっきよりも強い不快な浮遊感と共に声が響く。
『おんな…… おんな は もう いね みな つれて いかれた』
質問に対して返答があった。微妙にズレた返答だが、それは会話で調整すればいいだけだ。
「みな……。皆、連れていかれた。とは、一体どこに連れていかれたんでしょうか」
あくまでも自分の知りたいことを中心にして、相手の言っている事、言いたい事を囲い込んだ質問を続けていこう。ズレはその都度調整、取り入り、はぐらかし、包囲を狭めていくんだ。
失礼します。と断りを入れてから土間で靴を脱ぎ、部屋の中心よりも若干入口側に正座して返事を待つ。
飯谷老人は今だ部屋の隅でこちらに背を向けたままだが、上がり込んだ僕に対して何かしてくる気配はない。いや、安心しちゃ駄目だ。相手は普通じゃないんだ。
』かっちゃが しんねりゃ かつえて しぬる『
歌いだしちゃった。脳内で誰に聞かせていた訳でもない講釈を垂れたのが無駄になったぞ。
いや……、まだ諦めるのは早い。もしかしたら歌の内容が手がかりになるかもしれないし。
不快感がどんどん強くなっていく。
』あぁ なぁ かしこしゃ かしこしゃ『
この集落に伝わる童謡、と言うより手毬歌だろうか。とにかく最後まで聞いてみるしかなさそうだが、不快すぎて貧血っぽくなってきた。倒れそう。
』おかのうえの もちつきが かっちゃの ゆるしが ほしいなら
をみなを ななにん ながしゃんせ
されば しんねる かっちゃとて
ゆるがせなりて うちわらう
ひと ふた みぃ よ いつ むぅ なな
ななとせ たったら しんげつに
こりずて またも ながしゃんせ
ひと ふた みぃ よ いつ むぅ なな『
静かに響き渡っていた唄が終わってもなお、言い知れぬ何かが僕の周りに澱んでいる。視界が暗くなってきた。頭も回らない。
何か話さなければ。馬鹿みたいな事でもいい、唄を褒めるとか、何でもいいんだ。じゃなければ……。
「……っ! ……っ!」
声が出ない。動けない。飯谷老人から目が離せない。
彼は胴体を微動だにさせず、首だけをゆっくりこちらに向けようとしている。
ヤバいヤバいヤバい! 助けてください室長! どんなに心の中で叫んでも助けが入る気配はない。アサガオとなら念話ができないだろうかと試みるが、返事はない。
恐怖で漏らしそうになりながらも、唯一動く眼球で、正座した膝の上で固まって動かない右手を見るが、そこにはアサガオの糸は無かった。
チクショウ、どうなったとしても絶対に成仏しないで毎夜室長の枕元で歌い続けてやる!
すでに飯谷老人は、血の気の一切無い、無数のフナムシをはいずらせた顔を僕に向けている。眼球を失った眼孔は暗く、今にも吸い込まれてしまいそうで、フナムシが出入りしている。
『おめの いもと も もう つれてかれちまった』
』わっちゃ わるくね なんも できね『
』もう たぐさんだ もう なんも みたくねぇ もう もう『
『たすけて けれ……』
老人の両目から赤黒い液体が流れ落ちた瞬間、僕の襟首を誰かが思い切り引っ張った。
「限界だな。初めてにしては上等だ、よく耐えたな雨宮。アサガオ、そいつ頼む」
室長は僕を庇う形で間に割って入り、ズボンの尻ポケットから、よれよれになった封筒を三枚取り出して、叫ぶ。
「
恰好いいセリフを吐いて僕を助け、霊能者っぽいアイテムまで出したから、九字を切ったり
「勿論、タダとは言わねえ! 持ってけドロボー!」
三枚の封筒を床に叩きつける。
と言うか、ワタツミの神って言ったよねあのヒト。神さまにお願いするのにそれでいいの? ドロボーとか言っちゃってるけど……。
そんな疑問を余所に、床に叩きつけられた三枚の封筒が一斉に爆ぜ、そこから現れた三つの青い光の玉が飯谷老人の周囲を回り始めた。
回転は次第に速度を増し、遂には光る竜巻になって飯谷老人の姿を包み込む。あまりの眩しさに目を細めながらも僕は、これで彼は楽になれるんだな。と思った。
室内を埋め尽くしていた光と共に、飯谷老人の姿も消えていた。
「三枚分、全部持ってかれちまった。さっさとココ離れるぞ。立てるか雨宮?」
飯谷老人宅から出て来てそう室長に問いかけられた僕は、なんとか立ち上がっては見たものの、力が入らずふらついてしまう。
「おう、まあしゃーない。ほれ肩に掴まれ」
「ですね。ハジメさん、よくがんばりました。七十五点!」
室長とアサガオが肩を貸してくれた。が、七十五点か……。微妙だなあ。良いのか悪いのか。そもそも何点満点中なのかも不明だ。
介助人ですよー。と言って僕と一緒に車の後部座席に乗り込んできたアサガオのご厚意に感謝しつつ、運転席に座る室長をバックミラー越しに見やる。
「室長……、飯谷さんは、あの、成仏できたのでしょうか……」
「あの爺さん、飯谷っつーのか? 何故知っている?」
あれ? そう言われると……。何故だろう?
「おい、アサガオ」
「いえ、わたしには分かりませんでした」
車がスタートする。
「表札とか、ありませんでしたっけ?」
「無かったな」
どんなに記憶を弄っても、自分が何時飯谷老人の名前を知っていたのかが分からない。記憶のもっと深いところに何かないかと意識を集中させようとした瞬間に、舗装されていないデコボコ道のせいで車体が跳ね、衝撃で体勢を崩してしまい倒れこんでしまった。アサガオの太ももに。
「あ、ごめん」
すぐに起き上がろうとする僕の頭にそっと手を添えて、太ももに押し付けられる。
「いいですよー。すっごい疲れたでしょ? 八十五点のご褒美でーす」
加点されてる。いやでも、年下の女の子に膝枕されるのはちょっと恥ずかしい。だがしかし、感触は最高だ。いい匂いもするぞ。
「おい、セクシャル・雨宮・ハラスメント」
「ストップ・ザ・名誉棄損!」
「お前があの爺さんの名前をどうやって知ったのかは置いといて、質問に答えるとだな、爺さんは大丈夫だろ。すぐに成仏できたかどうかは知らねえけど、綿津見はちゃんと対価を持ってったんだ。神さまだからなあいつは」
神さまをアイツ呼ばわりとは、何様のつもりなのだろうか。
「対価……っていうのはあの封筒ですか? お賽銭でも入ってたんですか? 五円玉とか」
お賽銭と言えば、御縁とかけて五円玉と相場が決まっている。
「アホか。五円如きで願いを聞いてくれる程、神さまは安くねえんだよ」
フロントガラスに水滴が当たり始め、瞬く間に勢いを増していく。ワイパーが左右に揺れる。
「人間ってのは、肉体と
こんとかはくとか、どこかで聞いた事はあっても詳しくは知らない言葉を、なんとかして理解しようとしていた所に、最後に分かりやすい言葉で纏められた。
「ええと、魂が対価って……、それは、死んじゃうんじゃないですかね?」
一般人的知識で考えるのならば、人間の生命活動が停止するのは、外傷だったり、病気だったりが原因での死だろう。
肉体的死によって魂が抜け、極楽か地獄かに昇って成仏。からの輪廻そして転生というのが仏教的考えだったかな?
その輪廻転生から抜け出して仏になる為に修行して悟りを開く。とかなんとか、うろ覚えも甚だしい知識しかないが。
それが、対価として魂を持っていかれた肉体はどうなるのだろう。と考えると、やっぱり死んでしまうのではないだろうか。しかも対価としてなのだから、魂そのものが無くなってしまうではないか。
返してくださいと言って返してくれるなら、それは対価とは呼べない。
「そりゃ全部持ってかれりゃあ死んじまうさ。一時的には無くなっちまうが、食って寝てれば三日後にはもとに戻ってるよ」
それにしたって自分の魂を、命を対価にするなんて普通の精神で出来る物じゃない。それも昨日会ったばかりの僕や、見ず知らずの
見た目は怖いし言葉遣いも汚い。新人従業員に碌な教育もしない。
「もうちょいで事務所に着く。雨宮、お前は部屋で少し寝ろ。アサガオ、お前もな。起きたら話を聞くから、ちゃんと内容覚えとけよ」
説明は下手くそで分かりづらい。
「了解です室長。ハジメさん、一人で服脱げます? 手伝ってあげますよー」
「おお手伝ってもらえ、雨宮ハラスメント」
「僕そのものがハラスメントみたいな呼び方を止めてください」
でも、悪い人ではないのかなと思った。
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