2「ですよね。分かってきましたよ、この仕事」
「
「室長と呼べ」
幽霊屋敷から飛んで帰ってきて、ほとんど体当たりで事務所の扉を開いた僕は、デスクでパソコンをいじっていた妖家室長に詰め寄った。
「お前、泥だらけだな」
「そんなのどうでもいいんです! アサガオが! 排水溝から手が出てきて! それが美濃さんで! 引きずり込まれたんですよ!」
デスク越しに泥を飛ばしながら詰め寄る僕を室長は、何を考えているのか分からない表情で言う。
「落ち着け」
「落ち着いてられないですよ! アサガオが……、人が一人し、し、死んだんですよ!」
「アサガオは大丈夫だ。聞いてるだろ、あいつは幽霊だ。元から死んでる」
目の前が真っ白になった。このクソオヤジ、頭おかしいのかよ。そうか、コイツがアサガオを騙してたんだ。
夢見がちな女の子に有る事無い事吹き込んで、自分が幽霊だ。なんて思いこませていい様に使っていたに違いない。
「
「落ち着け雨宮」
いつの間にかデスクに半分乗り上がっていた僕の右手は、室長の顔面に向かって伸びていた。
握った拳は室長の左手に手首を掴まれ、顔面には届いていない。
「……おし、行くぞ。ついてこい」
僕の手首を万力の様に閉めていた手を開いて立ち上がり、車のキーを手に取り室長は歩き出す。
「行くって、どこに……」
あっけにとられつつも室長の後を追う。
「アサガオのいる場所にだ」
「行ってどうなるっていうんですか……。アサガオは、もう……」
死。
「だーかーらー、大丈夫だっつってんだろ? ほれ、乗れ」
プレハブ事務所の裏手に、やたら濃い赤色のレトロな車が一台駐車していた。
「何ですかコレ」
「あ? 俺も車はあんましよく分かんねえけど、形と色が気に入ったから買った。シトロエンとかいうヤツ」
「そっスか」
僕も車には興味がないが、何となく気になったので聞いてみただけだ。
「ほれ、さっさと乗れ。あんまし遠くに行かれてるとアサガオが持たねぇ」
「雇用主としての説明責任をはたしてもらいますよ」
僕が助手席に乗り込むと、室長はシフトレバーを1速に入れて車を始動させた。
今どきマニュアル車て……。
「コッチの方が運転してる。って気分がでるんだよ」
「あれ室長、そっちじゃないですよ」
室長は幽霊屋敷とは真逆の方向へと曲がった。方向音痴かこの人。
「こっちでいいんだよ」
「さっきも言いましたけど、説明してください。いくらなんでも知らされていない事が多すぎです」
険のこもったある声色で言う僕に対して室長は、ギアチェンジしながら答える。
「確かにそうだよな。その辺は悪いと思う。すまん。ただ、ウチの仕事の内容が内容だからな、口でいくら説明しても理解できねえと思うんだよ。妖家相談室を立ち上げて四年。お前が初めての従業員だから、従業員教育マニュアルなんてもんはねえし、とりあえず現場でて、場数こなしてきゃ自ずとわかってくれっかなあと……」
「適当すぎる!」
その後、高速に乗ってから室長はおもむろに説明を始めた。
「まず雨宮、今お前が一番知りたいのはアサガオの安否なんだろうが、何度も言うようにあいつは大丈夫だ。理由も言ったな、それはあいつが幽霊だからだ。幽霊だから死んではいねえ……ってのも変な話だがな。死んでるから幽霊なワケで。その辺は信じてもらう他ねえな。アサガオが排水溝に引っ張りこまれたつってたが、お前よく思い出してみ? 排水溝みてえなちっさい穴に、生きた人間が全身丸々引きずり込まれるなんてことがあると思うか?」
確かに……。どんなに強力な吸引力の変わらないただ一つの排水溝だったとしても、人ひとりを跡形もなく吸い込めるはずはない。
「んで、お前ちょっと右手を挙げてみろ」
疑問や質問は後でまとめてしよう。ここはおとなしく言われた通り右手を挙げる。
「人差し指んトコ、よーく見てみろ」
右手に顔を近づけてみてみると、ぼんやりと光る何か……、糸の様な物が巻き付いていた。真っ赤な糸が。
舌の根も乾かぬ内に質問を投げかけようとした僕の機先を制して室長が答える。
「それが今のアサガオだ。あいつは今お前と、えーっと、女……」
「美濃さん」
「そう、お前と美濃をつなぐ糸になってんの。どこまででも伸びるが、その姿を維持し続けるにも限界がある。だからさっさとその糸の先に向かう。ここまではいいか?」
正直言えば『良くない』。荒唐無稽にも程がある。だけど、さっき幽霊屋敷で見た事。今僕の指にあるモノ……。
「実際にアサガオの無事を確認しないと、全てを信じることはできないですね」
「疑り深いやっちゃなあ。まあいいや、すぐ信じざるを得なくなる」
だと良いけど。
いつの間にか車は高速を降り、木々が鬱蒼と茂る、今どき舗装もされていない道路とはとても呼べない道を走っている。
「あとは何だ、あれだ、ウチの、妖家相談室の仕事は簡単に言っちまえば『除霊・浄霊』『解呪』とかだな」
「それは何となく気付いてましたが、所謂『霊感商法』……。詐欺だと思ってましたよ……」
「そう思われてもしゃーない。が、雨宮。お前は見たな?」
排水溝から必死に手を伸ばし、助けを求めてもがく美濃さん。
美濃さんの手と一緒に排水溝に消えていったアサガオ。
「そういう現象は実際にある。あとは俺が霊能者っぽ事すりゃ信じられる。か?」
「まあ、ですかね……」
「おーし、雇用主として従業員にカッコいいトコ見せましょうかねえ」
どう見てもカタギとは思えない風体のこの人が除霊って、どうもイメージが沸かない。
「ところでまだ何も聞こえないか?」
妖家室長が、ヤクザ映画よろしくドンパチしている想像に割り込んで質問をしてきたので、耳を澄ましてみるが、環境音以外は特に何も聞こえはしない。
「もうそろだと思うんだがなあ」
何がですか? 聞き返そうとした瞬間頭の中に聞き覚えのある声が響いた。
『……さん。聞こ…すかー』
「あっ。えっ?」
「お、聞こえたか」
『ハジメさーん。おーい、聞こえますかー?』
頭の中に流れ込んでくるこの声は……。
「アサガオ? アサガオなのか!? 大丈夫!? 生きてんの!?」
『大丈夫ですけど、幽霊なので死んでまーす。いい加減信じてくださいよー』
僕の心配を余所に、のんびりとした返事が返ってくる。
『そこに室長もいますよね? ちょっと指示を貰いたいのでいいですかー?』
いいですか? ってどうすりゃいいんだ。今いったいどうやってアサガオと会話しているのか全く分かっていないのに。
「どうした雨宮」
室長が目線だけは前に向けながらも、オロオロしている僕に顔を向けてくる。
「いや、アサガオが室長に指示をくれって言ってるんですが……」
とりあえずメッセンジャーになればいいのかな。そう思った瞬間、室長が僕の右手を握った。
「うおっ、な、なんですか?」
突然の室長の行為に驚く。一瞬の内に僕の頭の中で様々な考えが浮かぶ。
僕、何か悪い事でも言ってしまったのだろうか?
何が悲しくておっさんと手を繋がねばならないのか。
どうせ繋ぐなら可愛い女の子とがいいな。
室長ってソッチの
そんな僕の気も知らないで室長は握った手を自分の耳に当てる。
「おうアサガオ、今どのへんだ? 声が聞こえるっつー事はもうかなり近いと思うんだが」
『そですねー、とりあえず廃村にいます。漁村……かな?」
僕の手はいつの間にか電話になってしまったようだ。指先に繋がる糸からして、電話は電話でも糸電話か。
しかしこの糸は幽霊であるアサガオの霊体でできた糸らしく、デジタルはおろかアナログですらないので、もう何が何だか分からなくなってきた。
いっその事、疑う事も考える事も止めて、言われた事を鵜呑みにしていた方が色々と楽なのかもしれない。
どっちも止めないけども。
「廃村……、漁村ねえ。んじゃ俺らが着くまで出来る範囲で聞き込みしといてくれや」
『はーい、了解でーす』
室長が手を離してくれた。
「…………どうせ握るなら女の手がいいよなあ」
「ですね……」
室長と意見が合致した後、アサガオの居る廃村に到着するまで僕らは一言も言葉を交わすことはなかった。
いや別に、急に手を握られてドキッとしたとか、それによって自分でも気づいていなかった性癖が目覚めてしまったとかそういった事では決して無い。本当だ。
室長が話さなかった理由は分からないが、アサガオとの通信が終わり、目的地まであとわずかだから、今から何か説明なりし始めても中途半端になってしまうから、通信終了を区切りとしたのだろう。そうだろう。そう信じていますよ室長。
今どき木造の建物が見えてきた辺りで車を百八十度反転させ、フロント側を元来た道へと向け停車した。
「腰が
「あ、はい」
人が居て家が有る。家が集まって村になる。村が大きくなって街になる。
存在の意味を失った場所……。
「えーと、アサガオ聞こえるかな?」
なんとなく右手を耳に当てる。そんな事をしなくてもアサガオの声が聞こえていたのだからこの行動に意味はないのかもしれないが、通話するときの所作としてこうしておかないと、誰かに見られたときに独り言を離している危ない奴に見られてしまうかもしれないだろう? ハンズフリーでの通話は一人の時以外はなかなかできたものではない。
『はいはい、聞こえてますよー。どしました?』
「到着、した……と思う。室長がアサガオを呼んでくれってさ。場所は、えーっと、村の入口、かなあ? キミは今どこにいるの?」
『ハジメさんとわたしは赤い糸で繋がっているので場所は分かりますー。向かいまーす』
赤い糸の枕詞を考えると、年甲斐もなくドキっとしてしまった。糸が結ばれているのは右手の人差し指だけども。
『二人は運命の赤い糸で結ばれているのです……。ドキドキしちゃいました?』
「何いってんの? キミが消えちゃって僕がどれだけ心配したと思ってるの」
見事に図星を突かれてしまったので、ずるい言い方で誤魔化す。
「ごめんなさい……」
さっきまでの頭に響くような声ではなく、直接鼓膜に響く声が背後から聞こえてきた。アサガオだ。細く、少し冷たい手で僕の手を握り俯いている。
僕の目の前で、生きているようにしか見えない。でも……。
「本当に、生きている人じゃない……。幽霊なんだね……」
「やっと信じてくれましたね……。でも、しょうがないです、普通にしてたらこんな事、絶対に経験しませんから」
昨晩からジェットコースター式に経験させられた事、そして普通の人間ならミンチになっていてもおかしくないはずのアサガオが、こうして目の前に立って居る事。
ここでまだ疑うようならば、猜疑心が強いってもんじゃない。社会に適合できないレベルだ。
「なんにせよ、また会えてよかったよホント」
俯く彼女の頭頂部を見ていると、アサガオが上目遣いで僕を見上げ一拍後えへへと笑った。
んん、ヤバい。この子は小悪魔系女子だ。計算的にしろ無自覚にしろこの仕草は男にとっては猛毒だ。しかもまだ手は握ったままでだ。
男ってホントバカ。すぐに騙される。分かってるよ。しかしこの毒は用法容量を守れば薬にもなるんだよ。まあ、どんなに用法容量を守っていても、薬の前に麻が付くんだけどね。
「おら、イチャついてんじゃねえぞ従業員共。なにいい雰囲気醸し出してんだ。あぁ? 雨宮ぁ、
「娘なんですか!?」
「んなワケねぇだろタコ。俺ぁまだ三十代だ」
ツッコミを口実に手を離し、アサガオから離れ見やると、大股を開いてしゃがみ込む所謂ヤンキー座りでこちらを見上げる室長がいる。
その容貌でその座り方をする人間を見て一体誰がカタギの人間だと信じるだろうか。
下から
どちらも正しく使う分には問題ないが、どちらも誤って使えば問題がある。
「で、アサガオ。俺らが来るまでに何かめっけたか?」
「西の崖下の家に一人いました」
こんな所で暮らしている人が居るとは思えない。という事は……。
「生きた人間じゃねえからな、雨宮」
「ですよね。分かってきましたよ、この仕事」
「上等。だが娘はやらんからな。アサガオ、案内してくれ」
まだ言ってるよ。と言うか娘じゃないなら室長の許可は必要ないだろうに。当人同士の問題で他人がどうこう出来る話じゃない。
それとも職場恋愛禁止なんだろうか……って違う! 違うぞ僕! 危ない危ない、既にアサガオの毒に侵されかけていたようだ。
職場恋愛の悲惨さは散々経験した。同じ職場内で恋愛なんぞするもんじゃない。どんなに公私を分けようと努力しても無駄なのだ。
仕事で意見がぶつかればプライベートに引きずるし、プライベートで喧嘩すれば仕事に支障がでる。
事が当事者同士だけで済めばいいが、そんな訳にもいかない。仕事はチームプレイだからだ。
特定の誰かに知らず知らずの内にやさしくしていれば、周りが噂を立てるし、険悪な雰囲気は必ず周りに気付かれ、伝染する。
別れたとなればもっと最悪だ。ほぼ間違いなく、どちらかが空気に耐え切れず仕事を止める。
残った方にしても、根も葉も有る噂に囲まれて針の筵だ。
自らトラウマを掘り起こしてしまった事を後悔している内に、アサガオが一軒の家の前で足を止めた。
「ここか。話は出来そうだったか?」
「うーん、ちょっと分からないですね」
「ん。よしじゃあ行け雨宮」
何が『じゃあ』なのか全く分からない。今の会話からして、話の通じる相手かどうか分からないという事じゃないか。
そんな相手の元に、碌な説明も研修も受けていない新人を行かせるとか鬼か。怖いのは顔だけにしておいてほしかった。
「……分かりました。何かあったら助けてくれるんですよね?」
本人は会心の笑顔のつもりなんだろうけど、快楽殺人者が人を殺す前の笑顔にしかみえない。
快楽殺人者の笑顔なんて見た事ないけど。
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