Last forever
1「人間にどうこうできる話じゃねえだろ!」
表札の剥がれた塀。伸び放題の雑草で埋め尽くされた庭。所々塗装が剥げた外壁。二階の窓は割れていて、風雨に曝されてボロボロになったカーテンが揺れている。
空には雲一つないにもかかわらず、この家だけなぜか薄暗く見える。
「これは、中に入っちゃダメなヤツですね、父さん。うむ、そうじゃな、早く家に帰ってひと風呂浴びたいのう」
「一人でなにやってるんですか、ハジメさん」
誰が見ても幽霊屋敷だと思うであろう廃屋の前で現実逃避の独り言をぶつぶつ呟いている僕を、制服を着た自称幽霊のアサガオが、本気で心配そうな目で見ているが、そんな目で見られるとは心外だよ。
僕から言わせれば、自分の事を幽霊を騙り、
「仕事の内容は今朝、室長が説明してくれたじゃないですか。それにわたしが幽霊なのは本当ですよーう。ずびしっずびしっ」
『アサガオ幽霊説』を否定された事に対しての反撃か、効果音を口で言いながら僕の脇腹を人差し指で何度も突いてくる。
「それは良いとして、問題は室長が説明してくれた仕事の内容だよね……」
妖家相談室室長、
──地元で有名な幽霊屋敷に肝試しに行った仲間の内一人が消えちまったんだと。男二人と女一人で行って、消えたのは女。ウチに来たのは、土壇場でビビッて中に入らねえで外で待ってた野郎だ。中に入った方のバカっぽい男が、ビビり野郎にビデオ通話をかけて実況してたのを録画した動画を持ってな。そんでだ、一階風呂場に着いた時にバカが女をビビらせようとして女が浴室に入った瞬間、扉を閉めやがった。女が泣き叫んでんのをそのバカは笑って見てやがった。悪趣味なこった。さて、問題はここからだ。女の叫び声が一瞬やんだ後、扉を閉めたバカに対する怒声から一転、助けを求める悲鳴に変わった。流石のバカも扉をあけようとするが開かねえ。浴室の扉は内側に引いて開けるタイプで鍵は内側にしか着いてねえ。女が焦って内側から逆に押してるか、テンパって鍵でも閉めちまったんだろうとバカが声をかけるが、どうもそうじゃねえ。女が浴室に落としたスマホのライトで、すりガラスに映し出された影は正しく扉を引いて開けようとしているように見えた。焦ったバカが実況中のスマホを床に落としたが、辛うじてカメラは扉を画面内に収めてた。バカが体重をかけて外から押すとほんの少しだけ開きはするが、何かに押し戻されるようにして閉まっちまう。そうこうしている内に、女の『水が溢れてきた』という叫び声。浴室内のスマホが水没で故障したか、ライトが消える。扉のガラスを割ろうとするがビクともしない。で、扉の隙間から勢いよく漏れてきた液体でバカのスマホも水没して通話が終了。動画はそこで終わりだ。ビビり野郎がビビッて乗ってきた車の中でガクブルしてると、すぐにバカが、一人で逃げてきやがったんだと。
「で、バカくんはそのまま家に籠城。ビビりくんは女の子がどうなったのかバカくんから話も聞けず、自分も呪われて死んじまうんじゃねえかって、ビビりにビビッて相談室の扉を叩いたわけか」
ようやく室長の長い話を思い出し終えて呟く。やはり嫌な予感しかしませんよ、父さん。
ケーサツには行ったんですかね? と、誰もが思うであろう僕の質問に室長は
──行ってねえっつーから、行けっつったが、ありゃ行かねえな。真性のビビりで、失踪事件にかかわっちまって自分がポリの世話になっちまうのをビビッてる感じだったしな。ま、ウチとしちゃ金になるから別にいいけどな。
「バカさんのお宅へは、室長が事情聴取に行きましたので、わたし達はこの現場の調査です。それじゃあ行きましょー」
室長が依頼者を『ビビり野郎』『バカ』『女』としか言わないから、僕もアサガオも三人をそう呼ぶしかない。せめて敬称だけはつけてはみた。
でも蔑称に敬称を着けるとより一層の蔑称感。うーん、どうしたら……。
「ビビりさんは
「名前、知ってたんだ?」
「はい、朝ハジメさんがまだ寝てる時、先に室長から話を聞いてましたから」
名前知ってたのに『バカさん』って言ってたのか。なかなかブラックな精神をお持ちなようで。
僕は腹を括り、ため息に似た深呼吸をして幽霊物件の玄関へと向かう。
七歩。
玄関のドアを開くと、中からカビと埃が混じり合った風が流れ出してくる。
真昼間のはずなのに、室内は暗く澱んで見えた。
「んで、現場の調査ってのはどうしたらいいのかな? 美濃さんが消えた場所に直行……は、バスルームの場所がわからないから探しながら行くしかないのか」
二十代をおり返して二年。この年になってまさか肝試しをするとは思わなかった。
「そこは大丈夫です。ビビりさんの動画も見ましたのでお風呂場の場所は分かります。チョッコーです」
開いたドアから、なんとか射し込んでくれている光で見える廊下は割れたガラス等、靴下の防御力では防ぎようがないゴミ達が散乱していて、日本人として靴を脱ごうかどうしようか迷う僕の横をすり抜けて、土足で入っていくアサガオを追う僕の後ろで、玄関のドアが閉まった。
帰る時、何事もなく開いてくれることを祈りつつ、廊下の突き当りの部屋で何かを見つめるアサガオに速足で近寄る。
「ここが美濃さんが消えた現場ですね」
廊下と脱衣所を隔てる物は無くなっていて、錆びた蝶番だけが残っている。
今ここで入浴の為に裸になったら来客に丸見えだ。
「ハジメさん、何か感じますか?」
「何かって、霊的なカンジの? 僕、人生で一度も幽霊とか見た事も聞いた事も無いから、そう聞かれましても……」
「うーん、そですか。じゃあちょっと入ってみますね」
「え? 今ここでお風呂に入るの?」
「浴室内に侵入する。と言う意味ですよ?」
ええ、わかっております。ここは、噂されるほどの幽霊屋敷で、嘘か真か人が消えた場所だ。霊感が無かろうが、幽霊を信じていなかろうが怖い物は怖い。冗談の一つでも言ってなければ、帰りたい気持ちと尿意を抑えきれない。
浴室内を見回していたアサガオの視線が下を向いて止まり、しゃがみ込んだかと思うと、おもむろに床に溜まっていた泥らしきものを掘り始めた。
「どうしたの? 何か見つけた?」
脱衣所から声をかける。浴室は二人はいると狭いから。邪魔になるといけないし。怖くないし。
「いえ、排水溝が泥で埋まってただけです。それ以外は特に何もないですね」
肩越しに僕を見ながら話すアサガオがしりもちをついた。
「うわ、大丈夫?」
助け起こそうと浴室に入った僕が見たのは、排水溝から伸びた手がアサガオの手首をしっかりと掴んでいる場面だった。
「アサガオ!」
叫んで僕はアサガオの腕を掴んで浴室から勢いよく引っ張り出す。
その甲斐があってか排水溝の手から逃れることが出来た。だがその手は排水溝から二の腕まで出してビタンビタンと鳥肌が立つ気持ちの悪い音を立てながら暴れていた。
「大丈夫!? つーか、あれ、マジか。嘘でしょ? 逃げよう」
あまりの事態に頭も口も回らない。
「待ってください。何か少しでも手がかりを持って帰らないと……」
手がかりとかそんな場合じゃないだろう。信じたくはないが、排水溝から手が伸びていて暴れているのは事実だ。
あれに捕まれば排水溝の中に引きずり込まれてしまうであろう事は想像に難くないし、あんな小さな排水溝に引きずり込まれたなら腕の肉がバナナの皮の如く剥けてしまう。
流石に排水溝程度の大きさの穴ならば、体ごと持っていかれる事はないと思いたいが、目の前の非現実的な光景からしてその保障はどこにもないのだが、アサガオは浴室で暴れる腕を見つめたまま動こうとしてくれない。
怪現象がアレ一つとは思えない。こうしている間にもいつどこから似たようなモノが飛び出してくるかわからない。
かと言って女の子一人を置いて逃げるわけにもいかない。どれだけ怖くても、危険でも、それだけはしちゃいけない。
であるならばここはさっさと手がかりとやらを見つけるしかない。早くしないと今にも抜けそうな腰が遠くない内に機能停止してしまう。
手がかり。手がかり。手がかり。何だよ手がかりって。
僕の目には、何か掴むものを探すように暴れまわる人外の手しか見えない。
排水溝から出ているのは肘・下腕・掌。
床に爪を立てたり、何かを握るしぐさをしたり、時には大きく動いて掌で床を叩く。
女性的な細い指先、手首、腕。
なんだろう、最初はアサガオを引きずり込もうとしているように見えたけど、少し落ち着いてみると、手に触れる物なら何でも掴もうとしているのかな。
溺れる者が藁をも掴むように。
「あの手って、美濃さんの……かな?」
「え?」
「いや分かんない! 分かんないケドなんとなくそんな気がするんだ!」
出てきた時は二の腕まで出てたのに、今は肘までしか出ていない。
「ちょ、ハジメさん何をするつもりですか?」
浴室に入ろうとした僕の右手をアサガオが掴んで止める。
「あの手が、助けを求める美濃さんなんだったら、助けてあげないとって思って」
常識的に考えて、あの状態で美濃さんが生きているわけがない。ならあの手は美濃さんの霊って事になる。
でも、だからと言って助けない理由にはならないし、だからこそ助けてあげるべきなんじゃないかなと僕は思った。
死後の事なんてわからない。幽霊事情がどうなっているのかだってもちろん知らない。けど、あのまま引きずり込まれてしまったら、安らかな状態にはならないだろう。
死んでしまったのはもうどうしようもない。ならばせめて安らかに。
「ハジメさん! ハジメさん待ってください!」
僕と、助けを求める美濃さんの手との間に、アサガオが割って入る。
「あの手は美濃さんなんですね?」
頷く。
「分かりました。このままわたしの手を離さないでくださいね」
アサガオが美濃さんの手を掴むと、ものすごい勢いで手首をつかみ返され、彼女の体は排水溝に向かって引っ張られる。
慌ててそれを阻止すべく、泥だらけで踏ん張りがきかない足をそれでもなんとかとっかかりを見つけて踏ん張る事に成功した。
「ちょいちょいちょい! アサガオ! 何やってんの!」
「手を離さないでくださいね! そしてすぐに室長の所へ!」
チクショウ、足が滑り始めた。じりじりと引き寄せられていく。
「ハジメさん。室長の目は正しかったと思います」
「こんな時に何言ってんの! どーすんのコレ!」
すでに美濃さんは手首まで排水溝の中に沈んでいる。
「美濃さんの手ぇ放してアサガオ! ヤベえってマジで!」
浴室の中は脱衣所よりも泥だらけで外に引っ張り出す為の踏ん張りが完全にきかなくなっているので、アサガオの腰に抱き着くようにして支えている。
「この手は、美濃さん、なんですね?」
「そうだよ! いいから離せって!」
このままではすぐに僕の体力が尽きてしまう。そうなればどうなるかなんて考えたくもない。誰か他に助けを呼ばなければ……。
「室長……。そうだ室長に電話! アサガオ! スマホ持ってないの!?」
「持ってないです」
僕もスマホは昨晩紛失してそのままだ。
「大丈夫です。ハジメさん、すぐに事務所に戻ってこの事を室長に報告してくださいっ」
浴室の外へ向かって突き飛ばされる。
アサガオに向かって手を伸ばす。
彼女はまるで僕を安心させるかの様に微笑んで、おまけにウインク。
そして一気に排水溝に引きずり込まれていった。
惚けていたのも一瞬。すぐに浴室に再侵入。殆ど転ぶ勢いで排水溝をのぞき込む。
「あ、あさ、アサガオ! おい! アサガオ!!!」
両手で泥をかき分けるが、ユニットバスの床より下には掘り進めるわけがない。
「クソ! クソ! クソクソクソ! 室長なら何とかできるってのかよ! つーかこんなん、人間にどうこうできる話じゃねえだろ! チクショウ!」
どんなに悪態をついた所で今ここで僕に出来る事は何も思いつかないし、できる気もしない。なら、アサガオの最後の頼みを聞いてやること。それ以外ないだろ。
「クソッタレ!」
恐怖と混乱を振り払うためにもう一度叫び声をあげ、アサガオを助けられなかった自分への怒りを込めて右拳を床に叩きつけるようにして立ち上がる。
事務所までの道中、僕の胸中は何も出来なかった自分に対しての怒りが渦巻いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます