yuri

あおの色

yuri

「ねぇ、外に出ようよ」


「やだよ。暑いし金使うし」


「しみったれてるな~もう! だから優響ゆうきはいつまでたっても彼女できないのよ。おかげさまでこっちまでオタク化しちゃったわ」


「それは僕のせいじゃない。ユリのオタクは元からだろ」


優響ゆうきのオタクが感染しちゃったのよ。負のオーラ出しちゃって。あーやだやだ。出かけないならいいかげんPC変わってよ。暇だったらありゃしない」


「またソーシャルゲームかよ」


「いいでしょ。誰かと繋がってるだけ、優響ゆうきよりよっぽどマシ。オンラインしないんだったらPCの必要ないでしょ。そっちのゲーム機使いなさいよ」


 まったくうるさいやつ。僕はユリには絶対に勝てない。それはもう重々承知している。パシパシと背中を叩いてくるユリに、僕は席を立ち後ろへまわった。ユリが上機嫌でゲームを立ち上げる。


 ユリがハマっているゲームはネット上に作られた仮想タウンでアバターという自分のコピーを使って仮想生活するというもの。衣装を着替えたり、自分の住まいをいろんな家具で模様替えしたり、タウン内を歩き回って他のユーザーとチャットをしたりブログを書いたりするゲームだ。


 今日もブログとやらを書いている。ユリはつくづくマメだなと思う。毎日INしてはブログを書いている。どこにも出かけないのに、よくもまあそんなに書けるネタがあるもんだ。僕には到底マネできない。日記なんかもいつも三日坊主。小学生のころは日記の宿題が苦痛でしかなった。


 ブログの更新を終え、アバターの衣装替えも済まし、またあいつの家か。


 バーカウンターにビリヤード台。シックでスタイリッシュな家具。ダークブラウンのフローリングに、夜景の見える全面窓の壁。


 ユリもなんだかんだいいながら乙女だなと思う。こんないかにもなセンスのやつとつるんでいるんだから。僕的に言えば、反吐が出るって感じ。


 部屋にあいつがいないことを確認すると伝言を残すユリ。しばらくタウンのショップやらイベントやらを巡って自室へ戻ってきた。ショップで買った服に着替え、イベントでゲットした家具アイテムを部屋に配置してる。程なくリンロンと音がなって、鍵をあけるとあいつが入ってきた。


 ゲームのアバターらしく金がかかってます的なド派手なコスチュームで現れればいいのに、Yシャツにスラックス。気にかけてるのは眼鏡のアイテムだけという。なんとも地味な感じ。こういうアバターゲームって、自己アピールが強いやつらがやるんじゃないのか? ユリだってどぎつい仮装ではないけど。いろんな衣装をもってるし、着替えを楽しんでる。


 そんな地味アバターの頭の上にはキサラギと言う名前。


 キサラギ曰く、中の人間は結構おじさんらしい。おじさんって言うから五十代かと思いきや、なんてことはない。三十代だった。そうは言っても所詮はアバター。やけに落ち着いた余裕ある口調からして、本当のところやっぱり五十くらいかもしれない。姿が見えない世界ではなんだって言えるからね。


 ユリのキーをタイプする速度が上がる。楽しそうに意気揚々と弾む指。対人って言っても相手はアバターだ。生身の人間じゃない。作り出されたアバターに恋しちゃってるユリのがよっぽどオタクだよ。


 ユリとキサラギは部屋で談笑し、その後二人でタウンのイベントに参加していた。タウンには店以外に釣りスポットや、ダンスフロア、カジノといったゲームができる施設や、喫茶店や図書館、教会の他にも、海や山、はたまた月とかいろんなシチュエーションの場が設けられてある。そういったところでバーチャルデートをキサラギと楽しむユリ。タウン内には二人の共通の知り合いもいるらしく、他のアバターとも絡んでるらしいが、結局僕と変わりやしない。十分不健康で立派な引き籠りだよ。


 深夜一時を過ぎるとタウンは閉鎖される。ユリとキサラギは部屋へ戻りまたチャットを始めた。


『ユリ:今日は久しぶりにみんなで集まれて楽しかったね』


『キサラギ:マキロンはここのところずっと来てなかったしね。相変わらず面白い人だよ』


『ユリ:ウンウン! マキロンさんいると盛り上がるよね。イベント立ち上げるのも場を作るのも上手いし』


『キサラギ:ユメカちゃんも楽しそうだったし、よかったね』


『ユリ:新入りだと緊張するもんね。すっかり緊張もほぐれていたみたいだし、「明日もみなさん来られますか?」なんて言ってたもんね!』


『キサラギ:マキロンさん発案のかくれんぼゲームもすっごく楽しんでたし。このサークルが一番盛り上がってるよ』


『ユリ:熱いよね! でも、あたしは今も凄く楽しいよ?』


『キサラギ:うん。俺もだよ』


 おいおいおい、何怪しい雰囲気なってんだよ。バーチャルだろ自覚しろ。チャットらしく顔文字とか草とか生やせよ。


『ユリ:じゃあ、明日もこれる?』


『キサラギ:もちろん。いつでも待ってるよ』


『ユリ:んふふ、嬉しい。会いたいな』


 おい!


『キサラギ:おかしな子だね。今も一緒にいるのに、それに明日の約束だってしたばかりだよ』


『ユリ:そうじゃなくって、リアルにって意味』


「おい! こら! ユリ!」


 タカタカ景気よくタイプされる文章に思わず声が出てしまった。


『キサラギ:そんな風に言ってくれるの嬉しいな。じゃあ、今日はもう遅いから、明日一緒に計画立てようか』


『ユリ:うん! おやすみなさい』


『キサラギ:じゃあね、おやすみ』


 僕の声なんて物ともせずに、二人だけの世界にどっぷり浸かっているユリ。涼しい顔で無視られてしまった。


 ユリのアバターがキサラギに手を振った。なのになかなかユリの部屋から消えないキサラギ。いつもの事だ。ユリがログアウトするまでこうやってキサラギは待っている。


 ユリのアバターが部屋からスッと消え、ユリは「う~ん」と満足気に腕を突きあげ、背筋を伸ばした。


「こら、ユリ。無視してんじゃないよ」


「なによ、うるさいなー」


「なんだよ今の」


「今のって?」


「リアルでなんとかとか」


「そこまで言っといて誤魔化す必要ある?」


 後半ボソボソと声が小さくなった僕を、ケラケラとユリは呑気に笑う。そして、ユリの目がスッと細くなった。冷ややかな軽蔑の視線で僕を見る。


「ってか、覗かないでよ。スケベ」


「スケベってなんだよ。見えるんだろう勝手に」


「見えるんじゃなくって優響ゆうきはミ・テ・ルの」


 ユリは僕の鼻先に人差し指をピッピと向けて、まるで中学生の学級委員長みたいに注意してくる。そりゃ、ユリの遊びに僕だっていちいち口なんか出したくはない。自分も出されたくないし。でも、いくらバーチャル恋愛だからって、度が過ぎてる。


「いいのかよ、あんなこと言って。向こう本気にするかもしれないぞ」


 僕の物言いに、学級委員長張りにいい気になっていたユリの表情は一変。キョトンとした顔になった。


「していいに決まってるじゃん。セールストークじゃないんだから」


 ユリの発言に口がパカッと開き、顎が落ちた。今のは何かの聞き間違いだろうか?


「おまっ……そんなのダメに決まってんだろ! どんなヤツかもしれないのに」


 ユリの気が知れなかった。煩わしい思いをしたくなくて、自分の居場所が欲しくて。高校卒業を機にここぞとばかりに「いつまでも甘えてはいられないから、自分で生活していく練習もしないと」と叔母さんたちに言い訳してアパートを借りた。それなのに、誰とも知れない相手とリアルで会うと言うのだ。自ら面倒事を作るなんていったい何を考えてるのか。


「知り合って半年くらい経つし、知らなくないわよ」


「そんな、たかだかチャットで話してただけじゃないか。半年が聞いて呆れる。だいたい三十代とかいってるけど、本当は五十代、いや、六十代かもしれないぞ。すっげー汚いおっさんかもしれないんだぞ?」


「何言っちゃってんの。キサラギさんは汚いおっさんなんかじゃないわよ。かっこいいお兄さんなんだから」


「なんでわかんだよ! あ、あれか? 写真でも見たってのか? そんなの適当に売れない俳優の写真拾ってきただけだろ」


「ううん。わかるわよ。だって会うの次で三回目だもん」


「はぁ!?」と食って掛かりたかったけど、実際の僕はさっきより更に顎を落とし、目が落っこちてしまうほど見開いていた。


「い、いつの間に……」


「三日間寝ずに書いたレポートを提出した時。優響ゆうき、大学から帰ってきて爆睡してたでしょ。あと~、ゴールデンウィークに限界に挑戦とかいって、アホみたいに寝ずにRPG一気にクリアーしようとした時も。あの時は優響ゆうき、結局途中寝ちゃって失敗したけど」


 そう言えば、両日共に異常なまでに爆睡していた気がする。僕は身に覚えのない真実を聞かされショックで頭がクワンクワンとなり、目を回した。


 僕が眠ってる間に……なんてこった――


 うっかりバレた。


 ではなく、もしかしたら。ユリは元々隠す気もさらさらなかったのかもしれない。ユリは男前なくらいサバサバしたやつだ。言いたいことは気にせずスパンと言ってしまうし、自分のしたいように生きてる。そんな自由で、自分をちゃんと持ってるユリを僕は気に入っていた。僕よりずっと男らしい。だからこそ、僕はあのネットゲームでユリがキサラギに色目をつかったり、猫なで声で甘えたりする姿を見るのが凄く嫌だった。唯一ユリを不快に思う時間だった。


 ユリは僕と同じく、事なかれ主義だ。だからあの時みたいに僕にうだうだ言われるのを避けて、会っていたのかもしれない。あの日スパンと会っていたことをバラしたのも、今後もコソコソ密会するつもりなんてないからだろう。


 結局、ユリは柄にもなく、着て行く服をあれやこれやと悩んでウキウキして出かけて行った。僕はというと、やっぱりそんなユリを引き留めることができなかった。


 僕が知ってからというもの、ユリはこれ幸いと大手を振ってキサラギとのリアルデートを楽しんだ。キサラギに会いに行くための服を「これどうかな?」なんて僕に聞いてくる始末だ。この前も服を買いに行くのに付き合わされたあげく、キサラギの誕生日プレゼント選びまでさせられた。外出は嫌いだと言っているのに。


 もちろん僕は面白くないし、不愉快だ。だからって、ユリにあの日みたいに言う事はやっぱりできない。言ったところで聞いてはくれないし、言い負かされるのが関の山。言ってもしかたないことなんだよ。


 ユリと喧嘩するようなことはしたくない。今までだってしたことないけど、もししてしまったら凄く疲れるのも目に見えてるし。


 ユリの基本的な部分は何も変わらない。ただ、キサラギの前だと自由なユリがもっと自由に振る舞ってる。僕といる時より、もっと素直に、もっと自分を解き放って。そう、全身でキサラギに甘え、委ね、託してる。キサラギの事を信頼しきっている。僕の事よりも。


 僕はそんなユリをちょっと離れたところからただ見てるだけだ。



――なのに、どうして。



 僕はベッドの上にいた。影に覆われ、塞がれる口。優しく吸い付いてくる弾力のある唇。髪をゆっくりなでる大きな手、篭る熱気。分厚い舌が口内を満たし、僕の舌にねっとりと絡みつく。それは余すと来なく口内を舐め、僕の舌をジュルジュルと音を立て啜り上げた。


「はう……うクッ……」


 キュッときつく吸い上げられた舌が解放されると同時に、ゆっくりと目を開けた。


 ああ、本当に整った顔。スッと通った鼻筋。綺麗な形をした存在感のある唇。真っ直ぐに僕を見つめる大きな瞳の優しい目。


 ユリが言った通りだ。


「……可愛いね」


 すぐ傍で、面と向かってそっと囁かれる。


 可愛いなんておかしい。そう思うのに僕は何も言えずただただ、弱気な眼差しを力なくキサラギに向けるだけだ。


「好きだよ」


 キサラギがまた囁いた。嬉しそうに微笑んで僕の頬へ手を当て、親指の腹でそっと撫でてくる。まるで心底愛しんでるみたいな表情で。男の僕を見る。目が少しずつ伏せていき、また重ねられる唇。二、三度撫でるように僕の口を吸い、唇を重ねながら。


「凄く可愛いよ」


 また言った。


 頬から首筋へ、そして肩。素肌の上を滑る手は既に形を露わにした胸の小さな頂に触れた。クルクルとそっと撫でられると肌が湧き立ち先端はより自己主張をし、固くなる。体の微かな震えに耐えてると、移動した手と同じラインを辿り肉厚な唇が下りて行く。押し当てられる度に、呼吸は深いため息になって唇から零れ落ちる。


 こんなのおかしい。すべてがおかしい。


 でも、僕に襲い掛かる不条理はまだ全然序の口だった。


 降りる唇と共に更に僕の体を降りて行く温かい手のひら。それはもどかしくなるほどにゆっくりと降りて、到達し僕は大きな手に包み込まれた。大きなストロークで撫でられると、体内の血液までもが降下し始める。


 アワアワとなすすべがない僕。数回撫でられればいとも容易く先端は濡れだし、トロリとした感触が自身のすべりを良くさせる。それは溶けてしまいそうなくらい気持ちよかった。


「う……ふっ、ぅう……」


 なんなんだ。なんで僕なんだ。おかしいよ。間違ってるよ。


 フルフルっと頭を振ると、キサラギの指の背が頬を撫でる。


「我慢しなくていい」


 そんなの無理だ、ユリは、ユリはどこ!?


「大丈夫。心配いらない」


 狼狽える僕に落ち着いた低い声が降り注ぐ。肌を撫でられ、同時にもう一方の手をゆっくりスライドさせる。


 嫌だ、ダメだ。こんなの絶対ダメ。ユリ助けてっ!


「ずっと一緒にいるよ? 俺は君を置いて行ったりなんかしない。怖がらなくていい」


 ああ、ユリどうしてこんなっ……。


「素直になって、解き放つんだ」


「っは、あ、あっ……んっっ」


「愛してるよ。優響ゆうき


 耳元で囁く声はキサラギの呼吸と共に直接響いて脳を揺すぶる。


 キサラギの動かす手が巧みに僕を高め、僕は泣くみたいに声を上げ続けた。頭の中でパチパチと火花が弾ける。その度に自分という存在が消えて行くように薄らいで、わからなくなる。僕が感じれとれるのは揺るえる程の快楽と、とろけるような甘い感覚。


「ああ、ふあっ!……っは、は、あ、ああっっ」


 僕はいつの間にかキサラギの首に腕を回し、しがみついていた。与えられる高まりに押されるように込み上げてくる感情と欲情。


 腕を引き寄せ、キサラギの目を見つめながら顎を上げ、僕は自らキサラギに口付けた。


 挟まれ吸い付かれる唇。角度を変え、優しく情熱的なキスでキサラギは応えた。チュルリと舌が持って行かれてゾロリと舐められ、擦りつけられる。手のスライドは徐々にスピードを上げていった。そしてまたキュッと強く舌を吸い取られたと同時に、四尺玉の巨大花火が弾けた。


「んううううっ!」


 僕はキサラギにしがみ付きながら果てた。






 目を閉じると、優しい唇が顔中に落ちてくる。キスされる度にぽっぽっと温かい明りが胸の中に灯るのを感じた。


「もう大丈夫だね」


 ユリの声だ。僕は辺りを見回した。ユリは真っ白なワンピースを着て立っていた。目が合うとふわっと微笑み、体をクルリと半回転させた。僕に背を向けたままユリの手がスッと上がる。右、左と揺れる手。そして、ユリは軽い足取りで弾むようにぼやけた真っ白な世界を歩いて行く。


 ユリ……。


 ユリとの別れ。


 小学二年生の時、僕の本当の両親は死んでしまった。一人残された僕は、父さんのお姉さん。つまり叔母さんのところに引き取られた。親戚だけど、住んでいるところも遠く離れていたし、僕にとっては知らない人達だった。


 唯一救われたのが従妹の存在。気さくないい子で、同い年ということもあって人見知りな僕でも、彼女とは仲良くなれた。でもずっと一緒にいれるわけじゃない。僕は彼女を唯一だと思っていたけど、彼女は中学生になって唯一の人物と出会い僕は呆気なく不要の者となった。


 そして現れたユリ。口うるさいけど、なんだかんだずっと僕のそばにいてくれた。


 去っていくユリ。でも、不思議とあの時とは何かが違う気がする。


 ユリを見送り、瞼を持ち上げたらキサラギが僕に微笑みかけていた。何も言えない口を開いたら、キサラギが僕の代わりに言葉を落とす。


「俺のうちにおいで。優響ゆうきとずっと一緒にいたいんだ」


 キサラギの優しく低い声は深く僕の底に染み込んでいく。


 キュッと手を握って、緩める。その手を持ち上げて、キサラギは僕の指の背にチュッとキスをし、言ったんだ。


「リアルな世界で暮らそう」


 クッと込み上げる感情は鼻の奥をツンとさせ、目頭を熱くさせた。耐え切れなくなった感情が目の縁に溜まる。僕はそれをこぼさないように僅かに頷き、震える声を絞り出し頷いた。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

yuri あおの色 @aonoiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ