「死にたい」と口ずさむ

いきと

死にたいと口ずさむ

「……死にたい」

 そんな言葉が口から飛び出す。

 寒い夜。きつい上り坂を、重い足取りで進んでいる。

 今日は12月22日。坂には家々が建ち並んでいて、クリスマス飾りやLEDライトのイルミネーションで彩られている。賑やかな明るい笑い声も聞こえる。

 なぜか、その賑わいを聞くと、わたしの心は寒くなっていく。独りぼっちで暮らしているからか、ちょっとだけ羨ましく思ってしまう。

「ふぅ……」

 今日も疲労困憊。会社からの帰り道。もう午後11時を過ぎている。

 仕事はデスクワークなので、運動不足だ。この急な上り坂を登っていくだけで、額から汗が流れ出る。


 ふと足を止めて、夜空を見上げる。月が寂しそうに浮かんでいる。

「死にたい……」

 今日だけで何度もつぶやいてしまった。

 いつの頃からか、これが口癖になっている。

 口に出すだけで、本気で死にたいわけじゃない。

 でも、つぶやく度に、

   いつかは自殺してしまうのでは? 

 ――と、心の奥底が疼く。でも、止められない。


「だいじょうぶ?」

 え?

 真後ろから、ふいに声をかけられ、ドクンと心臓が跳ねあがる。

 若い女の子の心配そうな声だった。

 恐る恐る振り向くと、子供がいた。

 見た目では、10歳くらい……。たぶん、女の子。

 暗くてはっきりと顔が見えない。大きなリュックサックを背負っていて、秋の遠足に行くような格好。冬の夜では寒そうだ。

「なんで死にたいの?」

 かわいい声で、ど直球な質問を投げかけてきた。

「え、えーと」

 答えに困る。


 なんで、「死にたい」と呟いてしまうのだろう?

 がんばってきたのに、思い描いていた大人になれなかったから?

 誰も、わたしのことを、気にしてくれないから?

 あと少しで40代なのに、まだ結婚できていないから、将来に絶望している?


 何も言えずにいると、

「なるほどね」

 いつのまにか、女の子が顔を近づけて、わたしの顔を覗きこんでいた。女の子の白い息が、わたしの首すじに届く。

 何か分かったのか、大きく頷いた。

「あなた、本当は死にたくないんでしょ?」

 違うと、口を開きかけて止めた。

 ……何も言えない。

 女の子をまじまじと見つめると、柔らかな笑みが返ってきた。

 初対面の子なのに、心の扉を無防備に開けてしまう。 

「自分の気持ちを表すのに、ぴったりの言葉を知らないか……、

 あるいは、避けてしまっているだけじゃないのかな?

 だから、ありふれた……言いやすい言葉を使っちゃうのよ」

 優しく、諭すような声。

「いくつか言うわよ。

 ぴったりの言葉があると良いけれど……。

   わたしは生きたい。

   変わりたい。

   強くなりたい。

   幸せになりたい。

   自分を信じたい。

   失敗を恐れない。

   他人を気にしすぎない。

   自分のやりたいことを、やりたい」

 女の子が、ゆっくりと一言一言を丁寧に語っていく。

 胸の内側が熱くなって、その熱が全身に駆け回る。そして、瞳から零れ落ちた。

「いまのあなたを、大切にしてあげて」

 背伸びをして腕をのばすと、ちいさな手で、わたしの頬を優しく撫でた。

「わわっ」

 重いリュックのせいか、体勢を崩した少女を、慌てて抱きしめる。

 あたたかい。

「ありがと。それじゃ、行くね」

 軽い足取りで、女の子が坂道を登っていく。

 わたしは、その場から動けなかった。

 遠ざかる足音が聞こえる……。

 やがて、大きなリュックを背負った女の子は、視界から消えてしまった。



 ************


「……死にたい」

 澄み切った青空に向かって、そう呟いてしまう。


 社会に出て、

 大人になって、

 閉じ込めてしまった気持ち。

 あの子との出会いで、大切なものを見つけた・・・・・・ような気がする。

 でも、それは、まだはっきりとは見えない。

 せっかく取り戻した想いは、小さな灯火のようだ。


 テレビのニュースを見ていると、不安を駆りたてる情報に満ちている。芸能人の結婚のニュースを見ても、わたしの気持ちは沈んでしまう。


 会社という組織にいると、会社が望む歯車になろうとしてしまう。

 個性の大切さを忘れてしまう。


 そんな世界に無防備でいると、取り戻した小さな灯火は、すぐに消えてしまう。


「……死にたい」

 また言ってしまった。

 染みついてしまった口癖はなかなか直らない。

 小刻みに、頭を横に振る。

 そして、わたしの心を癒やすように、優しい声で、こう言い加える。


「違う。

 わたしは、

 わたしらしく、生きたいの」

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「死にたい」と口ずさむ いきと @ikito

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