3.
◆ ◆ ◆
それからというもの、フレンは度々ソーニャの元を訪れました。
お互い読書家ということもあってか、二人はすぐに無二の親友になりました。
今日もまた、ソーニャの家の扉が叩かれました。
トントン
「どうぞ」
ソーニャは、客人を招き入れました。
「こんにちは、ソーニャ」
毛先が肩ほどのワインレッドの髪を持った青年、フレンでした。
「いらっしゃい、フレン」
身分も越えて友となった二人の間に、もはや敬語も敬称もいりません。
「今日は、異国のファンタジー小説を持ってきたよ」
フレンは、脇に抱えてきた本をソーニャに渡しました。
領主の館の書庫には膨大な数の本がありました。
そこからフレンは、ソーニャが好きそうな本を見繕ってきてくれるのです。
「ありがとう! 待って、部屋から返す本を取ってくるわ」
愛らしい笑顔で本を受けとったソーニャは、小走りで寝室に入っていきました。
シルバーホワイトのお下げ髪が寝室に吸い込まれたところで、家の扉が叩かれました。
トン……トン……
控えめなその音にひとり気がついたフレンは、寝室に引っ込んでしまったソーニャの代わりに扉を開けました。
するとそこには、黒いフードを目深に被った人影がありました。
ローブの裾からはズボンが見えているので、おそらく男性でしょう。
「魔女のソーニャさんですか……」
沈んだ声で男性は尋ねました。
「いや……」
どう答えたものかとフレンが思案している声が漏れると、男性はパッと顔を上げました。
それもそのはず、魔女を訪ねてきたはずが男の声がしたのですから。
「あ、貴方は、領主さま!?」
男性は、顔を上げた先に自分の暮らす地の領主がいたことに度肝を抜かれたようで、口をパクパクさせていました。
「フレン、どうしたの?」
声が聞こえたのでしょうか。寝室から戻ってきたソーニャはフレンに声をかけました。
「あ、ソーニャ」
「お客さま!」
振り返ったフレンの奥に、人影を見つけたソーニャは慌てて玄関に近付きました。
「すみません。私が魔女のソーニャです」
「ああ……魔女のソーニャさん。今日はお願いがあって参りました」
「『魔女の涙』をご所望ですか」
ソーニャの言葉に男は強く頭を振りました。
そして、どうか、どうかと懇求しています。
ソーニャは優しく頷き、
「少しお待ちください」
と声をかけた後、壁際の棚へと向かいました。
小瓶を手に取ると、顔の下に当てます。
そして、またいつものように思い出すのです。
辛い、悲しい、寂しい……そんな記憶を。
ソーニャが涙を貯めるのを、フレンは黙って見つめていました。
実は、こうやって実際に見るのは初めてのことでした。
あっという間に小瓶に涙が貯まりました。
ソーニャは、袖口で頬を拭いた後、男性に小瓶を渡しました。
「どうぞ。お使いください」
「ああ……ありがとう、ありがとうございます!」
男性は深く頭を下げると、走り去って行きました。
ソーニャは男性が見えなくなるまで見送った後、家の扉を閉めました。
そして振り返り、フレンにおやつにクッキーでもどう? と言おうとしましたが、それはかないませんでした。
大きな体に、すっぽりと覆おおわれてしまったからです。
背に回る腕の強さに、額に感じる胸の鼓動に、体全体に伝わる温かさに、ソーニャは顔を真っ赤にしてしまいました。
幸い、相手にそれは見えていませんでしたが、落ち着かないことには変わりありません。
「フ、フレン」
ソーニャは上ずった声で、フレンの名を呼びました。
ぎゅっと腕の力が増した後、頭上から低い、けれども澄んだ声が聞こえました。
「いつもああやって泣いてたの?」
「ああやって?」
フレンの静かな声が耳に響きます。
「ああやって……辛そうに、悲しそうに」
ますます腕に力が込められ、少し息苦しくなりました。
ソーニャがトントンとフレンの腕を叩いて訴えると、ようやく離してくれました。
見上げると、なぜかフレンの方が苦しそうな、泣きそうな顔をしていました。
「どうして貴方がそんな顔をするの?」
「…………」
ソーニャは、そっとフレンの頬に指を当てました。
フレンは、アッシュゴールドの瞳を揺らしたまま、ソーニャの問いかけには答えてくれません。
「涙を流すのだから、辛くて当たり前よ。悲しいから泣くんだもの」
「……ソーニャは悲しい以外の感情で泣いたことはないのかい?」
ようやく口を開いたフレンは、自分の頬にあるソーニャの手を取り尋ねました。
ソーニャは考えます。
悲しい以外の感情――嬉しい・悔しい・腹立たしい・楽しい・幸せ。
小説の中では、主人公たちが様々な感情をともなって涙を流していました。
けれども、ソーニャが知っているのは悲しい涙だけでした。
ゆっくり頭を横に振り、ソーニャは返事をしました。
「ないわ」
ソーニャの返事を聞いたフレンは、ソーニャの手を掴んだまま、家の外へ走り出しました。
手を引っ張られ強制的に走らされるソーニャ。こけないように、必死に足を動かすほか術がありません。
「どこへ行くの!?」
森の道を走り抜けてゆく二人。
息も絶え絶えながら、ソーニャはフレンに問いかけます。
すると、フレンは振り返り、答えました。
「バーナードへ行こう!」
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