第29話 恋する乙女の暴走1
エレナは騎士団専用の乗り物に乗って、北の山を越えた。乗り物はマジックキャリー、単にキャリーと呼ぶことが多い。落ちないようにCの形をした柵が前方にあり、その柵を握って魔力を流すと前に進む。スイッチを押すと後方へも下がることが可能だ。
朝日の光に、うっすらと目を細めた。やがて小さな集落が見えた。彼女は一旦、その村で情報を集めようとキャリーを下りた。エレナ専用の乗り物なので他の者は動かすことはできない。なので、そのまま端っこに放置しておいても大丈夫だ。そして、近くの小さな飲食店へと足を運んだ。
「いらっしゃい」
気さくなおじさんの店主が挨拶してきた。朝ごはんとしてはちょうどいいと思い、うどんを注文し、カウンターの席に腰かけた。盾はそばに立てかける。手際のいい動きをして、おじさんはすぐにうどんを出してくる。おいしそうなその麺をちゅるちゅると吸った。
「えっと、騎士さんですか?」
「ああ。そうだ」
「いやあ。美人がいきなり入ってきて、びっくりした」
「ふふっ。ありがとう」
エレナは優しく笑った。
言われ慣れているが、嫌味な感じが微塵も感じられないので、笑みがこぼれた。
「それにしても、なんでこんなところに騎士さんが?」
「ああ。ちょっとある人物を捜しているんだ。若い男がここに来なかったか? 魔樹海の森を目指しているそうなんだが…」
「ああっ。彼ね」
「知っているのかっ」
ガタッと慌ただしく立ち上がり、カウンターが揺れた。うどんの汁が少しこぼれた。
「あー…。もしかして知り合い?」
「そうだ。彼はどこに?」
「聞いた話だと、そのまま森に向かったようだ。シャークさんの弟子が森に暮らしているから会いに行って、それっきりだね」
「もしかして、魔物に食べられたなんてことは?」
「い、いや…。そういう話は聞かないな」
詰め寄るエレナの顔が間近に迫り、おじさんはやや引き気味に答えた。
「森に行ったのか…。なんて無謀な…」
エレナは座り、がっかりとした様子で石像のように固まったかと思うと、「こうしてはいられないっ」と箸を動かし、うどんを豪快に口へ流し込んでいく。
「もしかして、彼女さん?」
「うっ!」
喉につっかえたのか、ゴホゴホッと咳こんだ。
「だ、大丈夫か?」
「あ、ああ…。問題ない。彼女ではない。しかし、そうなる予定だ」
「あ、そうなの…」
ポカンとしているおじさんを置いておいて、残りのうどんを急いで処理した。そして「おいしかったぞ」と慌ただしく店を出ていった。
「またのご来店を…って、聞いちゃいないか」
おじさんの声が空しく店に響いた。
シャークの弟子、そいつはいったいどこにいるんだ?
聞き込みを開始する。すぐそばを通る、村の四十代ぐらいの男に声をかけた。畑を耕している途中なのか、クワを抱えている。どこか上の空で、死んだ魚のような目をしていた。
「失礼。シャークの弟子とやらはどこにいるんだ?」
「え? あ、はい。えっと…森の泉の近くに住んでますよ」
突然、顔が整った美人に話しかけられ、男は慌てた様子で答えた。先ほどまで眠そうな顔をしていたが、今は目が覚めたような表情に変わっている。
「案内してくれるか?」
「いや…。ちょっと危険なので、さすがに…」
「まいったな…。地図は持っているが、この辺りの詳細な地図はない」
困っている様子のエレナに、男は「ちょっと待ってくれ!」と言い残し、その場を後にした。そして数分後、走って戻ってきた。
「こ、この地図、赤い丸のところがその地点です」
「ありがとう。これはもらって構わないか?」
「ど、どうぞ」
「すまない…。えっと、何ゴールドだ?」
「い、いやいや。いらないよ」
「いや、しかし…」
「いいんだ。もらってくれ」
「わかった。ありがとう」
ニコリと笑いかけると、男は頬を赤くし、照れ笑いをした。男をイチコロにさせる聖女のような微笑み。体験したものに、至福の時間を提供する。
「じゃあ」
エレナは手を振り、男と別れた。
「あんたっ! 何してんだい! さぼってんじゃないよ!」
至福の時間は、男の嫁によって打ち砕かれた。
「ん?」
エレナは振り返る。太めのおばさんに怒られている先ほどの男をチラ見してから、キャリーが置いてあるほうへ歩き出す。
…私もああなるのかな? いやいや、そんなことは…。
前、ハントに言われたことを思い出す。初めはラブラブでも時間がたてば、慣れて倦怠期に入り、お互いの距離は遠くなると。間近にいるのに、関心が薄れていくと。
「ないない。絶対、ない」
ありえない。今のこの気持ちは薄れることはない。今すぐに会って抱きしめたたい、そんなこの気持ち…冷めるなんてことはない。
キャリーに乗った。魔力を送り込み、フワッと浮いてから進みだす。村人たちは奇異なものを見る視線を投げかけてきた。ぶつからないような高さで移動し、北を目指す。少し寒くなってきたので、盾に魔力を送って防御円を作り出した。これが防御、さらには防寒の役割を果たす。
木が生い茂り、下を見ると通り道以外は一面緑色だった。Y字になっている分岐のところで一旦下りる。
「ふむ…」
改めて地図を見る。
「北東の方角に湖か」
地図を丸めて、ポケットに入れる。辺りを見渡し、警戒しつつキャリーに魔力を送り込んだ。ここはもう魔樹海の森。魔物が襲ってくるかもしれないから気合いを入れなければ…。
今頃、騎士団はちょっとした混乱に陥っているだろう。団長が突然いなくなったのだから無理もない。ただ、出かける前に寮母に手紙を渡しておいた。そこには三日ほどで戻ること、Aクラスの部下たちはカーチスに任せることを書いた。うまくその手紙が上に伝わっていればいいのだけど…。
休日に出かけるという選択肢もあった。しかし、それまで待つことは苦痛だ。大切な人が命の危機に迫っているのに、訓練を見ている場合ではない。部下たちには悪いが、体は正直で気づいたときには動き出していた。
湖が見えてきて、すぐそばに小さな家が見えた。
「あれかっ」
あそこにハントがいるはずだ。
勢い余って湖に飛び込まないように、慎重に制御しつつ、家の近くに下りた。
シャークの弟子がいる家、ここで間違いないだろう。見たところ、小さな木造平屋の戸建てだ。防御円を解き、ドアをノックしようとしたが、その手が止まった。
いきなり訪ねてきて、大丈夫だったのだろうか? ハント怒るかな? いや、そんなことはないはず…。私の愛が通じれば、喜んでくれるはずだ。ここまできて、うじうじしている自分がいる。情けない。そんなことでは大勢の部下を統率していくことなんてできないぞ。しっかりするんだ、私。
コンコンッ。
ノックする。しばらくして、ドアが開いた。
「ハント。やっぱり帰ってきた…あれ?」
そこにいたのは色黒の背の高い女性だった。
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