第18話 魔樹海の森

 魔樹海の森。

 魔物の巣として有名なその場所にハントは行く。そこは旅人なら絶対に避けて通るような場所で、ドラゴンさえ嫌がるようなそんな場所と聞いていた。北の山を越えた先に村があり、そこを通り過ぎると森が見えてくるようだ。食料やテントなど、必要なものはすでに買ってあるので、さっそく北の山を登り始めた。登山者がいるのか、行きかう人に挨拶をする。そして、山を越えるためのルートを間違えないように進んでいった。登山の経験はないが、コースは合っていることを逐次確認していく。

 三時間ほど歩いたところで小休止。スタミナは普段の訓練でついている。盾はないので腕はだるくないが、鎧を身につけている。漆黒の鎧だ。さすがに丸腰で森に挑もうなどと思ってはいないのだが、さすがに重い。ただ、まだ平気だった。水を飲み、少ししてから立ち上がる。リュックを担ぎ、行けるところまで進むことにした。

 そのあと、足場が石でゴツゴツしているところまで来た。斜面の角度も急だ。足を捻らないように慎重に進む…が、鎧を身につけていることによって、バランスを崩した。

 気づいたときには一回転して地面に叩きつけられていた。とっさのことに声も出ず、斜面を下っていく。体が何度かぶつかりながらもようやく止まった。

「いったたたた…」

 起き上がり、傷がないか確認する。鎧を着ているおかげか、体へのダメージは少ない。ただ、この事故を起こしたのも鎧のせいだ。

 ここでふと気づく。そもそも、鎧つけたとしても鎧術使えないから意味ないんじゃないか、と。だが、ここまで来て、放り投げるわけにはいかない。それに防具としての役割はある。気を取り直し、立ち上がった。

「ん?」

 やけに背中の荷物が軽いことに気づく。

「あっ!」

 悲鳴に似た声をあげたのは、中身が下のほうに落ちていたことに気づいたからだ。一部の食料や衣服、ナイフは回収できたが、水筒は転がっていって見えなかった。買ってあった剣もない。崖のような傾斜になっているので、それ以上下るのは危険だった。

 リュックを下ろし、チャックの部分が破損してるのを確認。転んだ時の衝撃でそうなったのだろう。

 くっ…。なんなんだ。こんなときにっ。

 うまくいかない、そのいらだちが募る。騎士団も、そして登山も、やることなすことうまくいかない。こんなときに思い出すのは母の顔、そしてエレナの顔だった。

 へこたれてなんかいられない。水は川の水でどうにかなる。食料は、この山を越えた先に村がある。そこまで行けば大丈夫だ。大人の足で二日ぐらいのコース。大丈夫、なにも問題はない。

 元のコースまで戻り、進んでいく。尾根を進み、遅い昼休憩にお菓子を食べる。飴、チョコレートなどを口に入れて、すぐに出発。そこからコースに従って下っていく。薄暗くなってきたので、もう限界だろうと立ち止まり、辺りを見渡す。テントはない。寝袋もない。照明もない。さっきの転倒で崖下に落ちてしまった。岩が目に止まり、それを風よけにしようとそこに座り込んだ。やがて暗くなっていき、今度は寒さが襲ってきた。さらに、雨がポツポツと振り始めて、天気を操っているであろう神様まで呪った。さすがに雨に打たれると体が急速に冷えていくため、なんらかの対策をしないといけなかったが、辺りは闇に包まれている。動くと危険なのでジッとしているしかないが、寒さで震えてきたので、体を震わして少しでも温めるようにした。鎧の暖房効果はないに等しい。何度も鎧を脱ぎ捨ててやろうという思いが頭を巡ったが、実行に移すことはなかった。それはせっかくここまで着て来たという思いと、単純にその気力が湧いてこなかったからだ。

 普段の今頃なら、夕食後、お風呂に入っている時間だ。そして、エレナとイチャイチャするなんてことも…。

 って、そのことは今、忘れろ。忘れるんだ。今、エレナはここにいない。風呂もない。頼れるのは自分だけ…。

 寒さで眠れない状態で一夜を過ごした。早朝、朝日が昇って、明るくなってきた頃合いを見計らって歩き出す。ご来光を眺めて感激している余裕はない。ハントは転げないようにだけ気をつけながら、山を下っていった。腹は減り、喉が渇いてきた。そろそろ水が欲しいところだった。もう少しで村だが、その手前に川が流れていた。木の橋がかかっていて、勢いが激しい。近づいて水を手ですくい、飲んだ。それは命の水だった。いつも飲んでいる水とは違い、明らかにうまい。ごくごくと必要以上に飲んでしまい、お腹がタプタプになる。口元を袖で拭い、橋を渡った。

 看板には村まで五百メートルと書かれていた。ホッと安堵の息をはき、そのままの勢いで歩き続けた。

 村までは割と時間はかからなかった。民家や畑があり、目についたうどん屋に入る。カウンター席しかない狭いところで、自分しかいなかった。腹が減っていたので、注文したきつねうどんを食べる。温かい汁が身にしみて、あっという間に完食した。

「お兄さん。戦士かなにか?」

 白髪交じりの店主のおじさんが、気さくに話しかけてきた。この格好のやつは珍しいのだろう。

「いえ。魔樹海の森を目指していまして」

「え? あんなところに用なんかあるの?」

「自分を鍛えなおすためです」

「自殺行為だよ。やめておいたほうがいい」

「でも、シャークっていう人が住んでいたということを本で知りました」

「ああ。シャークさんか」

「知ってるんですか?」

「いや、直接話したことはない。が、今も住んでるんじゃないか? シャークさんの弟子が」

「え!?」

 弟子がいるのか。それは初耳だ。

「その人はどんな方なんですか?」

「会ったことはないが…なんでもとびきりの美女らしい」

 び、美女? なんか想像がつかないんだが。ただ、シャークはいないがその弟子は生きている。その情報を聞いただけで意欲が湧いてきた。彼女に会いたい。

「その人に会うにはどうすればいいですか?」

「いや。俺はわからんね。村長なら、なにかわかるかもしれんが…」

「その村長はどこに?」

「この先、村の丘にある一軒家だよ」

「わかりました」

 お礼を言ってから、うどん屋を後にした。すぐ、丘にある一軒家を目指す。大きな平屋のドアをノックした。会ってくれるかはわからないが、試してみるしかない。出てきたのはおばさんだった。

「はい。どなた?」

「あの…俺…じゃなかった。私は旅人のハントといいます。村長さんにお話をしたいのですが」

「はあ…」

 いぶかし気な目でおばさんは見てきた。

 まあ、こんな鎧着たやつが突然来たら怪しむよな。

「シャークさんの弟子について聞きたいことがあります。五分でもいいので、話はできませんか? どうか、お願いします」

 頭を下げた。その思いが通じたようで。

「ちょっと待って」

 そう言ってから、奥のほうに歩いて行った。そして少ししてから許可が下りたようで、家の中に入っていく。横を見ると庭が広がっているような、そんな廊下を通り、奥のほうの部屋に入った。村長は、イメージ通りのおじいさんだった。白い髭を生やし、つるつるの頭をしていた。

「シャークの弟子について聞きたい、とな?」

「はい。ぜひ」

「彼女にはこの村に魔物が立ち入らぬよう、凶悪な魔物を駆除してもらっている。その代わりとして食料を渡している」

「今、その人はどこに?」

「森の中、湖が見渡せる場所の一軒家にいるらしい。しかし、旅人よ。そんなことを聞いて、もしや森の中に行くつもりではあるまいな」

「そのつもりです」

「それはならん。魔樹海の森は危険極まりない。半端な覚悟では死ぬ」

「覚悟の上です」

「その顔…。なにやらわけありのようじゃな」

 察してくれたのか、村長は黙る。

「よかろう。今日がグロリアに食料を届ける日。そこで話をするとよい」

 グロリア…。弟子の名前か。

 ハントは外に出た。待っていると、荷車を押して運ぶ若い男がやってきた。荷台の上には米やしょうゆ、みそなどの食料がある。

「じゃあ行きましょうか」

 気さくな男のようで、笑顔で声をかけてきた。男とハントは村を出て、北へと続く道を進んでいく。

「この先が魔樹海の森ですよね?」

「ああ。だいたい三キロほどかな」

「危険じゃないんですか?」

「いや、今まで凶悪な魔物とは遭遇していない。大丈夫だろう」

 それは単に運がよかっただけなんじゃないだろうか。

 そんなことを口にしてしまっては、本当に現れるかもしれないので黙っておく。

「俺が代わりに運びましょうか?」

「ん? ああ。大丈夫だ。これは俺の仕事だからな」

「そうですか…。ところで、グロリアさんとは会ったことは?」

「それが、ないんだよなあ…」

「美女らしいじゃないですか?」

「そうなんだよっ。いや~、だから一度は会ってみたいなと思っているところだ。お兄さんもそれ目当て?」

「いや…まあ、それもありますかね」

「はっはっは。でも、噂だからな。案外、ごついおっさんだったなんてこともありうる」

「はは。それはがっかりですね」

 こういう話は男同士だと弾む。話をしながら所定の位置に着いたのか、男の足が止まった。そこには大きな岩があり、これが目印となっているようだ。森の入り口のさらにその手前といったところか。

 男は岩の近くに食料品を置いていく。ハントも手伝った。

 バサバサバサッ。

 近くの鳥たちが一斉に空に飛び立ったのが見えた。それは不吉な予感に思え、辺りをきょろきょろする。森まで距離があるとはいえ、魔物がいないという保証はない。

「大丈夫、大丈夫。心配しなくてもいいって」

 男は笑いながら、荷物を下ろし終えた。

「お兄さん。ここで待つのかい?」

「はい」

「じゃあ俺は、先に帰ってるよ。会えたら、どんな女性だったか、後で聞かせてくれ」

「わかりました」

 お互い笑みを見せ、彼と別れた。

 さて、と…。

 ハントは岩の近くに座った。いつ現れるのかわからないから長期戦になりそうだ。とりあえず暗くなるまで待つことにした。それで現れなければ村に戻り、宿屋に泊まる。そして、次の日の早朝、この場所まで来ればいい。

「ウオオオオオッ!」

 待つこと一時間。魔物のうめき声に立ち上がった。森の方角からなのは間違いない。

 こっちまで来ないよな…。

 リュックからナイフを取り出した。武器はこれしかない。茂みがガサガサした。

 魔物か!?

 全神経を集中させる。そこから飛び出してきたのはうさぎだった。可愛らしい白いうさぎの登場に、緊張の糸が緩む。しかし、次の瞬間、そのうさぎが爪によって吹き飛ばされた。血が飛び散り、いきなりのことに声も出なかった。爪による攻撃をしたのは魔物だった。人型で、大人より少し背が低く、蛇のような目が二つついている。爪の他には牙が生え、どう見ても肉食の魔物に違いなかった。ハントがいることに気づいたのか、「ガアッ!」と威嚇してくる。すぐに襲って来ないのは警戒しているからだろう。

 まずい…。こいつ…凶悪な魔物だ。さっきの男は大丈夫とか言っていたが、こうして目の前に現れてるじゃないか。

 一歩、二歩後退りする。しかし、下を見ていなかったため、石につまずいて転んだ。そこへ魔物は襲いかかる。

「うわああああっ!」

 重い鎧を装備しているが、胴体以外を狙われたらまずい。背中を見せ、立ち上がろうとしたところ、背後に衝撃が走った。爪による攻撃を受けたのだ。鎧をしているところだったので傷はないが、衝撃により前に激しく倒れた。

 こ、殺される…。

 立ち上がろうとしたが、恐怖で手足が言うことを聞かない。

 く…バカ野郎。動け…うご…。

「ギャー!」

 カラスの鳴き声のような悲鳴が聞こえた。それは襲いかかった魔物の断末魔であり、そこに立っていたのは一人の美女だった。

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