第16話 騎士団を抜ける決断1

 サリーに言われた。大きな変化を起こせ、と。

 それは何なのか考えを巡らせると、両親のことが頭に浮かんだ。離婚するまではなに不自由なく暮らしていたのだ。学校生活も特にこれといって変化はない。自分にも変化がなかった。しかし、離婚してからは変わった。母の手伝いをするようになった。皿洗いとか、掃除とか、買物とか負担をかけまいと色々なことをした。おこずかいも少ないとは言わなくなった。明らかに俺の意識が変わった。これが変化なのだとしたら、今、ハントがやるべきことは一つしかない。ここを離れることだ。それには彼女に話をしないといけない。いや、その前にもう二人ほど話をしておこうと、まず一人目、休憩中にノロに話しかけた。彼に話しかけると、「やあ」といつもと変わらぬ表情で迎えてくれた。

「驚かないでくれよ。ノロ」

「なんだよ。改まって」

「俺、騎士団を離れることにしたんだ」

「え!?」

 ノロの驚きの声に、周りの人たちからの視線が集中する。それにはエレナも聞こえたのか、反応した。

「どうした?」

「い、いえ。別に…。あはは…」

 まあ、無理もないか。

「えっと、団長のほうには?」

「今夜、伝えるつもりだ」

「そ、そう…。辞めるってこと?」

「いや、戻ってくる」

「え? でも…それってどういうこと?」

「修行だよ。修業」

「修行? ここでやればいいんじゃ?」

「いや、ここじゃあダメだ」

「わからないな…。ハント、君はいったいなにをしようとしているんだい?」

「普通のやり方じゃ、ダメだってことだよ。俺は特別、出来が悪いからな」

「そ、そんなことは…」

 団長にはまだ、言わないでくれと告げた。次はクロスだ。彼には休憩時間中、少しだけ声をかける。

「大事な話がある。今日の夜、食堂横の休憩室にきてくれ」

「あ、ああ。何時だ?」

「八時ごろだ」

 クロスのあと、最後はエレナだな。

 夕食の時間になり、地下で夕食をとった。サリーはいつもと変わらぬ感じで、ベッドにうつ伏せに寝転がり、読書中だ。

「エレナ。今日の夜、部屋にきてくれ」

「部屋? ハントの部屋か?」

「ああ。時間は十時ごろでいい」

 なにやら決意したハント。いつもと違う雰囲気の彼に、エレナは心配そうに見つめた。

「なにかあったのか?」

「いや、大丈夫だ」

「そ、そうか…」

 はっきり言って、彼女と顔を合わすのはつらい。これは裏切り行為になる。しかし、そこは心を鬼にしないといけない。このままここにいると、なにも変わらないだろうから。

 皿洗いの最中、エレナはやってきた。彼女は後ろから両目を隠してくる。

「だ~れだ」

 久しぶりの甘えモードだった。

「エレナだろ」

「ピンポーン。当たりだよ。ご褒美にギュッとしてあげる」

 お腹に手を回され、心地よい感触が伝わってくる。気持ちよい関係…。しかも強くて優しくて、おまけに美人。他人からはうらやましがられるほど、俺は運がいい。普通、彼女からしたら、俺に惚れる要素などないはずだが…。サリーも前、言ってたっけ。俺にはエレナがアプローチするほどの価値がない、と。

「なに変なこと考えてるの?」

「い、いや…。どうしてエレナは俺のことが好きなんだ? 防御円すら発動できないのに…」

「…好きだからだよ。理由なんてない。それじゃあダメ?」

 ぐっ! くそ…。なんだよ、それ。そんなこと言われたら決意が揺らぐじゃないか。く、苦しい。胸が苦しい…。やっぱりエレナも連れて…ってバカ野郎。それじゃあ結局なにも変わらんじゃないか。

 皿洗いをすませ、サリーも隣の部屋にいるため、エレナは名残惜しそうに彼から距離をとった。

「じゃあ、十時だね。うふふ…」

 どうやら一緒に寝れることが嬉しいようで、微笑んだ。

 掃除を済ませたあと、帰ることになった。一旦、廊下へ出たあと、ちょっと忘れ物があると言ってからサリーの部屋へと戻る。彼女にも伝えておかなければならないことがあった。助言をしてくれたので、彼女にも言う必要があると感じた。

「サリー。俺、騎士団から一旦離れる」

「行く当ては?」

「…ある」

 魔樹海の森。

 シャークが住んでいたとされる森だ。危険極まりないそこに、あえて行こうとするのは賭けだった。

「本気なのね」

「ああ」

「じゃあがんばって」

 他人事のように話すサリー。彼女は本に目を落とした。

 部屋を離れ、食器類を食堂へと運んだ。そのあと、エレナと別れ、男子寮へ戻る。八時になる前にノックの音がした。クロスだ。

「どうせなら、風呂で話そうぜ」

「いいな。そうしよう」

 ハントは了解し、着替えと風呂桶、タオルを持って風呂場へ行った。裸になったあと、湯船に浸かる。

「あ~。訓練のあとの体に染み渡るわ~」

「クロス。じいさんみたいだな」

「なんとでも言え」

「ところで、一つ。聞きたいことがあったんだ」

「なんだ?」

「ルッカとはどうなんだ?」

「は? どうってなんだ?」

「彼女、たぶんお前のことが好きだぜ」

 突っ込んだ話だったが、この際聞いてみた。クロスは少しの間、口を閉ざす。

「…知ってるよ。でも、俺は団長が好きだ。それははっきりと伝えた」

 それでもいい、とルッカは言ったようだ。

 みんな一途だな。エレナは俺に、クロスはエレナに、ルッカはクロスに、か。逆にそんなに一途になれることが羨ましい。…いや、俺は今からそうなるのか。

「もしかして、話したいことってそれか?」

「いや、別にある。実は、騎士団を抜ける」

「…そうか」

 別に驚いたりはせずに、無言が続いていた。

 どこかでこう切り出してくることを予想していたのかもしれない。

「抜けて、どうするんだ? 実家に戻るのか?」

「いや…。うまくいけば戻ってくるつもりだ」

「なにをするつもりかは知らんが、応援してるぜ」

 クロスは風呂から上がり、髪や体を洗い出した。ハントもそれに倣う。

「団長には伝えたのか?」

「いや、これからだ」

「しっかり伝えろよ。…言いにくいかもしれないが」

 引き留めることはしなかった。それは、ハントの決意が固いと読んだのか、それとも別の理由があるかはわからない。ただ、風呂場を出て脱衣所のところで、ぽつりと「寂しくなるな…」と、つぶやいた。

 あとはエレナだけだ。ラスボスである。

 時間が近づくにつれてソワソワし始めた。彼女の勢いに飲まれてはダメなので、最初が肝心だ。ビシッと伝えなければな。入ってきてからすぐに言うぐらいじゃないと、ペースを握られてしまう。入ってからすぐだ。

 時刻は十時になろうとしていた。その五分前にトントンッとノックがした。ドキッとして、肩が揺れる。

 来た。ついに来た。よし、言うぞ。俺は。

 立ち上がり、鍵を開錠してドアを開ける。エレナは素早く滑り込むように入ってきた。いつもながらどうやって男子寮の入り口を突破してきているのか気になるところだ。まさか、屋上からじゃないよな?

 エレナからは風呂上りのいい香りが漂っていた。頬がほんのり赤く、それは風呂に入っていたからという理由だけではない。そして服装は、ワイシャツ一枚と足首が見える丈のズボンだった。

「エ、エレナ。今日は真剣な話を…」

「ハント~」

「うわっ!」

 覆いかぶさって来るエレナに対抗できず、そのまま床に転がった。そして、そのままジッと固まってしまう。というか、動けなかった。

 こうなることは目に見えていた。だから話を切り出したのだが、彼女は話を聞けるようなモードではなかったようだ。…ていうか、いつまでこうしてるつもりだ?

「エレナ…。大切な話なんだ」

 やっとのことで声をあげることができて、彼女の体を離した。距離をおくために、近くの勉強机、そのイスに座る。エレナはベッドの上に腰を下ろした。

「その前に、言うことあるでしょ?」

「え?」

 なんだ? なんの話だ?

「私の戦い。ハントから感想もらってないんだけど、どうだった?」

「あ、ああ…」

 カーチスとの一戦か。騎士団を抜けることしか考えてなかったから、彼女を褒めることを忘れていた。褒めるというか、事実をそのまま述べるだけだが。

「いや、すごいなっていう感想しかなかったよ。さすがエレナだなと」

「へへ…。ありがとう」

 照れたように白い歯を見せる。

「頭…」

「え?」

「頭なでなで…してほしいかな? なんて…」

 酔ったような目で、ハントを見てきた。

 うっ。そんな目で見つめられると従わざるを得ない。

 ハントは立ち上がり、慣れない手つきで金色の髪をなでてあげた。さらさらの髪だ。

 上官の団長相手になにしてるんだ? 俺。

 撫でられたことにキュンときたのか、「でへへ~」と甘々モード突入だ。

 おいっ。俺は今日、騎士団を抜けることをエレナに言うんだろ? こんなイチャイチャしてたらいつまで経っても切り出せないぞ!

「ハント。隣、座って」

 彼はごくりと生唾を飲みこみ、彼女の隣ではなく、立ち上がったまま制止していた。見下ろす先のエレナ、その彼女を抱きしめたい衝動にかられるが、グッと堪える。

「ハント?」

「エレナ、俺…」

 意を決し、ハントは口を開いた。


「俺、騎士団を抜ける」

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