第4話 居残りで腕立てイチャイチャ

 午後の訓練が始まった。盾を持ち、走ることは変わらない。ただし今度は坂の往復だ。ここでバテる新人が多く、ハントもその中の一人だった。魔法はいつ使わせてくれるんだろうか、こんなことをして意味があるのかという疑問はわくが、ハードな練習はその疑問を吹き飛ばしてくれる。

「はひ~。はひ~」

 坂の途中で屈んでいる男子を見つけた。太めの体格で、ノロというあだ名をつけられている子だ。年は一歳年下。

「立てるか?」

 みんながなにも言わずに通り過ぎていく中、ハントは声をかけた。

「だ、ダメだ。す、少しだけ休ませてくれ…」

 ひいひいと呼吸が苦しそうだった。こんなところエレナに見つかったらなんて言われるかわかったもんじゃない。ただ、放ってはおけなかった。

「放っておけよ」

「そうよ。これ以上、私の腕を太くする気?」

 周りからの文句が聞こえる。それでも、小太りの男が呼吸を整えるのを待った。そして一緒に走り出す。彼と並んだ先に、エレナが腕を組んで立っていた。決められた回数往復を済ませたものは先に休憩に入ることができ、柵に手をかけて休んでいる。そんな中、ハントは彼と坂を下りていった。

「はあはあ…」

 また苦しくなったのか、男の速度がガクッと落ちた。それに合わせてハントも速度を落とす。そしてついには止まってしまった。

「はあ、はあ…。ハントくん…だっけ? 僕のことはいい。先に行って、はあ、はあ…休んでおきなよ。はあ、はあ」

「いや、あともうちょっとだろ? 頑張れよ」

 少ししてから、「ふうっ」と息をはき、また走り出すノロをハントは追いかけていった。しかし、坂を上がるときに失速。止まりかけてしまうところで、ハントは彼の背中を押した。

「ほら。はあ、はあ…もう、ちょっとだ」

 こっちもきつかったが、なんとか彼を押し上げてゴールできた。寝転がりたい衝動にかられたが、その行為はみっともなく映るのと、エレナの指導が入るかもしれないのでやめておく。そして持っている盾は放り投げたりはできない。盾を大切にできないやつは騎士を名乗る資格なし、と教え込まれたからだ。なので、そっと盾を置いてから膝に手を置いて体を休ませる。二人一緒にゴールした様子を眺めていたエレナは口を開いた。

「ハント! 私はお前に、仲間の手助けをしていいと言ったか!?」

 空気が張り詰める。またハントかよ、勘弁してくれと休憩中の男女から嫌な目つきで視線が飛んできた。

「い、いえ!」

 ハントは曲がった腰をまっすぐピンと張った。

「ならなぜそうした?」

「今にも倒れそうだったからです!」

「仲間を想っての行動だな?」

「はいっ!」

 エレナはハントの後ろをゆっくりと回り、指導を与えるかどうか判断しているようだった。この時間が嫌だ。

「よし。いいだろう。今回は許す! だがな、ハント。お前は今日、居残りだ!」

「は、はいっ!」

 居残りか…。くう…さっさとお風呂に入りたかったのに…。

「ぼ、僕もやります」

 ノロは自分のせいでこうなったことを気にしてか、言った。

「じゃあお前もだ!」

 他の仲間たちはホッとした表情をしていた。

 通常の練習を終えてから、二人が連れていかれたのは小さな体育館だ。ここで入団式をしたのを覚えている。普段は使われないので、そこには三人以外誰もいなかった。そこで命じられたのは腕立てや、腹筋、スクワットなどだ。先にバテたのはノロだった。エレナのカウントについてこれなかった。

「お前!」

「ひっ! すみません」

「…先に帰っていいぞ」

「え? あ、はい…」

 怒られると思っていたところ、帰れとの命令にとまどうノロ。

「どうした? 上官からの特別サービスだ」

「いや、でもまだ頑張れます」

 ノロはチラッとハントを見た。彼がしんどい思いをしているのに、自分だけ先に帰るわけにはいかない、その思いがあるのだろう。

「先に帰れ、と言っている。これは命令だ」

 眼光鋭いエレナを前に、ノロは「はい」と力なく返事をするしかできなかった。

「ごめん。先に帰るよ」

「ああ。また明日な」

 ノロは体育館を後にした。すると、腕立ての途中だったが、エレナから声がかかった。

「ハント、もういいよ」

 それは先ほどとはまったく違う優し気な声音だった。

 腕立てをやめたあと、彼女を見上げた。微笑む聖騎士がそこにいた。

 二重人格ですかあなたは?

「ハ~ント」

 誰もいないことをいいことに、エレナは抱きついてきた。

「うわっ!」

「むふふ、むふふ~」

 頬をすりすりとこすりつけくる様子は、猫みたいだ。ガッチリと首を腕でホールドされているので、離れることはできない。

「ちょ! 俺、汗臭いからっ!」

「この臭いも、好きよ」

「誰かに見られるかもしれないからっ!」

「誰も来ないよ。ふふ…。二人きりで楽しもっ。ね?」

 もしかして、居残りを命じた目的ってこれがしたかっただけ?

「ハント~。今日はごめんね。厳しくしちゃって」

「ぜ、全然平気だから。こんなところでまずいって」

「やっさしい。さすが私のハント。あ、そうだ」

 エレナはハントから離れた。

「やっぱり腕立て再開しちゃおっか」

「え?」

 言われた通り、四つん這いになって膝を伸ばす。しかしそれはただの腕立て伏せではなかった。下にエレナが仰向けに寝転がっている。胸の前に両手を組んで、頬を朱に染めて瞳をウルウルとさせていた。なんだこれは?

「あの、エレナさん?」

「さあ、きて」

 なにこれ? このままだとキスするような流れになるのだけど。

 彼女は静かに目をつぶった。

 やれってこと? このままの勢いで?

 エレナはなにも言わず、恥じらう乙女のように待っていた。ごくりと生唾を飲み込む。

 ここまでおぜん立てされたら、やるしかないか。

 覚悟を決めたそのときだった。

「あの…なにしてるんですか?」

 それはノロだった。なぜ戻ってきたのか謎だったが、彼は呆然と二人の様子を眺めていた。次の瞬間、ハントの下にいたエレナは消えていた。彼女はノロの背後に回り込み、手刀で頭部に打撃を与えた。意識を失い、彼はガクッと頭を垂れる。床との衝突をさけるため、体を支えて静かに寝かせた。

「ふうっ。危なかった」

 いや、アウトだろ。完全に。

 ハントは立ち上がり、エレナのそばに行った。

「バッチリ見られたけど、どうするんだ?」

「幻覚を見たということにしておく。まったく油断も隙もないな」

 気づくとエレナは鬼団長クールモードに戻っていた。

 油断も隙もないのはエレナもだろ? というツッコミを頭の中でしておく。

「私はこいつを医務室に運んでおく。ハント、君は戻れ」

「はい」

「明日は休日。だから十時ごろ街の広場に集合だ」

「わかりました」

 部屋にはさすがに来れないのだろう。その後、疲れた体を運ぶように寮へと戻り、寝ることにした。

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