第3話 昨夜、なにをしていた!?
「ント、ハント…」
翌日の早朝、エレナの声で目が覚めた。床で寝ている彼の体を揺らしている。目を開け、心配そうな彼女の顔を見た。
「おはよっ。なんでそんなところに寝てるの?」
「いや、ちょっとね」
「も~。びっくりしたよ。横にハントがいないんだもん。もしかして私のせい?」
「いや…大丈夫」
全然大丈夫じゃない。あまり眠れなかったので、睡眠不足でしんどい。
「寝る体勢は今後、考えないといけないかもね」
「そうだな」
別々に寝るという選択肢はないようだ。
これは己との戦いなのかもしれない。神から愛されているとしか思えないエレナがそばにいることで俺は試されているのだ。触れてしまえば、血の海と化す地獄が待っている。我慢し続けても、精神、肉体に大きな負荷がかかる。俺はどうすればいいんだ?
「じゃあ私、朝早いから行くね」
「ああ。俺はちょっと休んでから行くよ」
「ハント、立って」
「え?」
エレナ、そしてハントは立ち上がった。彼女は両手を広げ、いつか見たポーズをとる。
「ん。お別れのハグ」
要求に応じて抱きしめた。ねっとりとしたものではなく、軽く触れるだけのスキンシップなのはこれから仕事があるからだろう。そして、「じゃあ、また後でね」と彼女は部屋から出ていった。出ていくときも辺りをきょろきょろして抜き足なので、まるで忍者だ。正直、誰かにバレてもおかしくないんだが、並外れた身体能力を駆使しているのか、目撃情報は今のところ出ていない。さすが聖騎士…なのか?
ハントはベッドに寝転がり、練習時間までゆっくり休むことにした。
「やべっ!」
ふとんに入って安心したのが悪かったのか、時計を見ると七時五十分をさしていた。目覚ましはかけていたが、無意識のうちに切っていた。開始時間は八時。通常なら朝飯を食べてから着替えをするが、そんな時間はない。ハントは素早くパジャマを脱ぎ、白を基調とした制服に黒の長ズボンをはき、部屋を飛び出した。練習場所は寮を出て東に行った先の広場だ。
間に合うか? 頼む、間に合ってくれ…。
「はあ、はあ…」
しかし、願い空しく、彼の登場を待っていたのは同じAクラスの仲間たち、そしてエレナだった。全員の視線が遅刻者のほうに集中する。
「す、すみません。遅れました」
エレナに駆け寄り、頭を下げた。そこにはいつもの厳しい表情をした彼女がいた。ほんとに同一人物なのか疑わしくなってくる。
「お前、三分遅刻だぞ? なにを考えているんだ?」
「すみません!」
「全員、腕立て五十!」
文句を言わず、騎士たちは腕立てを始める。女子は膝をついてもいいルールになっている。これはつまり連帯責任ってやつだ。やってしまったほうは自分だけの問題じゃないことを肉体的にも精神的にもダメージを追うことで思い知らされる。
これが嫌だから遅刻したくなかったのに!
「十一…十二…」
「ハントのせいで、みんなが迷惑をこうむっている! わかっているのか?」
「は、はいっ!」
「昨夜、なにをしていた!?」
あなたと寝てました。
…なんて言えるか!
「まったくだらしないやつだ! お前のような腑抜けたやつは、個別指導が必要のようだな!」
「はいっ!」
「たるんでるぞ! きびきび動け!」
「はいっ!」
いやあなた、完璧別人ですよね? 背中にオンオフがあるスイッチついてますよね?
「なにをニヤニヤしている! 追加十回!」
「すみませんっ!」
エレナも少し笑っているのに気づいたのは、俺だけだと信じたい。
なんなんだこのプレイは? エスエムプレーってやつか? 夜は恋人で朝はムチを振るう女王様か? 蝶のような変なお面を彼女がしているところを想像すると笑いがこみあげてきた。それを隠そうと腕立てを素早く行う。カウントを無視して自分だけ二倍の速度でやったため、疲れ切ってしまった。その流れで実習に入るので、寝不足も重なってヘトヘトだ。
騎士とは、有事のときに人々を守る役割を持つ職業だ。過去、馬に乗っていたようだが、今は違う。移動は魔法による乗り物によって行う。騎士にとって攻撃よりも守りが重要。なので、盾による練習が多い…というかそれしかない。盾といっても、戦士や冒険者が使うような皮や鉄の盾ではない。騎士の盾は人がしゃがむと隠れることができるほどの大きさがあり、それゆえにかなりの重量がある。それを持って何往復もダッシュをするのだ。しかも片手で。
「ひいっ…ひいっ!」
「遅いぞ! ハント! 追加往復五回」
「はいっ!」
上官の命令は絶対だ。基本、返事は「はい」しか許されていない。鉛のような盾を持ち、鉛のように重たい体を持ち上げ、汗を散らす。最後は、地面に倒れたところで昼休憩に入った。
「はあ、はあ、はあ…」
ハントは仰向けに倒れたまま、息を整える。
「おつかれ~」
同じクラスの男子が声をかけてくれた。息が切れる中、「どうも」と返事をした。
食堂に行くとクロスが待っていた。よろよろと歩いてくる彼を見つけて、「大丈夫か?」と声をかけてきた。
食堂で二人は向き合うように座った。そして、体調不良の原因をクロスに話す。
「遅刻したのか。夜更かしでもしたのか?」
「いや…」
「そうだよな。自動消灯だし、暇つぶしできるものはなにもない。となると…女か?」
ドキッとした。
「そそそ、そんなわけないだろ?」
「お、おお。冗談だよ。なんでそんなに動揺してるんだ?」
「ど、動揺? 俺がなにを動揺するって?」
ボトッとカレーがスプーンから落ちた。
しまった。
「お前、本当に大丈夫か? 風邪なんじゃないか?」
「あ、ああ。そうかもな」
「気をつけろよ。風邪でも頑張るなんてことは昔の根性論だ。今は休むことが推奨されている」
少し心配そうな顔を浮かべたクロスに、ハントはうなづいた。
体調不良のせいで手元が狂ったと思ったようだ。深掘りされないでよかった。
「明日は休日だな。回復したら、久しぶりに街に行ってみるか?」
「ああ。そうだな…」
騎士専用の施設。それは国王が住む城の近くにある。有事のとき以外城に入ることは許されていないが、休日に限り城下町には行くことができる。街に行って気晴らしをしたり、買い物をしたりといった自由行動をしているものは少ないが、いる。ただ、ほとんどの者は休息を目的としているので、遠くまで足を運ばない。
「あっ!」
「なんだ?」
そういえば休日だけはエレナに会うと決めたんだっけ?
「ごめん。ちょっと無理そうだ」
「そうか。体調悪そうだからな。しかたない、他を当たるよ」
「ああ。そうしてくれ」
すまん。クロス。俺、エレナと会うんだ。
本当なら言いたいのだが、今後のことを考えて隠しておいたほうがベターだろう。でも、それによって苦しむかもしれないのはクロスだ。一ミリも興味がないと言われている彼を、このまま期待させていいものか。迷路の先にゴールがあると思っていたが、実は行き止まりしかなかったみたいな、がっかり感を味わうんじゃないだろうか。それだけが心配だった。
「なんだよお前、ジロジロと気味悪いな」
「違うんだ。気にしないでくれ」
「やっぱりお前、調子悪いよ。休むことを勧めるぜ」
クロスから心配をしてもらったが、午後はきっちりと出ることにした。
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