丁鳥姉さんには彼氏が居るらしい


(もう……いいよ)

 俺はスマホをズボンのポケットにしまおうとした。



 マルヤマ大賞の件は、俺の自尊心もろとも「終わった」こと。

 

 どうせ何かの広告メールとかだろ? 詐欺っぽいやつとか。どうせそんなのしか来ねえ。俺が望んでいるような連絡は来ねえ。そう世の中ができている。


 ぼーっとした頭で一応確認すると、差出人欄には「」と書いてあった。


 グルグールといえば、「グルグール詮索せんさく」で良く知られる、インターネット詮索サイト。詮索サイトの中では一番シェアの大きいところだ。


(天下のグルグールさんが、何か用ですか)


 俺は、よろよろとした足取りで駅ホームを歩き、椅子にどさっと腰掛けてから、その2通目のメールを開いた。


 件名は、謎の文字列。

 本文も、謎の文字列。


 まったくもって、意味不明の文字列が並んでいる。


(あー……。不思議なメールだなー。俺の一生をリセットしたり、異世界に転生させてくれる、魔法のメールとかだったら、うれしかったんだけどなー)


 そんな「逃げ思考」が、俺の頭の中に、うたかたのように浮かんでいた。


 ただ、なんと表現したら良いんだろう?


 件名も、メール本文も、ただのランダムな文字列ではない感じを受ける、というか……。


 異世界とかで、邪神の崇拝者とかが使っていそうな、魚がにょりにょりと這い寄ったような、そんな名状し難い魚文字だった。


 俺は混乱した。いや、もともと混乱していた。押し寄せる情報を処理しきれない。


 こういう時、どうしたらいいと思う?

 笑えばいいと思う?


 ちっ、


 ちっ、


 ちっ、


 ぽーん!


 では、正解を発表。



「帰って寝る」

 1択だ。俺の心が、これ以上の精神的負荷を受けるのを、放棄している。もはや寝逃げしかない。


 ◆


 歩いて自宅に帰り、シャワーを浴びた。

 

 泡立たないシャンプーのミステリーが、俺を襲う。


 その真相は、『これはシャンプーではなく、リンスである』だった。

 

 風呂掃除用のスポンジで、体を洗いそうになった。


 そんな感じで、連鎖的にミスをやらかす。


 体をバスタオルで拭いていたら、スマホがピカピカと点滅していることに気付いた。SNS『つぶやい太郎』のダイレクトメッセージだった。差出人は……。


丁鳥ていちょう姉さん……!?)


 SNS『呟い太郎』の小説創作クラスタで、いつもお世話になっているお姉さんだ。クラスタにいる小説書きの中には、落ち込み&闇落ち状態にある所を、姉さんの優しい励ましで救われた人って、たくさんいると思う。


『Calcくん、こんばんは』

 いつも優しい丁鳥ていちょう姉さん。


 姉さんになら、今のゴミクズみたいな俺でも、話が出来る気がした。


『姉さん……! 俺、もうだめかも』

 そう、ダイレクトメッセージを返した。三点リーダ2つの後に、ビックリマークで。ビックリマークの後には空白を一文字空けて。


『どうしたの?』

 マルヤマ大賞落選の件だということは、姉さんだって分かっているはずだ。今日のお昼に発表だったんだから。でも、敢えてストレートにそうは聞いてこない姉さんの、「さりげない優しさ」に、俺は涙が出そうになった。


『マルヤマに、「俺の応募作は届いてるか」って感じの、恥ずかしいメールを送ってしまって。落選なのが明らかなのに』


『気合い入れて書いてたからね。熱意の表れ、ってことで、いいんじゃない?』


『そうでしょうか……』


『多分、マルヤマ書店さんも、そんなに気にしてないよ。Calcくん、私より文才あるし、大丈夫だよ。私なんて、これで何度目だろ? 落選するの。もはやなれて来た、みたいな(笑)』


(しまった!)

 そう思った。落選で落ち込んでるのは、俺だけじゃなかった。丁鳥ていちょう姉さんも応募してたんだった。


『ごめん』

『次頑張ろうぜ次! ∠(`・ω・´)』


 何か変な顔文字付きで、励ましのメッセージが来た。ありがとう、を姉さんに伝えるつもりが……。


『姉さん結婚してください』

 こんな表現になってしまう。


『来世でな∠(`・ω・´)』

 そんなメッセージが返ってきた。


 丁鳥ていちょう姉さんは、スパッと気持ちを切り替えているみたいだ。


 同じく身分は大学生で、年齢も俺と1つか2つしか違わないらしいのに、ストレス耐性がこんなにも違うか、と俺は感嘆する。


 姉さんのおかげでSAN値正気度が回復し、冷静になってきたはずの俺は、やって来た『来世でな』ネタを、うまく切り返す語彙ごいを持たなかった。そこで、駅で受け取った、2通目の変なメールの話題を振ってみた。


『現世仕事しろ! ところで姉さん、魚が這いまわるような文字って、どこの国の言語か知りません? 西洋?』

『魚文字? どんなの?』

『これなんですけど』


 俺はスマホを操作し、グルグールからメールで送られてきた、謎の魚文字列を、ダイレクトメールにコピー&ペーストして、姉さんに送った。


『なにこれ?』

『姉さんにも、わかりませんか?』

『うん。見たことない。確かに魚っぽいね』

『ですよね。まったくもって、意味不明でしょ?』


『<謎のメールを受信したら魚に転生したのだが?> みたいな感じの小説を、新たに書く感じ?』

『姉さん、魚に転生して何するんですか?』


『人魚姫とかに話を繋ぐとか』


『同報メールだったら、海が人魚姫で埋まりますね。ある日、浜辺にピチピチの人魚姫が大量に打ち上げられ……』

『絵的に怖いよそれ(`・ω・´)』


 そんなこんなで、いつものように、小説の新しい設定(というか、小ネタ)の話に花が咲いた。あっと言う間に時間が過ぎる。


 …… 

 

『姉さん、今日は助かりました。SAN値がヤバイことになってたので……』

『いいよいいよ。オフ会とかでもし会ったら、おごってな(`・ω・´)』


『姉さん、彼氏さんいるんですよね? 見ず知らずの男におごらせるの、マズいっすよ? ひひひひひ』

 文字だと、こういう軽口も叩ける。リアルに面と向かっては、絶対ムリだと思うけど。

 

 返信が来るまで少し間が空いて、姉さんからこう返ってきた。

『うちのは、そういうのに寛容なんだよ。まぁいいや。魚の文字は、グルグール詮索でもしてみたら?』


 なんか、急に話をそらされたような気がする。彼氏さんの話を突っつくと、はぐらかされる事が多いような。


『そうっすね』

『あ、ごめん。お風呂行ってくるね』


『はい(お風呂ですと? 興味津々)』

『じゃ(子供は寝る時間ですよ)』


 そんな感じで、ダイレクトメールでのやり取りは終わった。

 

 しかし、この時は予想できてなかった。


 魚が這い寄ったみたいな、謎の文字列。

 その文字の向こう側から、あんなコズミック・ホラーが這いよってくるなんて。

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