第2章 マルヤマ書店の地下には、邪神が眠っている。
アンドーナツ
マルヤマ書店編集部には、アニメ化された作品のポスターが、壁にたくさん貼ってあった。
机や棚の上では、書類やキャラクターグッズが連合軍を作り、あちこちを占領している。
占領下にあるその戦域を抜けて、僕、
「編集長。前回の分の、下読みの結果があがって来ました」
後藤編集長は、窓を背負った編集長デスクに座り、電話中だった。
横に広がった机とバランスを取るかように、座高も身長も縦長ノッポの後藤編集長は、僕に向かってまばたき2回で「ちょっと待ってろ」との合図。催眠術か魔法がかけられたかのように、僕は止まった。
しばしの後、受話器を置いた後藤編集長は、他社様へと向けたニコヤカな表情から一転、素の顔に戻った。限りなく能面に近い微笑が貼りついていた。
「安東、おつかれ。どれだけ残った?」
「108作品です」
『第14回マルヤマ大賞』の応募作品は、トータルで20万作品を超えた。
そのうち、締切よりだいぶ前に受け付けた作品群を1期として、先行してセレクションへと流してあった。1期は約2万作品。
108は、そのセレクションを突破した作品数だ。奇しくも煩悩の数と一致していることを、僕は後藤編集長には言わなかった。
「どんなのが残った?」
「異世界転移モノがほとんどです」
「そうだろうな」
近年、このセレクションを生き残ってくる応募小説は、異世界モノばかりになっていた。後藤編集長は次の指示を僕にくれた。
「じゃ、いつものように、その108作を、人力の下読みにかけて」
「わかりました」
20万作を超える応募作を、企業が人力で、全部読んでいるわけにもいかない。下読みさんに支払う金だってバカにならず、この荒野のような出版不況に、余裕など皆無なのだから。
「108作に残った中で、ちょっと気になるのがありました。キヨシ師匠の『闇の大陸(仮)』です」
しれっと、僕の推しを編集長に紹介しておく。
「新人?」
「新人です」
「タイトルが普通だな。色気を持たない奴が書いた話なんて、クズだろ。ゴミだよゴミ」
「タイトルは再考の余地ありです。ですが、とにかく中味の病みっぷりが凄いんです。読者の感情を揺らすことができるかと」
僕は「読者の感情」の観点から推してみた。しかし、編集長の表情を伺うに、あまり響いてはいないようだ。
「そんな暗い話、邪神にでも飲み込ませてしまえ。いや、飲み込んだ後だったな。俺は、読者の血がたぎる、プラス思考の
ノッポの後藤編集長は、もう一つのチャームポイントであるアゴヒゲをつまみながら、そう言った。
「はい。2期は、18万作品を超えました」
「集まるなぁ……。書き手は」
「ですね」
僕は首肯せざるを得ない。
文の書き手になりたがる人は、実は多い。
言葉を自然に使って生活しているせいで、自分にも書けると勘違いする人間は非常に多いのだった。
しかしそもそも、書く人数と、お金を出して読む人数との需給バランスが完全に崩壊している。
「2期のカテゴリ分けは終わってる? 安東」
「はい。うちが力を入れている『カキスギ』サイトに合わせて、カテゴリーは7ジャンルに設定しました。AIチェックをかけて、対象年齢などのゾーニングも終わってます」
公募の小説コンテストである『マルヤマ大賞』の他に、我社マルヤマは、WEB小説の投稿サイト『カキスギ』を運営している。
『カキスギ』の実働も、僕が一部を担当している。
「スムーズだな。お前もだいぶ、慣れてきたか?」
「ありがとうございます」
僕は深々とお辞儀をした。
僕がこの編集部に配属された当初は「だからお前は甘いんだよ。アンドーナツか? お前の頭は」と、叱責を食らうのもしばしばだった。
(僕の名前が
編集者が無個性に持ちがちな、そんな気概だけで、僕は激務を乗り越えてきた。
「じゃ、いつもどおり、2期の作品、18万だっけ? それをカテゴリ、年代に分けて異世界転移 させて」
「わかりました」
後藤編集長から『鍵』を受け取った。マルヤマ書店の企業規模は、北証一部上場の大企業だ。セキュリティはしっかりしている。
僕が編集部の扉から出ようとする時、背中越しに、後藤編集長の声が届いた。
「安東、ティンダロスには、くれぐれも気をつけろよ」
僕は
「有難うございます。大丈夫です。異時代の作品には、僕は手を出しませんから」
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