ごめんなさい


「ふぅ……」

 電車に駆け込んだ俺は息をはいた。バイトへと向かうが、少し遅れそうだ。



 正直、ルールブックを買って即座にプレイできるようなゲームじゃないんだよ。クトゥルフTRPGは。



 部室ではあれから、言い出しっぺの長谷川先輩が、「私がKP進行役やるね」と張り切った。


 どんな張り切り方だったかというと、体を内側に縮めた感じで、右拳を軽くにぎり、白くてきめ細やかな肘をこちらに見てるように腕を上げて「私、がんばる」って、少し首をかしげてニコリと。その反動で、スカートがふわりとなって。


 あの仕種しぐさは、反則的に可愛いわけでして。「可愛いは正義」という言葉を聞いたことがあるが、正義が反則という、ちょっとおかしなことになっている。


(店長になんて謝ろう……サークルでゲームしてて遅れた、なんて言ったらクビになりかねないし……)


 電車が揺れて反動で首がコクンと下がる。素直に謝れと、この世界が言っているような気がした。


 長谷川先輩が頑張ろうとした「KP」というのは、 「ゲームキーパー」の事。要はゲームの進行役、司会のことだ。


 シナリオをプレイヤーに説明したり、プレイヤーにダイスサイコロを振ってもらい、その出目に応じて、行動結果が変わったり。プレイヤーが話の筋から脱線しそうになったら、そっと助け船を出したり。


 ゲームのルールと、あと、クトゥルフ神話に出てくる、コズミック・ホラーな邪神達を把握していないと、務まらない。


 そんなKPの役割を、ルールブックを買ってきた初日から実行しようってのは、いくら正義可愛いっぷりが野球ドーム100杯分はあろうかという長谷川先輩でも、無理があったわけで。


 結局今日は、ルールの読み込みだけでタイムアップ……というか、俺はバイト的にタイムオーバーになり、「ごめんなさい。バイトがあるので」と、一人抜け出てきた。


 ちなみに。


 オフショルダーのブラウスの下に白シャツが有って残念でした男性諸君! な西野さんは、ルールブックを読むだけで、げっそりとしていた。


 本当に、怖いものが苦手のようで、これまた小動物のように可愛い。いつもの男っぽい感じとのギャップもあって。


 クトゥルフTRPG的には、このげっそり現象を「SAN値正気度が減った」と言う。ほんとうか?


 クトゥルフTRPGのゲームを進めると、キャラクターのSAN値正気度は、基本的には減る一方。


 減ったらどうなるかは……ふふふふふふふ! 


 ともあれ、嬉々ききとしてルールブックを読み進める長谷川先輩と、その隣にに座って、ルールブックを覗き込んだり逃げたりを繰り返して、最終的にげっそりとした西野さんとの2人に、俺は取っておきの甘い物を進呈した。


 コンビニ謹製のふわふわクリーム蒸しケーキ。別名、ジェネリックおぎの金星。


 女子には甘い物。

 この公式、テストに出ます!


 部室のサイコロ状(6面)冷蔵庫からスイーツを2つ取り出し、2人に手渡し役得タイムして、部室棟出てきたわけだ。


 少し早めの夕焼けが、綺麗だった。


 ◆


 中型書店「ブックス・マルファ」は、駅から徒歩5分。エスカレーターを登った2階にある。1フロアだけのタイプで、タワー型でカフェも併設された大型書店とかに比べると、だいぶ見劣りする。が、主に店長のがんばりで、出版不況のご時世を、なんとか生き残っていた。


 そこでのバイト中、副店長から叱責を受けた。


「一ノ瀬はなぁ、雑誌抜きが遅いわりに、雑誌の抜き漏れがあるんだよ。特に今日は、それがひどい」

 レジ内での軽い注意ではなく、わざわざバックヤードに呼び出された。


 雑誌は、次の号の出版が近い場合、今の号を棚から外して返品する。お客様に古い号をお売りするわけにはいかないから。


 その作業の速度、精度が、今日の俺は壊滅的だった。


「すみませんでした……」

 素直に頭を下げる。いくらマルヤマ大賞に落選したからって、心ここにあらずで仕事に支障をきたすと言うのは。情けない。情けなさでさらに落ち込む。


(早く終われ、早く終われ)


 と、そればかり考えていた。崩れた精神を立ち直らせるには、一人の時間が必要だった。しかしそういう時に限って、時間の進みかたが遅くなる。処女作を書き上げた時は、時間が足りなくて足りなくて、あっという間に時間が過ぎていったのに。



「おつかれさまです。先に上がらせていただきます」

「おつかれ、一之瀬」


 本屋店員の象徴である「深緑のエプロン」をロッカーにハンガー掛けして、返す刀で俺の鞄を肩にひっかけた。


(ようやくだ……)

 ため息を1つついて、下りのエスカレーターに乗る。


 鞄に入れておいたスマホを見ると、LIMEリーメというチャットアプリから、通知が来ていた。開くと、差出人は西野さんだった。


『ミッション発動!』

『ダイスっていう、サイコロっぽいモノが、足りないんだって』


 クトゥルフTRPGをプレイするためのダイスが不足している、ということだろう。


 サイコロ(ダイス)は、一般的な立方体のサイコロ、つまり6面ダイスだけじゃ、実は足りない。

 

 ダイスには種類がある。


 テントのような3角すいの形をした、4面ダイス。


 レーザーをピキーンと跳ね返しそうな、4角すいを2つ合体させたような形の、8面ダイス。


 トンガリな宇宙船を2つ、底面同士を合わせて、ズブズブとめり込ませたかのような形の、10面ダイス。


 他にも、12面、20面、果ては100面ダイスなんてのもある。


 中学の時に、TRPGをちょっとかじったから、ある程度は知っている。当時の事は、ちょっとつらくて、あまり思い出したくは無いけれど。 


 西野さんのLIME《リーメ》によると、

『どこに売ってるか、知ってる?』

 とのことなので、


『わかんね。 西緩バンズか、パパゾヌあたりでよくない?』

 と返した。百貨店と、ネット通販。


 俺は駅前を歩き始めていた。するとすぐ、西野さんからスタンプと共に、

『西緩バンズ付きあって』

 とメッセージが飛んで来た。


 バイト先の本屋から西緩ハンズへは、目と鼻の先ぐらいの距離だ。人間サイズでの話ではなく、巨人サイズでの目算だけど。


『今、バンズの近くにいるから、買って来てもいいけど?』

『何と何が必要なの?』

 と返し、俺は道をUターンした。さっとバンズに寄って、買ってこよう。後日二人に渡せば良いだろう。


 今日のサークルでの展開から、おそらく、8面ダイスと、10面ダイスが足りないんだろう、と俺は予想していた。6面ダイスなら100円均一とかにもあるから。


 でも、西野さんから返ってきた答えは違った。

『一緒に行こうよー。いおり先輩から、あたしが頼まれたんだよー』

 というメッセージと共に、黒猫がペコリと頭を下げている絵柄のスタンプが送られてきた。


(うーん、面倒だな……)


 いつもの俺ならば、「えっ? これ、もしかして、西野さんとのデートフラグですか?」と、ひそかに心をときめかせても、全くおかしくない所なんだけど。


 今日は、お昼の出来事が、俺のSAN値正気度を、時間と共に削りまくっていた。


 だって、魂を込めた渾身こんしん拙作せっさく『座椅子の偉大なる一族』が、マルヤマ大賞に、箸にも棒にもかからなかったんだよ? 郵便事故でも無い限り、そういう結末だったわけで。


 案の定、バイトでもミスをやらかした。

 このまま進むと、俺はあっという間に「不定の狂気」に陥ってしまいそうだ。一時的に狂気状態に陥る、という意味だ。


 一日頑張って、 授業もサークルも本屋バイトも、なんとかこなしたつもり。さすがにもう帰って、風呂に入って、ボーッとゲームするなり、動画サイト見るなりして、ヤられた精神を癒やしたい。SNSですら今日は億劫おっくうで、3限の授業以来、開いていない。


 西野さんにどんなメッセージを返そうか考えながら、俺は駅前をうろうろしていた。人通りも多く、電気屋とかカフェとかがたくさんある、明るい道だ。そこで、ズボンのポッケに入れたスマホがまた振動した。


(西野さんから次のメッセージが来たか。めんどいな)


 そう思ってスマホを開くと、LIMEリーメじゃなくて、メールだった。


 差出人は……。


 マ ル ヤ マ 書 店 編 集 部 !


うおおおおおおおおおおお!!!!!)


 途端に、俺の心をマルヤマ書店が占拠した。


 風邪薬は、その半分が優しさで出来ているらしいけど、今の俺は、99%がマルヤマ書店で出来ていた。


 西野さん、ごめん! 残り1%の中に、西野さんもちゃんと居るから! いつもなら、もっともっとパーセンテージ高いから!


『ごめん! ちょっと急用できたので、ダイス購入の話は、明日以降でお願い!』

 というメッセージを、LIMEリーメで西野さんに速攻で送った俺は、家へと向かう電車に飛び乗った。

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