ごめんなさい
「ふぅ……」
電車に駆け込んだ俺は息をはいた。バイトへと向かうが、少し遅れそうだ。
正直、ルールブックを買って即座にプレイできるようなゲームじゃないんだよ。クトゥルフTRPGは。
部室ではあれから、言い出しっぺの長谷川先輩が、「私が
どんな張り切り方だったかというと、体を内側に縮めた感じで、右拳を軽くにぎり、白くてきめ細やかな肘をこちらに見てるように腕を上げて「私、がんばる」って、少し首をかしげてニコリと。その反動で、スカートがふわりとなって。
あの
(店長になんて謝ろう……サークルでゲームしてて遅れた、なんて言ったらクビになりかねないし……)
電車が揺れて反動で首がコクンと下がる。素直に謝れと、この世界が言っているような気がした。
長谷川先輩が頑張ろうとした「KP」というのは、 「ゲームキーパー」の事。要はゲームの進行役、司会のことだ。
シナリオをプレイヤーに説明したり、プレイヤーに
ゲームのルールと、あと、クトゥルフ神話に出てくる、コズミック・ホラーな邪神達を把握していないと、務まらない。
そんなKPの役割を、ルールブックを買ってきた初日から実行しようってのは、いくら
結局今日は、ルールの読み込みだけでタイムアップ……というか、俺はバイト的にタイムオーバーになり、「ごめんなさい。バイトがあるので」と、一人抜け出てきた。
ちなみに。
オフショルダーのブラウスの下に白シャツが有って残念でした男性諸君! な西野さんは、ルールブックを読むだけで、げっそりとしていた。
本当に、怖いものが苦手のようで、これまた小動物のように可愛い。いつもの男っぽい感じとのギャップもあって。
クトゥルフTRPG的には、このげっそり現象を「
クトゥルフTRPGのゲームを進めると、キャラクターの
減ったらどうなるかは……ふふふふふふふ!
ともあれ、
コンビニ謹製のふわふわクリーム蒸しケーキ。別名、ジェネリック
女子には甘い物。
この公式、テストに出ます!
部室のサイコロ状(6面)冷蔵庫からスイーツを2つ取り出し、2人に
少し早めの夕焼けが、綺麗だった。
◆
中型書店「ブックス・マルファ」は、駅から徒歩5分。エスカレーターを登った2階にある。1フロアだけのタイプで、タワー型でカフェも併設された大型書店とかに比べると、だいぶ見劣りする。が、主に店長のがんばりで、出版不況のご時世を、なんとか生き残っていた。
そこでのバイト中にも、副店長から叱責を受けた。
「一ノ瀬はなぁ、雑誌抜きが遅いわりに、雑誌の抜き漏れがあるんだよ。特に今日は、それがひどい」
レジ内での軽い注意ではなく、わざわざバックヤードに呼び出された。
雑誌は、次の号の出版が近い場合、今の号を棚から外して返品する。お客様に古い号をお売りするわけにはいかないから。
その作業の速度、精度が、今日の俺は壊滅的だった。
「すみませんでした……」
素直に頭を下げる。いくらマルヤマ大賞に落選したからって、心ここにあらずで仕事に支障をきたすと言うのは。情けない。情けなさでさらに落ち込む。
(早く終われ、早く終われ)
と、そればかり考えていた。崩れた精神を立ち直らせるには、一人の時間が必要だった。しかしそういう時に限って、時間の進みかたが遅くなる。処女作を書き上げた時は、時間が足りなくて足りなくて、あっという間に時間が過ぎていったのに。
「おつかれさまです。先に上がらせていただきます」
「おつかれ、一之瀬」
本屋店員の象徴である「深緑のエプロン」をロッカーにハンガー掛けして、返す刀で俺の鞄を肩にひっかけた。
(ようやくだ……)
ため息を1つついて、下りのエスカレーターに乗る。
鞄に入れておいたスマホを見ると、
『ミッション発動!』
『ダイスっていう、サイコロっぽいモノが、足りないんだって』
クトゥルフTRPGをプレイするためのダイスが不足している、ということだろう。
サイコロ(ダイス)は、一般的な立方体のサイコロ、つまり6面ダイスだけじゃ、実は足りない。
ダイスには種類がある。
テントのような3角すいの形をした、4面ダイス。
レーザーをピキーンと跳ね返しそうな、4角すいを2つ合体させたような形の、8面ダイス。
トンガリな宇宙船を2つ、底面同士を合わせて、ズブズブとめり込ませたかのような形の、10面ダイス。
他にも、12面、20面、果ては100面ダイスなんてのもある。
中学の時に、TRPGをちょっとかじったから、ある程度は知っている。当時の事は、ちょっとつらくて、あまり思い出したくは無いけれど。
西野さんのLIME《リーメ》によると、
『どこに売ってるか、知ってる?』
とのことなので、
『わかんね。 西緩バンズか、パパゾヌあたりでよくない?』
と返した。百貨店と、ネット通販。
俺は駅前を歩き始めていた。するとすぐ、西野さんからスタンプと共に、
『西緩バンズ付きあって』
とメッセージが飛んで来た。
バイト先の本屋から西緩ハンズへは、目と鼻の先ぐらいの距離だ。人間サイズでの話ではなく、巨人サイズでの目算だけど。
『今、バンズの近くにいるから、買って来てもいいけど?』
『何と何が必要なの?』
と返し、俺は道をUターンした。さっとバンズに寄って、買ってこよう。後日二人に渡せば良いだろう。
今日のサークルでの展開から、おそらく、8面ダイスと、10面ダイスが足りないんだろう、と俺は予想していた。6面ダイスなら100円均一とかにもあるから。
でも、西野さんから返ってきた答えは違った。
『一緒に行こうよー。いおり先輩から、あたしが頼まれたんだよー』
というメッセージと共に、黒猫がペコリと頭を下げている絵柄のスタンプが送られてきた。
(うーん、面倒だな……)
いつもの俺ならば、「えっ? これ、もしかして、西野さんとのデートフラグですか?」と、ひそかに心をときめかせても、全くおかしくない所なんだけど。
今日は、お昼の出来事が、俺の
だって、魂を込めた
案の定、バイトでもミスをやらかした。
このまま進むと、俺はあっという間に「不定の狂気」に陥ってしまいそうだ。一時的に狂気状態に陥る、という意味だ。
一日頑張って、 授業もサークルも本屋バイトも、なんとかこなしたつもり。さすがにもう帰って、風呂に入って、ボーッとゲームするなり、動画サイト見るなりして、ヤられた精神を癒やしたい。SNSですら今日は
西野さんにどんなメッセージを返そうか考えながら、俺は駅前をうろうろしていた。人通りも多く、電気屋とかカフェとかがたくさんある、明るい道だ。そこで、ズボンのポッケに入れたスマホがまた振動した。
(西野さんから次のメッセージが来たか。めんどいな)
そう思ってスマホを開くと、
差出人は……。
マ ル ヤ マ 書 店 編 集 部 !
(
途端に、俺の心をマルヤマ書店が占拠した。
風邪薬は、その半分が優しさで出来ているらしいけど、今の俺は、99%がマルヤマ書店で出来ていた。
西野さん、ごめん! 残り1%の中に、西野さんもちゃんと居るから! いつもなら、もっともっとパーセンテージ高いから!
『ごめん! ちょっと急用できたので、ダイス購入の話は、明日以降でお願い!』
というメッセージを、
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