小さなサークル


 上条先生の授業は、定刻より早めに終わる。

 基本的に、授業時間を延長すると、生徒に嫌がられるからだ。そのあたりをよく分かっている先生だから、授業も面白いと評判になる。


 机に出したノートパソコンをカバンにしまって、俺は立ち上がる。


(このまま漫画喫茶にでも寄って、バイトまでの時間を潰そう)

 教室の後方出口から、廊下にスッと出た……ところまでは良かったけど。

 

「駆駆くん」

 俺を呼び止める、女子の声。

 教室の出口の方を見ると、声の主は、同じ授業を真面目に受けていた、西野秋にしの・あきさんだ。


 西野さんは、パリッとした白シャツのから、オフショルダーのブラウスを着ている。下はショートパンツに生足にスニーカー。小柄な体より、さらに小さなリュック。


 そんな彼女は小走りで、俺の近くまで来た。


(オフショルダーは、鎖骨とか肌とかが見えるからこそ良い……と、思うんだけどな。その肌を、その中に着こんだ白シャツで隠しちゃうのは、果たしてどうだろうか?)


 と思いつつ、挨拶を返すかどうか、一瞬だけ躊躇ちゅうちょした。

 今はなるべく、人とは関わりたくない。精神が闇に侵食されているから。


「駆駆くん、この後どうするの?」

「あ、えっと……バイトだよ。本屋の」


「え? 水曜は、バイト夕方からじゃなかったっけ?」

「まぁ、ね」


「バイトまで時間があるなら、部室寄ってこうよ。しおり先輩も、もう来てるってさ」


 西野さんは、かわいいんだけど、押しが強い所があるように思う。

 少なくとも、闇落ちしている今の俺には、少しきつかった。


「はいはい、行こ行こ」

 物理的に、腕を引っ張られた。

 豊かとは決して言いづらい柔らかいふくらみが、俺の腕に多少接触する(婉曲表現)。

 

 学生だらけのだだっ広い本部キャンパスを、2人で反対側まで突っ切る。道に出てしばらく歩き、交差点を渡った先に、文学部キャンパスが見えてきた。なお、その間も、西野さんに何度も腕を引っ張られた。


 文学部キャンパス、通称「文キャン」は、本部キャンパスとは別の区画に配置されていた。やたら広い敷地に、緑が植えられている。校門の所には、守衛さんのブースがあった。

 

 そんな文キャンの入口を「スルー」して、そのまま歩き続けると、緩やかな上り坂になる。文キャンのさらに裏手に、大学所有の大きな部室棟があり、その302号室が、我等がサークル「神話文芸亭」だった。

 

 分かりやすく言うと、たくさんある文芸部の「うちの一つ」。 

 1学年あたり1万人弱の学生が在籍する、マンモス私大なので、文芸カテゴリーに属するサークルだけでも、10以上はある。例えば「ミステリ研」なんかは部員50人強の大所帯で、現役プロ作家もたくさん輩出していた。


 そんな中、俺が属する「神話文芸亭」は、部員が3人しかいない小規模サークルだった。


 部室棟に入ると、熱風が充満している。空気が篭りがちな、コンクリート打ちっぱなしの建物だからだ。


 薄暗い廊下を進み、エレベーターで3階まで。302のドアを開けると、中は細長いスペースで、突き当たりに大きな窓があった。左の壁には俺より背の高い本棚がほぼ全面を占拠し、そこに、たくさんの蔵書が並んでいた。OBの先輩方の寄贈本もある。

 

「あっ、お疲れさま、2人とも」


 部室に先客がいた。読書中だった女性が1人。部屋の中央にある折り畳みの長机にお行儀悪く両足を投げ出し、椅子でバランスを取っていた。


 白スカートが若干はだけているのを気にしたのか、先客の彼女は恥ずかしそうに、手にしていた本を長机に置いて、床に足をつき、居住まいを正した。ライムグリーンのシャツが爽やかだった。


「いおり先輩、お疲れ様です!」

 俺より先に入室した西野さんが、元気にお辞儀。

 

「長谷川先輩、えっと、どもっす」

 俺も挨拶はちゃんとしたつもりだ。少し、どもり気味だった。だって、脚線美は、健全な男子には、精神ダメージやばいだろう?



 部室の先客は、このサークルの長、長谷川はせがわ伊織いおり先輩(3回生)。こんな弱少サークルに居るのは、正直おかしい人だ(容姿的な意味で)。大学のミスコンとかに出たら、おそらく優勝するんじゃないかと思う。


「いおり先輩、何を読んでたんですか?」

 西野さんが聞く。


「あ、これ?」

 長谷川先輩は、一旦机に置いた本を、ふたたびひょいっと取り上げて、こちらに表紙を見せてきた。


 その本の事を、俺はよく知っていた。

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