佐竹は何も知らない
どしゅう! どしゅう! という怪しげな音は、すぐに止んだ。
僕はボックスワゴンからを降りて、その後にヘッドライトを消す。
本当はライトを点けっぱなしにしたいけど、バッテリー消費は怖い。エンストでもす起こしてしまったら、闇の中を地上へ向かうエレベーターまで歩かなくてはならない。
車をロックし、手持ちのライトをかざしながら、さらに奥へと進む。
ライトの光を反射して黒光りする球体は、近づくにつれ、どんどん大きくなる。それは、大型の団地を丸々と覆うほどの大きさと威容を示していた。
巨大な黒球の背後から、たくさんの「赤の目」「緑の目」「黄色の目」が、それぞれ縦に延びる柱を作るようにして、僕を見つめていた。
僕は、一つの黒球に手をかざす。
球体表面に付着した、手のひらサイズの球形ボタンを、握りながら押しこむ。やわらかく、あたたかく、かつ弾力に富んだ感触が、反作用として僕の右手に与えられる。
「はーい」
しばらくして、球体の中から声が聞こえた。
球形ボタンは、インターフォンだつた。
「
「おー! おつかれ!」
黒球の中から聞こえる声はフランクだった。
声の主は……僕の中学時代の同級生で、佐竹と言う。昔はガキ大将だった奴だ。
「佐竹、中で変ったことはない?」
「別に。いつもどおり、暇してるよ」
「そっか」
マルヤマ書店の巨大地下空洞。
その中に何基もそびえる巨大黒球のうちの一つに、同級生の佐竹が居ついて、既に3年が経っていた。佐竹の他にも、何人もの契約社員が、この黒い球体の中に住んでいる。もちろん、会社との合意の下で。
「あ、でもさ? 今日発売のゲーム、さっさとプレイ可能にしてくれよ。あと、『電車優先席で宇宙人マークの仕事始めました』の新刊」
という佐竹が、インターフォンを爪か何かで、トントントンと叩く音が聞こえた。
(だいぶ持て余してるな)
僕は、口に出してはこう言った。
「ああ。技術班に確認しとく。新刊はいつも通り、
佐竹たちには快適な生活が保証されていた。
高速インターネットに、パソコン、スマホ、タブレット、漫画、アニメDVD、うまい食事、大きな風呂、カラオケ、等々の娯楽が、黒球の中には詰め込まれていた。もちろん費用はすべて、マルヤマ書店が負担する。ここでは言えない、
それらの恩恵を受ける代わりに、佐竹たちはこの地下で、とある軽作業をしている。『指示に従い、黒球の中で丸ボタンをたまに押す』という、きわめて軽い作業だ。……作業自体は。
「あのさ、安東、競馬行きたいんだけど。競馬」
「いや、気持ちは分かるけど、黒球からは出ちゃいけないという契約になってるから」
「ちっ、不自由なこって。マルヤマも大したことねぇな」
「おいおい……口が悪いぞ? 佐竹」
佐竹達は気づいていないようだが、黒球の中での発言、行動、それらはすべて、マルヤマ書店のとある部門によって、監視されている。うかつにうちの会社をディスるような発言は、極めて危険だ。
「あ? なにびびってんの?」
事情を知らない佐竹は、気楽な口調でそう言った。
「別に、なんでも」
佐竹達に、本当の事を告げたい、という衝動は、実は結構強かった。けれどそれは、社内ルールで厳しく規制されていた。
ともあれ、黒球の中の契約社員達が、いつもどおりの日常を謳歌している事を確認すると、僕はこの地下空間の、更に奥へと歩を進めた。
◆
黒き鉄塔。
突き抜ける天井。
雨後のタケノコのようにあちこちそびえ立つ鉄塔群は、怪しく黒かった。
首を上げる。その角度、10度、20度、30度。スノボの斜面にたとえると、連れの女子がリフトで麓へと帰還してしまうほどの角度だ。男子的にはがっかりだ。
どこまで見上げても、鉄塔のてっぺんは、僕の視界に入ることはない。
そして、まるで、闇に棲む巨大な虫の目だ。
無数の、赤の目と、緑の目と、黄色の目が、黒き鉄塔に沿って、縦に延びている。
およそ60度。首が痛くなってきた。鉄塔のてっぺんはまだ見えない。
首のうしろがコキコキと奇怪な音を立てる。
ブレードはブイイイインと、夢野八作のような音を立てる。
天空の、漆黒の闇の彼方に、消失点がある。
その消失点に向かって、まるで集中線のように延びる鋼鉄の柱。
こちらを覗く無数の赤目、緑目、黄色目も、その消失点へと吸い込まれていく。
(さ、任務を果たさないとな……)
僕は鉄塔のうちの1つに近づき、自分の胸の高さぐらいの、緑色の目に向かって、右手を伸ばした。
その時。
奥から、いあ、いあ、という掛け声が、小さく聞こえてきた。
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