3話―――時系列④


 お母さんのおまじないによって、心なしかみゃーの震えが小さくなっているように思う。


 僕も不思議とへの字口が元に戻っていた。


 落ち着きを取り戻し心に余裕ができたからか、これからどうすればいいかお母さんに電話して聞いてみようといったアイデアが浮かんだのだけれど……



 しかし、それはもう遅かったみたいだ。



 何故なら、僕が電話機まで辿り着く前に、再び恐怖の騒音が始まってしまったからだ。




 ドンドンドン!!ドンドンドン!!ドンドンドン!!




『佐倉美耶子ちゃん!!家に入るからね!!』




 今度は見知らぬ男の声。


 やっぱりシマおばちゃんは偽物だったんだ!!



 あの時開けなくて本当に良かったという案著。


 そして、どうやって家に入るつもりなのかという疑問。



 更には、僕がそれらを頭の中で整理する間も無く、割り込んで入ってきた 絶望の音。





 ガチャリ





 なんで!?なんでなんで!!


 家の鍵は僕とお母さんしか持ってないはずなのに!!


 色々な疑問や考えが錯綜するも、今僕が何を差し置いてもしなくちゃいけないのはたった一つのことだ。



「みゃー!!逃げるんだ!庭の窓の鍵を開けて、今すぐ逃げるんだ!!」



 振り向き様に僕は叫ぶ。


 奴がこの部屋に入ってくるまでになんとかしてここから脱出しなければ。



 足音は間違いなく近づいている。



「お゛、お゛兄ちゃーん」



 みゃーは半ばベソをかきながらも、左腕でまーくんを抱き右手で窓の鍵を開け、脱出路を開いてくれていた。



「よし、行くよ!みゃー!」



 間一髪だったと思う。


 後ろで部屋の戸を開ける音と何やら複数の男達の声が聞こえた時には、僕達はもう裏庭を経て家の外に逃げ出していた。



 時折、遠くからみゃーを探す声が聞こえてくるなか、物陰に隠れながらも少しづつ遠くへ移動し逃げる先を考える。



「はぁ、はぁ……お兄ちゃん。これからどこ行くの?……みや、怖いよぅ」



 みゃーの体力を考えるとそれ程遠くには行けないことはわかっている。


 それでも、街灯で明るく隠れる場所も少ないこの場所にいつまでも留まっているわけにはいかなかった。



「かくれんぼの森に行くよ。ちょっとだけ遠いけど、みゃーは頑張れる?」



 それは学校へ行く道の途中にある雑木林。


 僕達がよくそこでかくれんぼして遊ぶことからそう名付けていた。


 そこなら明かりもないし、いくらでも身を忍ばせることができる。


 そしてなによりみゃーが少しでも"かくれんぼ"というゲーム感覚でいてくれるなら、恐怖も多少は和らぐだろう。



「うん、かくれんぼ頑張る。怖いけど、お兄ちゃんのしてくれた”おなじまい”があるから平気だよ」



 コクリと頷いてそう答えたみゃーは、まーくんの頭に被せている手さげ袋が外れてしまわないようにと、ぬいぐるみの首元で強く紐を絞り込んでいた。



「それは"おまじない"だよ。お母さんの教えてくれたおまじないは本当に凄いや。僕が絶対みゃーを守るからね」



 幾度か追手の影が周囲に現れたものの、物陰に隠れたりしながら、時には走ったり、息切れしては歩いたりと、みゃーとお互い励まし合ってなんとか雑木林へ辿り着く。


 しかしながら片方は5歳、既に胸で息をするようになっており、顔にも体にも体力の限界は顕著に表れていた。


 でも……



「ここまでくると、そう簡単には見つからない。みゃー、そこの大きな木の陰で少し休もう」



 そう言って僕が腰を下ろすと、みゃーも隣でペタンと座り込む。


 そしてゼェゼェとした小刻みな息遣いも次第に落ち着いていき、静かに喋れる程度に体力が回復したみゃーは色んな話をしてくれるようになった。



 この前保育園でこんなお遊戯をしたとか、


 かけっこではもうちょっとで一番だったとか、


 本当は内緒なんだけどって言って、


 次の保護者参観の劇ではみゃーがお姫様をやるんだーとか、


 お兄ちゃんも絶対見にきてほしいなーなんて。



 そんな他愛もないみゃーの話がとても心地よくて、なんだかちょっと切なくなってしまった。



「かのちゃんはね、きりん組のつばさくんが好きなんだってー。そんでね、ゆなちゃんはひろくんが好きでー。でもね、でもね、みやはお兄ちゃんがいちばん好きなんだー」



 そして急にそんなことを言ったみゃーに僕はまるで照れ隠しのように『どうして?』と聞いた。



「お兄ちゃんはいつもみやに優しくしてくれるもん。それにみゃーが怖いと守ってくれるから。今日だってみやの大好きなからあげを……」



 みゃーは話の途中で何かを思い出したかのように、あっ、と声を上げてまーくんのお腹のポケットに手を入れる。



 出てきたのは一つの飴玉。



 もう一個ないかなぁ?なんて更にぬいぐるみのポケットをまさぐるが、2つ目の飴玉は結局存在しなかった。



「一個しかなかったけど、これお兄ちゃんにあげるね」



 小さな手のひらで差し出される大粒の飴玉。



 駄目だよ。


 これは貰えないんだ。



 みゃーはお返しだから貰ってほしいって言ってるけど、



 貰ってあげるときっとみゃーは喜ぶんだろうけど。




 それを受け取ってしまえば、





 何故だか全てが終わってしまうような気がして、たまらなかった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る