24-2

 この島に来てもう四年目に突入した。このままぼんやりしていたら三十歳になる。故に、中川路はなおさら焦っていた。


「なあおい目澤、お前さ、結婚するとき、どうだった」

「どうって……」

「どっちからプロポーズしたんだよ」

「あー、向こうから。と言うか、気が付いたら籍入れられてた」

「ッかァー参考にならねえ! 役に立たねえ!」


 髪を掻き毟って呻く中川路。困惑して見つめるしかできない目澤。この日本人達が食堂で大騒ぎしているのは今に始まったことではないので、他の連中は静観を決め込んでいる。


「市村はどうだったっけ、あいつ結婚してたか? してないか。塩野もしてないよな。そうすると誰に聞くか……結婚してるやつ、結婚してるやつ……」

「なぁにー? 呪文唱えちゃってさぁ。川路ちゃん、召喚の儀式でもすんの?」

「おっそいぞ塩野ォー。召喚できるもんならしてぇよ」


 山盛りにしたエビピラフを手に、後からやってきた塩野も中川路達に合流した。


「どしたのさ、三十路を手前に焦ってんのー?」

「うっ」

「イエーイ! 図星! イエーイ!」


 エビピラフをもりもりと食べながら、よく咀嚼して嚥下して、そして再び口を開く。


「あのさぁ、ベーシックな感じでいいんじゃないの? 奇をてらうとロクなことにならないよ。ふっつーにさ、指輪買ってさ、結婚してください! って言えばそれだけで上等だと思う。シズキンはそうおもうー」


 目を皿のようにして、押し黙ったまま見つめる中川路を鼻で笑う。もう一口頬張って飲み込んでから、「答え合わせ、してほしい?」と尋ねた。


「っつうかさ、僕でなくても分かるんじゃないの? ねえ目澤っち?」

「まあな。中川路はこういうとき分かりやすいなあ」

「そんなに?」

「ああ」

「うん」

「そっかぁー……」


 肩から背中から力が抜けて、ふにゃりと崩れ落ちる。塩野と目澤は顔を見合わせ笑う。


 分かりやすいくらい顔にも態度にも出ていた。そう、中川路は月子に結婚を申し込もうとしているのだ。考え始めたのはもっと前で、年単位で悩み続けてついにこんな状態になってしまった。

 中川路といえども、流石にプロポーズは未経験だ。一世一代の大舞台である。さて先達に話を聞こうと思っても、まず周辺に適任者がいない。しかも頼りになりそうな奴からの返答がアレである。


「まずは指輪買えって話かぁー?」

「そゆこと。外出許可、もぎ取っておいで」

「良いところに当たるといいな」


 この島にいる人間は、基本的に外出不可である。外から来るのは良いが、中から出るのはリスクがあまりに高いからだ。抱える情報も、研究内容も、そしてミミックの細胞片も、もし外部に漏れたらパニックが起こるのは必至だ。そもそも、研究者達は外に出ることを望みすらしなかった。研究に肩まで浸かっていられる上に至れりつくせり、出る必要がない。

 それでも、島の外に出なければならない場合は許可を申請しなければならない。しかも場所の指定はできない。監視員が最低でも二人は付く。


「良いところ、か……そうだ、監視員てさ、その地域に詳しい奴が来るんだよな?」

「そうだと聞いているが」

「もしも研究員逃げ出したりしたら、きちんと追跡できないといけないしねぇ」

「なるほどね、そりゃそうだ」

「あー、川路ちゃんわっるいカオ〜」

「本当だ、わるいカオだ」



 その日のうちに外出申請を出し、実際に出ることができたのは二ヶ月後である。厳重な全身殺菌後、島の端にある小さな飛行場から小さなセスナ機に乗って飛び立ち、あちらこちらにたらい回しされてからようやっと、中川路は地上に足を着けることができた。

 情報漏洩は一大事につながる。あの島にあるものはその全てが技術と知識の結晶だ。目的がどうあれ、悪意を持って転用すればとんでもないことになる。そのためにわざわざ、研究員の意識調査までしたのだ。

 研究員自身が大丈夫でも、ふとした拍子に漏れる可能性だってあるだろう。研究員自身が悪用する気がなくても、他の人間は分からない。故に警戒心は強いに越したことはないし、外出許可を申請した研究員は監視が付くことに不平を漏らさない。


 そして、中川路正彦は寧ろ、その監視員をこそ望んでいたのであった。



「これは……イタリアか」


 空港を見回して、三つ揃いのスーツに身を包んだ中川路は呟く。間違いない、イタリアだ。だってあちこちにイタリア語が書いてある。

 勢い良く振り向く中川路。付かず離れず、程度の距離を保っていた監視員と目が合う。いや、合わせた。招き寄せれば、素直に近付いてきてくれた。


「お二人さんは、今回の外出理由は聞いてるか?」


 英語ほどではないが、ある程度はできるイタリア語で問いかけると無言で首を横に振る。


「理由を聞いたらアンタらは怒るかもしれないが、聞いてくれ。俺は、惚れた女に結婚を申し込むために、婚約指輪を探しに来たんだ」


 ほんの僅かに驚きが走り、しかしすぐに消えた。その代わり、監視員二人の表情は少し緩んだ。中川路は熱っぽく語り続ける。


「監視につく人間は地域を把握している可能性が高い、そこに賭けた。突然で悪いが頼む、この国でオススメの宝飾店があったら教えてくれ!」

「……予算の上限は?」


 焦茶色の髪の方が口を開く。


「無制限、と言いたいところだが、あんまりバカみたいに高くても喜ばないと思うんだ。ある程度の値が張るのはかまわないんだが、どっちかって言うと……」

「質を求めたい?」

「それ。もしかしてお前さん、既婚?」

「まあな。気持ちは分かるよ、単純にドカッと金をかけて誠意を示したいんだが、そうも行かないのが女ってやつだよな」

「本当にそれだよ。難しいったらありゃしねえ」


 へへ、と笑い合う二名をよそに、もうひとりの監視員は何かを考え続けている。そして唐突に「思い出した」と呟いた。こちらは焦茶色の髪よりも歳を取っており、黒に近い髪に白髪が混じり始めている。


「思い出したよ、そうだ、フィレンツェだ」

「フィレンツェ?」

「ああ。ここはペレトラ空港だろ、フィレンツェだろう。彼の話を聞いて、どこかいいところがあったはずなんだと考えていたんだ。ある、あるぞ、ここフィレンツェにいいところが! うまくすれば日帰りで帰れるかもしれん!」

「本当か?!」

「お前さん、その強運を女神に感謝した方がいい。国は分かるが、どこの空港に降ろされるかは俺達でさえ知らされないんだ。とっておきの店がお前さんを待ってるぞ」


 その空港からタクシーで二十分強。到着したのは、観光地としても有名なヴェッキオ橋である。ここには金銀細工の店が軒を連ねる事でも知られており、なるほど正しい選択だと中川路も焦茶色の髪の彼も同様に感じたのだ、が。

 タクシーから降りて進むのは、観光客が賑わう場所より少し外れた場所だった。


「昔、イタリアの金持ち貴族の警護を務めていた頃があってな。そこの家が代々御用達にしてる店ってのが、確かこの辺に……ほらあった」


 一応、店舗としては構えている。そんな印象の外観であった。工房と店舗が直結しているのだろう。金属の臭い。硬いものを加工する音。ガラス戸は開け放たれたままで、それらの音が外に漏れている。中川路は、故郷の近所にあった豆腐屋を思い出した。あそこもこんな風に、一応の売り場があるくらいだったな。


「よう、こんちは。やってるかい?」


 中に入ると、大きめの声で挨拶する。そうしないと聞こえないだろうからだ。工房の奥から、これまた大きい声で「あいよ」と返事があり、一人の老人が出てきた。てっぷりと太った男性で、宝飾職人というより料理人のような気配だ。


「いらっしゃい! 何をお探しだい?」

「こっちのニイチャンに、婚約指輪を見繕ってやっちゃくれないか」

「お? おお? 何だ何だァ、結婚申し込むのか? いいねいいねえ、大舞台だねえニイチャン!」


 そう言って下の棚から取り出したのは、大きめの指輪用ディスプレイケースだ。


「こん中から、こういうのがいいってのを選びな。こまけえとこは作るときになんとかしてやっから、これとこれがいいとか、そういうざっくりしたのでいいぜ」


 それこそ、宝石箱と呼称するにふさわしい内容であった。溢れるほどの大きなものから涙粒ほどの小さいものまで、種類も豊富な宝石がはめ込まれた指輪の数々。勿論、石がないものもある。そのどれもが細かい加工を施されており、この職人の真骨頂は銀細工にあるのだと見る者すべてが悟るだろう。


「これは全部見本?」

「ああ。こういうのができるんじゃねえかなって、試しに作ったようなやつもある。まあ、あんまり考えず選べばいいさ」


 真っ先に中川路が手に取ったのは、細い銀線が数本、波のように曲線を描いて絡み合う指輪だった。波の合間に一粒、ブルーサファイアが輝いている。繊細なデザインだ。


「そいつの隣も見てみな」


 言われて手に取ると、そちらはごくシンプルな装飾のない指輪だ。ただし、内側に波が彫られており、その合間に小さなサファイアが埋め込まれていた。


「ぴったり同じようにしてみたのさ。もしも中に入れたらバチーッと嵌まるはずだぜ。ま、んなこたぁできねえんだけどよ! もしもってやつだ、もしも。石の位置もそっくり同じだ。おもしれえだろ?」

「これ、サイズは?」

「女性用の方は50だったっけかな? なんせ思いついてパーッと作ったやつだからよ、もうちっと小さめに作っときゃ良かったか、とも思ったんだけどな。まあ見本だからいいだろ」


 日本のサイズで言えば十号だ。

 手にした男性用と思わしき指輪を試しに、自分の左薬指にはめてみる。丁度よいサイズだった。


「……これください」

「え?」

「これを、このセットをください」


 中川路の顔は至って真面目だ。声もだ。監視の二人と店主は顔を見合わせた。


「オイオイオイオイ待てニイチャン、アンタ、婚約指輪を探しに来たんだろ?」

「ああ」

「ってことはお前、まだプロポーズしてねえんだろ?」

「これからだ」

「なのに? 結婚指輪? オイオイ、オイ、大丈夫かぁあ? 順序ってもんが分かってんのか?」

「分かってる。だけど、これしかないって思ったんだよ」


 熱っぽい視線のまま、中川路はうわ言のように語り続ける。


「これを、月子さんにつけてほしい。この指輪がいい。まあ、プロポーズして受け入れてもらえる自信はあるけどさ……だけど、もしも駄目だったら。結婚できないと言われたら。そしたら、待つよ」

「強気かと思ったら弱気になったな」

「そりゃあ弱気にもなるさ。結婚を申し込むのなんて初めてなんだぜ? かと言って諦める気にもなれないし。いつまでも待つさ。彼女が俺と結婚したいって思うまで。思わせるまで」


 指から外し、二つの指輪を戻す。


「だから、これか、もしくはこれと同じものを下さい」

「……ニイチャン、サイズはこれでいいのかい?」

「大丈夫。寝てる間に何度も測ったからな、確実だよ。指自体は細いのに、節のところが思ったよりしっかりしてたんだよなあ」


 この場にいる彼らには知りようもないことだが、この時の中川路の顔を目澤や塩野が見たらさぞや大騒ぎしたことだろう。そんな顔、初めて見たと。浮き名を流した色男とは思えぬ程の穏やかな微笑み。柔らかく、ただ愛しい人を想う、そんな顔。

 店主は破顔した。この東洋の青年が、どれだけ本気だか分かったからだ。


「おし! ケースはどうする? 色の種類が三つあるから選びな!」

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