24 宝箱と救世主(後編)
24-1
世界は救われた。故に世界は存在する。
悪魔は消えた。故に世界は存在する。
勇者は姿を隠した。故に世界は存在する。
讃えよ。讃えよ。誰も知らぬ勇者を讃えよ。
平穏に埋もれ、市井に消えた勇者を讃えよ。
中川路達の話を聞き始めてそこそこの時間が経った。何杯目になるか分からない酒を飲み、それでもどこかいまいち酔えないまま、三人の元研究者達は語り続ける。
ここから先は己の体を、心を焼くだけの物語だと知りながら。
「中川路の研究は随分進んだよな、この頃から」
「ああ。エンジンかかるの遅かったが、かかってしまえばこっちのものだったし。やるべきことさえ見つかれば、な」
「やるべきこと?」
「そう、やるべきこと。方向性を見定めること。後はそこに向かって突き進むだけ」
毒素を出しても吸収されるだけ。迂闊に接触させても、これまた細胞ごと吸収された挙句に消化されるだけ。ならばやることは絞られてくる。
「限界まで速度を上げるしかない。『分解』の速度ってやつを」
中川路は食堂でカレイの煮付けをつつきながら熱弁を振るっていた。
「分解?」
「そ、分解。森の枯葉が堆積し続けないのは、微生物が分解しているから。それは分かるだろ?」
口の中に白米を入れてしまったため、黙ったまま目澤は頷く。
「それと同じことをやる、って訳さ」
「ミミ太郎さん相手に出来るの? 分解なんて」
「塩野、出来るか出来ないかじゃないだろ? ってかそれ、わざと言ってんな?」
「エッヘヘーばれたー」
どこぞのお菓子メーカーのキャラクターばりにウインクしつつ舌をぺろりと出すものだから、中川路は思わず塩野の顎を真下からカチ上げそうになる。が、何とか堪えた。冗談でもやって良いことと悪いことがある。今回は悪いことだ。塩野もすぐに舌を引っ込めた。分かっているならやらなければ良いものを。
「……とにかく。分解の速度を上げる。分解自体は出来るんだ、今までは全く追いついてないだけだった。あとはもう、ミミックとの競争だな」
「簡単に言うけどな中川路、相当の速度だぞ?」
「そんなの分かってるって目澤。その上で言ってる」
「敢えて大口を叩くと?」
「そういうことさ」
「ってことはぁ、目星がついてるってことなのねん?」
行儀悪く箸で中川路を指して、塩野は少し意地の悪い笑みを浮かべる。それに対し、中川路の表情は自信満々と言ったものだった。
「当然。ぶっちゃけ偶然の産物みたいなものだがな」
「言わなきゃカッコ良かったのにー川路ちゃーん」
「よし、次からは言わないようにする」
「んだんだ、全身全霊でカッコつけていけ川路ちゃん」
内容はごくシンプルで、かつ中川路の発した「偶然の産物」という言葉の通りだった。曰く、ミミックと同じくらいの頑強さを目指していたらそうなった、と。
月子の研究結果が発端だった。
彼女曰く、調べれば調べるほど不可解。地球が「出来た」時間軸とどうしても合わない、と言うのだ。外宇宙から来たというのも、あながち間違いではないのかもしれない。ならば、ミミックという個体は「地球という環境に適合した、適合させた体」と捉えるのが正しいのではなかろうか? 酸素などという毒素が満ち満ちたこの惑星で生きてゆくには、それ以外に手段はない。相当にここの環境への頑強さがあるだろう、生きてゆくためだから。
だったら。元来の環境なら……? 重力、大気、地盤、気温、その他諸々全てがミミックにとっての最も快適な状況であったら? 地球という環境から見れば「頑強」であっても、そこ以外なら「通常」なのではないか?
この発想に基づき、ミミックを外宇宙から来たと仮定して、まずはミミックの最も活性化する条件を絞り込んだ。この部分は月子の役目だ。無酸素、微小重力、高真空、高エネルギー粒子線、放射線、ありとあらゆる宇宙空間の環境をミミックにぶつけ、その結果を踏まえた上で、今度は中川路が同環境に菌を晒す。
そんな中で思い出したことがある。一部の細菌類は、微小重力下だと地球上の四十倍から五十倍の速度で増えるという事実だ。そう、速いのだ。
直感は手応えに繋がった。状況下に晒したごく一部の菌に「反応の速さ」が見られた。環境に「耐えることが出来る」だけではない、それを超えてゆく結果が出たのだ。薄ぼんやりとした期待は観測結果へと昇華した。自分たちが求める「反応の速さ」を探し出し、もしくは付与し、選別を繰り返し、耐久できそうなものを今度は地球環境へ適応させる。
こうやって、ついに中川路は、ミミックに対抗できそうな細菌類を十二種にまで絞り込むことに成功したのである。
DPSに所属してからここまで、三年半の時が経っていた。
他部署も、結果が出始めていた。W班もそれらの研究成果を元に、具体的な物を作り始めていた。目処が立ち始めた、とでも言えば良いのだろうか。繰り返される失敗も、全てが前進するための材料にしか見えない。そんな空気が、DPS全体を覆っていた。
だからこそ、だろう。中川路は、一つの決断を下そうとしていた。
「川路ちゃん!」
唐突に、塩野が大きな声を出した。三人とも順調に喋っていた、そんな時にだ。相田も網屋も、思わず体を強張らせるほどの声だった。
その後の言葉は続かないが、眼鏡の奥の大きな目はこれ以上ないほどに真剣だ。中川路はそんな塩野に笑いかけて「大丈夫さ」と返した。
「心配症だなあ、お前さんは」
「心配だってするもん。ううー、うううー、だってさぁー」
「よしよし、言いたいことは分かるぞ塩野」
隣の目澤が頭を撫でながら同調するものだから、中川路はますます孤立無援だ。
「全く……本人が大丈夫だっつってんだから大丈夫だよ。そうじゃなかったら、こんな機会なんて設けないだろうが。それに、はっきりと覚えてない部分もあるしな」
塩野を安心させるために放った言葉は、何故か逆の効果をもたらした。やいのやいのと騒いでいた塩野が、萎れた花のようにうなだれて静かになってしまったのだ。
「どうした塩野」
「お前が静かになるとおっかないよ」
ソファーの上で体育座りになり、膝を抱え込んで小さく小さくなった塩野は、それでもはっきりと「ごめんね」と言葉を発した。
「あのね、あのね……川路ちゃんがはっきり覚えてないのはね、僕のせいなの」
膝の間から目だけを出して、怒られた子供のように。
「身内には解体屋として手は出さない。そう決めてたのに。あの時、川路ちゃんが中に入っていく、あの時に……僕は、川路ちゃんに……簡易防壁を、仕掛けた」
少し驚きつつも、しかし中川路は何も言わずに塩野を見た。隙間から覗く視線と目が合う。
「僕のわがままだ。もし中で何を見たとしても、それで発狂してしまったとしても、それは川路ちゃんの選択だよ。狂うっていうのは一つの救済だ。防御反応だ。その方が楽になることもある……ってことくらい、分かってたのに」
声を絞り出す。掠れそうになる喉を震わせて。
「僕は、僕はね、川路ちゃんにそのまま帰ってきて欲しいって思ったの。そう、願ったの。だけど、それは僕の願望であって、わがままなんであって、十年間もこんな苦しい思いをするのなら、いっそ……」
「何言ってんだよ、ばぁか」
言葉を遮ると同時に、体育座りの脛を軽く小突く。中川路が浮かべる笑みはごく軽やかなものである。
「塩野がそれをやってくれたから、俺達は今ここにいるんだろ? 俺は嫌だね、あんなところで何もできないまま終わるなんて」
「確かに。全てが灰燼に帰すところだったな」
目澤が片手に持つグラスの中で氷が溶けて、琥珀色が薄まる。空いたもう片手はやはり塩野の頭を撫で続けている。
「選択に正しいも間違いもない、あるのはその選択に対する姿勢だけだ。そう言ったのは塩野だろう?」
「ううう、そうだけどさあ、目澤っちにそう言ったの僕だけどさああー」
「だったら、お前自身もそれを貫け」
しばらく黙ってうつむいていた塩野だったが、何かを振り切ったように顔を上げた。
「川路ちゃん、ほんとに大丈夫なんだね?」
「ああ」
「キツイようならすぐに言ってね?」
「分かってるよ」
大丈夫さ、と返す中川路の顔は、柔らかい笑顔だった。
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