22-5


「なんだよ、眼鏡が廃るって」


 笑いながら中川路が二杯目のバーボンを注ぐ。中川路は何故かソファーではなく、下に敷いてあるラグの上に胡座をかいてソファー自体を背凭れ代わりにしていた。それが癖なのだろう。


「だってぇ、僕から眼鏡取ったら元気しか残らないんだもん」


 こちらはワインに切り替えた塩野。けらけらと笑って、ソファーの上で転がっている。


「にしてもさぁ、朝霧ちゃん、今頃何やってんだろうね」

「さあな、あれきり会っていないし、まあ忙しいのだろう」


 自分が持ってきた大吟醸を自分で開けて飲み始めている目澤がさらりと答える。


「その、なんでしたっけ、内閣ナントカって何なんスか」

「すっごい怖い人達の集団。怖い人が次から次へと集まって怖いことしてんだ」


 尋ねた相田に、お化け屋敷の幽霊のようなアクション付きで網屋が返し、「マジすかー」「ホントだよ」などと言いながらビール缶を開ける。


「この後すぐに身支度して移動して、何と言うか、あっと言う間に島に着いてたな」

「問答無用と言った体だったな」

「僕なんてさぁ、話聞いたその足で院長に『辞めます』って言いに行って、翌日には日本出てたよ」

「お前、それは速すぎるだろう、いくらなんでも」

「だってぇ、なんか全部お膳立てされてたんだもん」

「そう、それそれ。気が付いたらもう島。地中海。我に返る暇もなし」





 行き先は地中海にある島。それ程度の情報しか開示されないまま、世界各国から研究者達が集められた。第一線を張ることができるだけの実力を持ちながらあまり表には出てこない、そんな研究者ばかりだ。


 その島は、元はもっと小さかったのだそうだ。とある金持ちが買い上げた無人島のひとつで、他にも小さな島が幾つか隣接している。それらを突貫工事でつなぎ合わせ、然るべき施設を建てたのが、この『災害対策機構・研究本部』である。

 かつて飲み込まれた島は丸ごと壁で覆われ、凍結のための機材に囲まれている。小さな旅客機で上空から見るそれは、巨大な墓標のようにも、また、城塞のようにも見える。


 結局、名称は『災害対策機構』というごく簡潔なものになった。極秘であるが故に、国連の名も冠することなく、ただ認識されるためだけの名称になったのだ。

 この組織は四つの班に分かれる。

 まず、原子力Atomic班。通称A班。その名の通り、原子力にもの言わせた研究を行う。だがいわゆる兵器だけではなく、どちらかと言えば分析を担当する方が多かった。

 次に、生物学Biological班。通称B班。中川路、目澤、塩野が所属する班がここだ。生物学としての分析、研究を行う。しかし、こちらの方がA班よりも兵器としての側面が強かった。

 そして化学Chemical班。通称C班。こちらもB班と同じようなもので、分析と兵器がごちゃ混ぜだ。

 最後に兵器Weapon班。通称W班。学術畑の研究者ではなく兵器開発企業の職人が集まる班で、ABC班の研究を具体的な形にする役割を果たす。運用試験のために軍人も所属していた。


 斯様な訳で、島に集まった人間は千差万別だった。ただ、閉鎖された島に籠もったまま研究を続ける都合上、宇宙空間への人員選抜の如く厳しい精神的チェックが行われており、あまりにひどい問題児という存在はいなかった。よく考えれば中川路などは相当の問題児であるような気がするが、要するに、輪を故意的に乱すようなクソ野郎はいなかった、ということだ。



 島の所有者は、例の生物に呑み込まれて死んだ。その経緯も、話さなければなるまい。


 発端は、島の所有者が発見した宝箱だった。

 欧米にはよくいる、海に沈んだ宝物を発見するのが趣味という金持ちだ。専用のクルーザーに専用のスタッフ、ついでに取材のテレビクルーまで従えて、大々的に海中発掘作業を行う派手好き。発見する宝がさらに富を呼び、本人の名声欲も満たされる。発掘はまさに一石二鳥、いや、本人曰く「生き甲斐」であった。


 彼は発掘のために、研究によって割り出した該当箇所周辺の無人島を片っ端から買い取った。その無人島群に必要な施設とスタッフを常駐させ、自身もそこに住んで、楽しく発掘作業を行っていた。

 いくら道楽に生きる金持ち野郎とは言え、今までの実績と分析力は本物だ。彼が目星をつけていたのは相当に古い商船であった。そして、彼の予測は的中した。長年かけて沈んだ船を発見し、そこから多数の金貨、宝飾品、陶磁器、果ては未開封のワインまで引き上げた。

 品々が収められた箱は大半が朽ち、その形状を留めていなかったが、ひとつだけやけに頑丈な箱が存在した。そいつの重量は途轍もなく、地上に引き上げるのに相当の苦労をしたようだ。


 引き上げた後も問題が立ちはだかった。その箱を開けられなかったのだ。その箱だけは年代が特定できず、蓋もなければ鍵もなく、完全に密閉されていたのだ。どうやって密閉したのかも分からない。これは重要な研究対象になるだろうと最初のうちは慎重に調べていたが、しまいに彼は業を煮やし、無理矢理に切断する道を選んだ。


 残された映像を見ている限り、彼の怒りはかなりのものであったようだ。周辺のスタッフが宥めようとする中、バーナーで焼き切ろうとしてまず失敗。機材を投げ捨て、次に出した指示は「超高圧水切断装置を出せ」だった。下手をすれば中身ごと真っ二つ。それでも、彼は中身を見ることを選んだ。いや、箱を開けることに執着した。それが、彼の勝利への道であったから。


 テレビクルーはその様子を事細かに撮影する。セットされる箱。今度こそはと意気込む彼。圧を限界まで高め、射出される水の刃。ダイヤモンドも簡単に切断するはずの切断機は、たかが箱を切り裂くのに随分と時間がかかった。

 それでも、やはり切断に成功したのだ。箱の上辺から下方五十ミリの位置を水平に。蓋のような状態になった切断部分を、男数人がかりで動かす。かなりの重量だ。カメラは世紀の瞬間を映し出そうと箱に近寄る。蓋を開けるというより、横にずらして落としたと表現すべき状態。


 中身は空だった。空のように見えた。思わず覗き込む彼、スタッフ、テレビカメラ。薄暗い箱の中身。

 よく見ると、石のような内壁部分に何かが微かに蠢いていた。それはごく小さな、イトミミズよりも細い、虫のような何かだった。徐々に動き始めるそれ、いや、それらは、一箇所に集まる。身を寄せ合うように。見る間に小さな拳大の塊になる。緑色のような、紫色のような、それでいて肉の断面のような奇妙な色をした塊はぶるりと震え、何かを内側から出した。

 眼球であった。眼球と思わしきものを、塊はその場で作り出した。目蓋はない。肉でできた泡が弾けて、そこから出てきたのだ。眼球はあちこちを見渡し、撮影しているカメラを見つめ、一番近くで覗き込んでいた男、即ち発掘主催者である彼を見つめた。

 次の瞬間。膜のようなものが大きく広がり箱から飛び出した。膜は彼を包み込んだ。いや、呑み込んだと言うべきか。その膜が先程の肉塊であることは、表面にくっついたままの眼球と全体の奇妙な色合いで分かった。

 ぐじゅ、と潰れる音。人間の形に膨らませた風船のようにみえるそいつは、形を変えてゆく。圧し潰している。内側へと。どんどん潰してゆき、直径五十センチ程度にまで縮んだ時点で、隙間のような箇所から赤い血と、緑色の液体が流れ出した。


 ここでようやく、恐怖が爆発した。現実とは思えない光景の中に血という現実が割り込み、人々の意識は正常なところへと引き戻されたのだ。

 絶叫。散り散りに逃げ出すスタッフ。カメラマンも持っていたカメラを放り出して走り出す。

 床に転がされたカメラは、逃げ惑う人々と、その人間達を一人残らず呑み込んでゆく肉塊を映し続けていた。建物の中に人がいなくなると、肉塊は窓を突き破って外にゆっくりと出てゆく。肉塊は最初とは比べ物にならないほど大きくなっていた。巨大になった分、動きは遅くなるようである。

 それから数時間後。建物の外が暗くなる。天気の悪化ではなかった。例の肉塊が、建物ごと呑み込んだだけの話だった。暗闇の中でミシミシと音がして、カメラが圧壊され、映像はそこで途切れている。



 この映像を、DPSのスタッフ全員が最初に見ることを義務付けられていた。恐怖感満点の上に不快極まりない映像であるが、スタッフ達からすればそれは情報の宝庫であった。

 粘菌のようだ、と中川路は感じたし、筋組織ではなさそうだ、と目澤は分析し、捕食する本能はあるのだな、と塩野は認識した。

 粘菌に似ているのなら他の類似性はどうか。筋組織でないのならばその伸縮性と圧力はどこからくるのか。捕食する対象の選別根拠は何か。映像から大量に提示される謎。

 各研究者達は映像から受ける所感をとにかく文章にしたため、食堂の近くに設置された掲示板に貼り付ける作業から始めた。


 斯様な訳で、中川路は掲示板のレポートを眺めてから、到着初日の昼食を食堂で取ることに決めたのだ。

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