22-6
世界各国の代表的な食事を満遍なく揃えた、というのが、その食堂の謳い文句であった。ビュッフェスタイルなのはまあ、オリンピックの選手村などがそうであるからなのだろう。
中川路はなんとか定食的なものが構築できないかと考えた。白米、サラダに青椒肉絲とトレーに並べてゆけばほら、そこそこに定食っぽい感じだ。これでトドメに味噌汁を加えれば完璧。さてどこだとスープ類の食缶を覗いてゆくが、味噌汁が見当たらない。どこにもない。
「あっれー……ないのか?」
ほぼ同タイミングで、同じような状態になっている人間が一人いた。スラリと背が高く、日本人と思わしき顔立ちのオールバックの男性。ふと目が合って、思わず頭を下げ、その行為によって互いに日本人だということを悟る。
「味噌汁、無いですよね」
「見当たらないですね」
「聞いてみます? 念のため」
すぐ側が厨房だ。一応カウンター的なものがあるので、二人揃って雁首並べて覗き込む。
「すみませーん、日本食のスープって無いんですかー」
中川路が呼びかけると、中からアジア人のコックが顔を出した。名札には日本人の名前。
「は? 特に必要ないだろ?」
「いや、味噌汁は必要だと思うんだけど」
「なんだよミソシルって」
「日本食のスープつったら味噌汁でしょ」
「あー、分かった。次から考えておくよ」
「いや次っておかしいだろ、アンタ、本当に日本食の担当?」
「そうだけど。何か文句でもあるのか」
互いに微妙な空気が漂う。おかしい、何かずれている。さてどうしたもんかと眉を少しひそめた時、隣から誰かが割り込んできた。
「ねえ料理人さん、貴方、日本人じゃないでしょお?」
眼鏡を掛けた東洋人の短髪の男性だ。自分のトレーをカウンターに放り出して、身を乗り出し気味にしながら、しかし表情は笑顔。
「日本に住んでたことはあるけど短いね。うーん、半年未満ってトコかな? 日本食のコックと言い張って今まで上手いことやってきたみたいだけど、ここじゃ無理だよ。いい、よーく覚えておいて。この名札を付けてる人間の前では、嘘はつかないこと。酷い目に遭う前に、オウチに帰った方が良い」
相手によく見えるように指差してみせる名札には、『Biological Team/Psychiatry』とある。
「何を根拠に、お前」
「発音。イントネーションが広東語強すぎるよ。それよりなにより、味噌汁に対する理解がないなんて致命傷だね。せめてもうちょっと日本食を調べてから日本人を名乗るべきだったなぁー。まあご丁寧に日本人っぽい偽名までつけちゃって。残念、ズサンにも程がある」
眼鏡の男は人差し指でコックの胸の辺りをトントンと突いた。
「はやくオウチに帰って、ママのオッパイでも吸って泣きついておいでよ。ね?」
煽られたコックは顔を真っ赤にして、眼鏡の男の腕を掴む。そのコックの腕を、背の高い男が更に掴んだ。特に何かしたようにも見えなかったがコックは大声を上げて痛がる。開放された眼鏡の男が一歩引いた。
「ごめんなさいね、煽りすぎちゃった」
「いや、こちらも溜飲を下げることが出来たから」
微笑みながら返す高身長。しかし手を離してはいない。軽く握っているようにしか見えないのだが、少し動かしただけでコックが悶え苦しむ。
騒ぎを聞きつけ、W班と警備を兼任している連中が顔を出す。
「あのねぇ、この人、クビにしといてね! あと、研究スタッフ以外もちゃんとチェックしなきゃダメって上に言っといてーよろしくー」
ばちこーん! と自分で効果音を付けてウインクしてみせる眼鏡の男。警備隊は彼の名札を見て、了解ですと返した。
憐れなるかな、安定した職を得たはずのコックは一瞬にして正体を暴かれ、その後の行方は分からない。
一時騒々しくなった食堂も落ち着きを取り戻す。カウンターに残された日本人三人はふう、と溜息をついて顔を見合わせた。
「味噌汁はしばらく諦めないと駄目かぁ」
「自分で作る、とか、どうっしょ」
「自作か……材料は輸入と言う形になるのか?」
クソ真面目に回答され、中川路は耐えきれず噴き出した。
「新しい料理人が来たら何とかなるだろうから、それまで待つよ。流石に材料輸入ってのはなぁ」
「いや、できるらしいよ。こっちから外に物を持ち出すのは厳禁だけど、外からこっちに持ってくる分には結構ユルイって聞いたー」
「本当か? だったら餅とか持ってこれるのか」
「出た! サイレントキラーこと餅! おいしいよね餅! お正月にはお雑煮食べたい!」
気が付けば下らない話をしている。しかも日本語で。基本的には英語で生活するのがここの組織における暗黙の了解になっていたのだが。
「とりあえず、テーブル行ってメシ食いながら話さないか?」
中川路の提案に、残りの二人は笑顔で応えた。
これが、中川路、目澤、塩野の出会いだ。
聞けば同世代。しかも同じ日本人。つるむようになるのに時間はかからなかった。
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