22-4

 最後に塩野だ。


 当時の彼はアメリカから帰国して一年も経っていなかった。『脳外科学的見地からの解体技術研究』のために日本に帰ってきたのは良かったが、この国はどうにも洗脳・解体技術に対して嫌悪感を抱きがちだ。悪い意味での保守的な体質が、ケレン味の強い内容に拒否反応を示すのだろう。

 どこの病院も大学も研究機関も、解体屋という胡散臭い職業を根本的に認めようとはしなかった。心理学の主流から外れた質の悪いペテン師。それ程度の認識。


 やはり北米で活動した方がマシだったろうか。それとも、普通の精神科医として息を潜めているのが正解なのだろうか。塩野らしからぬ弱気な状態に陥っていた時、現れたのが朝霧であった。



 都内のとある病院。塩野は非常勤の医師として勤めていた。有り体に言ってしまえばアルバイトだ。

 その病院もやはり解体屋に対しての理解はなく、塩野は仕方なしに『塩野が解体屋であるという情報』を関係者から根こそぎ消去してから平気な顔をして働いていた。

 次の病院を探そうか。それとも研究機関の方が良いだろうか。いやいっそ警察や公安、自衛隊関連を探ってみようか。少なくとも、ここは長居するべき場所ではない。それだけは確かだ。



 その日は仮眠室で堂々とサボっていた。片付けるべき仕事はもう終えてしまったし、できれば静かな所で今後の進路など考えていたかったからだ。ベッドの上に転がって天井を見つめながら、頭の中にずらりと並べた研究機関のリストをひとつひとつ確認してゆく。

 そろそろ、都外に目を向けるべきか。都内にこだわる必要性はないだろう。いや、それを言ってしまうなら国内にこだわる必要だってないはずだ。しかし、脳外科学を絡めて考えるなら外せない。さて、どうする。


 と、その時。ドアをノックする音。使用中の札は掛けておいたはずなのに、無粋な奴もいるものだ。仕方なく「はぁい」と返事をすると、遠慮なくドアが開いて一人の男が入ってきた。


「失礼します、塩野先生」


 リハビリセンターの理学療法士である「はずの」人物、朝霧。何か書類を片手に、彼は静かにドアを閉める。


「あれー? 今日は隠さないんだ?」

「……塩野先生にはやはり、隠し立てはできませんね」

「そりゃそうさぁ、それでオマンマ食べてるんだもん。でも、朝霧ちゃんの気配の消し方は凄いと思う。僕もね、時々、君のこと忘れちゃうくらいだから」

「恐縮です」

「まあ医療関係者じゃないのは分かってたけどもー」


 気配を限りなく抑え、どこまでもその場に溶け込んでいた朝霧であったが、塩野は彼の違和感に気付いていた。


「だってさぁ、体つきが根本的に違うもん。戦闘のプロ! って感じ。筋肉の付き方がさ、鍛えたやつと実戦のやつ両方混じってんのね」

「着眼点はそこからですか」

「うん。見るトコはどこでも見るの。やっぱこう、気配を消すって言うか、一般に溶け込むって言うの? それって筋力大事なんだなぁーって思った。微妙な猫背を保つのだって大変でしょ?」


 朝霧はごく僅かに苦笑いを浮かべた。本当にごく僅かな動きであったので、普通の人間なら分からない程度である。同時に背筋が伸びる。身長の印象が変わる。


「あ、えっとさ、答え合わせさせて! んっと、警察にしちゃ筋肉の付き方がなんか違うでしょお、自衛隊……ううーん、自衛隊の人がこんなとこに潜入して、何かメリットあるかなぁ……日本以外の軍隊さん?」

「違います」

「うーん外れた。スパイとか?」

「近いです」

「おっしゃ近付いた。んっと、んっと……んー……分かんにゃい! 降参です、教えて」

「『内閣戦術諜報ユニット』C.T.I.U.です」

「わっかんにゃい! 初耳!」


 仮眠用のベッドに大の字で転がってじたばたと暴れる塩野。


「覚えとく! 心の中のメモ帳に油性ペンで書いといた! C.T.I.U.ねえ、ホント聞いたことないや」

「ご存知であったとしたらこちらが困ります」

「なるほど、そういうところなのね。で、そんな立場の人がどうしてこんな病院に潜入して、なんで僕なんかに正体を明かしてるの?」


 体を起こして尋ねる塩野の表情は、既に笑顔が消えている。朝霧は常人であれば慄くほどの醒めた視線を真っ向から受け止め、見返した。


「『解体屋デプログラマー』であるドクター・塩野。貴方に、依頼したい案件があって参りました」

「僕の本職知ってて言ってんのかぁ……え、解体屋の存在を認めるってことは、国のなにがしかじゃないの? そんな胡乱なやつなんぞ認めないってのは日本の鉄板でしょ」

「この話は国連からの依頼を受けて発令されたものです。国連に所属している全ての国家において同時にプロジェクトは進んでおり、かつ、緊急を要するものです。あとこれは蛇足ですが、我々は手段を選びません。他者への認識に於いても」

「解体屋をペテン師とは呼ばない、少なくとも君達は。ってことでいいのかしらん」


 朝霧は小さく頷くだけ。たったそれだけであったが、彼は塩野の信頼を勝ち取った。


「んで、依頼? 誰か壊すとか、それとも再構築? 上書き?」

「全てです」


 差し出す茶封筒。塩野は受け取るなり中身を取り出し、眉根を寄せる。国連超常災害対策機構という名称も、塩野にとっては知らないものであったからだ。

 この後に受けた説明はやはり中川路や目澤と同様であったため割愛する。そして、同様であったために尚更、塩野の疑問は膨れ上がった。


「そんな組織に、僕が参加して何か役に立てるのかなぁ……」

「資料の最後から三枚目をご覧下さい」


 言われるままにめくり、記載された報告を読む。ますます塩野の眉根が寄った。


「発狂?」

「そうです。対象に接触した人間は、低確率で発狂する。原因は不明。回復は見込めない、というのが現在の精神医学界が出した結論です」

「……よく分かんない生物、っつうかよく分かんない物体、であるにも関わらず人間が発狂するということは、人間の五感に作用する何かがあるってことか」

「そうです。現象がそこに存在している限り、こちら側からの干渉も可能であるはずです。塩野先生には発症者の治療、関係者の保護、及び対象の解体を依頼したい」


 思わず塩野は口笛を吹いた。まるで出来るのが当たり前のように、この男は言い切ったからだ。


「解体って、大きく出たねぇー! これ、生き物かどうかだって怪しいんでしょお?」

「塩野先生のお言葉を、信じておりますので」


 しれっと言ってのける朝霧。目が点になる塩野。


「……『眼の前にいるのなら、何者でも解体してみせる。自分に認識できる存在であるのなら、それは相手が五感という檻に囚われている証拠だ。たとえそれが神であろうが仏であろうが、五感を有している限り必ず、殺せる』」

「それを持ってくるかぁー……ううーぅ、恥ずかしい、とびっきり恥ずかしい発言チョイスされたーぁ」


 再びベッドに転がり、恥ずかしさのあまりごろごろと転がる。ご丁寧に眼鏡を外してから顔を覆い、もう一回「ひゃああ」などと言いながら。思う存分恥ずかしさを堪能してから塩野は動きを止めた。


「僕以外はどんな人が来るんだろ」

「残念ながら、塩野先生にお願いする部門に関して、自分の担当範囲内では該当者が存在しません。他国に関しては我々の管轄から外れますので、結果は分からない状態です。他県で活動している者からの報告もありませんし、日本人で生物学班精神学部門に抜擢されたのは塩野先生だけだと考えて頂いた方がよいでしょう」

「そっかあ。まあ仕方無いねー。他の部署に日本人いるだろうから、その人達とニホンゴ喋ろっと。やっぱさぁ、母国語は定期的に喋りたいじゃない? 恋しくなるって言うの?」


 むくりと体を起こし、眼鏡を掛け直してから、塩野は笑顔を浮かべた。偽りではない、屈託のない、笑顔を。


「その依頼、受けるよ。一世一代の大仕事、ここで受けなきゃ眼鏡が廃るってね」

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