21-7

『殺すの、研究員の方はいいんだけどさ、あれって軍人さんもちょっと関わってたりしたじゃない。そっちが大変。W班の人達も抵抗凄くて。あと、大変なの代表はやっぱ君と、目澤と塩野だよね。なんでそんなに抵抗するのさ? そろそろ諦めてほしいなって』

「諦める?」

『うん。中川路も目澤も塩野も、まあみんなはDPSの研究を悪用してないから目こぼししてきたけどね。でもさ、やっぱり、アレに関わってた人間は存在してちゃいけないよ。生きているって時点で駄目だよ。あの研究を悪用しないとは限らないじゃないか。だったら根底から断った方が絶対いいって』


 急ぐのだったら徒歩より車か電車を使った方がいい、程度の物言いだ。殺そうとしている相手に告げることすら、彼の中では何ら不思議なものではない。ごく当然のことを、ごく当然に話しているだけ。


「根底から、断つって……仲間をそんな、簡単に殺すのか」

『うーん……仲間……仲間、ねえ。あんまり仲間だって考えたことはなかったなあ。基本的にみんな嫌いだったし。あ、一番嫌いだったのは中川路、君だからね。最初っから大嫌いだった。初めて顔を合わせたときから、ずうっと。今までずっと気付いてなかったのが不思議なくらいだ』


 中川路が衝撃を受けていることに市村は気付いた。故に、放つ言葉は棘を含む。声色にほんの僅か、蹂躙する者の悦楽が混ざり始める。楽しんでいるのだ、市村は。


『でもね、中川路は私のことを友人として扱ってくれただろ? だから、中川路だけは殺さないであげようかなと考えているんだよ。依頼した人が迂闊に殺してしまわないように、ちゃんと付加価値も付けてあげたし。まあ、情報は不完全だから殺そうとする連中も多いだろうけどね。賞金額、大目にかけてるから』


 自分の言葉のどこが面白かったのか、市村はくすくすと笑う。堪えきれなかったのだ、笑いだしてしまうことを。笑いながらも市村は喋り続ける。楽しくて仕方ない、そんな感情を隠しもせず。


『それでもし死んでしまったら、それはそれで。そこまでだったってことで。生き残る可能性を増やしてあげただけでも感謝してもらいたいな。ね?』


 悪意に満ち満ちた、笑い声。まるで呪いをかけられたように、その場にいる全員の顔が苦渋に歪む。


「……もしかして、細菌の抗体云々って情報を流したのは」

『私だよ。実際そうでしょ? 君が作り上げた細菌だものね。あの現場でたった一人生き残った奇跡の研究者、誰も知らない救世主。世界を救ったのは君だ、中川路、君なんだ。でもねえ……救世主なんて、世界が平和になってしまえばもう要らない。強すぎる力なんて、そんなのは重荷でしかない。欲しがるのは厄介な連中だけだよ。軍事産業やら犯罪者集団やら……』


 それに関しては中川路自身が一番良く分かっていた。分かりたくもなかったが。望んで得た結果ではないが、群がってくるのは碌でもない奴らばかりだ。


『みんなさ、中川路のことだけは生かそうとしてくれるでしょ? 利用価値がある、死なせるには惜しい、兵器開発の材料として手に入れたい。躍起になって君を狙う、殺さないように。中川路が研究を悪用しなくても、悪い虫はいくらでも湧いてくる。私がテコ入れしなくたってこうなってたはずさ。やっぱり、存在していてはいけないんだ。あの研究も、研究員も、組織に関わった人間は全て消えるべきなんだ。あの研究を調べようとしている人間なんて言語道断だよ』


 調子よく喋っていた市村であったが、ふと、言葉が淀んだ。


『……まあ、あの、相田さんだっけ。あの人達に悪意がないのは、その、取材の時に話を聞いていて分かったけれど』


 相田が顔を上げる。憎しみのこもった視線が、市村の声に突き刺さる。全力で歯を食い縛っている、怒りの遣り場を見失ったまま。


『だけど、あの人達は知っちゃいけないことまで知りすぎた。一般の人がそこまで調べるとは思ってなかったんだ……これに関しては私も反省してる。相田さんのご家族には、申し訳ないって伝えて欲しい』

「申し訳ない、じゃないだろう! お前が殺したことに違いはないんだからな……!」


 塩野は思わず目を伏せた。市村は心から反省し、謝罪を述べているからだ。形容しがたい怒りが体内を埋め尽くすが、やはりこちらも遣り場はない。反省しているということは、市村が手をかけたという紛れもない真実を示してもいる。

 嘘であってほしかった。せめて、中川路に対するやっかみ故の発言であってほしかった。ただ困らせようと、子供のような意識ゆえの。

 そこまで考えて、塩野はかつて己が放った言葉を思い出した。


 ――――僕達を弄ぶことで得られる、いや、殺すという元来の目的を果たさなくても得られる、優越感。それが目的なんだろうか。


 悲しいかな、この予想は的中していたのだ。これ以上無いほどに、真を捉えていたのだ。だがもう遅い。間に合わない。


『……そうだね……だから、早く終わりにしよう。やっぱり急がなくちゃいけない。君も、私も、だらだらと生きていてはいけない。大丈夫、全部終わらせたら私もすぐに行くから』


 嘲笑の気配が消えた市村の声はやはり酷く穏やかで、まるで悟りを開いているかのよう。


『第一、これ以上生きていてどうするのさ? 中川路……こんな世界、君にとって意味なんて無いだろう? 国岡さんの居ないこんな世界なんて』

「お前に何が分かる!」


 今までは唸るように声を上げていた中川路がついに声を荒げた。が、叫びは届かない。市村の耳に入らない。聞く気など無いからだ。中川路の言葉を理解する気もないからだ。


「月子さんがもう居ないなんてことは分かってる! それでも、俺は生きていくと決めたんだ、それでもだ! それをとやかく言われる筋合いは……」

『ああごめん、充電が切れそう。また今度、落ち着いて話をしようよ。そっちも忙しいでしょ? 時間作って……ああ切れちゃう、じゃあ、またね』


 ぶつり、と無機的な音と共に通話は一方的に終了した。

 後に残された、無言の男達。糸が切れたように椅子へ座り込む中川路。口を塞いだままの塩野。その塩野の肩に手を置いたまま動けない目澤。相田の両腕を抱え込むように背後から掴んでいる網屋。そして、今にも飛びかかりそうな相田。


 何もできない。何も。ただ彼等は黙って、そこに居るしかできない。

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