19-2

 講壇から降りた塩野は舞台袖ではなく、そのまま講堂の端へと移動した。


「シグルド君、どう?」


 金髪の青年の元へと一直線に駆け寄る。あえて日本語で呼びかけるのは、周辺の学生にあまり事態を悟られたくないからだった。どこかに電話をかけていた青年、シグルド・エルヴァルソンは手短に要件を済ませると通話を切り、顔を上げる。


「去年、初めてお会いした時のこと、憶えてますか」

「うん」

「あの時取り逃がした男がここにいます」

「……あの人か。確か、クリストファー・ボーグナインっていったよね。顔におっきい傷のある人」


 二人は足早に講堂から出る。


「学生を装った兵隊を二名確認。薬か何かで錯乱したふりをしていました。これで終わりということはないでしょうね」

「無差別に巻き込むのも厭わない、か……後処理を楽にしようって考えは、日本でもこっちでも同じってことだねえ」


 普段は軽口を叩いてばかりの塩野だが、この時ばかりは真剣な顔だ。予想していた事態とはいえ、流石に命の危険を感じている瞬間に余裕を得るのは難しい。


 塩野は今回の渡米に際し、網屋を通じて佐嶋達に連絡を取っていた。単独で渡米する以上、網屋まで付いて来てもらう訳にはいかない。網屋がいない状況で何かあったとしても、中川路と目澤なら自力で対処できるかもしれない。が、それならば北米にいる人間に護衛を頼む方が確実だし早かった。

 しかし、佐嶋達も賞金稼ぎという職業柄、全員がカリフォルニアに向かうという訳にもいかない。それぞれに追う対象があるし、捕縛に至るまで短期決戦で収まるものでもないのだ。地道な下調べと根気のいる追跡、さらには保釈金逃れベイルジャンパーだけでなく凶悪犯罪者の追跡まで加わってしまうと、簡単に手が空くような状況は作れない。

 塩野にとって幸運だったのは、シグルドが丁度よく一仕事終えた後だったということだ。二つ返事でこのシグルド・エルヴァルソンが護衛を請け負い、他のメンバーも手が空き次第協力する手筈になった。


 そして案の定、塩野を狙う人間が現れた。しかも、随分と厄介な相手が。


「我々から離れた場所での一般市民巻き込み、はないですかね?」

「多分無いね。僕らを狙ってる連中の目的は『恐怖を与えつつ殺すこと』だけど、同時に余計なことを嫌う傾向もある。矛盾してるけど、まあ人間相手だから仕方ないね、よくあることだね。どこまでも狙いは僕だ。それ以外は必要がなければ狙わない」

「その論理で言うなら、俺は狙われるということか」

「んだね。僕を殺すにはこの上なく邪魔な存在だからねぇ、狙われちゃうよね」


 せわしなく言葉を交わしながら、二人は人気のない方角へと向かう。余計な犠牲者を出したくないからだ。


「お相手さん、相当僕らのことナメくさってるよね。講演のドンケツのあの辺、壇上から見てたけどさぁ、僕に銃口向けもしないで引っ込んじゃったんだよーあのオッサンー」

「まあ、寧ろそのおかげで助かりましたが。狩りを楽しむつもりなんでしょう、奴らは」

「うっひゃあー! 狩り! 僕ら狩られる側! やだァー!」


 喋りながらも塩野の視線は素早く辺りを見回し、奥まった位置にある建物を見つけ出す。


「シグルド君、あれ。多分使われてない」

「ですね。人間が出入りした形跡が極端に少ない」


 それは小さな体育館だった。随分と古ぼけ、高い位置にあるガラス窓は鈍く曇っている。壁面の木材が所々剥がれ、ヒビの入ったコンクリートが隙間から見える。

 扉には南京錠が掛けられていたが、シグルドがポケットから取り出したピンであっと言う間に解錠してしまった。錆びついた閂を開けて中に入れば、床に積もった埃に足跡が残る。

 内部は体育館というより用具置き場と化していた。古い道具は埃とカビの臭いがする。それこそ適当に端から詰め込んでいったようで、奥の方は古ぼけたバスケットボールやラグビーボール、得点板やモップなどがごちゃまぜになって置いてあるが、扉に近い手前の方は物があったりなかったりと言ったところだ。

 状況から鑑みるに、追跡者が内部で待ち構えているという可能性は低いだろう。


 塩野は壁に寄りかかると、軽く溜息をついた。


「さぁて、どこからどんな風に狙ってくるのやら」


 シグルドに冗談めかして尋ねてみるが、当のシグルドは先程よりも表情が険しくなっていた。ほんの僅かだが妙な音がするのだ。壁の向こう側から、風を切るような、それにしては変に重い音が。音の正体に気付いた瞬間、シグルドの血の気が引いた。


「……伏せて!」


 咄嗟に塩野の頭を掴み、無理矢理に押し下げる。ほぼ同時、塩野の頭があった辺りの壁が爆ぜた。身を伏せた二人の背中に、破壊された壁の破片がいくつも落ちる。

 壊れた壁から覗く、金属製ハンマーのヘッド部分。シグルドが聞いたのは、このハンマーを振り回す音だったのだ。何回かハンマーが動いて、壁の穴がみしみしと軋む。壁にめり込んだハンマーを引き抜こうとしているのが分かる。

 塩野の視線が壁へ向き、その後すぐに出入り口へと向けられるのを見て、シグルドはすぐに察した。ここから逃げ出すのなら、今しかチャンスはない。


「このままで。誘い込みます」

「ん、分かった」


 言葉は少ない。二人とも最大限に互いの意図を読み合っている。故に、言葉は可能な限り削ぎ落とされるのだ。

 塩野は少し移動して壁際から離れる。障害物があまりない、空間が開けている場所を選んだ。その気になれば扉へと一直線に走って行ける位置だ。

 シグルドは手持ちの武器を確認。いつも通りのSIG/SAUER P229が二丁。弾倉はホルスターのポーチと、衣服のポケットに入っている。スローイングダガーが四本。最初の男が持っていたバタフライナイフが一本。

 周辺にはボールの類があり、アメフトの道具があり、ダンベルがばらばらにされた状態で転がり、長いモップ、さらにはアーチェリーが打ち棄てられていた。いいものがあるじゃないかと思ったが、肝心の矢が無い。弓本体もどれくらい劣化しているか。弦に至っては言うまでもない。


 そうこうしているうちに、ハンマーが壁から抜けた。開いた穴から相手の顔が覗き込む……などということは無かった。ここで往年の恐怖映画のような演出でもしてくれれば、その顔面をブチ抜いてやれるのに。シグルドは内心で呟く。

 塩野の頭があった位置を正確に撃ち抜いてきたことといい、馬鹿丸出しの余計な行動をしないことといい、そこら辺のチンピラや不良崩れやゴロツキではない。行動不能にしてやった先の二名もそうだ。偽装しているがその実、高度な訓練と教育を受けた専門家。


 体育館の扉が音を立てずに開き、一人の大きな白人の男が入ってくる。濃い色の長い金髪を無造作に撫で付け、無表情のまま扉を後ろ手に閉めた。

 片手には例のハンマーがあった。いわゆるスレッジハンマーというやつだ。一般的なものに比べ少し大きめであり、その分重量もあることが窺い知れる。音もなくそれを壁に立てかけると、羽織っていた上着を脱ぐ。中からは筋骨隆々たる肉体が現れ、先程のハンマーの威力を指し示していた。


「……何の用だ」


 試しに聞いてみるが、返答はなかった。ただ黙ってスレッジハンマーを持ち直し、塩野と、そして問いを発したシグルドを見る。


「貴様は護衛か」


 シグルドの質問には全く関係のない言葉であったが、それでも、彼が何者かを察するには十分すぎる内容だった。


「そうだ」


 たった一言の返答。ハンマーの男はごく薄い笑みを浮かべた。その、瞬間。


「ごめん、シグルド君」


 張り詰めた空気に割り込んできたのは塩野だ。あえて日本語で話し続ける。


「この人、該当者だ」


 塩野もシグルドも、男から視線を離さず、しかし一瞬だけ目を合わせた。


「打ち合わせ通りにお願い」

「きっついなぁ……やれるだけやってみますが、希望通りの結果が得られなかった場合は申し訳ない」

「いや、できればでいいから。該当者であることは間違いないんだ、何がしか得られれば御の字さ」


 男は二人を交互に見て、「話し合いは終わったか?」と問う。問いに対し、塩野は西海岸訛りの英語で「そりゃあもう、ばっちり」と返す。


「僕らの大勝利で終えるための打ち合わせ、完了だよ」

「そうか」


 そっけなく一言返し、長柄のハンマーを短く持つ。そのまま男は塩野に向かって走り出した。が、男の足元に撃ち込まれるダガーが一本。ただの牽制弾だが、男の視線を塩野から逸らすには十分すぎる。


「お前さんの相手は、俺だよ」


 シグルドの言葉が終わらないうちに、男はハンマーを振りかぶった。風を切り、音を立てて振り下ろされるスレッジハンマーの頭部を引いて避け、二撃目も軽く上半身を捻って避ける。

 速い。ヘッド部分の重みと柄の長さ、さらに男の体格から受ける印象からは想像できないほど速い。だが限界はある。大きく振りかぶる都合上、それは仕方のない事だ。その隙を見て銃を撃つことができれば良いのだが、そうもいかない。

 事前の打ち合わせで、既に話は聞いていた。故に、シグルドはおいそれと銃弾を放つ訳には行かなかったのだ。

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