19-3

 塩野医師曰く。自分達を狙う人間は高確率で『キャンディ常習者』である。そして同時に、高帆という解体屋が仕掛けた『地雷』が埋め込まれている。解体屋の扱う地雷である、当然それは『精神攻撃を時限式に発動させる暗示及び洗脳』のことだ。

 キャンディの摂取期間が長ければ長いほど、確実に地雷は設置されている。


 そもそも、『キャンディ』を摂取している人間自体が極端に少ない。ごく一部の人間だけがその存在を知っており、世間一般に流通しているものでもない。ここ最近になってようやく認知されてきたものの、実際に『キャンディ』を売り買いした人間はほとんどいないのだ。いつぞやのシグルドが来日した事件は相当に稀なケースであり、それ故に、日本の公安が躍起になりつつもニューヨーク市警察の介入を許す形になった。

 これらの事実から推測できるのは、『キャンディ』が希少価値の高い薬物であり、生産はごく僅かであるということ。

 次に、『キャンディ常習者』の大半が医師達の襲撃犯である。さらに付け加えるなら、『キャンディ常習者』はやけに強い人間が多い。隊長クラスであったり、戦闘能力が突出していたり。


 ここで、仮定の話だ。

 元締めもしくは生産者は、ごく身近な人間にしか『キャンディ』を与えていないのではないか。さらに想像力を働かせるなら、なにがしかの団体が存在し、その幹部のみに与えられるものであったとしたらどうだろうか。そう考えると、いくつか辻褄が合う。


 それらを踏まえた上で話を進める。

 『キャンディ常習者』が高帆による地雷を埋め込まれている理由、それは情報漏洩の阻止だ。情報を引き出そうとするとその途端に自殺する。相当に強力な地雷であり、簡単に外すこともできない。外すとしても結構な時間がかかるだろう。

 常習者は同時に戦闘員でもある。医師達、いや、元DPSメンバーを殺すために容赦のない暴力を用い、それに対し三人の医師達は網屋という暴力を持って抵抗している。暴力には暴力をぶつけるのが最も手っ取り早いし、確実性も高い。

 相手だってそれくらいは把握しているだろう。いや、学習したと言った方が良いのかもしれない。これで学ばないような相手なら、今頃決着なんぞついているはずだ。


 塩野はこう続けた。

 高帆さんならこう考えるだろう。仕掛けた地雷がぎりぎりのタイミングで発動するようでは遅すぎる。もっと確実性を得るためには、望ましくない状況、即ち『生きたまま捕らえられる』という状況になる前に発動させねばならない。

 さあ、生きたまま捕らえられる、そんな状況になる前なんてのはどんな状態だ。戦闘に負け、こっぴどくやられているはずだ。こっぴどくやられるということは、少なからず負傷しているはずなのだ。


 痛み、だよ。塩野は強調して続ける。

 痛みが、必ずそこにはある。一般的に暮らしている人間ではなかなか体験できないような、強烈な痛み。僕なら、それを引き金にする。相手が暴力を用いると分かっているのなら、それを逆に利用してやれば良いのだ。

 見た目が分かりやすいともっといい。致命傷を受けたと嫌でも分かる状態、例えば、被弾。刃物による裂傷。爆発による火傷。鈍器などの打撲による骨折。攻撃を受け、致命傷を与えられたという認識そのものが引き金になる。地雷の上に足を乗せた状態、とでも言った方が近いだろうか。そこに『情報漏洩の危機』という状況が加わると地雷が爆発する。


 だから、情報を持っていそうな人間、即ち『キャンディ常習者』に対して銃を使わないで欲しい。できれば、の話だけど。


 そう言って笑う塩野の顔は、苦笑の形になっていた。




 さて、銃を撃てないのならどうするか。全力でぶん殴って気絶させても、一時的に動きを止めることはできるだろうが地雷の第一歩を踏んでしまう。あまり極端な痛覚を与えなければ良いのだから、押さえつけるくらいなら問題はないだろう。ならば、どこまでなら安全圏か。身の危険を認識させない程度の痛みに抑えるには……。

 ハンマーが振り下ろされる、それをまた避ける。上手く相手の得物を利用できないだろうか。ハンマーの柄はそれなりの長さがある、あれで押さえつけることができないか?

 いや、このまま体力切れを狙うのもアリか。あれだけの重量をこの速さで振り回しているのだ、いつまでも続くものではあるまい。根比べならまあ、やれと言われればやるさ。消耗が進んだ所で転ばせてやればいいだろう。問題は、こいつの持久力がどれくらいあるのか……。


 と、そこまで考えた時だ。ハンマーによる猛攻がふと、止まった。今までは、振り下ろすハンマーヘッドが床に着く前に男は腕を翻していた。しかし、最後の一撃は床に激突したのだ。

 まだ体力を消耗しきっているとは思えない。実際、ハンマーは木の床にめり込むほど強力に撃ち込まれており、男の表情にも疲労の色はない。

 だが、男は柄に両手を置いて大きく息をついた。


「やはり、こちらでは駄目か」


 片手でめり込んだハンマーを引き抜く。そして、ハンマーのヘッド部分が下に向いた状態のまま、柄尻を真っ直ぐにこちらへ向けてきたのだ。ハンマー部分に近い右手は低く、左手は柄の半ばで添えられている。例えるなら、ビリヤードのキューを構えた状態とでも言おうか。

 シグルドは、その一見奇妙にも思える構えから。塩野は、男の表情から。二人はほぼ同時に、男が変化したのを瞬時に悟った。


「……シグルド君、まずい!」


 思わず塩野が叫ぶ。塩野の警告を聞くまでもなく、シグルドは横に飛んだ。動きを見ている暇など無かった。ついさっきまでシグルドの胴体があった場所に高速で突き出される、スレッジハンマーの柄。シグルドのジャケットの裾を掠め、布と木製の柄がぶつかり合って空気が破裂したような音を立てた。その速度のせいだ。

 横っ飛びに飛んだシグルドはそのまま床に転げ落ち一回転する。次の瞬間には柄の先端が床を穿つ。辛うじて回避に成功すると、シグルドは床に落ちていた何かを掴んで素早く立ち上がった。今度は束ねた髪に突き出された柄が掠める。間一髪、としか言い様がない。


 速い。先程までとは比較にならないほどの速さだ。ハンマーのヘッド部分を下にすることで重心を安定させ、左手で支点を固定。素早く突くことに特化したスタイルこそが、この男の真骨頂であったのだ。

 立ち上がったシグルドに対し、わざわざ待ってやることなどしない。体勢を整えてしまう前に決着をつけるべく、男は攻撃を繰り出した。が、高速の二連撃は重く乾いた音に阻まれた。

 シグルドの片手に金属製の棒が握られていた。正体は分解されたままのダンベルである。体育館の床に放置されていた柄の部分を咄嗟に拾い、この棒で防御したのだ。柄の部分だけとは言えど、それなりの重さと硬さがある。相手のハンマーは一メートル強。対してこちらは約五十センチ。相手の攻撃方法が『突き』であるが故に、長さの差があれど防御できないわけではない。いや、とりあえず防御出来るだけの硬さがあれば良い。


 そして何より、落ち着いて考える暇など与えてはくれない。見てからでは遅い。空気を切り裂く音と筋肉の動き、視線の向かう先、あと、勘。得られる情報全てを総動員して予測し、弾き、いなす。

 突きの威力は相手の筋力に加えハンマー自体の重み、さらに速度が加わって驚異的なものになっている。直撃を受ければただで済むはずがない。


 もう一本拾っておけば良かった。シグルドは内心でそう悔やむがどうしようもない。それほどまでに相手の猛攻は激しく速い。どうにか片手で対応しているが刺突の速度はますます増し、攻撃を受け止める右手は衝撃をもろに受けて痺れ始める。


 どうする、もう一本拾うか……?

 意識が一瞬だけ、逸れた。次の瞬間、殺意の塊のようなもの。下だ。下方からぶつかってくるそれを感知する。突然冷水を浴びた時のような、己の意識が全てそちらに引っ張られるような、嫌な感触。

 突きではない。下がったハンマーヘッドが、突きの勢いを殺さないまま振り子のように跳ね上がるのだ……と、シグルドは頭の片隅で認識する。

 左手の支点から梃子の要領で重量に任せて振り上がる。当然のように速いそいつは、自分の膝を狙って激突する寸前。間に合え。間に合うか。僅かに引いた足、スレッジハンマーのヘッドがスラックスを掠めて、まだ止まらない。膝が駄目なら、胴体。それほどまでに速いのだ。


 シグルドは判断する。回避は間に合わない。右手に握った柄に左手を添えて、高速で打ち上げられるハンマーヘッドを受け止めた。金属同士がぶつかり合い、火花が散る。耳をつんざくような衝撃音。

 ヘッド部分に自分の持っている柄を引っ掛ける。そのまま強引に上へ捻り上げる。体勢を崩し、ハンマーを取り落とすのを狙ったのだが上手くは行かない。今度は相手の右足が跳ね上がり、自分の側頭部を狙いに来るのが見えた。しゃがみこんで回避、同時に足払いを仕掛ける。相手が後転で距離を取る。


 互いの距離が空いたことによって、短い膠着状態が訪れる。ゆっくりと立ち上がり、構える。きっと、次で決着がつく。いや、決着をつける。


 同時に一歩踏み出した。

 突きで来るか、それとも下からの振り上げで来るか。それとも従来通りヘッドを上から振って来るか。どのパターンで来るのか、どう防いでいこうか……。

 そんなシグルドの考えは、一秒もしないうちに崩された。相手が取った手段は、大きく横に振りかぶるものだった。

 ……投擲!

 この距離、この速さ。真正面から喰らえば当然動きを封じられる。投げてくると分かったその瞬間には既にスレッジハンマーは放たれており、悠長に避けられるほどの時間はない。迷っている暇はない。

 シグルドは足から床に飛び込んだ。スライディングの体勢だ。回転しながら飛翔するハンマーのヘッド部分、その風圧がシグルドの頬を掠めた。

 足を伸ばす。相手の膝裏に自分の足首を引っ掛け、そのまま思い切り手前に引いて刈り込んだ。同時にもう片足で相手の足首の当たりを押し出す。相手の体勢が崩れ、手前に倒れこむ。

 復帰する暇など与えるものか。倒れこむ相手の胸倉を掴み、引き寄せる。その反動を利用して自らは体を起こす。そのまま相手を床に組み伏せ、馬乗りになった。


 数瞬の出来事であった。息を詰めて見守る塩野がまばたきするかしないか、それ程度の時間しか経過してはいない。


王手チェックメイトだ」


 片手に保持したままの柄を首元に突き付け、低くシグルドが告げる。男は射るような視線をシグルドに向けるが、自らの不利を否応なしに理解した。この男もまた、愚かではなかった。全身から力が抜ける。


「……ここまでか」

「いーや、これからさ」


 励ますような台詞。塩野だ。口調はどこまでも穏やかで優しい。シグルドが仰ぎ見れば、まるで親か師かといった顔付き。

 そんな塩野と目が合って、思わずシグルドは男から降り、彼の上半身を起こしてやった。男もそれに逆らわず素直に受け入れる。それがさも当然であるかのように。いや、当然だと思ってしまったのだ、両者とも。塩野の顔を見、塩野の声を聞いた時点で、塩野の意志に従ってしまった。


 始まったのだ。塩野鎮鬼医師による、解体。状況に当たり前のように介入し、全ての流れを捻じ曲げて自らの路線へと合流させるその手腕。声も、姿も、そこにある何もかもが塩野の操る武器になる。この男に数分間の時間も与えてはならない。人物像を解析する猶予など与えてはならなかったのだ。


 見るな。聞くな。語るな。解体屋に出会ったら、その全てを遮断せよ。触れるな。認めるな。許すな。奴らは即ち、言葉で人を殺す暗殺者だ。証拠など何一つ残らない。そう語ったのは確か、クラウディアであったろうか。


 が、しかし。突然開いた扉、そこから現れた第二の男。男の手に、スローイングダガー。


 シグルドが取った行動は、一歩踏み出し、ナイフを持った男と塩野との間を塞ぐことだった。投擲されたダガーは四本。そのうち一本は確実に塩野へと向かっている。そいつともう一本をダンベルの柄で叩き落とし、塩野の元へと移動したことによって一本は回避、残りの一本はどこへ……?


「がッ……ッぐぅ……ぅぁあああああ!」


 獣のような叫び声。いや、断末魔と言うべきか。先程までシグルドが組み伏せていた金髪の男、彼が喉を掻き毟りながら床を転げ回っていた。首の付け根辺りに突き刺さったダガー。だが、それほど深く刺さっている訳ではない。激しく暴れることによってダガーは抜け落ちるが、男の苦痛は治まる気配を見せない。


「……神経毒か何かが塗ってあるね」


 塩野の言葉にダガーナイフを投げた男は答えない。シグルドは苦しむ男の顔を見て、彼がもう助からないことを知る。

 ダガーを投げた男は、その気怠そうな表情をピクリとも動かさない。懐から取り出したボウイナイフを構え、問答無用で襲いかかってきた。

 思わず漏れる舌打ち。状況を整える暇も与えてはくれないのか。そう考えて、シグルドは内心で苦笑する。俺が相手の立場なら、暇など与えるはずもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る